天沼春樹  文芸・実験室

文芸・美術的実験室です。

水に棲む猫 2章-2

2012年04月29日 03時51分51秒 | 文芸

                                       *

 その年の四月の最後の週から五月にかけて、ぼくたちは正式な〈儀式〉から遠ざかることになった。儀式そのものは続いていたが、ほとんどが変則的なものだった。ぼくたちは策をめぐらせて密偵を四方に放ったのだ。

 と、いっても八人のなかでそれにあてることができるのは半分がいいとこで、本当に四方にしか放てなかった。密偵の任務のひとつは、よその少年たちのグループに紛れ込み、彼らの儀式を妨害することだった。早い話が、彼らが捕らえてきた猫を過失を装って逃がしてしまうのだ。さらに相手が小人数の弱小グループのときは、祭司をのぞくぼくたち七人で急襲し、猫を奪取してしまうのだ。密偵はそこいらの工作を巧みにせねばならなかった。

 密偵のなかでめざましい働ききをしたのは、追従屋のヒロシとヒロシが嫌っているうすのろのタツオだった。ヒロシはいくつものグループといつのまにか接触してしまい、彼らの集会場を正確につかんできた。そればかりか、それぞれのグループの大将にとりいって、新参のくせにすぐにはばをきかせるようになった。ヒロシがよその連中と歩いているのを見ると、どこまで彼の忠誠心がつづくか疑わしかった。

 タツオには誰でも無警戒だった。タツオはどこのグループでも疎んぜられながら、それでもどこまでもついていって、決定的な瞬間に彼の任務を果たし終えた。猫はタツオの手からいともたやすく逃れ、タツオは放心したように仲間の非難を浴びて立ち尽くしたものだ。果たしてあれは演技だったのだろうか。自分にもほんのすこしでいいから猫にさわらせてくれと申し出て、爪をたてられて猫を逃がしてしまう。そんな失敗はぼくたちの儀式でも二度ばかりあったからだ。いったいにタツオはどういうつもりでこの儀式に加わっていたのかわからないところがある。儀式のために自分の猫のすべてをさしだしたくせに、よその猫だとひどく悲しそうな顔をして、最後に触らせてくれなどと未練がましいことをいう。あげくの果てに猫に逃げられてしまい、その償いのために倍の数の猫を捕らえてこなくてはならなかった。

 その日、ぼくと弟は学校帰りにすこしばかり寄り道をして、公園の池を見にいくことにした。緑色の大きな亀がいると弟がいうのだった。亀なんてそう珍しいものではなかったが、甲羅の直径が三十センチといわれては見にいかなくてはならない。

  公園の池のなかにいたのは、亀ではなくてタツオだった。池のまわりに、<馬>の手下の少年たちが嘲るような顔をして立っていた。

「おい、早くしろったら。いないのか?」

 立っていた少年のひとりがじれったそうに池にむかって声をかけた。

「もうすこし深いところじゃないか」

 別の少年が指図した。タツオはアオミドロのような藻でびっしり覆われた池の水をかき回し、底をさらって何かをさがしているようだった。

「いないよ」

 と、タツオは情けなさそうな声をあげた。

「いるったら。もっとしっかりさがせよ」

 さっきから盛んに命令している生意気そうな少年が言い放った。

「いないよ」

 もういちど、タツオは泣きそうな声で呟いた。タツオのズボンは水草や藻でどろどろになっていた。水のなかに突っ込んでいる二の腕あたりまでアマゾンの半魚人のようになっている。また、猫を逃がしたのか、一番損な役まわりをさせられているのかわからなかったが、タツオが〈馬〉のグループに紛れこんでいるとは知らなかった。

〈亀だよね。亀を捕まえるんだ〉

 ぼくのほうを見上げた弟の眼がそういっていた。しかし、ぼくのコブシがきつく握り込まれているのを見て、すこしおびえたような顔になった。彼の兄がそういうコブシをつくるときは、たいてい良くないことが起こるということを知っているからだ。タツオは池の半ばにある大岩のあたりにそろそろと移動していっている。火山岩のようにぼつぼつ孔があいている岩だ。その岩に手をつこうとしたとき、なにかを踏んで、ずるりと滑った。尻餅をつくまではいかなかったが不自然によろけている。「もうよせ」と、ぼくは思った。そして、ぼくがそう声に出していおうとしたとき、なにを思ったかタツオは池からはいあがってきた。

 池の周りにいた少年たちも仕事を放棄してあがってくるタツオを非難しようとしていたらしかったが、ようすが変なので気味悪そうにみつめている。わけはすぐにわかった。タツオが右のくるぶしから鮮血を流しながら上がってきたからだ。池のなかに投げ込まれていたガラス壜のするどい破片がつきささったらしい。少年たちが、わっ、といって後じさりした。かなり深く切ったようで、手に負えないくらいどくどくと出血していた。

「知らねえよ。自分でやったんだからな」

 さきほどまでうるさく指図していた少年が、そういった。タツオはどうしていいのかわからぬように、呆然と立っていた。タツオはこのまま死ぬかもしれない。誰か大人を呼ばなければ手に負えない。

 つぎの瞬間、〈馬〉の手下たちはタツオを置き去りにして、わっと逃げ出した。するともうひとり、別の方角に走りだした者がいた。弟だった。弟は公園の管理人の事務所へ走っていったのだ。チビのくせにそういうところは機転がきく。

 ぼくはタツオに声をかけて動くなといった。タツオは初めてぼくに気がついたらしく、「ああ」と力なく返事をした。その返事にすべてをこめているようだった。ボーイ・スカウトの連中が教えてくれた止血の方法をまねて、自分のベルトを足首にきつく結んでやった。止血のポイントを知らないのであとでそれが役にたたなかったことを知ったが、タツオは感謝するような眼でぼくを見ていた。

「痛いかい」

「わからないな。シビレてる」

 タツオは足が痺れていることを盛んに訴えたが、出血のせいか長時間水につかっていたせいかはわからなかった。

 遠くで大人の声がした。管理人らしい男が、どうした、と怒鳴りながら走ってくる。その後ろを弟がちょこちょこ追ってくるのが見えた。

「こりゃあ、ひどいな。医者へいって縫ってもらったほうがいいぞ」

 管理人が落ち着い口調でいったので気持ちがらくになった。

「どこの子だ。友だちか?」

 ぼくはその男の不精髭をみつめながら、いきさつを簡単に説明した。止血のやりかたをこれじゃあだめだといって直しながら、管理人の男は逃げていった連中のことを「ひどいやつらだな」と呟いた。「軍隊でもそんなやつはいたよ」

 男が父親と同じくらいの年格好だった。父親はときおり、陸軍の内務班での経験を譬えに持ち出すことがあったからだ。たいていは、「そんなことでは、軍隊じゃ勤まらないぞ」という意味だった。それはすなわち父親がひどいめにあったということだ。

「近くの診療所へ行こう。それにしても汚いな、まず水で洗ったほうがいい」

 管理人の男は傷ついた半魚人を背負って歩きだした。弟はそばについてタツオの傷を覗き込んでいる。止血が効いているのか出血はさきほどよりおさまっていたが、タツオの足首から下は蝋のように白くなっていた。そして、まるで儀式に連れていかれる猫のようにタツオは大人しく運ばれていくのだった。

 タツオの傷は三針縫って、それでかたがついた。包帯を厚く巻かれて、診療所から出て来たタツオはこんなに病院で治療してもらうのは初めてだと感慨深げにいった。よく包帯を取り替えて傷口を清潔にしておくようにといわれたらしいが、彼の包帯はたちまちゲートルのような色になってしまった。

  ともかく、ぼくたちの密偵はよくその職務を果たした。二週間もすると、あちこちにあったエセ教団に衰亡の兆しが見えはじめたのだから。もともと遊び半分の彼らがこの儀式に倦みはじめる時期ではあった。ひとつの流行が終われば、子どもたちはまた新しいはやりごとにむかって駆けだしていくのだ。ぼくたちはその時期に彼らの補給路を絶つことで決定的な打撃を与えたことになる。そしてこの工作活動はぼくたちにも教訓を残した。つまり、人の連帯というものがいかにモロイものであるかということだ。一匹の猫が逃げただけで仲間割れをおこした少年たちもいた。宿題の多い日には人数が集まらないグループもあった。ぼくたちのグループからはあの追従屋のヒロシがいつのまにか抜けていた。ヒロシは通りひとつむこうの町内の子どもたちを手なづけてそこの大将におさまってしまったのだ。祭司はそのことについては何もいわなかったし、ぼくたちもガレージのアジトに何故七人しか集まらないのか話題にしなかった。ただ、どこかの辻でヒロシのグループとゆきあうとき、ヒロシの瞳に浮かんでいる卑屈な光を見るのは嫌だった。よく事情がわからない弟はヒロシの名を呼んだりしたが、ヒロシは聞こえぬように手下の少年を連れて立ち去ってしまう。追従屋から親分になったヒロシは少しも愉しそうではなく、不機嫌で、子分たちに難題を押し付けるばかりだという噂を聞いたことがある。分に余る地位に就くことはかえってその者の苦痛の種になる、というのもぼくたちが新しく学んだ教訓だった。


