参考・元「慰安婦」 金福童さんの「年齢詐称」「行動説明不能」疑惑の検証/CML (訂正あり)

2013-06-01 16:34:20 | 社会
泥憲和さんから
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【金福童さんは「第15師団」ではなく「第18師団」の慰安婦だったという仮説】

 来日した元慰安婦・金福童さんの証言を嘘だと攻撃する議論がかまびすしい。

年齢が証言と合わないとか、
 彼女がついて行ったという日本軍第15師団は、
 彼女が慰安婦をさせられたという場所に行っていないとか。

 たしかに、第15師団は金福童さんの証言するマレーシアにもシンガポールにも行っていません。
 ここに矛盾があることは、否定できません。
 ここに記すのは、彼女がいたのは本人の証言する「第15師団」ではなく「第18師団」の慰安所ではないかという仮説です。

 証言
「14歳のとき、慰安所に連れて行かれた。」
「初めは広東に行った。」
「陸軍第15師団の本部について、台湾、広東、香港、マレーシア、スマトラ、インドネシア、ジャワ、シンガポール、バンコクと連れ回されました。」
「8年間、慰安婦にさせられました。」

■金福童さんの行動年表(仮説)

1926年
 金福童さん生誕(第10陸軍病院作成の名簿にもとづく)。
 数え年1歳

○証言
「14歳のとき、慰安所に連れて行かれた。」
「初めは広東に行った。」

 広東が占領されたのは1938年だから、彼女が慰安婦にされたのはそれ以後です。

1938年
 日本軍、広東作戦開始。
 参加部隊は「第18師団」、第104師団。
 広東を占領し、日本軍の大部隊が駐留した。

1939年(金福童さん、数え年14歳)
 広東の慰安所に入れられた。
 証言と矛盾しません。 

○証言「陸軍第15師団の本部について、①台湾、②広東、③香港、④マレーシア、⑤スマトラ、⑥インドネシア、⑦ジャワ、⑧シンガポール、⑨バンコクと連れ回されました。」

 台湾→広東の順番になっている点から上るままに、順不同で並べたと思われます。
 また⑤スマトラと⑦ジャワは、⑥インドネシアの内に含まれる地域名です。
 インドネシアと⑤⑥は重複しています。

 以下、上記地名が出て来るときに丸数字を振ります。

1941年11月
 大本営がマレーシア攻略を含む南方作戦の作戦準備下令。
 マレー作戦に動員されたのは「第18師団」、近衛師団、第5師団。
 第18師団、渡航準備のため、②広東から③香港を経由して①台湾に移動。
 証言にある第15師団はマレー作戦に参加していません。

1941年12月
 マレー作戦開始。
 第18師団が⑨バンコク進駐。

1941年12月
 第25軍(第18師団、近衛師団、第5師団、第56師団)が編成され、マレー侵攻開始。

1942年2月
 ④マレーシア全域を占領した。
 シンガポール作戦開始。同、占領。
 第18師団は⑧シンガポールに駐留。
 
1943年5月
 第18師団の所属する第25軍司令部が⑤スマトラ島のブキッティンギに移駐(⑥インドネシア)。
http://s.webry.info/sp/nemuihito.at.webry.info/200805/article_26.html

1944年3月 第7方面軍を編成。
 隷下兵団は第16軍(ジャワ軍政)、第25軍(スマトラ軍政)、第29軍。

1945 9月
 ⑦ジャワに本部があった上記第7方面隊第16軍に所属する第10陸軍病院の名簿に「傭人 金福童 19歳」との記録。
 この年は満19歳にあたる。
(「第16軍司令部同直轄部隊朝鮮人留守名簿第4課南方班」)

 その経緯は不明ながら、金福童さんはいつの間にか第25軍第18師団の下から、第16軍の下に移っていました。
 このことは公文書に明らかです。

○証言「8年間、慰安婦をさせられた。」

1946年~1948
 インドネシアから邦人が全員引揚げるのに、1948年まで足かけ3年かかっている。
 数え年21~23歳にあたる。
 帰国が1946年なら1939年から足かけ8年。
 帰国が1947年なら満8年にあたる。

