北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

敷地神社(わら天神宮) 早春の散策紀行

2007-04-04 22:38:37 | 写真

■西大路通を北へ

 西大路通りを快速バスや急行バスにて移動される方は、金閣寺や北野天満宮という名所とともに、わら天神前というバス停を耳にするだろう。しかし、バス停はどちらかというとわら天神より南の八幡神社前に停車する為、わら天神と勘違いされる方も多いようだ。

Img_7281  今回は、わら天神前バス停より西大路通を北へ200㍍、わら天神の特集を掲載したい。さて、わら天神とは俗称で、正しくは敷地神社という。そもそもは、北山に降臨したという天神を祀り、831年に氷室が造られたことが、神社の起源とされる。

Img_7285_1  このわら天神は、平安時代に生まれてくる子供が男女どちらかであるかということを、藁の目で占ったという事で、崇敬をあつめ、敷地神社がこの、わら天神という名前で呼ばれるようになったという(今日ではわら天神という呼称が一般的となっている)。

Img_7286  わら天神は、西大路通に面しており、その位置は雪景色を特集した金閣寺に程近い金閣寺道バス停よりやや南、先日夜桜特集を組んだ桜花咲き誇る平野神社よりも北側にある。

 境内は、大鳥居を進むと右に曲がり本殿へと続いている。

Img_7293  写真は三月に撮影したものであるが、四月一日の春季例祭へ、神輿の準備が為されている。同行の友人と一つ困ったのは、普通、こういった寺社仏閣には京都市が設置した説明立札があるのだが、わら天神は見つけることが出来なかった。しかし、危ないところで気付いてよかった(危ない事例:安産の神社にて気付かず学業成就を祈ること)。

Img_7296  このわら天神は、かつて北山にあったのだが、足利義満の金閣寺造営にあたり、現在の西大路通沿いの場所に遷座し今日に至るという。この遷座の際に、二つの祭神を合祀し、一つの神社としたというが、興味深い事象である。

Img_7546  京都の面白いところは、所用などの移動にてロードレーサーなどで路地裏を廻っていると、神輿と出会うことが少なからずあるということである。功利主義時代、自由の帝国といわれる現代にあって、こうした伝統が息づいているという情景は、何か温かいものがある。

Img_7301_2  境内に鎮座する綾杉明神。本殿の左手にあるのだが、御神木であろうか、もしくは巨木ということで信仰を集めているのだと推測する。実際に中々の大きさであり、18㍉広角ではフレームに収めるのが大変であった。

Img_7302  境内の様子。街中の神社としては、入り口からうける印象よりもかなり広い印象をうける。小生一行が訪れた日には、曇りながら温暖な天候、安産、そして勝負事の神社ということもあり、お孫さんらしき稚児を連れた両親と老夫婦、若い男女などが訪れていた。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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