赤坂憲雄さんに聞く東北 原発被災者だけに苦難を押しつけ、差別の対象にするなど・・・/朝日新聞

2011-09-10 09:54:50 | 社会
■中央に頼らぬ復興 自然エネルギーを地域自立の支えに

 「東北学」を提唱する民俗学者の赤坂憲雄さんは震災後、被災地をひたすら歩き、ひたすら考えてきたという。東北の今とこれからをどう見ているのか。震災から半年を前に、福島県立博物館館長で政府の東日本大震災復興構想会議の委員でもある赤坂さんに聞いた。

 ――震災直後、赤坂さんは「東北はまだ植民地だったのか」と発言しました。どういう意味ですか。

 「戦前、東北は『男は兵隊、女は女郎、百姓は米を貢ぎ物として差し出してきた』と語られていました。いわば、国内の植民地の構図があった。現在はさすがに違うだろうと思っていましたが、震災でいくらか認識を改めました」

 「食糧もそうですし、電力は典型的です。東京で使う電力を東北が供給している。巨大な迷惑施設と引き換えに巨額の補助金が落ちる。今まで意識してこなかった構造が、震災を契機にはっきりと浮かび上がりました。きわめて植民地的な状況です。中心と周縁、中央と地方という構図が依然として東北を覆い尽くしているのです」

 「モノづくりの拠点の東北が被災した、大変だ、と言われた。モノづくりの拠点になったのは、企業にとって安価な労働力を入手できる土地だから。村の中では下請けのさらに末端のような仕事を女性たちが行っています。ここには時給数百円の世界があります」

 ――3月からずっと、被災地を歩いているそうですね。

 「まるで見放されたかのように津波の被災の跡が残っている地域にぶつかって、息をのむような思いを何度もします。平成の市町村合併のマイナスが至るところに表れている。経済的な合理性を求めて合併したものの、周縁部への救援や支援、復興が極端に遅れています。21世紀に入って日本社会が選んできた国の形そのものが、根底から懐疑にさらされていると感じました」

 「3・11のあと、最初に思ったのは、何か巨大な出来事が始まったということでした。たまたま東北を中心に大震災が起きたわけですが、次は東京かもしれないし西日本かもしれない、あるいは日本海沿岸のどこかかもしれない。途方もない災害の連鎖が始まっているのかもしれない。そのことを社会の構えや思考の前提に組み込まなくてはいけない。そう思いました」

 ――宮城・岩手両県ではようやく復興が進み始めましたが、福島県は状況が大きく違います。

 「違います。政府の復興構想会議の議論でも、大きな分断があると感じました。宮城県と岩手県は、もちろん膨大な課題を抱えていますが、ともかく復興のシナリオが描けた。槌音(つちおと)も聞こえてきた。しかし福島第一原発の事故と風評被害が重なる福島県は、まったく異なります」

 「私は福島県の復興ビジョン検討委員会の委員も務めました。県が8月に発表した復興ビジョンは、基本理念として『原子力に依存しない、安全・安心で持続的に発展可能な社会づくり』をうたっています。福島県は『脱原発』を掲げ、原発のない社会に向けて歩き出すと宣言した。県も県議会もドミノのように脱原発にかじを切った。これまでの福島県ではありえなかった事件です。でも、みなさん知っていましたか?」

 「福島からの『脱原発』はイデオロギーではなく、生存の危機にさらされている無数の命の叫び声のようなものです」

 ――現場で、被災者の暮らしを見ています。

 「なぜこんな、と思うことがあります。ある仮設住宅では、部屋の中に長いホースが這(は)っていました。浴室と洗濯機置き場が離れていたので、買ってつないでいたのです。住宅メーカーはどうしてこんな不便な間取りにしたのか。設計担当者は何を考えたのか。そこに暮らす被災者への思いやりが感じられない」

 「別の被災地では、工事現場にあるようなプレハブのすぐ隣に、建築家が設計したログハウス風の仮設住宅が立っていました。便利さも快適さも全然違います。住む人はこれを毎日見せつけられるわけです。行政はなんと残酷なことをするのか。怒りすら覚えました」

