【報告】松川事件60周年記念全国集会/黒鉄好@安全問題研究会

2009-10-24 08:06:23 | 集会情報
遅くなりましたが、10月17日(土)~18日(日)に福島大学で開催された「松
川事件60周年記念全国集会」に参加したので、報告です。

1949年8月17日に発生した松川事件から、今年で60周年となるのを機会に開
かれた今回の集会の主催はNPO法人・福島県松川運動記念会、全労連、自由法曹団
、日本国民救援会。抜けるような青空の下、会場には主催者発表で1200人が集ま
りました。

市民集会の評価を貶めたいネット右翼などの手により「警察発表は主催者発表の半分
以下」などという誹謗中傷が行われることもよくありますが、今回の集会では、事務
局が事前準備した900部の資料が初日の集会開始直後になくなり、増刷を余儀なく
されました。1200人という数字は決して誇張されたものではないと思います。

なお、松川事件の概要については、2年前の拙稿(http://www.labornetjp.org/news/2007/1194366363373zad25714
)をご覧ください。

集会の冒頭、まず主催者を代表して大学一・NPO法人松川運動記念会理事長が挨拶
。続いて今野順夫・福島大学学長は「松川事件の資料収集は1984年から始め、資
料館を88年に開館。松川事件風化を防ぎ、事件現場に近い地元にふさわしい内容の
資料館にしたいとの一心で開館させた」と、学内にある松川事件資料館への思いを述
べました。

次に、松川運動記念会代表の元日本共産党衆議院議員・松本善明氏が挨拶しました。
「松川事件はすでに時効になり、犯人を追及できないが、事件で亡くなった乗務員3
名の家族の気持ちを思えば決して真相をうやむやにはできない。松本清張は『日本の
黒い霧』の中でこの事件を米国の謀略としており、私としても真相追及を訴える。政
府に真相を明らかにさせる運動を起こす、そのために民主的政府を作ることが必要だ
。その上で法務省に資料の提出を求めていかなければならない」と訴えました。

元被告を代表して、鈴木信(まこと)さん(89)は、「これだけ無罪を示す証拠が
そろっているのだから自分は無罪になるに違いないという甘い考えを持っていた。当
時、増田甲子七・官房長官が『この事件は、思想的には下山・三鷹事件と同じ。日本
の国を存続させるために多少の犠牲はやむを得ない』と公言していた。私は国民のひ
とりとしてこの事件の真相を究明しなければならない。自分の一生の問題として今後
も闘い抜く」と、事件が思想弾圧であったことを明らかにした上で決意を述べました
。鈴木さんによれば、被告のうち東芝松川労組の10名は既に全員が他界、国労の被
告も10名のうち2名が亡くなり、集会に出席できる状態の元被告も5名にとどまる
とのことですが、事件から60年が過ぎ、被告全員が80歳代以上となる中で、5名
が集会に出席できる状態であることに驚かされました。

福島大学OBで、松川資料室研究員の伊部正之・名誉教授は、現役時代から10万点
にも上る資料を収集・管理してきた研究者として松川事件の真相について報告しまし
た。

「松川が事故か事件かということで言えば、事件でないと困る者たちがいた。鉄道は
軍事施設であり、その破壊は柳条湖事件(戦前、満州で起きた日本軍による満鉄線爆
破事件)を見ても明らかなように、政治的利用価値が高かった(ついでに言えば、こ
れに先立つ1928年に起きた日本軍による張作霖爆殺事件も鉄道爆破である)。1
947年、静岡県で三島事件という列車転覆未遂事件が起きたが、この時、犬釘が抜
かれたものの直線だということもあり列車は転覆しなかった。その後の予讃線でも列
車転覆が謀られ、カーブだったこともあり列車は転覆、『これで行こう』ということ
でその後の松川事件につながっていった。(列車転覆を)仕掛ける者たちも経験を積
んだのである。その後、犬釘を抜くだけでは脱線しない場合があることもわかり、次
第に線路をずらして確実に転覆するよう仕組まれていった。線路をずらすとなれば、
バールや自在スパナでは無理であり、大型ハンマー等の工具が登場した。これらの工
具が必要となったことにより、松川事件の検挙容疑となった『4~5人単位』での犯
行は事実上不可能だった」

