「6月17日事件」60周年――立憲主義の定着に向けて(3)/水島朝穂「今週の直言」から

2013-06-21 15:30:09 | 世界
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2013/0617
今日は、旧東ドイツで起きた「6月17日事件」の60周年である。22年前の東ベルリン滞在中、偶然入手した文献がこのテーマとの出会いである。ハンガリー事件(1956年)やチェコ事件(1968年)は有名だが、旧「ドイツ民主共和国」(DDR)で起きたこの事件についてご存じの方は多くはないだろう。ちょうど10年前に直言「6月17日事件から半世紀」を出してあるので、事件そのものについては、上記のリンクをクリックしてお読みいただければ幸いである。

 私が生まれる1 カ月ほど前、1953年3月5日、旧ソ連の独裁者スターリンが死去した。凄まじい圧政と専制と粛清の権化がこの世から消えて、ソ連に抑圧されてきた東欧諸国にも変化が生まれた。その「最初の一突き」が、「労働ノルマ」10%引き上げに反対する旧東ドイツ労働者の職場放棄とデモであった。最初はベルリンの一工場で始まった労働者の動きは、東ドイツ全土に急速に広がっていった。ソ連軍のベルリン地区司令官は直ちに戒厳令を布告。「3人以上の集会」を禁止した。だが、デモは全国規模のものとなり、当初の切実な経済要求から、次第に自由・秘密・直接選挙の要求、政治犯の釈放、軍隊の即時解体、東西ベルリンの境界の即時撤廃など、明らかに政治的色彩を帯びた要求へと発展していった。労働者の決起におびえた党・政府首脳は、シェーネフェルト空港からモスクワに逃亡する寸前だった。ソ連は陸軍16個師団と戦車600両を投入して鎮圧をはかり、労働者・市民に向けて発砲した。労働者・市民に多くの犠牲者が出たが、他方で、市民に発砲する命令を拒否したソ連軍兵士40人が軍法会議にかけられ、銃殺された。たくさんの労働者・市民が投獄された。

 60年前のこの事件をどう診るか。東の旧体制が存在していた頃の政権党(社会主義統一党(SED))の公式見解は、「反革命・反ソ暴動」「半ファシスト(Halbfaschist)暴動」が定番だった。各国の共産党も、1956年の「ハンガリー事件」と同様、帝国主義勢力による社会主義転覆の策動という評価を長らくしてきた。1968年の「チェコ事件」あたりからソ連に対する評価が変わり、西欧や日本の共産党もソ連の「チェコ侵略」を非難するようになる。だが、これらの党においても、「ハンガリー事件」の評価は長らく変わらなかった。いわんや、「6月17日事件」が表立って問題にされることはほとんどなかった。

 ・・・以下全文は
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