東日本大震災と原発事故に続く政治的混乱は、明治維新以来の“樽(たる)舟”に乗った日本の姿をさらけ出しました。今度こそ脱却しなければなりません。
坂本竜馬が勝海舟に「ワシントン(初代米大統領)の子孫は、いま何しているんだろう」と尋ね、勝が「いまどこにいるか、誰も知らない」と答えました。それを聞いただけで、竜馬はアメリカ合衆国の成り立ちをはっきり理解したといいます。
幕末期のよく知られたエピソードです。
◆国会議員の2割は世襲
「竜馬は『ワシントンは偉い。アメリカは偉大な国だ』と直感した」という哲学者の鶴見俊輔さんは米ハーバード大卒ですが、その前の学歴は小学校卒だけです。しかし在米中「なぜ小学校だけ?」と問われたことはないそうです。
現に有する能力や見識以外にはさしたる意味を認めない社会の雰囲気を伝えています。
これに対し日本では、国会の議席の二割を世襲議員が占め、「政治家の家系」に連なる総理大臣が短期間に五代も続きました。「松下政経塾出身」という新たな政治家ブランドも誕生しました。
長い間続いた自民党の政治が行き詰まり、代わって登場した民主党の政権も破綻しかけて日本は漂流しています。鶴見さんから見れば“樽舟の漂流”です。
鶴見さんによると、明治期の指導者は世界の荒波から避難しようと新国家づくりを急ぎましたが、自分たちが新たな権威になってしまい、出来たのは樽の中のような社会でした。「個」より集団の調和や序列にこだわり、仲間だけが寄り添って生きる世界です。
この樽舟では樽の上空は見えても広い海原や水平線を見渡せず、荒波には耐えられません。そこで生まれたのが自分に都合の悪い結果は想定外とする論法です。
◆生かされなかった教訓
欧米列強の目が日本以外の地域に向いているうちは樽舟でもなんとか航海できたのですが、太平洋戦争では大きな波に見舞われました。その時の教訓はまったく生かされていなかったことが3・11ではっきりしました。
十メートルを超える津波は来ないという「想定」は、「戦艦大和は沈まない」「起きては困ることは起きないこととする」という、あの戦争を主導した高級軍人のそれと同じです。
原発の安全神話にあぐらをかいていた原子力村住民の怠慢は、砲撃戦を前提に主甲板や砲塔を頑丈に作ったものの、弱い船腹に対する魚雷攻撃であっさり沈んだ大和の最期を想起させます。
「想定外」という言葉は「無責任」の代名詞です。当事者はいまだに樽の中だけで通じる論理や思考で事に当たっていたのです。
「国体護持」を叫び終戦に抵抗した軍人と、「企業の国際競争力維持」を盾に脱原発依存を牽制(けんせい)する経済人が重なって見えます。どちらにも「国民の安全」の視点がないからです。
がれきが残る被災地の光景は、米軍の空襲による焼け野原を連想させます。しかし、長い戦争が終わった安堵(あんど)感、解放感のもたらした復興への希望があった当時と違って、いま被災者の胸にあるのは不安ばかりでしょう。
これほどの国難に際しても与野党は政争に明け暮れています。
自民党は与党時代の政策失敗を棚に上げて政府の足を引っ張ります。民主党の代表選における議論も、その後の新体制づくりも内向きの姿勢が目立ちました。まさに樽の中の政治です。
世論調査では、多くの国民が政治に愛想をつかしています。
新しい内閣は、国民の信頼を取り戻し、財政再建という積年の課題に加えて震災復興、事故原発の処理、エネルギー政策の転換という重い課題を担うのです。
それには民主党の党内事情はもとより、政治家や官僚といった狭い世界の論理を超越し、広い視野で国民本位の政治に取り組むことが欠かせません。
政治をそう仕向けるには、国民一人一人が個人としてもっと自立する必要があります。政府、議員に丸投げでは主権者として無責任です。政治家を軽蔑しているだけでは政治は変わりません。
国民が主体的な意識、意見を持ち、政治を常に監視しコントロールすれば日本の民主主義は活性化し、政治が生き返るでしょう。
◆終わりではなく始まり
野田佳彦新首相の誕生で政治が一応落ち着きを取り戻すかのように受け止められ、社会的緊張が消えつつあるように見えます。しかし、原発事故は収束への展望が描けず、被災地の復興、被災者の生活再建も道はるかです。
まだ終わりではなく、これから長い戦いが始まるのです。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011090402000039.html?ref=rank
*************************
京都から
成功させよう!「9・11-19 脱原発アクションウィーク」「さよなら原発1000万人アクション」
http://d.hatena.ne.jp/byebyegenpatsukyoto/20110831/1314774609
【プログラム】 2011年10月15・16日 「変えよう! 日本と世界」 第5回 反戦・反貧困・反差別共同行動in京都(鎌田慧さん、瀬戸内寂聴さん、宮台真司さんの来場決定!) ドイツ緑の党国会議員も参加します!