水に棲む猫 2章-1

2012年04月29日 00時35分42秒 | 文芸

II.秘密結社/密偵たちはよくその使命を果たした

 その年の春。一九六四年の三月から四月にかけて、ぼくたちはほとんど毎日のように儀式をくりかえした。たくさんの猫たちが水に帰っていった。猫たちはいともたやすくぼくたちの手に落ちてきた。まさにぼくたちと猫の密月であったわけだ。猫の意見はこの際別にしても。

 ぼくたちの仲間は八人、そのうちのひとりはちっぽけな鼓手の、いわば員数外の弟だ。それ以上仲間が増えることはなかった。ぼくたちはたいていその八人でほとんどの休日をすごしたものだ。家が近いわけでもなく、とりたてて気があうというわけでもなかったのに、ぼくたちは祭司の少年を囲んで寄り集まった。そして、他にも話はあろうものを、ただ猫と儀式のことばかり喋ってすごした。誰もがそれぞれの猫の物語を持っていて、たくさん知っている者が仲間たちのなかで、はばをきかせたものだ。

 ぼくたちの結束は固く、祭司の気分は猫の目のように変わりはしたが、儀式は堕落せずにつづいていた。それはもうひとつの秘密結社といってよかった。町にはまだ少年たちのグループがいくつかあって、力の強い上級生が大将におさまって互いに牽制しあっていたものだが、そういうグループがみな同じ地区の子どもたちでなんとなくできあがっていたのに、ぼくたちの仲間は町内も学年もクラスもまちまちで、普通なら一緒に遊ぶこともないような顔ぶれだった。ひとりの仲間がもうひとりの仲間を連れてきて、気がつくと八人だったのだ。その八人で〈儀式〉の意味について話し合ったことはなかったけれど、暗黙のうちにひとつの不可解な教義をつくりだしていた。すなわち「猫は再び水の国で生きる」というそれだ。子どもっぽいまやかしの言説のようにも思えるが、その教義のもとにぼくたちは猫を集め、河に運んだ。

 そして、あの哀れな黒猫とエセ教団の事件がもちあがった。あちこちの少年のグループが亜流の結社よろしく、まがいものの儀式を愉しみはじめた。早い話が、彼らも生贄遊びを始めたのだ。気にいらぬことには、彼らはまるで〈教義〉というものもなしに単なる虐待に走っているのだ。邪教の信徒たちは、猫を神としてではなく、もっぱら虐待のためだけに追いまわしていた。路上で身柄を拘束された猫は近くの空地に連行され、そのときどきの思いつきによる刑罰を受けた。(猫に罪があるというなら刑罰と呼べるはずだが、そんなことは問題ではなかった)

 猫婆と呼ばれていた愛猫家の老婆の飼い猫の一匹が、ある晩杭に縛りつけられ、地面に磔りつけにされた。足の悪いその老婆は戻ってこないその猫の名を呼びつづけていたという。その黒猫の名前がニューギニアの戦地にいったまま行方不明になっていた老婆の息子と同じ名前だったとは、後で大人たちがしていた噂だ。

 猫はひと晩そのまま星を仰いでいた。翌朝、猫は喉笛をくいちぎられた無残な姿で死んでいた。野犬かなにかが夜のうちに襲ったらしかった。近くの家の者が深夜に気味の悪い獣の唸り声を聞いたという。

「猫を殺すと祟られるぞ」

 大人たちは空地に集まってきた子どもの誰かれとなくつかまえて忠告していた。悪い遊びが流行っているのに大人たちも気がついたらしかった。

 ぼくたちがその空地に行ったときには、もう惨劇の跡はなく、代わりに真新しい土慢頭がひとつできていた。死骸を埋めたのか、ただ土をかけただけなのかわからなかったが、積み上げられた泥に混じって猫の毛の切れ端のようなものが見えていたので相当無残にやられていたのがわかる。

 情報通の少年が、この事件の首謀者にちがいない連中の名をあげた。顔の長い、大きな鼻と分厚い唇した少年に率いられているグループだ。他の地区の子どもたちから〈馬〉というあだなで呼ばれているその少年は、ぬきんでた体格を利してたくさんの手下たちをつくり、彼になびかない子どもたちに露骨な嫌がらせをして恐れられていた。しかし、その立派な体格は、音楽教師の目にとまるところとなり、鼓笛隊の大太鼓を拝領するにいたった。手下どもの尊敬の念がいや増すことになったのはいうまでもない。

「俺はまえにあいつに殴られたんだ」

 〈馬〉の旧悪を暴いて今度のエセ儀式の犯人であると決めつける少年もいた。

 だが、ぼくたちの仲間がいちばん関心を持っていたのは、人の寝静まった夜更けに、屈辱的な私刑を受けている猫に密かに近づいて、かれに引導を渡した者のことだ。黒猫の喉笛を食いちぎった刺客は、いったいどこから来たのかという推理こそぼくたちの領分ではないか。

 猫族に恨みを持つ鼠のテロ行為。猫にかっての職分を奪われたけイタチの残党の復讐。(かつて武蔵野の原野を駆けていたイタチも学校の理科教室に剥製となって鎮座まします時代だったけれど)通りがかりの野犬の衝動的犯行とも考えられるし、或は野犬の仕業にみせかけた変質者の犯行かもしれない。時折、妙な念仏を唱えながら町をうろついている頭のおかしな浮浪者や、自分の家の裏庭でやたらと鶏をつぶしては食べている近所の金物屋の親父なら、夜更けに猫一匹殺すくらいのことはやりそうだ。ぼくたちは自分たちの行状はたなにあげてあれこれと思いめぐらしたものだ。

 なかでもいちばん仲間の支持を集めたのは、猫たちによる猫殺しという空想だった。空地で磔刑をうけている黒猫のまわりに、猫屋敷の仲間たちが寄り集まってきて、彼らの決定を告げる。

 

  オマエニハ、死ンデモラワネバナラヌ。今ヤ救イヨウモナク恥辱ニマミレタオマエ  トオマエノ眷族デアル我々ノ誇リヲ回復スルタメニ、人間タチニ警告ヲ与エルタメ   ニ、オマエハコノ地ニ死骸ヲ曝サネバナラヌノダ。 

 

 長老の猫が諭すように告げたあと、一匹の逞しい若猫が走りでて、哀れな仲間の喉にかぶりついたに違いない。その若猫は、以前からその主人の寵愛めでたい猫を妬んでいて、大義名文を得たそのとき、情け容赦なく彼の喉笛を食いちぎったはずだ。処刑された猫は傷口からとくとくと血を滴らせながら恨みをのんで死んでいったろう。やがて、この空地にも黄色い南瓜の花が咲くのだ。

 黒猫の弔問を済ませたぼくたちは、声をかけあって秘密の集会所に集まった。仲間のひとり、自動車修理工場のトオルが荷物置場になっているガレージの二階をアジトとして提供していた。古タイヤやサスペンションのバネ、グリースの空き缶、埃をかぶったラジエターが雑然と積まれたそのアジトのなかにそれぞれの坐る場所をみつけて、ぼくたちは次の儀式の段取りをつけるのがきまりだった。

 トオルには弟と妹が四人もいて、さらにもうひとり生まれる予定の彼の母親は、トオルの姿をみかけると必ずそのうちの何人かをあてがって子守りをさせた。その弟妹がガレージの二階でたびたび粗相をするので、ただでさえ油臭いアジトはねっとりとした豚小屋も顔負けの悪臭が漂っていた。トオルは誰よりも先に物置に飛び込んで、ひとつしかない窓を開けはなす。そして、もういいぞ、とでもいいたげに、切れ長な眼に小さな光を浮かべてぼくたちを招きいれた。彼も彼の弟妹たちもあまり風呂に入らないらしく垢じみて薄汚れていた。だが、アジトを提供しているという一事が、彼の仲間うちでの地位を不動なものにしていた。本人のまえではあからさまにはいわなかったが、それにしてもあいつの妹はキタネエナ、と仲間たちは呆れたように陰で言っていた。今日はあの二番目の女の子が来なければいい、と誰もが内心思っているはずだ。