「警察が国労と東芝松川労組が列車転覆に向け謀議を行ったとした8月13日に、当
の東芝松川労組が会社と団体交渉中だったことを示す“諏訪メモ”の発見により、東
芝松川労組の被告らにアリバイがあることが確定し、両労組の謀議は否定された。松
川事件は証拠不十分による無罪などではなく、無実だから無罪なのである」

「松川運動は裁判批判運動の側面と、被告救援活動の側面を持っていたが、私はその
いずれもが松川運動だったと思っている。ただし、それは裁判所に圧力を加えるので
はなく、国民に理解を求めていく国民運動だった」

その上で、伊部名誉教授は、これまでの研究成果を基に、松川事件の「真犯人」を次
のように推定しました。

「下山事件と松川事件の実行犯は共通の人物。三鷹事件との関連は今後研究する必要
がある。実行犯は少なくとも9人いて、中国からの引揚者。なぜなら旧日本軍が中国
大陸で行っていた(謀略事件の)手口とまったく同じだからである。それら引揚者を
米国が束ね、管理も米国が行った。事件現場へ実行犯を案内し、地元の一般人が事件
現場を通行しないよう監視を行う役目を果たしたのは日本警察である」

私は、この「推定犯人像」を聞き、なるほどと思いました。「鉄道の職務に誇りを持
つ者たちが列車転覆など考えるわけがない」という声は事件当時からあったといわれ
ており、私自身も、こんな恐ろしいことを平気で実行できるのは、殺人を職業として
きた旧軍人以外にあり得ないと考えていたからです。

伊部名誉教授は、その後、隠れて暮らしていた実行犯たちの間に「被告たちが有罪に
なったら自分たちが自首する」と自首を考えるグループがいたとも指摘し、このこと
も被告たちの無実の証拠であるとしました。最後に、「松川資料室は福島県民のみな
らず、全国民の財産。資料室をぜひとも守り、残す必要がある」と資料室の存続を訴
えました。

1日目はこの他、松川事件の主任弁護人を務めた大塚一男弁護士が「松川闘争60周
年に思う」と題して講演。「事件は被告のひとりである赤間勝美さんの証言がねじ曲
げられてできたもの」「当時のマスコミ報道は『これで裁判も終わりだ』という内容
がほとんどの酷いものだ。戦前からの致命的欠陥であり、今なお許すことはできない
」と当時の司法当局、報道を批判。「このような状態で、裁判官OBなど一部の法曹
関係者だけが審議して導入を決めた裁判員制度に理解が得られているとは思わない」
と、現在の裁判のあり方をも批判しました。

2日目の18日は、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟副会長・柳河瀬精(ただし)
氏が「松川事件と特高官僚」と題して講演。GHQから旧特高関係者の罷免指令を受
けた日本政府当局が、GHQの指令に従うふりをしながら実際には特高に「休職」を
発令しただけで彼らを温存し、戦後、数々の要職に就けたことを綿密な調査に基づい
て明らかにしました。「復活」した特高関係者の中には、1日目の鈴木信さんの証言
の中にもあった増田甲子七・官房長官や、80年代に衆議院議長まで務めた原文兵衛
氏など、冗談ではすまされない高位の役職に就いた人もいました。中労委事務局長、
人事院総裁、文部省初等中等教育局長など、どう考えても政治的中立が求められてい
る役職への旧特高関係者の就任例もありました。

この講演を聴いて、私は初めて、戦後日本の政官界に散っていった旧特高関係者の全
貌に触れるとともに、戦後日本を右傾化させ、決定的に悪くした連中の正体が理解で
きました。彼らの責任を追及し、政官界から駆逐できなかったことが、今日の絶望的
な状態をもたらしたといっても決して過言ではないでしょう。