http://d.hatena.ne.jp/hansenkyodo_kyoto/20110814/1313312150
************************
9・19 原発にさようなら集会(明治公園)
http://sayonara-nukes.org/2011/06/action/
日時……2011年9月19日(月・祝日)13:30~
場所……東京・明治公園
集会後、パレード
──────────────────────────────────────
9.11 新宿原発やめろデモ!!!!!
http://911shinjuku.tumblr.com/
日時;9月11日(日)14:00
集合:新宿駅東口・アルタ前
3:11~ デモ出発~ゴール=アルタ前
デモ終了後、原発やめろ広場(アルタ前)出現
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原発撤退へ各地で集会 今月 http://goo.gl/owbM6
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坂本竜馬が勝海舟に「ワシントン(初代米大統領)の子孫は、いま何しているんだろう」と尋ね、勝が「いまどこにいるか、誰も知らない」と答えました。それを聞いただけで、竜馬はアメリカ合衆国の成り立ちをはっきり理解したといいます。
幕末期のよく知られたエピソードです。
◆国会議員の2割は世襲
「竜馬は『ワシントンは偉い。アメリカは偉大な国だ』と直感した」という哲学者の鶴見俊輔さんは米ハーバード大卒ですが、その前の学歴は小学校卒だけです。しかし在米中「なぜ小学校だけ?」と問われたことはないそうです。
現に有する能力や見識以外にはさしたる意味を認めない社会の雰囲気を伝えています。
これに対し日本では、国会の議席の二割を世襲議員が占め、「政治家の家系」に連なる総理大臣が短期間に五代も続きました。「松下政経塾出身」という新たな政治家ブランドも誕生しました。
長い間続いた自民党の政治が行き詰まり、代わって登場した民主党の政権も破綻しかけて日本は漂流しています。鶴見さんから見れば“樽舟の漂流”です。
鶴見さんによると、明治期の指導者は世界の荒波から避難しようと新国家づくりを急ぎましたが、自分たちが新たな権威になってしまい、出来たのは樽の中のような社会でした。「個」より集団の調和や序列にこだわり、仲間だけが寄り添って生きる世界です。
この樽舟では樽の上空は見えても広い海原や水平線を見渡せず、荒波には耐えられません。そこで生まれたのが自分に都合の悪い結果は想定外とする論法です。
◆生かされなかった教訓
欧米列強の目が日本以外の地域に向いているうちは樽舟でもなんとか航海できたのですが、太平洋戦争では大きな波に見舞われました。その時の教訓はまったく生かされていなかったことが3・11ではっきりしました。
十メートルを超える津波は来ないという「想定」は、「戦艦大和は沈まない」「起きては困ることは起きないこととする」という、あの戦争を主導した高級軍人のそれと同じです。
原発の安全神話にあぐらをかいていた原子力村住民の怠慢は、砲撃戦を前提に主甲板や砲塔を頑丈に作ったものの、弱い船腹に対する魚雷攻撃であっさり沈んだ大和の最期を想起させます。
「想定外」という言葉は「無責任」の代名詞です。当事者はいまだに樽の中だけで通じる論理や思考で事に当たっていたのです。
「国体護持」を叫び終戦に抵抗した軍人と、「企業の国際競争力維持」を盾に脱原発依存を牽制(けんせい)する経済人が重なって見えます。どちらにも「国民の安全」の視点がないからです。
がれきが残る被災地の光景は、米軍の空襲による焼け野原を連想させます。しかし、長い戦争が終わった安堵(あんど)感、解放感のもたらした復興への希望があった当時と違って、いま被災者の胸にあるのは不安ばかりでしょう。
これほどの国難に際しても与野党は政争に明け暮れています。
自民党は与党時代の政策失敗を棚に上げて政府の足を引っ張ります。民主党の代表選における議論も、その後の新体制づくりも内向きの姿勢が目立ちました。まさに樽の中の政治です。
世論調査では、多くの国民が政治に愛想をつかしています。
新しい内閣は、国民の信頼を取り戻し、財政再建という積年の課題に加えて震災復興、事故原発の処理、エネルギー政策の転換という重い課題を担うのです。
それには民主党の党内事情はもとより、政治家や官僚といった狭い世界の論理を超越し、広い視野で国民本位の政治に取り組むことが欠かせません。