 祭司の少年はみんなより遅れてやってきた。例の空地には行かなかったらしい。すぐに空地での一部始終を誰かが声を落として報告している。あれは追従屋のヒロシだ。

 祭司のほうは耳を傾けながらもなにか居心地が悪そうに何度もあたりを見まわしていた。祭司はこのアジトがあまり気にいっていない様子だった。父親どおしが酒をのんで大喧華したことがあったからだ。一町内を震憾させた殴り合いの原因は誰もが知っていた。祭司の妹を轢いたのは、この修理工場のトラックだったのだ。

 祭司は足音をさせずに床を歩きまわる。いつも階下に注意を払っている。工場の主人が若い工員を怒鳴りつけながらガレージの周りをうろついているようなときは、決してアジトに近づかないし、ふいに下で声がしたりすると、ひとつしかない窓からいつのまにか姿をくらましてしまう。彼の父親の言いつけか、彼自身が嫌っているのか、ともかく祭司は妹を死なせた男と顔を合わせたがらなかった。

 仲間たちがみんなガレージの二階に集まったとき、トオルの父は遠くの検査場で依頼主と声高にやりとりしていた。工場の騒音のなかでは、大きな犬が吠えているようにも聞こえた。

「うちの親父もこの一件じゃ怒っているんだ」

 妹を膝に乗せた少年が口を開いた。

「猫屋敷の婆さんにみんな同情してるんだ。あんな殺されかたってないよね」

 仲間たちは祭司の顔色を窺った。祭司の父親の噂を思いだしているのだ。

「いままで猫屋敷から連れてきた猫はいなかったのに」

「あそこの猫はあの家が気にいっているのさ。婆さんを親猫か猫の大将だとでも思っているんだ」

「婆さんが死んだらあの家の猫どうするかな」

「もう死んじまっているのかもしれないぜ。化猫が手下と一緒に棲んでいるって話を聞いたことがあるよ。あの家の床板をあげてみな。婆さんの骨が散らばっているから」

「それにしても〈馬〉のやつふざけてやがる。この前は子犬を川にたたきこんでいたよ。それから病気の兎。毛がすっかり抜けているやつだ。祭りの日に買ってきたヒヨコとか、なんでもかんでもさ」

「子犬?それじゃあ、自転車屋で生まれた三匹かい。あれはぼくが欲しかったのに」

「犬は泳いで逃げちまった。今頃はとなり町をうろついているさ」

「兎も逃げたの?」

「この間、赤間川の水門のところに浮いていたのがそうだよ。あれじゃ兎に見えないけどな。生き物が水を吸うとあんなにふくれるものかな」

 どれも芳しくない噂だ。町のあちこちでゆるしがたい生贄遊びが行われているようだった。ぼくたちはたがいに顔を見あわせた。

「やめさせよう」

 祭司が独り言のようにそういった。それでぼくたちは一斉に祭司の表情を窺った。何か手段を講じるならば、早いうちでなければならない。大人たちが気づき、学校が〈禁止令〉を布告するまえに、邪教徒たちの芽を摘まねばならない。祭司は本気で結社の危機を憂えているようだった。とはいえ、八人しかいない、おまけにそのうちの一人は鼓手志望の痩せっぽちの弟である。そんなぼくたちが雨後の笥のようにあちこちに生まれたエセ結社にどんな打撃を与えることができるだろう。あの〈馬〉が率いる集団のような多人数にむかって喧華をしかけていくほどぼくたちはむこうみずでも、勇敢でもなかった。ただ、ぼくたちは、あの河へむかって意気揚々と行進する午後を失いたくなかったのだ。弟はまだ太鼓をたたきたらなかったし、町には水に帰すべき猫がたくさんいたのだ。このままではいけない、と祭司はいう。猫は汚されてしまう。ぼくたちと邪教徒たちと見分けられなくなってしまう。彼らはもはやらくらくとぼくたちの手に落ちてはこない。

 ぼくたちは祭司の言葉をかみしめながらあれこれと想像をめぐらし、よくわからない感情に突き動かされて、儀式の安泰を願っていた。鼓手の打ち鳴らす出発の太鼓。河へむかう行進。猫神様はダンボール箱のなかで憩うておられる。石油罐の太鼓は叫ぶ。猫が水の国に帰る、と。ぼくたちはその時間を失いたくなかったのだ。そして、やわらかな毛並みのしたで静かに息をしているあのしなやかないけにえとの親密な関係も。

 


水に棲む猫 1章末

2012年04月29日 00時32分35秒 | 文芸

 ぼくたちの行進は続く。

 猫の崇りだって?そんなものは先を歩いている祭司が祠ってくれるか、全部引き受けてくれるはずだ。儀式が始まると、ぼくたちは一切猫には触れてはならない。祭司がそれを禁じているのだ。祭司はあらゆる猫の崇りに通じていて、儀式のできぬ雨の日などに語ってきかせた。そのときだけ祭司は寡黙な少年ではなくなるのだ。 

 あの化猫南瓜の話を知っているだろうか。

 飼い猫が主人の膳から魚を盗みとったので、怒った主人が薪でその猫をたたき殺した。死骸を埋めておくと、翌年その場所から南瓜が芽を出し、やがて大きな実をつけた。それを煮て家中の者で食べると、みなひどい下痢を起こした。医者に診せてもよくわからない。もしやと思って地面を掘ると、猫の頭蓋の眼が光り、そこから南瓜の蔓が生えていた。猫の骸を土に埋めるとそこから毒草が生える。だから猫の死骸は河に流すのだ、と祭司の少年は真顔でいったものだ。

 ぼくは地中で次第に腐乱していく猫の死骸を想いうかべた。あの柔らかい猫毛が抜け落ちて、ぶよぶよの皮膚が露出する。皮を破って青緑色に腐った肉が舌をだす。やがて肉も内蔵もどろりとした黒い液体になって腹のほうにたまってくる。液体は露わになった骨格に抱かれ青光りし始めるのだ。そのとき、猫が呑みこんでいた植物の種が芽をふく。根のほうは白い蛇のように腐った腹綿のなかに伸びていき、芽はすばらしい速さで地面へはいのぼっていく。そうして、とある晩に、怪しげな双葉が開くのだ。腐った猫の養分を吸い上げて蔓はどんどん虚空へ伸びていき、やがて、誰もいない夜の畑で、その蔓草は月の出を待ってぽっかりと黄色い花を咲かせる。花は月の雫を浴びて猫の目のように光るだろう。熟して地に墜ちた実は猫の息のように生臭い。

 化猫南瓜の話は、その年の夏じゅう南瓜を食べない弟の口実になった。

 その南瓜を食べない弟は行進の先頭で石油罐の太鼓をひっきりなしにたたいている。あの太鼓に皮をはってやったらと思う。学校の鼓笛隊の太鼓には上等な皮が使われているが、ぼくらの太鼓には猫の皮を張ってやったらどうだろうか。猫皮の太鼓だ。どんな音色がでることやら。三味線のように艶っぽい音をたてるかしら。それとも、ごろごろと喉を鳴らすようなまやかしの音だろうか。ぼくらの町内の病院の裏の空き地に棲みついていた喘息持ちの黒猫の皮はどうだろう。冬のあいだじゅうあいつは奇妙な咳をして、空き地の日だまりに寝そべっていた。あの絶え間のない咳の試練にたえた胸の皮はさぞかし丈夫だろう。が、あいつは春になってぼくたちの儀式が始まると、どこかへ姿をくらましてしまった。空地にはよぼよぼした灰色猫が後がまで棲みついたていたが、そいつはとっくに水に帰してしまった。

 猫たちはいつもちがう川に連れていかれた。それがなぜか、祭司の少年はいわなかたし、ぼくたちもたずねなかった。儀式の場所はその日その日で様々にかわった。祭司が東へむかうとき、ぼくたちは遠く農村地帯を流れる荒川の河川敷きを期待したし、西にむかえば入間川の広い土手があった。どちらもぼくたちの町の外縁を流れている。そのほか大小の支流が、その日の気分によって選ばれたものだ。

 しかし、あの赤間川と呼ばれる子供たちが汚い川の代名詞として口にするドブ川での儀式は完全に不首尾に終わった。その川は市街の下水溝を水源に、郊外の処理場にながれていたのだ。ぼくたちはその川筋を歩きはしたが、ついその行き着く先を見ずに終わった。 野菜クズが流れてくる。男物の革靴の片方が浅瀬の泥の上に座礁している。しがらみには水を吸ってふくれあがった鼠の死骸がひっかかっていたり、中身の知れぬ怪しげなダンボール箱がプカプカ浮いていたりした。

