熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

八月納涼大歌舞伎・・・裏表先代萩

2007年08月22日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   「裏表先代萩」の裏表と言うことだが、元々の時代物の先代萩の話が表で、それに世話物が裏となって、交互に演じられて、微妙に絡ませながら仕立てあげられた面白い舞台である。
   しかし、シェイクスピアの戯曲のように幾筋もの人間模様が入り組んだ芝居とは違って、いわば、水と油のような時代物と世話物の話が、交わらずに平衡して、たった3時間の間に展開されるのであるから忙しい限りである。

   それに、勘三郎が、下男小助、乳母政岡、仁木弾正三役を勤めるのであるから、全く娯楽の舞台で、器用な役者と言う役回りであるのだが、納涼だから仕方がないのであろうか。
   藤十郎や猿之助なども早代わりで何役も勤めていたし、実はと言う形で二役演じるのは良くあるし、複数の役を演じるのは歌舞伎の舞台の伝統でもある。しかし、私自身は、芝居の舞台と言うものは、本来、一つの短い時間に何役も主役を勤めるのはおかしい、と言うよりも勤められるのがおかしいと感じているので、そのような舞台は役者の器用さを見せるための全くの娯楽ものだと思っている。

   シェイクスピアの舞台でも役者の数が少ないと、複数の役を演じることがままあるが、主役級の掛け持ちはまずない。
   昔、イボ・ビンコが、愛妻のメゾソプラノ・フィオレンツア・コソットのことを、役にはまり込んで永い間覚めないのだと言っていたことがあるが、確かに、アズツェーナを歌った時は、あの鬼気迫る雰囲気はカーテン・コールの時にも覚めていなかった。
   私は、一つの役作りに集中して舞台を勤める、これが役者本来の姿であると思っているので、今回の勘三郎の舞台は、確かに流石に勘三郎で上手いと思って見ていたが、器用な舞台を見せてもらったと言う感慨しかない。
   私が見たのは、今月はこの第三部だけだったが、勘三郎は、朝から晩まで硬軟取り混ぜて何役も演じ続けているのだから何をか況やである。
   仁左衛門が、歌舞伎の舞台では、一度に一役だけをお願いして勤めさせて頂いていると言っていたが、これが、歌舞伎役者でも本来の姿だと思っている。

   全く毛色の違った重要な主役を三役も、それも初役で演じた勘三郎だが、特に、政岡や仁木弾正に至っては、名だたる歌舞伎役者が精魂込めて勤め上げた舞台であるから、これらと比べてどうのと言うのはフェアではないであろう。
   私自身は、魂の込め方は別にして、どの役も水準を越えていると思って見ていたが、政岡で一つだけ気になったのは、栄御前が退出してから一人だけになってから、相当経ってからも、忠節を尽くして目の前で嬲り殺しに合った自分の息子千松の亡骸を直視しなかったし、最後までひっしと抱きしめなかったことである。
   

   ところで、八汐を演じた扇雀だがドスの利いた凄い形相と演技に恐れ入った。
   秀太郎の栄御前の風格は舞台を引き締めて余りあるが、沖の井の孝太郎と松島の高麗蔵も中々素晴らしい格調のある舞台を見せてくれた。

   町医者大場道益の弥十郎の強欲と助平ぶり、家主茂九兵衛の家橘のひょうきんさ、下女お竹の福助の町女の優しく健気な佇まいなど、この大場道益宅の場は、お家騒動先代萩の舞台の一幅の清涼剤として面白い。

   三津五郎は二役と言っても、小助を裁く倉橋弥十郎と仁木弾正を裁く細川勝元の裏表の役だが、はまり役で、中々風格があって貴重な存在である。

   しかし、この通し狂言「裏表先代萩」は、正に、庶民を喜ばせるための先代萩版だと思った。
   シェイクスピアの戯曲も、演じられる度毎に、台詞や演出が変わったと言うし、その変遷で、多くのバージョンが生まれながら進展して行ったというのである。
   芝居も、世につれ人につれである。
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