熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

秋深き京成バラ園の妖艶な輝き

2011年11月14日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   今、秋バラの白鳥の歌と言うべきか、秋の深まりと共に、バラの色彩が少しずつ鮮やかに深まって行くような気がするのだが、もうすぐ、霜が降りはじめると枯れて行く。
   京成バラ園のバラは、遠目では美しく見えるのだが、殆どの花が満開を過ぎているので、少しずつ縮れて枯れ始めている。
   雨に打たれた後でもあるので、薄い花びらの色の浅い花などは傷んでいて、写真を撮ろうとしても、良くてもシミや斑点がついていたりして、殆ど不可能で、特に、青や白い系統の花は、一枚も撮れなかった。
   ところが、淡い黄色の花でも、黄色くてややオレンジがかった花は、花弁が比較的厚くて強いので、咲きかけや満開直前の花などには、美しい花がかなり残っていて、楽しませて貰った。

   平日の午後の庭園は、殆ど人がまばらで、バラの木の下に潜って手入れをしているガーディナーの人の方が目立つくらいだが、しかし、一本一本のバラの美しさを確かめながら、シーンと静まり返った庭園を、微かに匂うバラの優雅な芳香を楽しみながら、散策するのも、中々オツナものである。
   
   やはり、気になるので、真っ先にイングリッシュ・ローズの植わっているガーデンに出かけたが、花は、殆ど咲いておらず、むしろ、私の庭や鉢植えのイングリッシュ・ローズの方が、花が咲いていて、毎日切り花にしている。
   春には、零れんばかりに妍を競って咲き誇っていたガートルード・ジェキルの大株などは、今では、正に枯れ木と言った感じなのだが、これが、来春には、また、豪華にかつ鮮やかに咲き競うのであるから、バラの生命力は大したものなのである。
   私のガートルード・ジェキルは、一輪だけだったが豪華な花を咲かせてくれて、かなり、長く一輪挿しで咲いてくれていた。
   本当は、この京成バラ園のように、イングリッシュ・ローズやフレンチ・ローズは、秋には花を咲かせずに、休ませる方が良いのかも知れないが、デビッド・オースチンの四季咲き表示のあるものは、適当に咲かせて楽しんでいる。

   春も秋も、バラを楽しもうと思えば、四季咲きのモダンローズのハイブリッド・ティやフロリパンダが良いのであろうが、それでも、手入れを十全にしないと、まともに花が咲かないし楽しめない。
   私は、椿が趣味なので、沢山植え続けて来ているが、椿の世話は、植え場所さえ間違わず水遣りさえ欠かせなければ、多少手を抜いても綺麗な花を咲かせてくれるが、バラは、植え場所にも気を遣って、薬剤散布や施肥には格別の注意を払わなければならないし、本当に愛情を注いで大切に育てないと、言うことを聞いてくれない。
   それだからこそ、あんなにも、綺麗で魅力的なのであろうと思うのだが、ある意味では、恋をするようなものなのかもしれないと思うことがある。
   
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