特集ワイド:福井・おおい町出身の小説家、水上勉さんと原発 依存深める故郷と、電気浪費の都市に「喝」
◇人間の六道の闇路が始まった
もし故郷が原発の町に姿を変えたら−−。「飢餓海峡」「はなれ瞽女(ごぜ)おりん」などの小説で知られる作家・水上勉(みずかみつとむ)さん(2004年没、享年85)は、大飯原発4基が建ち並ぶ福井県おおい町の出身である。当初は原発問題との関わりを避けたが、晩年は向き合い、故郷に厳しい言葉を突きつけた。【戸田栄】
水上さんは60歳代半ばまで、原発問題で目立った発言をしていない。水上作品の挿絵を多く描いた、おおい町在住の画家、渡辺淳さん(81)と水上さんの生まれた集落を訪ねると、山あいに民家が密集し、過去の貧しさは容易に想像がついた。渡辺さんが「先生が普段、原発について話すことはなかった。貧しい町のことやでのう」とぽつりと言う。
生家跡は裏山が迫る村はずれの傾斜地の狭い土地にあり、墓場と接していた。渡辺さんによると、農家の物置小屋を借り、水上さんと父母、盲目の祖母、兄弟4人が暮らしていたという。
水上さんは1919(大正8)年、大工の次男として生まれ、口減らしのため、9歳で京都の寺へ小僧に出される。土地が狭く、貧しかった福井県南部の若狭地方では、長男を除く男子は京阪神での丁稚(でっち)奉公へ、女子は女中奉公へ出されることが多かったという。
原発誘致は、貧困克服を目指すものだった。渡辺さんも貧農の家に生まれ、高等小学校卒業後は「炭焼き」となった。絵が評価されたのは随分と後のことだ。渡辺さんは「原発なしで済めば、それに越したことはないが……。先生の弟の一人も原発で働いていたことがあるのですよ」。
青年期に寺を飛び出し、教師、会社員、服の行商などさまざまな仕事に就いた水上さんは、40歳ごろから本格的に小説家の道を歩む。1961年に直木賞を取り、以後、東京で精力的に作品を発表していく。その間、若狭では原発建設が進み、旧大飯町(06年におおい町に改称)では69年に議会が誘致を決議する。一方で反対運動に火が付き、71年にはリコール署名運動の結果、町長が辞任する大騒動になる。
元町幹部によると、町民同士が賛否で激しく対立した。元町幹部も例にもれず、誘致に反対だった親類の若者が運動家となり、町での施設使用を巡って法廷で対決する羽目になった。「小さいころから賢くて、将来を期待しておったんです。その子と争うとは思ってもみないことでした」
別の親類の女性は、推進派の有力者の家に嫁いだが、反対派が押しかける毎日が続き、「ここにはいさせられない」と離縁の申し出を受けたことがあるという。
水上さんとは何かと付き合いがあった。「先生はこういう複雑な町の事情をよく知っていた。私との間で原発を話題にしたことはありません」
ちなみに、元町幹部は昨年の福島原発事故の衝撃は言葉にできないほどだといい、揺れる胸の内を明かした。
「本当に福島の人は気の毒や。私の考えは徐々に変わってはいるが、親類に関西電力で働く者もいるし、町民の生活を考えると、大飯原発では安全に安全を尽くしてもらい、無事を祈るばかりです」
72年から約20年、水上さんの秘書役を務めたのが、福井市在住の写真家、水谷内(みずやち)健次さん(68)だ。水谷内さんは「先生は『原発は手のつけられんもんや』と、実は早くからもらしていた。でも、背に腹は代えられん地元があり、何も言えんかったんです」。
水谷内さん、渡辺さんの2人が、当時で唯一、原発絡みで水上さんが激怒したことを記憶していた。高速増殖原型炉が「もんじゅ」、新型転換炉(現在は廃炉作業中)が「ふげん」と名付けられた時だ。「『よりによって仏様の名前をつけるとは』と、すごいけんまくやった」
■
おおい町と隣り合う小浜市の明通寺住職、中島哲演(てつえん)さん(70)は40年以上、地元の原発反対運動をリードしてきた。84年に水上さんが中島さんを訪ねてきた。山寺を闇が覆う中、「同じ仏教を学んだ者として、私の活動を支援しようというお気持ちでした」と静かに振り返った。
中島さんの中で、仏教と反原発はどうつながるのか。中島さんは、仏教の「自利利他円満」という教えを基に説いた。自利は自分の利益、利他は生きとし生ける他の者の利益で、両者の調和が図られてこそ平和な世の中があるという考えだ。
「原発問題に当てはめれば、電気による自利を一概に否定はしない。しかし、利他を考える時、事故時の甚大な被害、自然環境汚染、また何万年にも及ぶ放射性廃棄物による後の世代への影響を考慮せねばならず、原発はお釈迦(しゃか)様の教えに背くと言わざるを得ない」と中島さんは断じた。水上さんは、中島さんの考えにじっと耳を傾けていたという。
85年、水上さんはおおい町に「若州一滴(じゃくしゅういってき)文庫」を開設する。図書館と、水上さんの作品の人形劇を上演する劇場の機能などを併せ持つ施設だ。
「一滴」の名は、町出身の高僧の故事に由来する。高僧は、風呂の余り水を無造作に辺りの地面へまいた弟子に水一滴の価値を教えた。「ばかもの、日照りで木が泣いとる。木や草の根にわけてやらんか。枝になり花になるが」と。