 「仮設住宅の問題は阪神大震災でも中越地震でも指摘されました。画一的だとか、入居者が満たなかったとか。過去からなぜ学ばなかったのか。なぜ準備しておかなかったのか。今回も震災後、政府はあわてて『いつまでに何千戸、何万戸だ』と言い、大手メーカーが在庫を大量に放出しました。地元の業者を使えば地元にお金が落ち、雇用も創出できる。批判を受け、ようやく地元志向が生まれた。その結果が地産地消の木造の仮設住宅となったのです。復興資金が東京に還流される仕組みを壊さねばなりません。『利権が絡んでいるんじゃないか』という被災地の声にきちんと答えてほしい」

 ――今後の復興について。

 「政府の復興構想会議で、私は福島に自然エネルギー特区をつくるように提案しました。自然エネルギーにこだわるのは、それが地域にとって自治と自立の支えになるからです。避難を強いられ財政基盤を失った村や町が、国や県からの助成金に支えられて何十年と生きていく姿は、想像したくない」

 「そうではなく、自然エネルギーで作った電気を売ることによって、復興資金の一部を調達するのです。施設は東京電力からの賠償金や市民出資で作り、村や町に提供すればいい。そこに新たな雇用も生まれます。例えば、風車をつくるのには1万とか2万の部品が必要です。周囲に地場産業として製造業が生まれてくるでしょう」

 「ところが、域外の企業がビジネスチャンスとみて、どんどん入ってきた。すでに東京の企業連合体が福島県内に自然エネルギーを軸にした大規模プロジェクトを持ち込もうとしています。これは復興に名を借りたビジネスにすぎない。利益を中央に還流させる構造がまたしても出来てしまう。原発と変わりません。東北の自治と自立のためにこそ、自然エネルギーは必要なのです」

■福島原発と周辺 無人地帯化の恐れ政府がまず認めよ

 ――原発事故の被災地のこれからをどう見ますか。

 「実は私は原発立地の町や村が新たな地域社会を立ち上げていく姿を想像できないでいます。とても厳しい言い方になってしまいますが。原発は、炭鉱とちがって地域に歌も物語も生まなかったのですね。きわめて特異な地域社会なのです」

 「原発事故によって日本地図が変わってしまった。関東から太平洋岸を北上する鉄道や高速道路は当分、不可能です。福島原発とその周囲は長期にわたって人が住めなくなるでしょう。日本列島の中に、人が足を踏み入れることができない『ノー・マンズ・ランド』(無人地帯)が生まれてしまう。すでに多くの人が気づいているはずです」

 「政府は早く、きちんと語るべきです。正確な情報を開示した上で、将来へのシナリオを描いてほしい。10万近い人たちが住む家を追われ、町や村が消え、仕事を奪われ、避難を強いられています」

 ――近代の日本社会が、戦争以外では体験したことがない事態です。

 「津波や地震の被害にあった土地の人たちは、もちろん苦難が待っていますが、いずれ帰ることができる。帰って、自分たちの地域を再建するシナリオを、なんとか描くことができる。でも原発被災地の人たちには難しい。これが何をもたらすのか。まだ我々がまっすぐに向き合うことを避けているテーマです」

 「こんな国土の狭い、人口の多い国が、原発の被災地をチェルノブイリのようにしてしまったら、深刻なモラルハザードが起きるでしょう。そもそも、原発事故の被災者だけに苦難を押しつけ、差別の対象にするなど許されるはずがありません。日本人は恥を忘れたのですか」

 ――するべきことは。

 「除染活動を大規模な国家プロジェクトとして進める。放射性物質の健康被害を長期にわたって徹底的に調べ、情報を蓄積し、最先端の医療拠点を育てる。原発から自然エネルギーへの転換を進める特区にする。これによって日本社会は世界がこれから直面するに違いない、たくさんの難問に対して貢献できるし、その責務を我々は負わされたのではないでしょうか。難しいです。でもやらないといけない」

 「前向きに立ち向かうことが、新しい風景をつくるよりどころになります。そのとき、日本の最先端の科学技術や医療がぎりぎりのところで生かされ、鍛えられる。そうあってほしいと願っています」