 仲間に家が汲取り業をしている少年がいた。ある夜、でかけようとしている父親の新型のバキューム・カーの助手席にとび乗った。夜のドライブを愉しもうというわけだ。しばらく走ってふと気がつくと、車は淋しい川っぷちに止まっていた。父親は車のライトを消し、川にバキュームの太いホースをズルズルと下ろし、タンク一杯の汚穢を放出しはじめた。少年は初めて父親の仕事を理解した。そして、冷汗をじっとりかいた。その川は昼間アメリカザリガニを採って遊んでいた川だったのだ。仲間のなかには釣り上げたザリガニを焚火の火で焙って食べてみせる連中がいて、彼も一度は味見してみたいと思っていた。それ以来彼はザリガニ釣りに加わろうとはしなかったし、父親の車にも乗らなかった。そして、新学期に行われる回虫検査の検便を恐れた。(検便には当初マッチ箱が使われていたが、いつの間にか丸い金属製の容器に変わった。母親が割り箸で詰めてくれたものだが、それが嫌で自分の家の犬の糞を詰めてきて叱られた子もいた。)

 ともあれ、そんなドブ川で神に捧げられる猫は災難だ。だが、儀式は行われたのだ。 祭司の少年は黒ぶちの若い雄猫を、頭上高くもちあげると、深く切れこんでいる堀割りのなかへ投げ落とした。猫は回転しながら水面にぶつかっていった。水音というよりも、ドブンと泥が跳ねる音がした。流れは浅く、ドブ泥が深く積もっていたのだ。猫は泥に呑みこまれてしまった。

 しかし、すぐに川のなかほどで泥の塊が立ちあがった。その塊は狂暴な大ナマズかなにかのように、無茶苦茶としかいいようのない勢いで対岸へ移動していった。大ナマズは向こう岸にとりつくと、はじめてすがたらしきものを現した。堤のコンクリートに爪をたて、気が狂ったようにはいのぼっていく。ようやくにして堤防の上にたどりつくと、こんどは激しいくしゃみがはじまった。鼻につまった泥を吐き出しているのだ。泥水もたっぷり呑んだに違いない。しゃっくりもはじまった。それに加えて体を振るって水気を振り落とそうともしているので、見ているぼくたちには猫が完全に発狂しているとしか思えなかった。

 そこでぼくたちは歓声をあげたのだ。

 猫はひどい目に逢わせた子どもたちを対岸にみとめると、はじかれたように堤防のうえを走りだした。逃げろ、逃げろ。人間の子どもはなにをするかわからない。

 ぼくたちが逃げていく猫を大喜びではやしていたとき、祭司の少年はつまらなそうに唇をとがらせ、猫が這いあがっていったコンクリートの斜面を眺めていた。斜面にはこわれた筆で描いたような泥の筋が半乾きで残っているだけだった。祭司の様子でぼくたちは儀式が失敗したことに思いいたるのだ。ぼくたちは猫を水の国に送りそこなったのだ。

      


自著の英語版2

2012年04月17日 02時37分21秒 | 文芸

 町工場の裏の小さな空き地に、少年たちが円陣をつくってすわっていた。彼らの真ん中にはダンボールの箱がひとつ。少年たちはその箱を熱心にみつめている。誰も口をきかない。少年たちは、そのなかの生き物の来歴を、ぼんやりと考えているだけだ。彼らの大将、《祭司》とよばれる少年はまだこない。すると、仲間たちにおくれてきた少年が声をかけた。

「だれだよ、連れてきたのは」

「タツオだよ。あいつは自分ちのを連れてきたんだ」

 さきほどから、円陣をつくってしゃがみこんでいる少年のひとりがそういった。

 タツオと呼ばれる少年は前にも生まれたばかりの子猫を儀式のために差しだしていた。今日はその親猫のほうを連れてきたというわけだ。

 なんという点数かせぎだ。あいつはいまに自分の妹だってダンボール箱に入れてくるぜ。洟を垂らしたあの汚い妹をね。そう囁いているのは決まって一番の追従屋だ。自分は何ひとつ手を汚さないくせに、自分たちの大将にとりいることには熱心だ。彼がいちばん嫌うのは、うすのろのくせに儀式に多大な貢献をするタツオのようなやつだった。

「あしたは俺が連れてくるよ。狙いはつけてあるんだ」

「えっ、マタタビをまくんかい? あんなもの使ったら町中のノラが集まって来ちまうぜ」 少年たちは、もういちど彼らの箱に眼をやった。

 

 さんざんに待たせた後で祭司の少年がやってきた。先ほどから彼らの大将の噂をしていた少年たちは黙りこみ、生贄のはいった箱をおずおずとさしだした。祭司の少年は黙ってそれを受けとると、大人びた表情をつくってなかの生き物をたんねんに調べはじめた。そのあいだ口をきく者はいない。誰が決めたわけでもない。この儀式が少年たちの間に熱病のように広がりだして以来のならいだった。少年たちの腋のしたから甘酸っぱい匂いがたちのぼってくる。いちばんチビの少年がごくりと唾をのみくだした。祭司の少年は生贄の品定めを終えると、用心深く箱の蓋を閉じ、手下の少年に下げ渡した。それは出発の合図でもある。少年たちは息をつめて祭司の動きをみまもっている。祭司が歩みだす方向に儀式のための行進がはじまるのだ。今日は町の東へ向かうようすだ。そこで、手下の少年たちの緊張が少しばかりゆるんでくる。

「きっと、泳ぐよ」

「かけるかい」

「ああ、ワッペン三枚だね」

「いいかい、きっとだぜ」

「あいつは、でかいからね」

「でかくたって、猫は猫さ」

 少年たちは河へむかう坂道に出ていく。昼下がりの眠たい光が降るなかを、残忍な儀式の一団の陽気に行進がはじまった。

 大人たちはそんな子どもたちにかまっていられなかった。ますます忙しくなり、町では絶えずどこかしらの地面が掘り起こされていた。なにかにせかされているみたいに、大人たちは世の中の表面に彩色を施し、ビルを建て、橋を作り、道を広げていた。そして、父親はなかなか家に帰って来なかった。町では砂利道がみるみる石油臭いアスファルトで塗りかためられ、真夏にはそのアスファルトがぐにゃりと溶けだしてきた。その舗装もなにもかも胡散くさかった。だが、そのおかげで子どもたちにはらくらくとした時間が与えられているのだった。まったく、その頃はいくらでも時間があるように思えたものだ。

 残忍な儀式の一団が陽気に行進していく。

 その先頭を歩く少年は、行く手にはやくも河の光を見ていた。両岸をスレート板で補強され、飼い慣らされた河がゆったりと流れている。週日の午後の堤防には人影もなく、陽炎と草いきれと、少年たちのざわめきばかりである。

 祭司の少年の合図で大事に運んできたダンボール箱が下ろされた。こんどは手下たちが品定めをする番だ。今日は毛のすりきれた老猫のはずだ。ふいに光がとびこんで来たので猫は驚いて身がまええ、フーッと息を吐きかけてくる。瞳が針のように絞りこまれ、口が耳まで裂け、その怒りが少年たちを一瞬たじろがせた。油断していると爪をたてられるし、悪くすると跳ねあがって逃げてしまうのだ。これまでなんどもしくじっていた。長いこと閉じこめられていた猫の臭いが鼻をついてくる。魚のように生臭かったり、すっぱい腐えたにおいだったり、猫はそれぞれの体臭を持っていた。いちばんのチビの少年がまたゴクリと唾をのみくだしている。

 そのとき、河べりに風が立った。

 少年たちは一斉に立ちあがった。祭司の少年が猫をつかんで水に向かって歩き出したのだ。

「泳ぐかな」

「ああ、ああいう大きなやつはね」

「岸にあがったら、またつかまえてやる」

 手下たちの心配をよそに、祭司の少年はなにもかも承知したふうに儀式をとりおこなうのだった。危険を感じてあばれだした猫の尻っぽをつかんで頭の上でグルグルと振りまわしている。少年たちは息を呑んだ。猫のハンマー投げだ!