日本と対照的に、今なおナチス関係者の追跡・断罪を続けるドイツで、もし時の首相
が旧ゲシュタポ(秘密警察)関係者の追放を解き、政府の要職に就けると表明したら
、間違いなくタダでは済まないと思います。悲惨な侵略と戦争の悲劇を経験した国民
であるにもかかわらず、様々な謀略まで駆使して労働運動・市民運動を弾圧・解体し
、右翼排外主義を垂れ流す彼らをのさばらせてきた日本は、戦争のない世界を目指す
人たちに対し、二重の戦争犯罪を重ねたのではないでしょうか。

今からでも彼らを追跡し、政官界から駆逐するとともに断罪していくこと。それこそ
が、侵略戦争の過ちを犯した国民として、後世に果たすべき歴史的責任であることを
、改めて痛感させられました。

なお、一部新聞報道で、伊部正之・名誉教授との研究員契約が2010年4月で切れ
るため、存続の危機が伝えられていた福島大学松川資料室は、NPO法人・松川運動
記念会と福島大学当局との「友好的協議」の結果、伊部名誉教授との研究員契約を3
年間延長することが決まり、現状のまま存続することになりました。とはいえ、膨大
な資料の収集・管理を行うことができる後継者の早急な育成が求められていることは
明らかだと思います。

最後に、今回の集会で使われた資料をアップしておきますので、ぜひご覧いただきた
いと思います。特に、「松川事件と特高官僚」講演のレジュメは、超一級の貴重な資
料であると思います。

<1日目>
・集会プログラム http://tablet.my.coocan.jp/archives/matsukawa60/program.pdf
・元被告・鈴木信さんご挨拶 http://tablet.my.coocan.jp/archives/matsukawa60/suzuki.pdf
・鈴木信さん上告趣意書より http://tablet.my.coocan.jp/archives/matsukawa60/suzukijoukoku.pdf
・俳句で語る松川事件 http://tablet.my.coocan.jp/archives/matsukawa60/haiku.pdf
・記念講演1「松川事件の全容~松川資料室からの報告」 http://tablet.my.coocan.jp/archives/matsukawa60/siryoushitsu-ibe.pdf
・記念講演2「松川闘争60周年に思う」 http://tablet.my.coocan.jp/archives/matsukawa60/matukawa60-ootsuka.pdf

<2日目>
・記念講演「松川事件と特高官僚」 http://tablet.my.coocan.jp/archives/matsukawa60/tokkou-yanagase.pdf
・記念講演「松川事件と人間」 http://tablet.my.coocan.jp/archives/matsukawa60/ningen.pdf
・「松川事件と松川町民」 http://tablet.my.coocan.jp/archives/matsukawa60/chomin.pdf

-----------------------------------------------------
黒鉄 好 aichi200410@yahoo.co.jp

首都圏なかまユニオンサイト
http://www.geocities.jp/nakamaunion1/

安全問題研究会サイト
http://www.geocities.jp/aichi200410/


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2 コメント

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GOOD JOB! (流石、素晴らしいよ!)
2009-10-24 15:33:50
御用民族主義と右翼の正体って、コレだけで既に明らか!
自民党の終焉と共に60年目の解明って、コレも運命だね!
辺野古の計画もキャンプ座間も、御用民族主義の最後にして最大級の売国。
早く、グアム土地転がしの解明まで進めたいものです。
「低気温のエクスタシーByはなゆー」さんから引用します (ご参考迄。)
2009-10-30 22:24:23
吉田茂元首相のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E8%BE%BA%E8%99%8E%E5%9B%9B%E9%83%8E

