飛鳥寺をたずねたときは雨が少し強くなって、
それでも本尊の「飛鳥大仏」と通称される釈迦如来をお参りできてよかった。
日本最古の仏像ということで、鼻が高く大陸的なお顔をしていると思った。
飛鳥寺は蘇我氏の氏寺で開基は蘇我馬子ということである。
お寺のかたが慶応義塾女子高校のグループにガイドされていたので、
わたしたちもそれに便乗していろいろと伺ってきた。
聖徳太子もこの本堂でお参りしていたそうで、
もしかして、わたしと同じ位置にお座りになっていたかもしれない。
飛鳥寺から万葉記念会館へ・・
額田王の人形劇をみてきた。
あかねさす紫野行き標野行き野守りは見ずや君が袖振る
額田王が不倫相手の大海人皇子にあてた歌、といっても彼は元夫だからね。
天智天皇との男女の絡みが相当複雑である。
壬申の乱の原因の一つは三角関係というひともいるが、それはどうかわからない。
万葉記念館では平山郁夫展が開催されていた。
壮大な絵巻物の如く、あまたの作品に接することができて思いがけない幸運であった。
ご供養をされた後、歴史の教科書に載って来る舞台を巡られ、大いに触発されて見えるご様子ですね。
日本史のことを今まで疎かにして来たツケが今になって廻ってきて、春様の思い入れにとても付いてはいけないと哀しい思いでいます。
この時代の人たちはかなりのバイリンガルだった見たいで、漢文も古代朝鮮語もOKだったようですね。
あかねさす・・・・の歌も古代朝鮮語を取り入れてまったく別の解釈をする手法を見たことがあります。
3つあるうちの一番下の画では、傘を差したお方が、向こうから袖を振っていたのかもしれませんね。
古代史はひとつの読み物としても面白くて、
とくに入鹿の暗殺、藤原氏の台頭と権力闘争など、サスペンスいっぱいです。
あかねさす・・
古代朝鮮語の解釈というのを読んでみたいものですね。
>傘を差したお方が、向こうから袖を振っていたのかも・・
センスのよいコメントを書けるということはさすがぶちょうほうさんだと思っています。