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航空自衛隊次期輸送機C-Xと現用C-1

2006-12-16 15:30:01 | 防衛・安全保障

■川崎重工の一大プロジェクト C-1

 川崎重工において開発が進む次期輸送機について、小生の周りでも何かと話題になり、大きな関心が集まっているようだ。今回はこの機体について、現行のC-1輸送機との比較を通じ、またP-Xとの並行開発や要求性能の背景となる事例などを列挙し特集したい。

Img_4400  現在航空自衛隊の主力輸送機として運用されているC-1輸送機は、1966年にYS-11を生んだ日本航空機製造を中心に設計が開始され、1970年に初飛行に至った輸送機で、生産は航空関係の国内六社が担当し、川崎重工が最終組み立てを担当する。部隊配備は1973年よりはじまり、1981年に最終号機となる31号機が製造され生産終了となった。派生型として電子戦訓練支援機EC-1があり、また、中曽根防衛庁長官時代には早期警戒機型も構想されたが実現には至らなかった。

Img_0064  C-1の性能を列挙すると、全長29.0㍍、全幅30.6㍍、全高9.99㍍、離陸最大重量45.0㌧、最大搭載量8.0㌧、巡航速度705km/h、離陸距離550㍍、着陸距離820㍍、航続距離3334km。

 貨物スペースは長さ10.6㍍、幅2.6㍍、高さ2.5㍍で、最大搭載量時の航続距離は1300kmとなるが、これでは1972年に返還された沖縄への飛行は充分とはいえなかった。

Img_4415  沖縄返還という劇的な情勢変化を受け、日本政府には南西諸島の防衛という責務が米軍から移転された。沖縄の那覇基地への物資輸送を行う観点から航続距離不足を補うべく、通常燃料搭載量12024kgに加え機内に燃料タンクを増設した沖縄飛行仕様があるという。

 航空自衛隊輸送航空団は、入間基地、美保基地にこのC-1輸送機を配備しており、小牧基地のC-130H輸送機とともに国内輸送任務にあたっている。

Img_3312_1  このC-1輸送機の性能は今日的な観点からは性能は充分とは言いがたかったが、これ以前に運用していたC-46は搭載量2㌧、第二次大戦の中古品で16機が引き渡された。この数は映画「遠すぎた橋」に出た数よりも少ない。老朽化も著しく1967年7月5日に沖縄に向かうC-46からエンジンが脱落するという事故があり、代用として日本航空機製造のYS-11が1964年より発注、13機が導入された。航続距離は2334kmあるが、もとは旅客機であり、戦術輸送機として最良とは言い難かった。

Img_4509  C-1の性能、特に搭載量と航続距離の画定には政治的要素が背景にあったとされる。一般に社会党が国会で追及したとされているが、これは間違いで、小川和久氏の著書などをみると、防衛庁内局が社会党に追及されないようもとより要求水準を下げたというのが実情のようで、「周辺国に脅威を与えない程度に、そう東京と福岡の間を飛行できればいい」となったようである技術力の問題ではなく、要求水準が制限されていたので致し方ない。

Img_9596  しかし、批判はある。貨物室が小さすぎるのである。例えば航空自衛隊が運用する73式大型トラック、重量は7.89㌧であるから重量的には搭載可能なのだが、全長7.03㍍、全幅2.48㍍、全高2.865㍍。高さの関係で搭載出来ない訳だ。C-1の設計に大きな影響を与えた米軍のC-141は、後に胴体を延長し貨物室を増加させている。C-1は後に胴体を延長しようとしたが、設計上できないことが判明したという。これは設計思想の問題であるが、これがC-1の増強ではなくC-130導入に移ったものといえる。

Img_1657  C-1について、不満はあるものの車輌が空中投下できる設計になり、陸上自衛隊の空挺部隊もジープや73式小型トラック、105㍉榴弾砲や73式中型トラックまでを空輸できるようになった。航空自衛隊はC-46時代も車輌輸送用のグライダーなど持ち合わせていなかった為、それまでは分割して投下できる75㍉榴弾砲を運用し、地上では人力で搬送していた。少なくとも車輌を得た空挺部隊は、機銃もMATも搭載でき、その能力を大きく向上させたのはいうまでもない。