 「1947年に日本軍は存在していない」などと下らない批判をする評論家もいますが、捕虜収容所で日本軍の階級秩序が機能していたことを無視しています。

 こうして年表をつくってみると、金福童さんはどうやら第15師団ではなくて第18師団に随行していたように見えます。
 「第15師団」という証言が第18師団の記憶違いだと仮定すると、年齢にも経歴にも、まったく矛盾しません。
 すべての地名が部隊行動と符号します。

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一部訂正

一部に誤りが判明したので、その部分を訂正します。
 訂正部分を【 】で表記します。

1941年12月
 第25軍(第18師団、近衛師団、第5師団、第56師団)が編成された。

 【南方軍では慰安所は軍政当局の管轄に入る規則なので、金福童さんの慰安所も第18師団から第25軍軍政部の管轄に移ったはずである。】

 マレー侵攻開始。

1942年2月
 【第25軍が】④マレーシア全域を占領した。
 シンガポール作戦開始。同、占領。
 【第25軍】は⑧シンガポールに駐留。

1942年4月
  第18師団が第25軍から離れてビルマへ移動。
  金福童さんの慰安所は第25軍の下にとどまった
。】

1943年5月
 第25軍司令部が⑤スマトラ島のブキッティンギに移駐(⑥ インドネシア)。【(第18軍の記述を削除)】

1944年3月 第7方面軍を編成。
 隷下兵団は第16軍(ジャワ軍政)、第25軍(スマトラ軍政)、第29軍。

1945 9月
 第10陸軍病院(⑦ジャワ)の名簿に「傭人 金福童 19歳」との記録。
 この年は満19歳にあたる。
  (「第16軍司令部同直轄部隊朝鮮人留守名簿第4課南方班」)

 【第25軍の下から第16軍の下に移ったのは、引き揚げ準備のためと思われる。】


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「慰安婦発言」で波紋...渦中の橋下氏生出演 新報道2001 2013年5月26日
https://www.youtube.com/watch?v=Sc7zlT2CsRo


https://www.youtube.com/watch?v=ieUxhsFEJcg


https://www.youtube.com/watch?v=lmkmdC_QELc


橋下氏“奇策”不発で前途さらに多難 「大阪市長本来の仕事も進んでいない」 - ZAKZAK
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130531/plt1305311137001-n1.htm

“ドロ舟”維新から脱走者続々! 橋下発言の波紋収まらず… - ZAKZAK
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130601/plt1306011452006-n1.htm

橋下問責否決「ねじれダブル選」怖かった公明党―市長は橋下ウラ支援、参院は反維新 : J-CASTテレビウォッチ
http://www.j-cast.com/tv/2013/05/31176268.html

橋下問責決議なぜ公明党ビビッた?出直し市長選チラつかされ腰砕け (1/2) : J-CASTテレビウォッチ
http://www.j-cast.com/tv/2013/05/31176263.html

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慰安婦発言「誤報」の主張:橋下氏に反論する=毎日新聞大阪本社編集局長 若菜英晴
http://mainichi.jp/select/news/20130530mog00m040001000c.html
日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)が、従軍慰安婦を巡る発言の報道に対し、「誤報だ」と繰り返し主張している。本紙に関しては、具体的にどの記事を指しているのか定かでないが、「自分の真意を伝えないメディアの報道がおかしい」という趣旨のようだ

経過を振り返る。今月13日に問題の発言があり、本紙は同日夕刊最終版(大阪発行)から報道した。大阪発行の14日朝刊では、沖縄の米軍に「風俗業活用を」と話したことも含めて記者団との一問一答を掲載し、ネットでも公開した(毎日jpに一問一答記事を掲載)。橋下氏は14日、自身のツイッターで「かなりフェアに発言要旨を出している。毎日の一問一答がある意味全て」と書き込んだ。しかし、17日の囲み取材で「大誤報をやられた」と語り、メディア批判をさかんに展開し始めた。

