花がいっぱい。

どんな花も無心に
咲いているから素敵なんだって。
無心になんかなれないよ。
どれもこれも気になっちゃってるんです

マリー・アントワネット

2006年11月12日 | ミュージカル
帝国劇場 12日17時30分開演
A席 2階センターブロック L列(最後列)
開幕して、いろいろな声を聞く『マリー・アントワネット』
始めての観劇となった。

多くの意見に反し「いいじゃん!・・大感動ってものではないけど」
という好印象の作品だった。こう感じた私は、やはり感性がずれてるか?

二人のMAは、私が、けっして好感を抱く人物像では、なかったが、
あの二人が、描かれたからこそ
ルイ16世の「誰か親はいないのか?」というセリフだったか
愛する息子が亡くなった時の、あの言葉は、なんともいえず、胸が締め付けられ、
同じように、アニエスのいう言葉が、すべて世の中を狂気に運んでいってしまう大きな渦のなかに書き消えされてしまいながらも、人間への忠告!のようで・・
痛いですねえ。と。

私にとってこの作品では、自分を飾るべきすべのないルイ16世と、「時(事)をうらんでも人を恨んではいけない」と言っていたと思えるアニエスが、人間として大きな時の流れのなか、人間として大切なものを見失っていなかったような・・・テーマはここにあり?と感じたのだが。

一方、一番の疑問は、錬金術師カリオストロという人物の存在!
あの人物の存在は、必要なのだろうか?
あの大きな時の流れはカリオストロいよって仕組まれたってこと?
では、彼は、結局何かを言いたかったのか?
歴史を自分の思うままに?動かしただけ?
よくわからない。
ちなみに、山口祐一郎が悪いのではない。

ボーマルシェの、狂言回しの存在だけで十分ではなかったのだろうか?
と思うのだが・・・。

メインのMAは・・・笹本マルグリットは、最初、愛を受けながらも、それをどこかに忘れてしまい、愛を与えるすべを知らず育てしまった女の子というイメージなのだが、笹本カラーでもある元気印が強く、以前ベーガーズオペラの時にも思った、ある種もう少し可憐さのようなものが欲しいかなとも。
(レミゼのときも、エポニーヌが、女の子というより少年色が強かった。今回もあれだけ元気だとあの時代(?)娼婦には絶対身を落とさないだろうと思うような強さがあった。)
愛に満たされたことがなく、愛を知らなかった、マルグリットに対して、
愛を教えてくれたのは、たぶんフェルセンであり、
その彼が、すべてをかけ、愛を注いだ(?)マリーアントワネットのほうが、
恋人や子供に対して「愛」の存在を知りうることができた人生であったことで、
ほんのわずかでも人間的には、幸せだったのかな?なんて思いながら、
結局、王妃としか生きられなかったかわいそうな女性というマリーアントワネット。
2部になってからの涼風マリーアントワネットほうが、印象に残った。
1部では、一緒に出ている井上フェルセンのほうが、いい。彼はこういう役は、お手のもの!というようにすら思わされる。彼にとっての王道ではないだろうか。
と思いつつ、4,5月の今さんは、どう演じるのだろう?と気になってしまった。
というのも、高嶋オルレアン公なんだか、オルレアンでなく、「エリザベート」のルキーニと大差なく・・・鈴木綜馬オルレアン公ならどうなるのだろう?
などと思ってしまったゆえ。
違う役をやっても、結局○○さん!っていう方がいるが・・ちょっとそう感じできている高嶋政宏か?

「エリザベート」ルキーニではないが、今回の狂言回し山路ポーマルシェが、初回は一番楽しく見れたかなあ。ポーマルシェの存在がないとこれけっこうわかりづらかったのでは?と。
一番いい役じゃないのかなあ?と思ってしまったのだが。

そして今回の音楽で、まったくいい加減ながら
サン・サーンスの「白鳥」と
昔みた映画三船敏郎が出ていた「太陽にかける橋 ペーパータイガー」のサントラ音楽を思い出してしまった。
(当時、妙に好きになってはまった映画!何度見に行ってしまったか・・試写会を含め)

でもそん中で、ラパン夫人の北村さんの歌う歌が、べたべたでなくけお気に入りになった。

けっこう1回目見た限りでは、作品としては悪くないのでは?と
それに、そんなに重いとも感じなかった次第。
(ひねてなく、無理もないって思っい、
 原作より主人公2人が鼻につかなかったのは幸い!)
しかし、私ってやはり、視点が、ちょっとずれてるか?
コメント (12)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする