■満開の岡崎
今回の話題は昨日撮影の情景から。

桜花満開の季節、梅が遅かっただけに大丈夫かと思っていたのですが、見事なまでに新年度、咲き誇っていまして、これがさくらでさくらがこれよ、とまあ、言い切れるような優美さをほこっている、そんな春のうつくしい日常で。

平安神宮、まいとしまず何処の桜を見に行くかは、北大路機関標準木というさくらがありますので、そこはまあ、何度も何度も通うのですが、それを全部特集しますと、ヤサが割れてしまう。ということは閑話休題、さてさて。

最初に載せる桜花の話題をどうするか、撮影というか散歩とともに、出来高、というのでしょうか、迷うのですが、今年は、さくらのわだいは平安神宮の写真とともにはじめたいのです、なにしろこんな天然色が迎えたのだから。

岡崎公園と平安神宮へ、このかいわいは東山、というにはちょっと離れていますから、ひがしやま、こうひらがなで表現したいような静けさとともに、実のところ不思議な活気があり、現代的でもあり、しかしひろびろとしている。

美術館と京都会館と勧業館、近代的な建物が並ぶとともに、平安遷都から東京遷都を惜しむような大鳥居と、明治時代に急遽、というよりも明治天皇が荒廃したままの京都を悼んで造営を命じた平安神宮はどこか近代的であって。

明治国家として近代国家を歩みたい一方で、古都への憧憬をいっしょくたにしたような情景は、都大路の、平安遷都の頃に、いや平安遷都がもう千年おそければ、たとえばこんな、という情景を醸しているのがこの界隈だとおもう。

神宮外苑、不思議なのだけれどもむかし、自衛隊観閲式といえば明治神宮の神宮外苑でおこなっていまして、交通統制が面倒だとかで、田中角栄総理の時代にいまの朝霞訓練場に自衛隊観閲式の場を遷した事情がありましたが。

府警の閲兵式、いや、視閲式、この京都府警の年頭行事をおこなっていますのはこのあたりで、まあ、戦車はでてませんが装甲車は、警察では防爆車というんでしたか、行進します。ああ、もう中部方面隊には戦車がなかったなあ。

写真を撮影する際に、情景を思い起こしますとすこし考えるのは、手前に焦点を合わせた方が良いのか、奥の風景に焦点を合わせた方が良いのか、というところです。掲載するだけならば両方比較すればいいだけなのでしょうけれど。

情感醸す風情というのは、さくらが主人公なのか、たてものが主人公なのかと考えるのだけれども。ここで考えるのは、さくらを主人公にしてしまうと、どこそこの場所で撮ったかわかりにくい、という、情報的な悩みが生じる。

一枚に情報を無理なく込めるように、つまり一枚を大きく引きのばして飾ることをかんがえると、そのキャプションに答え合わせの情報をもりこめるのか、それとも画像情報だけで勝負するのか、となりますので、構図はむずかしく。

写真は、喫茶店などでたとえば風景写真が飾られていますと、その写真は何処なのかと推理と答え合わせが愉しくなる故そんなことをおもうのだ。もっとも、この前の長岡はわからなかった、長岡京ではなく新潟の長岡という。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
今回の話題は昨日撮影の情景から。

桜花満開の季節、梅が遅かっただけに大丈夫かと思っていたのですが、見事なまでに新年度、咲き誇っていまして、これがさくらでさくらがこれよ、とまあ、言い切れるような優美さをほこっている、そんな春のうつくしい日常で。

平安神宮、まいとしまず何処の桜を見に行くかは、北大路機関標準木というさくらがありますので、そこはまあ、何度も何度も通うのですが、それを全部特集しますと、ヤサが割れてしまう。ということは閑話休題、さてさて。

最初に載せる桜花の話題をどうするか、撮影というか散歩とともに、出来高、というのでしょうか、迷うのですが、今年は、さくらのわだいは平安神宮の写真とともにはじめたいのです、なにしろこんな天然色が迎えたのだから。

岡崎公園と平安神宮へ、このかいわいは東山、というにはちょっと離れていますから、ひがしやま、こうひらがなで表現したいような静けさとともに、実のところ不思議な活気があり、現代的でもあり、しかしひろびろとしている。

美術館と京都会館と勧業館、近代的な建物が並ぶとともに、平安遷都から東京遷都を惜しむような大鳥居と、明治時代に急遽、というよりも明治天皇が荒廃したままの京都を悼んで造営を命じた平安神宮はどこか近代的であって。

明治国家として近代国家を歩みたい一方で、古都への憧憬をいっしょくたにしたような情景は、都大路の、平安遷都の頃に、いや平安遷都がもう千年おそければ、たとえばこんな、という情景を醸しているのがこの界隈だとおもう。

神宮外苑、不思議なのだけれどもむかし、自衛隊観閲式といえば明治神宮の神宮外苑でおこなっていまして、交通統制が面倒だとかで、田中角栄総理の時代にいまの朝霞訓練場に自衛隊観閲式の場を遷した事情がありましたが。

府警の閲兵式、いや、視閲式、この京都府警の年頭行事をおこなっていますのはこのあたりで、まあ、戦車はでてませんが装甲車は、警察では防爆車というんでしたか、行進します。ああ、もう中部方面隊には戦車がなかったなあ。

写真を撮影する際に、情景を思い起こしますとすこし考えるのは、手前に焦点を合わせた方が良いのか、奥の風景に焦点を合わせた方が良いのか、というところです。掲載するだけならば両方比較すればいいだけなのでしょうけれど。

情感醸す風情というのは、さくらが主人公なのか、たてものが主人公なのかと考えるのだけれども。ここで考えるのは、さくらを主人公にしてしまうと、どこそこの場所で撮ったかわかりにくい、という、情報的な悩みが生じる。

一枚に情報を無理なく込めるように、つまり一枚を大きく引きのばして飾ることをかんがえると、そのキャプションに答え合わせの情報をもりこめるのか、それとも画像情報だけで勝負するのか、となりますので、構図はむずかしく。

写真は、喫茶店などでたとえば風景写真が飾られていますと、その写真は何処なのかと推理と答え合わせが愉しくなる故そんなことをおもうのだ。もっとも、この前の長岡はわからなかった、長岡京ではなく新潟の長岡という。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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