 橋下氏は「メディアは一文だけ聞いてそこだけ取る」「文脈をきちっと取って報道すべきだ」と言う。では、14日の一問一答全体や文脈から何が伝わったのか。沖縄の地方紙、琉球新報の18日社説はこう書いている。

 「『海兵隊の猛者の性的エネルギーをコントロール』するはけ口として、生身の女性をあてがおうとする発想そのものがおぞましいのだ」「(戦時中)『慰安婦制度が必要なのは誰だって分かる』と述べたが、『分かる』はずがない」「沖縄の代弁者であるかのように装うのはやめてもらいたい」。同感である。

 橋下氏は後に「風俗業発言」は撤回したが、文脈から伝わったのは、従軍慰安婦問題の見解や歴史認識以前の、橋下氏の人権感覚、人間観ではないだろうか。国内外に批判が広がったのもこの点にある。「報道で正反対の人物像・政治家像が流布してしまった」と橋下氏は言う。しかし、流布した原因は橋下氏の発言、言葉そのものにある。報道批判は責任転嫁だ。ましてや、「日本人の読解力不足」との指摘はあたらないし、「他国も同じようなことをした」との主張は論点のすりかえと映る。

「バカ」「頭が悪い」……。橋下氏はツイッターで毎日新聞や批判的なメディアに対してこのような言葉を繰り返しぶつける。これにはいちいち反論もしないが、政治家であるならば、冷静で吟味された言葉で語るべきだ。荒っぽい言葉を「本音」ともてはやすことは、人を傷つけるだけでなく、国益も損なうことを今回の問題は示している。

橋下氏慰安婦発言:記者団との一問一答(要旨)
■13日午前

 −−日本の植民地支配と侵略を謝罪した村山首相談話について。

 「侵略」に学術上きちんとした定義がないことは安倍首相の言う通りだが、敗戦の結果として侵略だということは受け止めなければいけない。ただ、事実と違うことでわが国が不当に侮辱を受けていることに関しては主張しないといけない。

 従軍慰安婦問題も、意に反してそういう職業に就いたということであれば配慮しなければいけないが、なぜ日本だけが取り上げられるのか。慰安婦制度は世界各国の軍が活用した。朝鮮戦争やベトナム戦争でもあった。銃弾が飛び交う中で命をかけて走っていく時に、精神的に高ぶっている集団に休息をさせてあげようと思ったら、慰安婦制度が必要なのは誰でも分かる。韓国とかの宣伝の効果でレイプ国家というふうに見られてしまっているのが一番問題だ。

 ■13日午後

 −−従来より踏み込んだ発言だが。

 聞かれなかったから言わなかっただけ。当時の状況で(慰安婦制度を)活用していたのは事実。自らの意思でそういう職業に就いた人もいたでしょうし。現代社会だって風俗業が職業としてある。

 −−慰安婦の意に反しても必要か。

 意に反して慰安婦になったかどうかは別にして、軍の規律維持のために、慰安婦制度は当時は必要だった。

 −−今は。

 認められない。慰安婦制度じゃなくても、風俗業は必要。普天間飛行場に行った時、「もっと風俗業を活用してほしい」と言ったら、米海兵隊司令官は凍り付いたように苦笑いして「米軍では禁止している」と。建前論ではだめだ。そういうものを真正面から活用してもらわないと、海兵隊の猛者の性的なエネルギーはきちんとコントロールできない。

 −−活用していないから事件が起きるのか。

 活用したから(暴行)事件が収まるという因果関係にあるようなものではない。

 −−世界各国が活用したと言うが、どこか。

 米軍も活用した。沖縄の占領時代も、日本人女性がそういう商売に携わっていたのは事実。いいか悪いかは別として、あったのは間違いない。なぜ世界で日本が非難されているか国民はもっと知っておかないといけない。軍や政府が国を挙げて慰安婦を暴行脅迫拉致したという証拠が出れば、日本国として反省しないといけないが、今のところはそういう証拠はないと政府が閣議決定している。