後に水上さんが命名の意図を明らかにしている。「町で掘り起こすべきは、故郷の先達のこういう精神であって、大量のエネルギーの浪費をささえる原発などの場にすべきではない」。この前後から、水上さんは原発への懐疑を文章に表し始める。87年には、原発ができた出身地の荒廃に直面する中年女性を描いた小説「故郷」を地方紙に連載する。
水谷内さんは回想する。当時の都市での講演で、水上さんが発する決まり文句があった。
「こんなに明るい場所で、私は皆さんに話ができます。この電気はどこから来ているのか。私の故郷からです」
故郷の人々に著述で反省を促す一方、都市住民には原発立地地域の犠牲の上に電気があることを訴えた。「問題解決には相互理解が欠かせないと考えたから」(水谷内さん)だった。
しかし、地元は原発依存を深め、都市は電力の供給増を求めるばかりだった。最晩年、水上さんの筆は仮借のない批判へと進む。「若狭は死の原発の都なのである」と地元をやり込め、電気を浪費し続ける都市には「傲(おご)っている光景だ。明るさとはうらはらの業に走った人間の六道(行いの善悪によって別れ住む六つの迷界)の闇路が今始まった」(いずれも03年刊「植木鉢の土」)と痛烈な言葉を浴びせた。
福島事故後も、原発立地地域と都市が手を携えて問題解決に向かう様子はない。故郷への思いから熟考し、水上さんが発した喝には、今も大きな意味がある。
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◇「特集ワイド」へご意見、ご感想を
t.yukan@mainichi.co.jp
ファクス03・3212・0279
http://mainichi.jp/feature/news/20120820dde012040015000c.html
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福島県浪江町馬場有町長と福島県高校生スピーチ(9:35)
http://www.youtube.com/watch?v=Lu8DUA83iBE&feature=youtube_gdata_player
*2012年8月6日、原水爆禁止2012年世界大会‐広島・閉会総会で発言した
福島県浪江町の馬場有(ばば・たもつ)町長と、福島県の高校生2人による訴え。
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◇人間の六道の闇路が始まった
もし故郷が原発の町に姿を変えたら−−。「飢餓海峡」「はなれ瞽女(ごぜ)おりん」などの小説で知られる作家・水上勉(みずかみつとむ)さん(2004年没、享年85)は、大飯原発4基が建ち並ぶ福井県おおい町の出身である。当初は原発問題との関わりを避けたが、晩年は向き合い、故郷に厳しい言葉を突きつけた。【戸田栄】
水上さんは60歳代半ばまで、原発問題で目立った発言をしていない。水上作品の挿絵を多く描いた、おおい町在住の画家、渡辺淳さん(81)と水上さんの生まれた集落を訪ねると、山あいに民家が密集し、過去の貧しさは容易に想像がついた。渡辺さんが「先生が普段、原発について話すことはなかった。貧しい町のことやでのう」とぽつりと言う。
生家跡は裏山が迫る村はずれの傾斜地の狭い土地にあり、墓場と接していた。渡辺さんによると、農家の物置小屋を借り、水上さんと父母、盲目の祖母、兄弟4人が暮らしていたという。
水上さんは1919(大正8)年、大工の次男として生まれ、口減らしのため、9歳で京都の寺へ小僧に出される。土地が狭く、貧しかった福井県南部の若狭地方では、長男を除く男子は京阪神での丁稚(でっち)奉公へ、女子は女中奉公へ出されることが多かったという。
原発誘致は、貧困克服を目指すものだった。渡辺さんも貧農の家に生まれ、高等小学校卒業後は「炭焼き」となった。絵が評価されたのは随分と後のことだ。渡辺さんは「原発なしで済めば、それに越したことはないが……。先生の弟の一人も原発で働いていたことがあるのですよ」。
青年期に寺を飛び出し、教師、会社員、服の行商などさまざまな仕事に就いた水上さんは、40歳ごろから本格的に小説家の道を歩む。1961年に直木賞を取り、以後、東京で精力的に作品を発表していく。その間、若狭では原発建設が進み、旧大飯町(06年におおい町に改称)では69年に議会が誘致を決議する。一方で反対運動に火が付き、71年にはリコール署名運動の結果、町長が辞任する大騒動になる。
元町幹部によると、町民同士が賛否で激しく対立した。元町幹部も例にもれず、誘致に反対だった親類の若者が運動家となり、町での施設使用を巡って法廷で対決する羽目になった。「小さいころから賢くて、将来を期待しておったんです。その子と争うとは思ってもみないことでした」
別の親類の女性は、推進派の有力者の家に嫁いだが、反対派が押しかける毎日が続き、「ここにはいさせられない」と離縁の申し出を受けたことがあるという。
水上さんとは何かと付き合いがあった。「先生はこういう複雑な町の事情をよく知っていた。私との間で原発を話題にしたことはありません」
