私の心に春よ来い「共に生き 共に生かされ 日々感謝」 心と体のカウンセリングルーム 春よ来い      

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Mental-Health Newsより♥

2018年04月15日 05時43分53秒 | 心と体の健康通信

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『精神の流転』

・執着は、常に必ず執着せざるを得ない事情があってはじめてそうなる
 ものであるから、それに執着しないようにという思想の矛盾を捨てて、
 そのままに執着すればよい。そうすれば心は外界の刺激に応じて変化
 しつつ、執着は自然になくなっていくのである。

・禅語に、「心は萬(ばん)境(きょう)に随(したが)いて転ず。転ずる処、
 実に能(よ)く幽なり。流れに随いて性を認得すれば、無喜亦無憂なり」
 ということがある。われわれの心は、周囲の事情の変化につれて、常に
 たえず移り変わるものである。強く打てば大きく鳴り、軽く当たれば
 かすかに響く、その変化の滑脱自在なことは、誠に幽玄微妙である。

・ちょうど鏡の前に物がくれば映り、去ればなくなって、影をもとどめ
 ないようなものである。この心の流れのままに随っていれば、そこに
 自己本来の性情を見ることができる、そのときには、喜びはそのまま
 喜びであり、憂いはそのまま憂いである。ことさらに憂う必要もなけ
 れば、また喜びを憂うこともできない。思想では何ともやりくりはつ
 かないのである。すなわちここに苦楽の判定を超越し、気分本位をす
 てて、現実そのままの事実本位となるのである。

(『神経質の本態と療法』より 森田正馬 著 白揚社)



ありのまま あるがまま…の森田療法


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