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16 コメント

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第16軍となった経緯 (scopedog)
2013-06-02 09:18:18
第18師団である可能性は高いと思います。元々師団の番号を正確に覚えているとも思えませんし、当時は通称号を使うことの方が多かったでしょうし。
シンガポール攻略後、第18師団はビルマ方面に移動しますから、その頃に金福童氏は18師団から、離れシンガポールの慰安所に置かれたように思われます。シンガポールからスマトラは近いですから、短期間スマトラ、ジャワなどに出張した可能性はあるでしょう。この頃、第25軍司令部の管理下にあったかもしれません。

>その経緯は不明ながら、金福童さんはいつの間にか第25軍第18師団の下から、第16軍の下に移っていました。

敗戦時点では、第25軍管理下で第10陸軍病院に登録され連合軍進駐に伴い軍司令官クラスが次々と戦犯として捕えられたため(その他、インドネシアでの独立戦争による混乱などもあり)、南方全域の日本軍がジャワの第16軍(馬渕少将)管理下になったようです。金氏の名前がある名簿が第16軍として作成されているのは資料が作成された1947年、復員時点での第16軍麾下の部隊を対象としているからと思われます。


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精神科医 (宮地 達夫)
2013-06-02 17:42:54
師団を移動させられたかどうかは別として姜貞淑(ガンジョンスク)さんの資料によれば
日本の敗戦後、日本や朝鮮半島などから中国や東南アジア各地に送られた「慰安婦」たちがどのように扱われたのか、ということは大きな問題である。現地で放置された女性もいれば、とりあえずは日本や朝鮮半島に戻ることができた女性もいた。戦後、日本軍が作成した文書のなかに、朝鮮女性が敗戦前後に看護婦として登録されたことを示すものがある。金福童さんも、敗戦時に看護婦としての訓練を受けている。金福童さんは陸軍病院に配属されたようだが、ここで紹介するのは海軍について、日本人「慰安婦」を病院の補助看護婦にするように命令したこと、ならびにそうした措置をとったことを示す海軍の電報である。いずれもイギリス軍が日本海軍電報を傍受し、暗号解読をおこなって英訳したものである。その英訳から原文の日本語を推測して訳したものである[1]。
一九四五年八月一八日一一時二一分
発信者 第一南遣艦隊司令長官(参謀長) 
宛先 第11特別根拠地隊(サイゴン)、第13特別根拠地隊(ラングーン)、第15特別根拠地隊(ペナン)
シンガポールの海軍「慰安施設」に関して、八月一日付で日本人従業員は海軍第一〇一病院で雇用されることとなった。少女たちの多くは補助看護婦とされた。これと同様の措置をとるべし。(写真)
 一九四五年八月二〇日一九時一五分
発信者   第八通信隊 
宛先 すべての民政部長官
 全地区の日本女性を各地区の病院(第一〇二病院の支部または民政部病院)に看護婦として配属すべし(旧例に従って取り扱うべし)。しかしながら、スラバヤとジャカルタは特別命令に従って扱うべし。完全に了解すればこの電文は焼却せよ。前者は、シンガポールに司令部を置いていた第一南遣艦隊の命令であり、その指揮下のマレー半島、インドシナ、ビルマなどの部隊に伝達されたものである。ここでは、シンガポールにおいては八月一日付で日本人「慰安婦」を看護婦にしたことが報告され、ほかでも同様の措置を取るように命じている。ここでいう「日本人」とは金福童さんなどの例から考えると、朝鮮人女性も含まれていると見てよいだろう。
後者は、インドシネア第二南遣艦隊の指揮下にあった通信隊からのもので、占領地行政を担当していた各地の海軍民政部(軍政機関)に宛てた電報である。インドネシアの海軍占領地では民政部が慰安所を管理していたので、民政部長官宛になっていると思われる。
海軍の指揮命令系統で見ると、大本営海軍部―連合艦隊―第一〇方面艦隊―第一・第二南遣艦隊となる。この二つの艦隊でフィリピンを除く東南アジア地域全域を担当していた。したがって、この二つの電報から、ほとんど米軍に占領され海軍組織が実質的に解体していたフィリピンを除いて、海軍については東南アジアのほぼ全域で、同様の措置を取るように命令が出されていたと見てよいだろう。