 さんざんに振りまわされてから、猫は河にむかって投げこまれた。鋭い悲鳴。水しぶき。それから、しばらくの沈黙。

 猫は沈んだまま、浮いて来ない。

 少年たちは水面をみつめている。このまま浮いてこなかったなら、儀式は後味の悪いものになってしまうのだ。猫が完全に気絶していたり、川底の石かなにかに頭をぶつけたりしていると、もう二度と水面に浮かんではこない。

「あっ、あんなところにでたぞ」

 猫は思いがけないほど下流に顔を出していた。

 少年たちが駆け出していく。

「泳ぐぞ!」

 驚きと落胆がいりまじる。

 猫は水に濡れると思いのほか痩せていた。その痩せた頭を水面に突き出して必死に前脚を動かしている。体の芯から水を嫌っているような泳ぎぶりだ。泳ぐというより、水のなかで暴れているといったほうがいい。水をかくわりにはほとんど先に進まないのだ。無茶苦茶に振りまわされたので体の平衡がとれないのかもしれなかった。陸での敏捷さはみじんもなく、突き落とされた水地獄のなかであばれにあばれている。

 それでも流れに乗って、岸のほうに近づいてきた。あとすこしもがけば、なんとか岸の土をつかむことができるかもしれない。しかし、その岸には、この儀式を二度愉しもうという少年たちが待っているのだ。

 猫はまた少し岸に近づいた。少年たちはもう真剣に二度目の儀式について考えをめぐらしている。

 ところが、そんな彼らをまるで嘲るように、猫は最後の遁走を成功させてしまうのだ。きまって、水のなかに逃げこんでしまう。釣り糸から逃れた魚のように、尻っぽで水面をたたくと、深く深くもぐっていってしまう。猫が溺れたなんて誰も信じなかった。たとえ九つある命のひとつをその場で失ったとしても、猫はどこかへ逃げのびていったに違いないのだ。

 猫の姿が完全に見えなくなると、少年たちは「ああ」といって息をついた。

 

                 ∴

 

 なぜこんな残忍な遊びが少年たちのあいだに蔓延したのか誰も説明できなかった。その頃、十一歳でこの儀式に加わっていたぼくにも、九歳でぼくの後ろについてまわっていた弟にも、その遊びの来歴はわからなかった。ある年のある日、その儀式はあの痩せこけた少年を《祭司》にして復活してきたのだ。ぼくたちが初めてではない。ずっと昔からこの儀式は密かに伝えられてきたのだ。子どもたちがまるくなってかわゆらしい手をあげ、今しがた殺したばかりの生き物の亡骸を見おろしている。そんな儀式は、大昔から人気のない丘の上でくりかえされた。ただ、ぼくたちの手には血なぞついていなかったし、生き物の死骸も残りはしなかっただけだ。

 たくさんの猫が河を流れていってしまった。溺れ死んだのではない。彼らは棲家を陸から水にかえて、海へ逃れていったのだ。水のなかで猫たちは陸の上でよりも一層機敏でしなやかに動きまわるだろう。そうして、らくらくと魚を捕らえることができるのだ。

 ぼくたちは退屈していたか、頭がおかしくなっていたかのどちらかだろう。

 ぼくは今でもはっきりと、あの少年時代の一時期、熱病のように取り憑かれた儀式を思いだすことができる。どうかすると疲れた夜の重苦しい夢のなかにふいと浮かびあがってくることもある。

 夢のなかでは、ぼくたちはいつも河の堤防のうえを行進していた。猫たちが流れていった海までいくつもりだったが、海へたどりつけたためしはない。河口付近の、海の予感がするあたりでいつも夢から帰ってきてしまう。少年時代にめったに海に行ったことがなく、行ったにしても夏の海水浴場くらいのものだったから、河を下って海に出るイメージが乏しいためかもしれなかった。ぼくたちは関東平野のほぼ真ん中に位置する旧い城下町の子だった。

 城という言葉に惑わされてはいけない。城といったって平城であって、それも今では城の玄関にあたる「武徳殿」という建物があるだけだったから、ぼくたちは武家時代を想像することすらしなかった。それに、ぼくたちが育った町は昔の名残のある旧市街からはるかに南に位置する新興住宅地だった。ぼくの父親が終戦後すぐに引越してきた当時は近くの森で夜な夜な梟が啼き、あたりには狐でも駆けぬけそうな野原が広がっていたというが、「いまにこちらのほうが市の中心になる」という父の予言通り、年ごとに家が増え続けた。そして、森からは幼児のぼくが嫌いだった梟が姿を消した。

 町が南に移動してくるにつれて猫たちも次第に移り棲み、増え続けた。ぼくたちが二桁の年齢になるころには、〈儀式〉が行われるための舞台はすっかり整っていたというわけだ。

 二月の凍るような夜々に、喉を鳴らし爪をたて合い、路地から路地へと駆けまわったあげく、暗がりでひっそりと交尾した発情の季節が終わって、彼らが日だまりに眠りこける春の午後、〈儀式〉は突如としてあちこちの路地で復活する。あれほど用心深くすばしこい猫たちが、いともたやすく少年たちの手に落ちてくる。少年たちは当然のように猫を河に連れて行くのだった。

 ぼくたちは退屈していたか、気が狂っていたかのどちらかだろう。そうでなかったらあんなにたくさんの猫を水に帰したりはしなかったはずだ。子どもたちは退屈していたのだとぼくは思いたい。学校では面白味のない授業が繰り返されていたし、大人たちはもうじき開かれることになっていた東京オリンピックとそれにまつわる様々な事業に熱中していた。そしてあの国威発揚競技会に刺激されて、あちこちの小学校で<鼓笛隊>などと呼ばれる楽隊が組織され、やたらと太鼓をたたいてまわっていた。

 新調の太鼓をリズミカルに打ち鳴らしながら、隊伍を組んで行進することは確かに気持ちのよいことだ。隊員になるのが少年たちの憧れだった時期もあった。生まれてはじめて聞く歯切れのいいドラムの響き。颯爽とした白いソックスの行進。そのためには少しくらいの自由は犠牲にしても、ぼくたちは隊員になりたかった。

 けれども、すぐに、ぼくたちは、鼓笛隊員になどなれはしないのを知った。担任の教師の推挙がなければ隊員になれるみこみはほとんどなかったからだ。それでも器用な連中のなかには、笛の部門にもぐりこんだ者もいないではなかった。だが、あの太鼓でなければ何の魅力があるだろう。隊員資格に成績や素行が問題になるのでは、とうてい太鼓に触ることはできないのだ。そのくせ、うすのろのくせに親がPTAの有力者の少年は、見事に小太鼓をせしめていた。

 弟はそれでも熱心に太鼓の練習をつづけていた。学齢が低く、まだ隊員試験を受ける資格はなかったが、今から練習を積んでおこうというわけだった。篠竹を切ったスティックで、四六時中太鼓ならぬ石油罐の底をたたいていた。しまいにはその石油罐を半分に切ってもらって両端にヒモを通して首から下げた。こうして、ぼくたちの行進には奇妙な鼓手が常に立つことになったのである。

 

 ぼくたちは行進する。

 鼓手と祭司のあとからはダンボール箱を抱えた少年が慎重な足どりでついていく。そのあとに五人の少年が足並みをそろえ、そして、揃えそこないながら歩いていく。垣根ごしにどこかの家の飼い犬が不安げな吠え声をたてている。まぬけな犬たちめ、おまえたちなど相手にしない。おまえたちは体の芯まで陸の生き物さ。犬かきはできても、水のなかをのびやかに泳ぐことはできまい。仲間のひとりが垣根のなかに石をひとつ蹴りこんでやる。 それにしても、祭司の少年が少しも愉しそうでなかったのはどうしてだったろう。少年は儀式のたびに場所を選んでぼくたちを先導していくのだが、そのあいだじゅう黙りこくって行く手をみつめているばかりだった。小さな町工場の子で、父親と二人で住んでいた。レンズを研磨するのが主な仕事で、工員が二人通いで来ていた。

 その父親が変わり者だった。重油を焚く大型の炉にほとんど終日とりついていて、たまに汗まみれの姿で外気を吸いにおもてに出てきては、その鋭いまなざしを周囲の風景に突き刺していた。煙草を喫むわけでもなく、体をほぐすわけでもなく、この男は汗がひくと地面に二三度唾を吐きかけてはまた薄暗い工場のなかに戻っていった。手足が異様に長く見えたので、ぼくたちは穴ぐらのなかの蜘蛛を想いうかべたものだ。おそらく祭司の少年もその父の陰気な性格を受け継いだに違いなかった。まったく何を考えているのか得体が知れぬのは父も子も同じだった。そして、あの眼の奥に輝いている不気味な光についてもだ。 

 この工場の主人は、飼い猫を鉈で撲殺したと噂されていた。猫の頭蓋骨がふたつに割れていた、と見てきたようなことをいう者もいた。それからというもの、この家は間が悪いことばかりだという。少年の母親はよその男とどこかの町で暮らしているという話だし、母親がいなくなってすぐに、少年の妹が後退してくるトラックに轢かれて死んだ。父親も作業中に大怪我をしたという。どの話も親たちから聞いただけで、ぼくたちはその事件がいつ起こったのか知らなかった。ただ、少年の父親には、耳の後ろから肩口にかけて大きな火傷の跡があり、薄暗いところでみると何か黒いものが襟首にとりついているようだった。