が、米中央情報局(CIA)に、自衛隊や内閣調査室の創設にかかわる内部情報を提供していた。



☆吉田茂側近がCIAに情報を提供 早大教授が米公文書発見 (共同通信)

http://www.47news.jp/CN/200910/CN2009100301000210.html

http://www.asyura2.com/09/senkyo72/msg/524.html

「より強力な軍隊と情報機関の創設を願っていた旧軍人の辰巳氏は、外交交渉で日本に再軍備を迫っていた米国にCIAを通じて情報を流すことで、米国が吉田首相に軽武装路線からの転換を迫ることを期待していた」と指摘している。

(略)

CIAの辰巳氏に関するファイル(52~57年)では、辰巳氏は実名のほか「首相に近い情報提供者」「首相の助言者」「POLESTAR―5」とさまざまな名称で呼ばれ、「保安隊の人選」「自衛隊」「内閣調査室」などの「情報をCIAに与えた」と記されていた。


辰巳氏は占領期、旧軍人による反共工作組織「河辺機関」の一員で、連合国軍総司令部(GHQ)の了解の下、新たな軍隊と情報機関の立案に参画していた。





《関連記事》

☆GHQ資金で反共工作~旧日本軍幹部の「河辺機関」 (共同通信)
http://www.asyura2.com/0601/senkyo26/msg/110.html
投稿者 white 日時 2006 年 8 月 29 日

終戦時に参謀本部第2部長だった有末精三元中将に関する「個人情報データ」(1959年9月15日付)によると、GHQ参謀2部(G2、情報)のトップ、ウィロビー少将は48年に日本側に情報機関の設置を求め「河辺機関」が設立された。河辺、有末両氏に加え、吉田茂首相のブレーンも務めた辰巳栄一元陸軍中将や最後の陸軍大臣、下村定元大将らが参加した。

(略)

GHQが52年に河辺機関への資金援助打ち切りを通告すると、河辺氏らは機関関係者を自衛隊の前身である保安隊や日本政府の情報関連機関に再就職させることに躍起となった。




☆「河辺機関」に関する米公文書の要旨 (共同通信)
http://www.asyura2.com/0601/senkyo26/msg/112.html
投稿者 white 日時 2006 年 8 月 29 日

「河辺機関」に関する米公文書の要旨は次の通り。

▽1949年5月20日付メモ1(秘密、発信者、受信者はなお機密扱い)

一、「タケマツ」は連合国軍総司令部(GHQ)の参謀二部(G2)が進める秘密情報作戦のコード名。国内の情報活動(マツ)と国外での情報活動(タケ)からなる。

一、活動全体がG2の資金で賄われる。

一、タケマツ作戦の中心人物は河辺虎四郎、有末精三、辰巳栄一各元中将ら。米側の作戦指揮者はウィロビー少将、レイシー大佐ら。

一、48年9月25日にレイシー、河辺、辰巳らが会談。河辺は活動経費8万7000円を要求。

一、48年10月9日にレイシー、河辺らが会談。第1回の支払いとして3万7000円を河辺に支給。


▽49年5月20日付メモ2(同)

一、48年11月20日、レイシー、河辺、有末らが会談。

一、河辺がレイシーに南日本でのタケ作戦の概要を説明。

第1段階 (山口県)防府を拠点に工作員を南朝鮮(現在の韓国)へ派遣、38度線を越え、北朝鮮と満州(現在の中国東北部)の情報を伝える。防府のビジネスマンの貿易ルートを利用。


第2段階 対馬への情報拠点設置が可能。南朝鮮からの密貿易に使われており、日本人工作員の南朝鮮潜入に利用。ソ連船の情報獲得のため対馬の漁民を工作員に雇うことも可能。


第3段階 米の無線機を使用。中国、朝鮮、ロシア語の放送を傍受。

一、レイシーは必要な機材を用意すると約束。

一、河辺は南日本での半年間の経費として390万5000円を提示。

一、河辺は北日本でのタケ作戦の概要を説明。

(1)北日本での作戦は49年4月に開始。本部を北海道・美唄に、支部を札幌、函館、礼文島に。

(2)樺太(現在のサハリン)在住の信頼できる日本人に接触。(樺太や千島からの)帰還者を工作員にして送り返す。万年筆や時計の密輸ルートをソ連領内に開拓。意図的に船を難破させ船員をソ連領内に送る。周辺海域を高速艇で監視。無線傍受を実施。