南方軍の「留守名簿」によると[2]、韓丁洙という朝鮮女性が四五年八月一日付で「看護婦」として「発令」されている。この女性は第五陸軍病院の「留守名簿」に記載されており、第五病院はジャカルタにあったのだが、その後、その女性はシンガポールで病死している。現在、シンガポールの日本人墓地に南方軍の「病院関係物故者」氏名一覧が刻まれた碑が建っており、その一覧のなかに彼女の名前が刻まれている(写真)。彼女が慰安婦だったかどうかは断定できないが、その可能性は高い[3]。これは記念碑であってお墓ではないが、「慰安婦」だったとすれば、こうした碑に名前が刻まれているのは非常に珍しいケースだろう。
いずれにせよシンガポールでは八月一日付で看護婦として登録したとの電報の内容は留守名簿によって裏付けられたと言ってよい。電報は海軍のものであるが陸軍も同じ措置を取ったと見られる。金福童さんの場合は、陸軍第一〇病院に八月三一日付で「雇人」になっている。この病院はスマトラにあった[4]。後者の電報ではシンガポールでの措置にならって各地でも同様の措置を取るように命令しているが、それによってとられた措置だろう。日本陸軍の「留守名簿」を調査した姜貞淑氏の論文によると、そこに「看護婦」や「雇人」などとして記載が確認された朝鮮人女性三一四人のうち、四五年八月一日付で登録された者八三人、ほかは一一日5人、二二日八七人、三〇日三五人、三一日一〇四人、となっている。
八月一日付でなされた措置が、実際にはいつなされたのか、特に敗戦前か後か、というのははっきりとはわからない。敗戦がわかってから、元々看護婦だったという体裁を取り繕った可能性が高いと思われるが、それは遅くとも八月一八日午前中までになされたことは確実である。
こうした措置を取った意図は電報には書かれていないので推測するしかないが、一つには日本軍が慰安所を持っていたこと、ならびに慰安婦の存在を隠蔽しようとしたのではないかと考えられる。もう一つは、連合軍に武装解除される際に軍人軍属の登録がおこなわれるだろうが、その際に日本人「慰安婦」の扱いに困り、看護婦であれば軍属にできるので(事実、留守名簿に記載されている)、そのように登録して一緒に帰国する便を図ったのではないかという推測も可能かもしれない[5]。 
 この「留守名簿」については、姜貞淑「解放以後に日本軍は朝鮮人の軍慰安婦を軍属で採用」(挺身隊研究所News Letter、第五八号、二〇〇五年一月)、参照
いずれにしても、敗戦後も、陸軍は機能しており、その命令に金福童さんらも従わらずをえなかったというのが真実ではないだろうか
返信する
本末転倒 (矢吹昭彦)
2013-06-12 10:43:02
問題は、強制連行されたか、誘拐されたかで、       慰安婦はありましたこれは阿部総理も橋下市長も認めていますよ。                                                                 質問です、この人は何で橋下さんから逃げたのですか、どうして慰安婦になったのですか、これが問題です。おやに売られたのかな。                      ご返答よろしく。
返信する
修羅道ってしってますか? (ビブリオマニア)
2013-06-18 05:28:34
韓国で昔、『修羅道』という小説がでました。
その小説の中に最初の従軍慰安婦が出てきます。
従軍慰安婦と言うのはこの小説で生まれました。
それまで韓国には『従軍慰安婦』と云う
言葉はありませんでした。
しかし、フィクションであるにも関わらず
韓国人はその話を真実だと思い込み、
さらに朝日新聞がその話を拡散したのです。
返信する
結局なんなんだ (ednakano)
2013-08-01 12:20:55
いまさらこんなもの検証して騒いで見ても、世の中の何が変わるというのだろうか。
70年前の検証も難しい問題であり、すでに日韓基本協定やアジア女性基金で、やれる範囲のことはやった。韓国が気に入らないとしても、単なる時間の無駄だ。

韓国には、朝鮮戦争時の性奴隷やベトナム戦争でのライダイハンなど、自ら考えるべきことがある。おまけに、今でも海外に人身売買する組織への対応は出来ていない。
脱北女性の中国における性奴隷問題も、事大主義のせいか、金にならないせいか、全く無視だ。