Img_8554  1954年に初飛行したC-130は改良に改良を重ね、E型そして航空自衛隊が導入したH型に至る。最大離陸重量70.3㌧を誇るC-130Hは、20㌧を搭載し4000kmの航続距離を有する。実は川崎重工のC-1輸送機は、その導入当時に米空軍が運用していたC-123戦術輸送機の後継機に挙げられていた。8㌧という小型の機体ながら、C-123と同規模であり、操縦性の高さやSTOL性能を評価されたものの、武器輸出三原則などの理由から実現に至らず、イタリアのG-222がC-27として制式化されている。

■国際貢献の時代と次期輸送機

 冷戦構造が集結し、東西両陣営間の全面核戦争による脅威は急速に希薄となり、その一方で東西間の代理戦争とも言われた限定戦域武力紛争は、その歯止めを失い、経済のグローバル化に端を発する貧困、飢餓、格差、そして資源ナショナリズムを起因とする民族自決運動が新しい武力紛争の形態となり、制約を失した闘争は、その広域化により世界規模での脅威を与えることとなった。

Img_8668  冷戦後、こうした紛争を局限化する目的で必要性を増した国際人道支援への要求は、長らく専守防衛を国是とした日本にも例外ではなく、ルワンダ難民人道支援任務やモザンビークPKO任務など、その任務範囲も広域化し、C-130をもってしてもその能力は限界をきたし始めた。日本政府はロシアやウクライナからAN-124大型輸送機をチャーターし、運用したが、1994年のルワンダ人道復興支援任務の帰路、ロシアから通関書類の不備を理由に足止めされる事件があった。

Img_0787 書類不備とは建前であり、外交的圧力に他ならないのだが、82式指揮通信車をC-130Hにてアフリカまで輸送することは非常に困難である。人員だけでも、ルワンダへ西元統合幕僚会議議長以下の要員とともに三機のC-130Hを派遣した際には、九日の日数を要し、その乗員の疲労も著しいものがあったという。政府専用機のB-747は現地空港設備や滑走路強度の不足から用いられず、C-130を用いたのだが、その能力の限界が指摘される端的な事例となった。

Img_4479  こうして、C-1輸送機の後継機構想が持ち上がったわけだが、当初考えられたのはC-17輸送機の導入であった。最大搭載量77㌧、90式戦車と弾薬などを含んだ重量に匹敵する54.5㌧を搭載した状態での航続距離は5300kmに達したが、2000年頃の調達価格で単価が1億7300万~1億9000万ドル、邦貨で200億円以上の機体であり、整備所用初期調達品や予備部品、整備員訓練の費用を含めば更に高価となり、イギリスのように5機ほどをリースするならばともかく、C-1の後継機には不適だった。

Img_4407_2  整備部品などの国内輸送に充てるC-1の後継機は、便数の観点から機数が必要となる。レーダーサイトまでの末端輸送ではCH-47大型ヘリが用いられるが、やはり基地間の距離を考えるとこれは変りそうにない。C-130Hの胴体を延長し、エンジンと操縦系統を抜本的に近代化したC-130JやC-130J-30が開発されたが、これはこれで高価であり、かえってH型が見直されるに至り、J型の航空自衛隊導入は必ずしも最適とは言えず、再び国産輸送機の計画が構想されるにいたった。

Fh020032  2000年に発表された次期輸送機C-Xの構想は、巡航速度890km/h、搭載量26㌧、航続距離は6500kmを目標値として上げられている。

 これは重量だけからみれば、陸上自衛隊が運用する26.5㌧の89式装甲戦闘車の輸送も可能であった。同時に川崎重工を主契約企業として海上自衛隊が運用するP-3C哨戒機の後継機も発注され、戦後最大規模の国産航空機開発計画といえる。

Img_7872_1  P-3C哨戒機の後継機は、四発ジェット機で、巡航速度830km/h、巡航高度11000㍍、航続距離8000kmとされ、高度を高くする理由は対潜任務よりもレーダーを用いた洋上哨戒任務に充てる為であろうか、米海軍はボーイング737を母体とした大型哨戒機によりP-3Cの後継とするようだが、南西諸島防衛の那覇、と鹿屋、小笠原諸島に向けた厚木、北方の潜水艦と流氷を監視する八戸の4基地に一定の稼働率を持った飛行隊を配置するには機数が必要であり、米海軍とは要求が異なったのだろう。

