アールグレイ日和

春畑 茜(短歌人+里俳句会)のつれづれ。
降っても晴れても、そこにサッカーはある。

『家族の構図』(武田ますみ歌集)を読む。

2005年06月14日 14時49分38秒 | 歌集・句集を読む
 『家族の構図』(ながらみ書房・2002年8月)は、武田ますみさんの第2歌集。武田さんは「心の花」所属。すでに歌歴20年ほどと伺ったように思う。長い間、「口語と新かな」のスタイルをまもって来られたそうだ。


・待つという動詞ふっくらふくらんで産み月を待つ母親となる

・胎内でごそりと動く子を連れてグレープフルーツ買いに出かける


 1首目、口語文体のかろやかさが、生き生きと弾むような歌。こんな歌が母子手帳やマタニティ雑誌に載っていたら素敵だろうなと思う。2首目、まだ胎内にいる子供を買い物に連れていくという表現がおもしろい。グレープフルーツの色彩的な明るさも効果的。


・人あふれ情報あふれ毒あふれ無秩序無党派桜散る街

・新しいニュースが消してしまうものたとえば地震、戦争、エイズ


 歌集の中には、母・妻・女である自分を見つめて紡ぎ出された歌がわりと多かったが、この2首のような、いまどきの社会や時代に対する違和感を歌ったものも多い。どちらも武田さんらしい題材といえるだろうか。特に2首目は日常の暮らしの中から、自分の目(感覚)で発見したことをさりげなく歌っているために、かえって説得力があると思う。


・とりあえずこの子のために生きている牛乳パックがうまく開かなくて


 このような歌に出会うと、『家族の構図』というタイトルの「家族」を武田さんが大事に思っておられることが伝わってくる。牛乳パックがうまく開かなくたってさほど日常に支障をきたすわけでもないだろうけれど、子供にせがまれたのだろうか、そういう些末なことに一生懸命になることで「母親」になろうとしているひとりの女性の姿が浮かび上がってくる。女性は子供を生んだらすぐに母親らしくなれるわけでもなく、実際に子供と暮らす中で小さなことを繰り返しながら、日々子供にとっての「母」となってゆくのだろう。


・遠くまで行きたいと思うこの家も家族も捨てて 一日でいい


 しかしまた、その「家族」の中におさまっている自分に息苦しくなる日も。「一日でいい」が切実であり、そこにリアリティを感じる。


・試されているかと思う泣きやまぬ子を抱き上げてあやしながらも


 この歌集中、恋の歌もたくさんあったのだが、やはり母としての日常を歌った作品のほうがいい歌が多かったように思った。この一首も子育てのとまどいや疲れを口語文体でさらりと歌っている。文語+旧かなであれば、この内容はもっと重たく感じられてしまうことだろう。


 武田さんの次の歌集にはどのような世界や日常が歌われることになるのだろうか。夥しいほどの「口語と新かな」の歌が増え続けている現在、どのような題材をどのような形で歌にするか、歌人ひとりひとりが「歌」をどのように考えるか、問われているとも思う。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ありがとうございます! (ますみ)
2005-06-15 16:37:00
すてきな感想、ありがとうございます。

感激です。

そうなんですよね・・・「あなたは相聞の人じゃないわよ。」と石川不二子さんに言われつつ、

相聞を捨てられないのですが、

これといった歌が詠めない私。



そうそう、やそおとめさんの紹介で、ミクシィ、登録しました。

よろしくお願いします。
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こちらこそ (はるはたあかね)
2005-06-15 16:57:43
ますみさん、こちらこそ歌集をいただいてから

感想を書くまでに時間がかかってしまってごめんなさい!

相聞、むずかしいですね。

でも捨てなくてもいいと思いますよ。

これからもいろいろな素材で歌ってください♪



ミクシィでもよろしく(^^)
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