 それでも、景気は良いらしく、工場の炉は休日でも轟音をたてていた。嘘か真か、米軍のライフルの照準器のレンズを作っているのだと事情通の仲間がいっていた。少年を呼び出しに彼の家の茶の間を覗いたことがあった。少年は父親に殴られたらしく、赤い眼をして畳の上にうずくまっていた。少年といっしょに汚れた什器と黴の生えたコッペパンが転がっていたのを覚えている。

 


自著の英語版

2012年04月17日 01時30分41秒 | 文芸

普段は、、もっぱらドイツ語などのテキストを日本語に翻訳しているのだけれど、自分の著作が外国語に翻訳されてみると、なかなか面白いもので、なるほどそう訳すか?とか、自分のニュアンスがこれでつたわるかなあ、といった言語のちがい、つまり背負っている文化文明のちがいがよくわかるのだ。以下は、1996年に出版された自分の代表作のひとつの英文翻訳とオリジナル日本語テキストだ。あらためて、読み返すと、日本語のほうに手をいれたくなってきた。いまや、版元が倒産したので、絶版状態だから、リニューアルして再度刊行のトライをはじめたい。


Water Cat
Even now, I can clearly recall the period in my childhood when the "ritual" possessed me like a fever. And the cats we spent intimate days with float up in my dreams on exhausted nights. Freed from everything, they float and sink, frolicking with fish. The cats gradually multiply until they become a school of cats, swimming in the wide sea.

For some reason, I understand everything in my dream. Yes, I see; I sometimes sigh. I understand that everything had to be the way it was at that time: the ritual, the melancholic face of the leader boy we called "the Priest".

But when I wake up from this familiar dream, the past seems washed out and I realize that I am still, as always, living in the season of betrayal.

 いまでもぼくは、あの少年時代の一時期に、熱病のようにとり憑かれたのことを、はっきりと想いだすことができる。そして、ぼくたちと親密な日を送った猫たちが、疲れた夜の夢のなかにふいに浮かびでたりもする。猫たちは、透明な水のなかで、しなやかに泳ぎまわっていた。あらゆるものから自由になって、魚たちと戯れ、浮きつ沈みつしている。しだいに数を増し、やがてひとつの群れになって大海を回遊している夢となる。

 夢のなかでは、ぼくはすべてのことに合点がいっていた。「ああ、そうだったのか」と、呟いていたりする。あのころのについても、「祭司」とよばれた、ぼくたちのリーダーの少年の暗い表情にしても、すべてがあのときにはそうでなければならなかったのだ。

 しかし、その懐かしい夢からさめてみると、過ぎてきた時はあまりに色あせていて、ぼくは、相も変わらず、裏切りの季節のなかで生きていることに気がつくのだった。

 

                   天沼春樹『水に棲む猫』冒頭 1996年刊

                                      翻訳 By Mariko Nagai

 

                         1
In March, still the early spring, of 1890, the dockhands at the Liverpool port were, as always, sick of their unloading procedure. The load of that day was "fertilizer" that had come all the way from Alexandria in Egypt. The men could smell the moldy, dusty odor from branded wooden crates.

"Ugh. Smells like the inside of a catacomb," one of them even commented, in a quiet voice. They all wanted to be done with the tedious work so that they could go and swig a half-pint of beer, wet their parched throats. No fertilizer from Egypt could be that good.

The dockhands were right. That day's crates were suspicious, both in terms of their sender and their content. This fertilizer that was bought in mass quantity and sent to the port in England by an Alexandrian speculator actually consisted of the debris of countless cat mummies excavated from Ben Hassan's pyramid. An endless number of cat mummies wrapped in linen had come out of that grave. They had struck a bottomless mine that would provide a stable year's supply of fertilizer. So first, 8000 cat bodies, and then countless others had ended up in the ground of this region.

 The cat was finally elevated to godhood in Egypt during the Tenth Dynasty, in 15th century BC. The heir of Tuthmosis IV and Amenhotep II, and the father of Amenhotep III, the Rah built a temple in Ben Hassan during his eight-year reign. The temple was dedicated to the goddess with a feline head, the goddess Pashat, who is also known as Bashat. Cats were her sacred creatures and it was thought that their eyes were rays of sunlight traveling from the other world. Killing cats was punishable by death, and when cats died, their masters wallowed in grief, and showed their state of mourning by shaving off their eyebrows. The corpses, with their intestines carved out, were cleansed and perfumed with rich scented oil; then they were wrapped in many layers of cloth and given proper burials. If the masters were wealthy, cats were laid out in colorful coffins. Whether or not the cats appreciated this was beside the point. After all, this was a country where the lives of cats were taken more seriously than victories in war. After three thousand years, the authority of the Goddess Bashat ended with its sacred virtues eaten up by carrots and pumpkins in the fields of Yorkshire.

 

一八九○年の春まだ浅い三月、イギリス、リバプールの港の陸揚げ人夫たちは、いつものように荷揚げ作業にうんざりしていた。その日の荷はエジプトのアレクサンドリアからはるばる運ばれてきた肥料だった。焼き印の捺された木箱から、かび臭くほこりっぽいにおいがする。「いやな臭いだ。地下墳墓(カタコンベ)のなかにいるみたいだ」と、つぶやく連中もいた。早くそのしんき臭い仕事を終えて、いがらっぽくなった喉を半パイントのビールで一気に潤したかった。エジプトから運ばれてきた肥料なんてろくなものであるはずがない。

 人夫たちの堪はあたっていた。その積み荷は荷主も中身もうさん臭いものだった。アレクサンドリアの山師が大量に買い込んで、肥料としてイギリスの港に運んだのは、ベニ・ハッサンの墳墓から堀りだされたおびただしい猫のミイラだったのだから。墓のなかから麻にくるまれた猫のミイラはいくらでも出てきた。おそらく数年に渡って安定した肥料を供給できる鉱脈を堀当てたというわけだ。最初に八千体、あとは無尽蔵にこの土地の土のなかに眠っているはずだった。

 紀元前十五世紀、エジプト第十王朝で猫はついに神の座にのぼった。トトメス四世、アメンホテプ二世の嗣子で、アメンホテプ三世の父である太陽の子は、治世わずか八年のあいだにベニ・ハッサンにひとつの神殿を建てた。その神殿は、女神パシュト、あるいはバストと呼ばれる猫の頭をもった神に捧げられた。猫は神聖な生き物であり、その瞳は幽界を旅する太陽の光とされた。猫を殺すと死罪は確実で、飼猫に死なれると飼い主は嘆き悲しみ、眉を剃って喪に服したものだ。遺骸は内蔵をくりぬかれ、清められ、上等な香油をふりかけらると、布でぐるぐる巻きにされて、手厚く葬られた。飼い主が金持ちなら彩色を施した棺に納められる。猫がそのことをありがたがったかどうかは別の話だ。ともかく、戦の勝利よりも猫の命のほうを尊んだ国の話だ。そして、バスト神の威光は三千年ものちににイギリスにもおよび、ヨークシャーの畑で人参やかぼちゃがその功徳を吸いあげることになった。

 

Time just worsened. The season of rotten fish arrived.

Even three-quarters of a century after the cat mummies arrived at the port in Liverpool, their ordeals continued. Now, one of the descendants of those cats vaguely cursed its fate in the darkness. It had made a blunder, after being chased around by diabolical creatures, by falling into the hands of fanatical heathens—which, in every age, included children. Prohibited even from taking its normal graceful saunter, it could only wait for that moment, in its dark prison, with its eyes open. Dozing, it could only dream of silvery fish.

The dream of silver scales eventually returned the cat to the memory of its past grandeur and golden throne. It dreamt of those sacred days when its ancestors had napped in the burning desert kingdom. Its ancestors had played the part of gods, given a temple looking down on rushing torrents. Would it, too, the cat wonders, be able to see the same sight?

The cat's eyes, those beams of sunlight traveling from the other world, widened in the darkness.

Times just worsened. The season of rotten fish arrived.

Even this darkness, my darkness, is filthy. Does my anxiety emerge from this darkness? And what about these children who have taken hold of me? Anxiety, without taking a definite shape, grows under the soft fur. Until I see the light, I am entangled only with my own smell, and the thoughts of these children remain mysterious.