Img_1143_1  さて、この二つの航空機開発計画が同時に発注された背景には、主翼の一部、操縦計器や風防などできる限りの部品を共用することでコスト低減を目指すとした背景がある。一部の軍事評論家は、対潜哨戒機と大型輸送機という全く用途の異なる航空機の部品の共用化などナンセンスだ、としたが、例えばF-15J戦闘機で1100、90式戦車で1300社の企業が主契約企業の下で部品生産を行っており、中には全く用途の異なる飛行機でも1000以上の企業中に共用できる部品も多くあろう。出来る限り共通化することは、無形のコスト圧縮効果をもたらすことは無視してはならない。

Img_9431  さて、P-X、C-Xともに既にモックアップ検証から実機製作が終了し、静強度試験機が川崎重工から防衛庁技術研究本部に移管され、試験を行っているが来年度にはC-X、P-Xも初飛行に至ると航空専門誌は報じている。岐阜基地にはこの大型機を納める格納庫(P-Xの方は初飛行は岐阜で、しかし実験は厚木の第51航空隊で実験するのだろうか)が完成しつつあり、その機体の大きさを格納庫から実感することが出来る。

Img_2853  2004年12月2日にモックアップが公開、静強度試験機の引渡しが2006年3月13日に01号機として納入されたC-Xであるが、2006年7月のファーンボロ航空ショーに民間用としてHIGH-SPEED COMMERCIAL AIRLIFTERとしてスケールモデルやパンフレットなどが川崎重工のブースで展示、配布され各国メディアの注目を浴びたという。武器輸出三原則の武器定義は、明確にみれば輸送機は含まれず、これまでは拡大解釈で自粛されていたのが、輸出に向けて動いたことは日本航空産業の新たな一頁を開いたことになる。

Img_1709_2  さて、ファーンボロにおいて配布された最新の資料には、全長43.9㍍、全幅44.4㍍、全高14.2㍍、最大離陸重量141.1㌧、空虚重量60.8㌧、最大搭載量37.6㌧、運用高度12400㍍、速度マッハ0.8、離陸距離2300㍍、着陸距離2400㍍、航続距離5600km(37.6㌧搭載時)、12㌧搭載時の航続距離は8900kmで貨物を積まないフェリー時は10000kmの航続距離を有する。エンジンはGE社製CF6-80CでこれはE-767のエンジンに匹敵する出力を有する。

Img_2222  貨物室は、高さ4㍍、幅4㍍、長さ16㍍で、37.6㌧の搭載量を考えると、全長9.41㍍、全高2.25㍍、全幅3.18㍍の74式戦車も搭載可能と数字上はなる。数字上と書いたのは、重量バランスがあるとのことで確証はないものの、搭載可能である可能性は高い。ちなみに、重量は38㌧とされる74式戦車は空虚重量は戦闘重量よりも1.5㌧ほど軽量である。これは、エアバスA-400やアントノフAN-70などと比しても遜色ない性能といえよう。

Img_6972  着陸距離のところで、気付く方も居られようかと思うが、小生は若干不安になる部分がある。離陸に2300㍍、着陸に2400㍍というと、C-130Hを運用する小牧基地はかつて名古屋空港として国際線のボーイング747が飛び立った2740㍍の滑走路があるが、入間基地は2000㍍×45㍍滑走路、美保基地にも2000㍍×45㍍滑走路しかないのが気にかかる。要求であった26㌧以上の輸送をしないならばこの滑走路で収まるかもしれないが、気にはなるところだ。写真は木更津駐屯地に着陸したC-1の様子。

Img_4404  C-Xに関して、生産数の発表は為されていないが、輸出型は目下提案にとどまっているも、C-1の生産数31機に加えて、国際貢献任務用に加えての追加要求が為される可能性がある。少なくとも、遠からぬ将来には写真のC-1に代わり航空自衛隊の主力輸送機となろう。設計の成功を今は心待ちにするばかりである。

HARUNA

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コメント (2)
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