■取材を終えて 

 「東北学」は民俗学を基調にさまざまな手法を総合した、旧来の発想や定説にとらわれない「知の運動」だ。赤坂さんは著書「東北学/忘れられた東北」で「いっさいのマニュアルのない方法的模索を開始しなければいけない」と記した。いま東北、そしてこの国全体が、このことを求められているのではないか。(編集委員・刀祢館正明)

----------------------
53年生まれ。専門は民俗学。福島県の復興ビジョン検討委員や南相馬市の復興有識者会議委員も。震災後に「『東北』再生」(共著)を出した 。福島県立博物館館長


20119.10朝日新聞朝刊


よろしければ、下のマークをクリックして!


よろしければ、もう一回!
人気ブログランキングへ


最新の画像もっと見る

21 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (電灯)
2011-09-10 15:29:53
かなり前になるが、福島県にしばらく住んだことがある。そのとき、自分の生まれた土地と比べて少し驚いたのは、福島県の人は、東京や読売巨人軍が大好きで、土地の権力者があからさまに新聞社や放送局を握り、庶民はかれらに従順だった。
でもそれを指摘すると、秋田などはそれがもっとはっきりしていると反論する人もいた。
Unknown (福島県民)
2011-09-10 16:31:45
 電灯さん。福島県人は土地の権力者に従順だったから、何なのでしょう。さあ、どうぞ、続けてみてください。
Unknown (電灯)
2011-09-10 19:31:21
福島県民さん、こんばんは。

私が福島県に住んでいたのは20年くらい前ですが、当時そのように私が感じたことは事実で、文章になんの偽りもありません。そのように感じる原因となった具体的な出来事もいくつかありましたが、その内容はここでは書けません。

そして、それは単なるそれだけの感想で、それ以上、なにか続けるつもりで書いたわけではありません。個人的な感想を一般化するつもりもありません。

私としては、福島県民さんが、なんでそんな詰問調なのか、理由を教えていただきたいとおもいます。
Unknown (福島県民)
2011-09-10 20:21:36
 電灯さん。
 「「福島県人は東京と読売巨人軍が好きで土地の権力者に従順であるという」感想」をこのブログの記事のコメント欄を選択して書くのはなぜでしょう。
Unknown (電灯)
2011-09-11 01:09:55
エントリの赤坂氏の文章は、「東北の今とこれからをどう見ているのか」というテーマでありながら、そこに住んでいる人たちの性格について記載がないようにおもわれました。それが糸口になって、個人的な経験と感想を思い出したので書いたまでのことです。

上でも書いたように、一般化するつもりはありません。しかし、個人的にはかなりの確信をもっていることもまた確かです。

さて、今度は私の質問に答えていただきましょう。なんでそんなに詰問調なのですか?
Unknown (福島県民)
2011-09-11 20:01:01
 ですから、20年前のあなたの「個人的」感想-あなたにしてみれば、それは「確信」だそうですが-がなぜ、ここで表明されなければならないのですか。この記事とあなたの福島県人の見解は何の関係があるのでしょうか。個人的感想と称しつつ、あなたは「そこに住んでいる人たちの性格について記載がないようにおもわれました。」と一般化しています。その矛盾も説明願いますか。
Unknown (電灯)
2011-09-12 06:08:37
>>なぜ、ここで表明されなければならないのですか

なぜここで表明してはならないのですか?表明するかどうかについて、あなたの許可は必要ないと思いますがいかがですか。
今までも、エントリの記事についての個人的感想をコメント欄で書いたことは度々あります。その内容がブログ主さんのコードに抵触するなら、ブログ主さんがさっさと削除するでしょう(じっさい削除されたこともあります)。

>>この記事とあなたの福島県人の見解は何の関係があるのでしょうか

あなたは、なんらかの文章を読んで、自分の感想を持つことがないのですか?記事と私の見解は、「読んで(ひとつには)そういう感想をもった」という関係です。

>>個人的感想と称しつつ、あなたは「そこに住んでいる人たちの性格について記載がないようにおもわれました。」と一般化しています

「そこに住んでいる人たちの性格について記載がない」というのは、エントリの文章についての客観的事実だとおもいます。
一方、「そこに住んでいる人たちの性格」についての私の記載は、記事から連想された私の感想です。
記事に「そこに住んでいる人たちの性格について記載がない」ことと、記事から連想された私の感想とは、別のカテゴリーに属することで、そこにはなにも矛盾はありません。