 時代は悪くなるばかりだ。腐った魚のような季節がやってくる。

 猫のミイラが、リバプールの港に上陸してから、四分の三世紀がすぎても、かれらの受難はつづいていた。

 今、彼ら末裔の一匹は、闇のなかでぼんやりと自分の未来を呪っていた。狂信的な異教徒たち、つまりいつの時代も子どもたちが一役かうわけだが、その悪魔の手先たちにおいまわされ、不覚にもその手におちたのだ。日頃のしなやかな歩みも禁じられ、閉じこめられた闇のなかで瞳をみひらき、大人しく〈その時〉を待つほかはない。とろとろとまどろみながら銀に光る魚たちの夢でもみるがいいのだ。

 銀の鱗の夢は、やがて黄金の玉座の記憶へ帰っていく。灼熱の砂漠の王国で父祖たちがまどろんだ神聖な日々の夢だ。父祖たちは、神の一部となり、神殿を与えられ、滔々たる大河をみおろしていた。自分も、やがてそのような大河を見るのだろうか。

 猫の眼、幽界を旅する太陽の光は、闇のなかでひろがり始める。

 時代は悪くなるばかりだ。腐った魚のような季節がやってくる。闇すらもうす汚い。俺の不安はこの闇からくるのだろうか。それにしても、俺をとらえたこの子どもたちはなんなのだ。不安は形をとらぬまま柔らかい毛並みの下で育っていく。再び光を見るまで、自分の体臭と絡みあうばかりで、子どもたちの心は、はかり知れない。

 

 

 

 

 


Eine Probe Apokarypuse

2012年02月29日 04時08分50秒 | 文芸

   アポカリプス Απōκάλυψις

  あるいはペテル・ウフナ―ルの部屋

 

 

 01

 世界が逆まわりに閉じていく。ひろがりつづけ、ふくらみつづけた貪欲な世界に、欲望をひろげ、食指をのばし、むさぼっては吐きだしていた汚らわしい生き物たちに、とうとうさかしまの時が訪れた。

世界はもはや無限にひろがりはしない。むすんでひらいてのたとえよろしく、本日、この瞬時、世界は逆まわりに閉じていく。生きものたちは、もはや増えもせず、ひとつの黒い塊へと凝固していくのみ。きみに残された時間があるとすれば、逆まわりに閉じていく世界の終り近くに、身も知らぬ孤独な祖先たちの幻影を見るだろう。しかし、それもわずかな時間だ。時間? 時間だとて、もはや意味をなさない。あらゆる時の流れが、逆流し、収束しはじめたとき、あらゆる方角からさかしまの時の中をちりぢりに砕かれながら墜ちてゆく無数の破片が灰色に光るだけだ。

 

  

02

きみはなにを見るだろうか? このΑπōκάλυψιςの刹那に。アポカリプス--------『黙示録』の時。

さしずめ呼びだされるのは預言者たちだ。あるいは預言獣とでもいおうか。見よ! 猛々しい獣たちのかわりに、静謐なる預言者たちが、きみたちの系統樹の源に姿をみせはじめる。進化を厭い、たった一頭で地に立ち、そして滅んだものたちが。賢明であったゆえに子孫を残さず、愚者に勝ちをゆずって立ち去った者たちだ。わたしは、たったひとりでいい。わたしに似たものたちなどいらぬ。わたしの苦悩と孤独はわたしだけのもの。孤独がわたしを養い、生きさせていたのだから。孤独に歩む者、アンチ・エントロピウス! わが同胞たちは、そのふたつ名を拒まない。

 

 

 

03

最後の地獄めぐりに連れはいない。せめて、出会った者たちに耳をかたむけるがいい。しかし、ことわっておくが、どの道をたどろうが、きみは巨大な石の一部になるしかないのだよ。知識も悟りも、もはや意味がない。もうすこしはやくそれを手にいれるのだったね。

翼あるものたちに運ばれながら、きみはその声をきくだろう。きみの小さな翼で、こざかしく羽ばたくまえのことだよ。

 

 

 

04

さあ、封印をとかれた子羊がみえるだろう。子羊は語ってやまない。無量大数の言葉をつなげ、あれほどきみたちに説いてまわったのに。

きみたちはそれを記録するのにいそがしく、けして理解しようとはしなかった。子羊の子孫がいないわけがわかるだろう?


ドイツの諺から2

2012年02月27日 12時42分50秒 | 文芸

「紙はしんぼうづよい」

-----紙はどんな出鱈目なことを書かれても文句はいわない。すなわち、紙に書かれていることがいつもほんとうとはかぎらないぞ、という意味。ましてや、最近の印刷物、新聞、書籍だってそうではないか。「新聞によりますと・・・・・・」とか、「今週の週刊□□□の記事に・・・・」なんて、したり顔で引用するある種の職業の人たちに、この諺を教えてやりたい。媒体が紙の時代から、映像や電子媒体へと進化してはいるが、この事情はかわらない。


ドイツのことわざ

2012年02月04日 04時13分05秒 | 文芸

死んだ魚は水にながされゆくが、生きている魚は流れにさからって泳ぐ。


トラウム博士2

2012年01月25日 21時35分05秒 | 文芸

「薬研堀(やげんぼり)の猫」

わたしは、川岸の船着き場のようなところにいる。

誰かが、舟から一匹の茶色い猫をつれだしてきて、その猫の来歴を語っているのが聞こえた。わたしに聞こえよがしに話しているような感じた。なにか時代がちがっていて、江戸時代の船着き場のような雰囲気もする。

 

その猫は、眠りこんだ拍子に、茶筒(ママ)に姿がかわってしまったので、そのままここまでつれてこられたという。いままでねむっていたのはほんとうらしく、猫は、きょとんとしていた。

薬研堀は大きな桟橋で、平べったいフェリーが客たちをまっていた。桟橋の左側からのれば船の屋根にでる。右からだと船室におりられる。薬研堀は魔術をかけられる場所らしい。2011.6.7朝の夢

 

目覚めたときに、メモをとったままであるので、自分でも謎のような、説明のつかない文脈もある。薬研堀の猫という言葉だけが気になっている。


トラウム博士

2012年01月25日 21時28分34秒 | 文芸

夢だった。 

 小学生のいる教室で、自分は人間のイメージについての難しい講義をしていた。黒板に蜘蛛の絵を描いて説明していると、最前列の男の子が、チョコレートでできたみたいな質感のゴキブリを何匹ももちこんで、もてあそんでいる。ほかの子どもたちにみつかると騒ぎになりそうなので注意するが、ゴキブリの何匹かがにげだして、机や床下にもぐりこんでいって、それきり見えなくなった。

 景色が変わって休み時間の校庭に立っていた。すると、クリーム色のアルビノらしい蝉に、小さな男の子がまたがって、さかんに飛び上がろうとしていた。蝉は、何度も羽をばたつかせ、ようやく立木くらいのたかさまではとぶが、やはり重過ぎるのか、また降りてきてしまった。羽が蛾のような質感だ。蝉にのっていた男の子に話かけた。この学校には、おかしな子ばかりいるんだね、と。

 そのうち、若い教師が、その子をつれにきた。だれか学者みたいな人が面会にきたらしいが、教師はそのことを、こちらに知られたくないらしく、口に指をたてて見せている。2人がわきを、通りすぎるさいに、わたしは彼らにむかって、おい、感じわるいぜ、といってやった。

 帰ろうと校舎を出る。そこはいつか行った大岡山の東工大のような学校で、途中に生協があった。文房具もたくさんおいてあるらしいので、入ろうとすると、入口にベコベコしたベニア板がおいてある。踏むと落ちそうなので、飛び越す。すると店先にたっていたネッカチーフをしたやせたおばさんが、残念そうに顔をしかめた。落とし穴だったかんじだ。店には、ほしいようなものがない。ふりむくと、大きな手回しのコーヒーミルがずらりと陳列されていて、客たちがさかんに品定めしていた。わきでは、平べったい箱型のコーヒーロースト機があって、これには若い大学職員の男たちが集まって、豆がローストされるのを待っている。コーヒー豆には興味があったが、店をてて、駅にむかうと、道の正面に線路が走っていた。そこで夢が終わった。終始、学校にまつわる景色ばかりだったが、出てくる人が子どもも大人も奇妙なことばかりをしている夢だった。夢から覚めた時は、なんだか不愉快であった。


講義ノートへの落書き。

2011年12月28日 00時23分21秒 | 文芸

■ジグムント・フロイト

 

先日、講義でフロイトの精神分析をあつかった。思えば大学院の頃、指導教授がフロイトを援用した「生の作家」「死の作家」という作家の精神傾向を分析して文芸評論を展開していた方であったから、いきおいフロイトの著作全般にもつきあことになった。フロイトの理論は、いまではむしろ「思想」とでもいうべき範疇としてあつかわれていて、現代の心理学や脳科学では古典的なものではあるが、自分はそのなかでも『快感原則の彼岸』とかには、いまでも強い影響を受けていると思う。