政治をそう仕向けるには、国民一人一人が個人としてもっと自立する必要があります。政府、議員に丸投げでは主権者として無責任です。政治家を軽蔑しているだけでは政治は変わりません。
国民が主体的な意識、意見を持ち、政治を常に監視しコントロールすれば日本の民主主義は活性化し、政治が生き返るでしょう。
◆終わりではなく始まり
野田佳彦新首相の誕生で政治が一応落ち着きを取り戻すかのように受け止められ、社会的緊張が消えつつあるように見えます。しかし、原発事故は収束への展望が描けず、被災地の復興、被災者の生活再建も道はるかです。
まだ終わりではなく、これから長い戦いが始まるのです。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011090402000039.html?ref=rank
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http://d.hatena.ne.jp/byebyegenpatsukyoto/20110831/1314774609
【プログラム】 2011年10月15・16日 「変えよう! 日本と世界」 第5回 反戦・反貧困・反差別共同行動in京都(鎌田慧さん、瀬戸内寂聴さん、宮台真司さんの来場決定!) ドイツ緑の党国会議員も参加します!
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9・19 原発にさようなら集会(明治公園)
http://sayonara-nukes.org/2011/06/action/
日時……2011年9月19日(月・祝日)13:30~
場所……東京・明治公園
集会後、パレード
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9.11 新宿原発やめろデモ!!!!!
http://911shinjuku.tumblr.com/
日時;9月11日(日)14:00
集合:新宿駅東口・アルタ前
3:11~ デモ出発~ゴール=アルタ前
デモ終了後、原発やめろ広場(アルタ前)出現
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だから、皆同じに見えている。だが、一億一心ではない。
それぞれが日和見主義 (機会主義) である。
日本語には階称があるので、日本人は個人個人がばらばらではなく、議員は党派的であり、派閥グループ的である。
議会は、与党と野党に分かれて対立するが、さらに党内野党もあるので、政局は安定しない。
世界観を語らずして党内融和を図ることはむずかしい。人間として必要な信頼が得られない。
意見 (考え) は、各人で違っている。
だが、一つの意見を選んで、それを社会の意見とすれば、代表制民主主義がなりたつ。
だから、有権者は、個人的な意見の違いを把握して個人選び (投票) をしなければならない。
ある特定の個人の意見を社会の意見と認めることができれば、議会政治もうまくゆくのだが、我が国にはそのための個人主義がない。
意思は未来時制の内容であり、日本語に時制はない。
それで、日本人に、周到な現実対応策はなく、問題の解決能力がない。
あるのは、実況放送と現状報告の内容ばかりである。
本人に自分の意見を述べる意欲もなく、相手に話者の意見を把握する努力もない。
これでは、議論はできない。いつも静かに笑っている。
あるのは、事実関係調べだけである。有るものはある。無いものはない。
日本人の暮らしは、子供の走り使いのようなものである。
必要なものを自分自ら獲得するのが大人の態度であるが、それができない。
日本人は子供の態度でいる。いまだに、神 (親) 頼みでいる。
自己の意思がない人には、能動がない。
周囲の者から、「そこは、ああするものだ」、「ここは、こうするものだ」と入れ知恵されて、それを行う。
他力本願である人の心は、被害者意識に満ち満ちている。
その思いに耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ。
意思のないところには責任もなく、成り行き任せになる。
これが自然の状態であるとして、満足しているようにも見える。が、人間主義がない。
行方も知れぬ、日本人の道かな。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812