一、河辺は北日本での半年間の経費として596万2000円を提示。


▽49年5月20日付メモ3(同)

一、48年12月3日にレイシーが河辺らと会談、ウィロビーが北日本の作戦に集中することを求めていると説明。ただ朝鮮への潜入も了承。


▽53年1月16日付の情報報告(秘密)

一、G2が52年12月、河辺に次年度には関連予算が計上されないと通知。河辺は突然の決定に憤慨、機関の活動を公にする意向。

一、河辺は機関解体を見越し、G2の決定前に、15人を保安隊に入隊させていた。


▽有末元中将の個人情報データ(59年9月15日付、秘密)

一、48年末ごろ、ウィロビーが河辺機関として知られることになる情報組織創設を要請。下村定、河辺らが参加。




《おまけ~北日本での作戦本部を置いた北海道・美唄(びばい)について》

美唄は地雷除去の技術では世界屈指である会社が、こんにちなお存在することで有名である。


http://alcyone.seesaa.net/article/22963566.html#comment

当時の美唄が交通より、白鳥事件に関係するかも?と考えるのは私だけですか?

白鳥警部だか、警部補だか、一匹狼の功を独り占めするタイプの野心満々の、昔の特高みたいな人、不審死しちゃって、共産系に罪が。

詳しくは松本清張「日本の黒い霧(下巻)」で。

Posted by 田仁 at 2006年08月29日 13:56





☆ウィキペディア「白鳥事件」の項→

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%B3%A5%E4%BA%8B%E4%BB%B6

1952年1月21日午後7時30分頃、北海道札幌市南6条西16丁目の路上で、札幌市警察の白鳥一雄警部が自転車で帰宅途中、併走した自転車に乗っていた犯人に射殺された。犯人は逃走した。

白鳥警部は同警察警備課長として、当時半ば非合法活動を行っていた日本共産党対策に従事していたことから、当局は共産党関係者を中心に捜査。事実、事件発生の2日後に党北海道地方委員会が「党との関係は何とも言えない。この事件は愛国者の英雄的行為」と関与を匂わせる旨の声明を発している上に、党員が市内で「見よ、天誅遂に下る!」のビラを配っていたことから共産党関係者に疑いの目が向けられていた。ただし、事件直後には党北海道地方委員の村上由が「党と白鳥事件は無関係」と関与を否定する声明を発しているし、また某信用金庫の不正をめぐって白鳥が関与していたことから、その信用金庫の経営陣が殺し屋を差し向けたとの噂も当初からささやかれていた。

事件発生から4ヶ月後に党員の通報により、村上国治党札幌地区委員らが白鳥殺害に関与しているとの情報を得、村上らを逮捕。共犯として逮捕されたTが「1月3日~1月4日頃に村上ら7人が集まり、白鳥警部殺害の謀議を為した」と供述した。しかし、村上らを逮捕した後も犯行に使われたピストルは発見できず、僅かに事件発生の2年前に幌見峠で射撃訓練をしたピストルの弾のみが唯一の物証として裁判に提出された。

(略)

しかし、唯一の物証であるピストルの弾は2年前に発射された銃弾としては腐食が殆ど無く、しかも白鳥警部の遺体から発見された銃弾と旋条痕が一致したという鑑定結果も、実際は米軍が行ったものであったという証言が上告棄却後に得られたことから、捏造されたものである可能性が浮上。そのため村上は1965年に再審請求を行い、最高裁判所に特別抗告まで行ったが、1975年に請求は棄却された。

(略)

村上は1994年11月3日、埼玉県大宮市内の自宅火災により71歳で死亡している。失火原因は不明。

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