 

とくに、「生の衝動」「死の衝動」という相反した観念の設定には、確実な根拠にさかのぼれなくとも、納得がいくように思われた。曰く、生命体には生きたい、種族を残して生命をつなげたいという無意識衝動があると同時に、かつて生命を持たなかった存在への回帰を願う、破壊的、死のへの衝動もあるという指摘である。死を甘美なものと捉えること。そして死の模倣たる眠りにも、甘い眠りという形容がつけられるように、私たちは必ずしも「生の讃歌」を歌うばかりではない。また生が善であり、死が悪であるというのも、死そのものへの恐れからくる保守的観念にすぎないことも理屈としては理解できるのだ。

人間のDNAに組み込まれた死のスイッチ、老化のプログラムは、生命現象というものの有限性を担保し、かならず死という「物質」に回帰するための自然の方程式ではなかったか。

生命現象とは、物質の遊び、戯れであり、その遊びはいつか終息せねばならぬという大原理が働いているのではあるまいか。いわく「むすんで、ひらいて」理論である。たとえば、宇宙はいま広がりつづけているわけであるけれども、ある時点でその逆回りの収束が始まるのではないか。ビックバンからはじまった宇宙は、拡大がのびきった時点で、また閉じていくいくのではないか。そして、閉じてしまったら、また、拡散がはじまるのだ。

考えてみれば、生命はエネルギーを拡散させる方向にむかわせる機能をもっている。物質に固定しているエネルギーを燃やして分解させ、宇宙空間に拡散させていく。巨大な核融合である恒星(太陽)の燃焼も、エネルギー拡散、あるいは均等化へむかう流れの中のでの現象ではないか。だとすれば、エネルギー燃焼回路(生命といってもよい)が終息することを、死といい、滅びと形容するのは、たんに現状を維持したいと願う保守的衝動にすぎないのではないか。これは大宇宙での話であって、地球人類のローカルな意識や観念の話ではないのはもちろんだが、すべてのものに栄枯盛衰があるというのは、さけがたい法則であろう。

 

このような、人間にとっては、畏怖すべき「死」=「破滅」の状態こそがごくあたりまえのことであって、「生」=「繁栄」のほうが束の間の珍しい現象なのかもしれない。いや、まちがいなくそうだろう。だから、知性をもちはじめ、意識を肥大化させてきた人間にとって、その珍しい現象がいとおしく感じられてならないのだ。と、思うのだが。こういうことは、講義ではしゃべらない。個人的感想だから。

若い頃、乱読したフロイトの著作を、時間ができたら、ゆっくりと読み返したい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%88


意識のめざめ、あるいは霊のさけび!

2011年12月27日 23時40分24秒 | 文芸

■断片

 

わたしは誰だ?

まずはじめにそんな問いかけが浮かんだ。

なにも見えない。聞こえない。自分の問いかけだけが、自分の中でグルグルめぐっているだけだ。あるいは、わたしは誰であったか?

わたしは、突然に目覚めたのだ。目覚めたということは眠っていたのか? 意識がなかったものが覚醒したのか。これは同じことではない。石には記憶がないはずだ。いや、なぜわたしはそんなふうに考えるのか?

 

周囲を観察することで、なにか手掛かりをつかもうにも、周囲は闇と無音の沈黙の世界だ。冷たいとか温かいとかの感覚もない。

つまりは虚無の世界か。いや、虚無の世界ならば自分が存在すること自体ないだろう。このように思考をめぐらせ、まがりなりも論理をはたらかす機能をもった自分がいるはすがない。

 

わたしは闇のなかを漂っているのか? たしかに、とまっているのではなく、どこかわからぬ方角に動いている感じはする。上か下か、前か後ろか、いやその方向というものに意味があっての話だ。基点がないのであれば、方向など意味がない。

 

「死」という言葉が思い浮かんだ。わたしは死んだのか? あるいは死んでいたというべきか? 「死」からめざめたのか! さきほどの「眠り」という言葉よりもそれに近かったような気もする。

 

わたしは誰だ?

 

「霊」という言葉がつづいてやってきた。「死」にひきづられて思いだしたらしい。わたしは死しんで「霊」になっているのか?しかし、「霊」とはなんのことだ。このように、思いだけが漂っている存在のことか。

 

暗い! 完全な闇だ。闇の対抗概念を思い出そうとする。なかなかその言葉はやってこない。闇と対極で、かつては見えたもの。いや、そのおかげで、物が見えたのだ。それがいまはない。「盲目(ブラインド)」という言葉がやってきた。見る器官が機能しなくなっていること。ならば、見えていたときの「記憶」なら呼びだすことができるはずだ。しかし、どこからよびだせというのか? 

こんなふうに考えるわたしは誰だ?


深更酔嘆

2011年12月24日 02時44分38秒 | 文芸

深更泥酔し唯去りし人のみを思ふ

死せる人はちかく生くるもの遠し

月なくばなんぞ道を知るやこの闇

父母の故郷近しといえど辿るあたわず


night

2011年12月24日 02時39分56秒 | 文芸

故園(こえん) (びょう)として(いず)れの(ところ)

帰思(きし) (まさ)(ゆう)なるかな

淮南(わいなん) 秋雨(しゅうう)(よる)

高斎(こうさい) (かり)(きた)るを(き)

 


H.C.アンデルセンの言葉から 

2011年12月11日 04時08分47秒 | 文芸

         アンデルセン童話との出会い再び

 

 アンデルセンの童話に再び出会う際に、作者自身の生涯やその個性をすこしでも知ることにより、また、一見悲観的な救いのない残酷なメルヒェンのなかに彼の生涯が深く刻まれ投影していることを知ると、また新たな感慨を持って味わうことができるのではないか? ほとんどの童話作品を、その息づかいを感じながら翻訳していいると、ハンス・クリスティアン・アンデルセンの霊が、いや魂がいとおしくなってくるのは、わたしだけであるだろうか? 彼、アンデルセンは現世でなく、魂の救済を求め続けた稀有な作家ではなかったのだろうか。わたしは、彼の多くの作品の中に、人生にあってなにものかになり、なにごとかを成したいという震える魂をかんずるのである。

                          天沼 春樹

 

          H.C.アンデルセンの言葉から 

 

 わたしの生涯は波瀾にとんだ、そしてまた幸福な一生でした。それは、さながら1編の美しいメルヒェンのようでした。貧しい少年だったわたしが、たった1人で世の中に乗りだした当時、運命の女神があらわれて、「さあ、あなたの進みたいと思う道と志を選びなさい。そうすれば、あなたの魂が成長するにしたがって、この世の道理にかなうように、あなたをまもりみちびいてあげましょう」と、いわれたとしても、わたしの運命はこれほど幸運に、賢明に、そしてたくみにみちびかれはしなかったにちがいありのません。わたしの身の上話は、世の中がわたしに語ってくれたことを、ただ語ろうとしているだけなのです。------この世には、慈悲深い神様がいらして、すべてのことを、できるだけよいようにとみちびきなされるものなのです。

                 das Märchen meines Lebens 1846年より

 

 父のハンス・アンデルセンは、なんでもわたしの思いどおりにしてくれました。わたしは、父の愛をひとりじめしていました。父はわたしのために生きていたようなものです!父は日曜日など、ひまさえあれば、わたしに玩具を作ってくれたり、絵を描いてくれました。夜には、ときどきわたしたちのために、大きな声でラ・フォンテーヌの『寓話』やホルペーアの『千一夜物語』を読んでくれましたるそういうふうに、本を読んでいるときだけは、笑っていたのを覚えています。父は職人としての人生を、少しも幸福に感じたことがなかったからです。・・・・わたしがまだ幼かった頃、ある日、ラテン語学校の生徒が家に靴の注文にやってきて、そのついでに、教科書をみせながら、学校でならったことをあれこれ話していったことがありました。そのときです。わたしは、父の眼に涙が浮かんでいるのを見ました。「おれだって、ああした道をいけたんだがなあ!」そういって、父はわたしを抱きしめ、強くキスをしました。そして、その晩はひどく沈みこんでいたものです。

 

わたしは、風変わりな空想的な子どもでした。歩くときなど、いつも眼をつぶってあるくクセがあったので、とうとう、わたしの視力が弱いのではないかと思われてしまったほどです。わたしは視力にかぎっては、その頃もいまも、すこぶる良いのですが。

 

 以下、詳細は12.15講演にて............