さて、あなたは依然として、私の質問に答えておりません。なんでそんなに詰問調なのですか?
Unknown (福島県民)
2011-09-12 18:06:22
私は単純に聞いています。あなたの発言はあまりにも意味が不明だからです。あなたの、20年前の「東京と読売巨人軍が好き(中略)土地の権力者に従順」との見解は、個人的なものとのことですね。一般化はしてはいないと(私は十分一般化しているとみていますが)。ならば、上記の意味不明な見解を個人的なそれとしましょう。この20年前の個人的見解は何を意味しているのでしょう。さらに、この記事において、あなたの20年前の個人的見解がなぜ表明されなければならないのでしょう。この記事とあなたの20年前の個人的見解の関係は何なのでしょう。ある人間の過去における個人的な、福島という行政単位に住む人間集団に対する勝手な総称判断は、「記事にないから」を理由に表明されました。しかし、それは、私の質問に答える中で出てきたものにすぎません。本記事は「福島県人の性格」には無関係な話です。それとも、あなたは、ブログ記事のコメント欄に、記事とは「無関係なこと」を書く性向があるのですか。そんなことはないと私は推定します。あなたは、20年前の個人的見解をここでコメントする理由も述べるべきでしょう。
Unknown (電灯)
2011-09-13 06:12:47
>>あなたの発言はあまりにも意味が不明

私は誠実かつ単純にあなたに答えているつもりです。
たぶん、あなたが勝手に「なにか言外の意味がある」と推測するから意味が不明になるのだとおもいます。

>>あなたは、ブログ記事のコメント欄に、記事とは「無関係なこと」を書く性向があるのですか。そんなことはないと私は推定します。

上でも書きましたが、今までも、エントリの記事についての個人的感想をコメント欄で書いたことは度々あります。それら個人的感想は、私にとっては、その時々の記事と無関係ではありませんが、私とは別の人にとって記事と無関係だったとしても別に不思議ではありません。
そして、それら個人的見解が、ここのコメント欄にとって不適切な程度に至っていれば、ブログ主さんがさっさと削除するだろうとおもいます(ブログ主さんは心の広い方ですが、じっさいに何度か削除もされています)。

>>20年前の個人的見解

20年前ではなく、現在も持続している個人的見解です。

>>福島という行政単位に住む人間集団に対する
>>勝手な総称判断

「大阪人は○○だ」「朝鮮人は☓☓だ」というような言い方自体は(内容とは別に言い方自体として)広く
受け入れられているとおもいますが、あなたは、その言い方は「勝手な総称判断」だから、取り締まろうとしているのですか?
また、その言い方の際には、一般に「行政単位」は、意識的には念頭におかれていないとおもいますが、いかがですか?
私が申し上げているのは、記事を読んで、記事に東北や福島に住む人々の性格について言及がなかったことから、そうした人々についての自分の個人的見解を思い出し、それをコメントしたということです。
しかし、見解を一般化しようと(つまり他の人もその見解を受け入れるようにと)努力するつもりもしたつもりもないし、なにか別の経験があれば、見解は変化する可能性もあります。それが個人的で一般化していない、ということの意味です。
私は福島県や東北地方とかかわる公的な立場というわけではありませんし、そうした見解を持つのは個人の自由の範囲内だとおもいますが、いかがですか?


最後になりますが、私は、「なんでそんなに詰問調なのですか?」と質問しましたが、そのお答えが、「私は単純に聞いています。あなたの発言はあまりにも意味が不明だからです。」ということで、つまり、あなたは、自分が意味不明なことを単純に質問するときは、いつも詰問調になるのだと理解しました。
Unknown (電灯)
2011-09-13 06:22:44
なお、
>>本記事は「福島県人の性格」には無関係な話です。

これについては、否定したいとおもいます。

【「東北学」】を提唱する【民俗学者】が、そこに住む人々の【性格について語っていない】ことのほうが、なにか異常だとおもいます。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。