仮に日本の慰安婦問題を日本がどう反省しようと、この70年間の間で、日本が関わらない時と場所で、どれだけの女性の性的虐待が起きているのかわかっているのだろうか。
過去にとらわれている民族には、未来が無い。
返信する
Unknown (Unknown)
2013-08-01 22:19:30
(ビブリオマニア)さん

要するに小説と朝日新聞によってつくられた問題なんですね。
返信する
Unknown (Unknown)
2013-08-03 21:47:40
 『「1947年に日本軍は存在していない」などと下らない批判をする評論家もいますが、捕虜収容所で日本軍の階級秩序が機能していたことを無視しています。」 

 師団の間違いはあるかもしれません。
 しかし日本の敗戦後まで所謂「従軍慰安婦」として使役されることがあるなんて、本気で思ってますか?
 日本の敗戦と同時に朝鮮は日本の国土かではなくなり、朝鮮人は日本の施政下から外れたでしょう。
 しかも米軍監督下捕虜収容所で慰安婦が利用された等と、慰安婦を利用できるほどの自由があったと、どういう根拠があって述べておられるのですか?

 捕虜、俘虜は軍事的囚人です。確かに捕虜収容所内では軍隊での階級がある程度機能していたようです。
 しかし「従軍慰安婦」が軍の関与で成り立っていたとして、戦争に負けた瞬間に武装解除と同時に全ての権利を喪ったのに、まだ「従軍慰安婦」を維持して利用できたなどナンセンスを通り越してファンタジーだとしか言えませんね。
 それこそ「従軍慰安婦」諸氏の証言だけでなく、旧軍捕虜の方々に証言を求めれば一笑に付されるでしょう。
 大岡昇平氏の「俘虜記」でもお読み下さい。
 
返信する
Unknown (Unknown)
2013-08-03 22:33:20
 つづき。
 名簿に名前が残っている以上、慰安婦として働いていたことは事実でしょう。それについてに反論はありません。
 しかし、それが彼女の証言通り「従軍慰安婦」だとする証拠にはなりません。
 「日本軍が証拠を隠滅した」と主張される方が多いようですが、今回のように慰安婦としてはしっかり証拠が残っているのに、「従軍」慰安婦だとする証拠だけ隠滅したと考える根拠はどこにありますか?

 彼女らの証言の矛盾を「ひょっとするとこうかもしれない・・・」と都合よく解釈するのはノストラダムスの抽象的な予言をあたかも実現したように信じることと同じく、四字熟語では「牽強付会」と言います。
 証拠が無ければ事実とは認定されません。
 彼女らの証言が証拠と取り上げられるのなら、私は「実は自分は李朝朝鮮王家の末裔で、祖父は韓国政府にソウル中心部の土地数万坪を奪われただけでなく、きょうだいを強姦殺害された」と申しましょう。「今は亡き祖父から話を聞いた」孫の私の証言こそ証拠です。
 証拠はありません。
 あなたは私のこの証言に有効に反論できますか?
 私に反論できても、もし祖父が生きていたら祖父に反論できますか?
 彼女らの証言が全て嘘か間違いだとは断定しませんが、残念ながらこういう問題なんです。
 
返信する
期間より連行の過程が問題 (喪黒福造)
2013-09-16 15:55:22
 私も慰安婦であった期間はあまり問題ではないと思います。数字は思い違いということもある。通訳・翻訳者のミスと云うことも可能性としてはある。重要なことは、挺身隊に行くと云われたのに、どうして慰安所に到着したのか。そこが問題。誰にどのように連れられて釜山に行ったのか、下関行きの船に乗ることになったのか、そこが説明として不十分なのですよ。
返信する
Unknown (Unknown)
2013-09-16 23:49:46
金福童さんが日本政府に不当な扱いを受け被害を被ったのであれば、訴訟を起こし損害賠償を請求するのがいい方法です。
どうか、頑張って司法の場で争ってください。そして、その結果が
出ましたらこの場でお知らせください。
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