ちなみに、元町幹部は昨年の福島原発事故の衝撃は言葉にできないほどだといい、揺れる胸の内を明かした。
「本当に福島の人は気の毒や。私の考えは徐々に変わってはいるが、親類に関西電力で働く者もいるし、町民の生活を考えると、大飯原発では安全に安全を尽くしてもらい、無事を祈るばかりです」
72年から約20年、水上さんの秘書役を務めたのが、福井市在住の写真家、水谷内(みずやち)健次さん(68)だ。水谷内さんは「先生は『原発は手のつけられんもんや』と、実は早くからもらしていた。でも、背に腹は代えられん地元があり、何も言えんかったんです」。
水谷内さん、渡辺さんの2人が、当時で唯一、原発絡みで水上さんが激怒したことを記憶していた。高速増殖原型炉が「もんじゅ」、新型転換炉(現在は廃炉作業中)が「ふげん」と名付けられた時だ。「『よりによって仏様の名前をつけるとは』と、すごいけんまくやった」
■
おおい町と隣り合う小浜市の明通寺住職、中島哲演(てつえん)さん(70)は40年以上、地元の原発反対運動をリードしてきた。84年に水上さんが中島さんを訪ねてきた。山寺を闇が覆う中、「同じ仏教を学んだ者として、私の活動を支援しようというお気持ちでした」と静かに振り返った。
中島さんの中で、仏教と反原発はどうつながるのか。中島さんは、仏教の「自利利他円満」という教えを基に説いた。自利は自分の利益、利他は生きとし生ける他の者の利益で、両者の調和が図られてこそ平和な世の中があるという考えだ。
「原発問題に当てはめれば、電気による自利を一概に否定はしない。しかし、利他を考える時、事故時の甚大な被害、自然環境汚染、また何万年にも及ぶ放射性廃棄物による後の世代への影響を考慮せねばならず、原発はお釈迦(しゃか)様の教えに背くと言わざるを得ない」と中島さんは断じた。水上さんは、中島さんの考えにじっと耳を傾けていたという。
85年、水上さんはおおい町に「若州一滴(じゃくしゅういってき)文庫」を開設する。図書館と、水上さんの作品の人形劇を上演する劇場の機能などを併せ持つ施設だ。
「一滴」の名は、町出身の高僧の故事に由来する。高僧は、風呂の余り水を無造作に辺りの地面へまいた弟子に水一滴の価値を教えた。「ばかもの、日照りで木が泣いとる。木や草の根にわけてやらんか。枝になり花になるが」と。
後に水上さんが命名の意図を明らかにしている。「町で掘り起こすべきは、故郷の先達のこういう精神であって、大量のエネルギーの浪費をささえる原発などの場にすべきではない」。この前後から、水上さんは原発への懐疑を文章に表し始める。87年には、原発ができた出身地の荒廃に直面する中年女性を描いた小説「故郷」を地方紙に連載する。
水谷内さんは回想する。当時の都市での講演で、水上さんが発する決まり文句があった。
「こんなに明るい場所で、私は皆さんに話ができます。この電気はどこから来ているのか。私の故郷からです」
故郷の人々に著述で反省を促す一方、都市住民には原発立地地域の犠牲の上に電気があることを訴えた。「問題解決には相互理解が欠かせないと考えたから」(水谷内さん)だった。
しかし、地元は原発依存を深め、都市は電力の供給増を求めるばかりだった。最晩年、水上さんの筆は仮借のない批判へと進む。「若狭は死の原発の都なのである」と地元をやり込め、電気を浪費し続ける都市には「傲(おご)っている光景だ。明るさとはうらはらの業に走った人間の六道(行いの善悪によって別れ住む六つの迷界)の闇路が今始まった」(いずれも03年刊「植木鉢の土」)と痛烈な言葉を浴びせた。
福島事故後も、原発立地地域と都市が手を携えて問題解決に向かう様子はない。故郷への思いから熟考し、水上さんが発した喝には、今も大きな意味がある。
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福島県浪江町馬場有町長と福島県高校生スピーチ(9:35)
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*2012年8月6日、原水爆禁止2012年世界大会‐広島・閉会総会で発言した
福島県浪江町の馬場有(ばば・たもつ)町長と、福島県の高校生2人による訴え。
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水上勉さんの記事読ませて頂きました。
私は劇団に所属しておりまして来月、水上勉さん作の『地の乳房』を上演します。本作品は1984年に上演されたものです。
大正7年から昭和45年若狭を舞台に、水上さんのご母堂をモデルにした「愛」という女性の一生を通して描かれた作品です。
ラストの昭和45年は若狭に原発が完成し、運転開始した年です。
地元の田んぼを守る者、原発の作業員として働く者、田(土地)を売ってお金をもらおうという考えの者・・・。様々な考えを持つ人々が登場します。
「何か」考えるきっかけになれば、という思いで作品創りに取り組んでいます。
ご興味持って頂けたら幸いです。