ファンは自認してるけど、これはいかがなものか。
ネットニュースをそのまま載せました。
松任谷由実の“特別出場”に、反応はイマイチ?
ところが、ネット上の反応はいまいち芳(かんば)しくない雰囲気なのです。“満を持して後出し発表した割には話題になってない”といった声の他、多くを占めたのが“あの声でちゃんと歌い通せるのか?”という不安でした。 思い返すと、おととしの紅白で歌った「ひこうき雲」と「やさしさに包まれたなら」は、厳しかった。単に高い音が出ないといったパワー不足の問題ではなく、楽曲のイメージを把握するのが困難なほどに不安定だったからです。今年に入って音楽番組に出演した際のパフォーマンスを見ても、残念ながら状況は改善されていませんでした。 熱心なファンからしたら、“あれがユーミンの味”なのかもしれませんが、それ以外の大多数の人は、現状のユーミンでは、音楽を楽しむといった気分になりにくいのではないでしょうか?
<松任谷由実の紅白出場年と曲名>
①2005年 紅組「Smile again」松任谷由実 with Friends Of Love The Earthとして
②2011年 紅組「春よ、来い」
③2018年 紅組「私が好きなユーミンのうた~紅白スペシャル~」
④2019年 特別企画「ノーサイド」
⑤2020年 特別企画「守ってあげたい」
「私のことだから」…大物らしからぬギラつき感
もちろん、そうした音楽的、身体的な“キツさ”は、ある面では仕方ありません。それよりも、気になったのは超大物のユーミンらしからぬ前ノリなやる気です。全盛期には、「おせちを作らないといけないから」と出演を拒み続けた紅白に、ここへきて積極的な関わろうとする姿勢。ここに、ちょっとした違和感を覚えるのですね。 人は変わるものとはいえ、その変わり方に、よからぬ切迫感が漂っている。 たとえば、コメントの「私のことだから」というフレーズからは、いまだに自身が第一線で世間の耳目を集める存在であるとのプライドが感じられます。確かに、出場歌手の中でも抜群の知名度を誇り、ひとつの時代を象徴してきた輝きは記録にも記憶にも残るものです。 けれども、そうした時代を過ぎて、なお“特別枠の私”を強調する言い方をしてしまうのは、大きなブランドが本来かもし出す余裕とは相反するものなのではないでしょうか? キャリア晩年を迎える大御所にしては、ちょっとギラつきすぎのような気が…。視聴者から“歌えるのか?”と心配されている割には、強気で頼もしいと言えばいいのか。
一歩引いて、若手をサポートする大御所も
そこで、ピークを過ぎたアーティストにとって、どのように立ち位置を変えていくべきかという問題が浮上します。 ボブ・ディラン(79)やレナード・コーエン(1934-2016 カナダのシンガーソングライター。代表曲に「Hallelujah」や「Bird on the Wire」など)のように、死ぬまで曲を書き続け、それが社会的にインパクトを残せる例は、極めてレアケースです。大体は、ある程度のところまで来たら、あとは一歩引いて後進のサポートをするとか、作詞や作曲のノウハウをシェアするとか、自らの力を業界に還元するミュージシャンがほとんどでしょう。 たとえば、エルトン・ジョン(73)は早くから若手ミュージシャンのサポートに尽力し(ツバを付ける目的もあったでしょうが)、近年ではエド・シーラン(29)という大スターの発掘にも成功しました。さらに、自身の出身校である英国王立音楽院に奨学金も寄付しています。
紅白というちっぽけな舞台で…
アメリカのソングライター、ジミー・ウェッブ(74 代表曲に「MacArthur Park」や「By The Time I Get To Phoenix」など)は、『Tunesmith: Inside the Art of Songwriting』という書籍を残しました。この本自体が、長い曲作りの行程になっているという驚きの一冊。歌詞の語句のチョイスから、韻の踏み方、メロディの起伏や和音、ハーモニーの構成など、盛りだくさん。さらには、作曲家として生計を立てるための心得も説くなど、まさに決定版といったところ。 いずれも、あとに続く人たちのための公共財を残すことを考えているのですね。 「私のことだから」と張り切るユーミン。これが残念なのは、紅白というちっぽけなステージにおいて、さらに自身の価値を小さくしてしまいかねない発言だからなのだと思います。 往時の光が強烈だった分、なおさらさびしさが募るのです。
<文/音楽批評・石黒隆之>
はいはい、わかりました。
ハル★
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます