駅前不動産屋今日も回りは敵だらけ

株式会社 ハウスショップ 東京都町田市

サトウキビ畑の大谷翔平

2022年01月03日 | 社内事情

沖縄のサトウキビ農家と

東京の不動産屋

共通点があります。

それは繁忙期です。

サトウキビは毎年1月から3月までが

製糖工場の操業期間なので

その3か月の間に

全て出荷しないと

1年の苦労が水の泡になります。

実家は

代々村一番のサトウキビ農家でしたから

私たちは子供の頃から学校から帰った後や

休みの日は

その3か月は畑の手伝いをしなければなりませんでした。

家族総出で作るサトウキビ

これが大体200トン前後でした。

このサトウキビの収入だけで

私の両親は子供5人を育てて

家を建てたのですが

それは本当に過酷でした

それを見て育ちましたから

私は将来絶対に農業だけはしたくない

そう思っていました。

サトウキビ農家の兄は

私がそんな話をするといつも言います

お前は農業の喜びを知らずにかわいそうだと・・

兄が言ってるのは

昔と違い

機械化された今は

農業は過酷では無く

むしろ作物が育つ喜びを味わい

会社勤めと違い

誰からも支配されずに

自由が満喫できる

それを体験すると

もう他の仕事なんかとてもしたくない

って話です。

まぁそれはその通りなんでしょう。

ただ

では誰でも農業を楽しめるかと言うと

大きな条件があります。

それは

自分で自分をコントロールしなければならない

って事です。

つまり

誰からも支配されないと言う事は

気持ちが弱いと

毎日遊んでしまって

結局生活が成り立たない

そんな事になってしまいます。

実際に私の村では

そんな人たちが一定割合でいます。

畑仕事に身が入らず

結婚もできずに親元で一生を終える訳です。

ですから

兄の言ってる言葉は間違いではありませんが

自分の心が弱いと

農業は大変危険

そうも言えるのです

その意味では

私の両親も兄も

本当に気持ちは強い人たちだった

って訳です。

そしてそれを見て

私は思う訳です

元々気持ちが弱いですからね

もしかしたら私は農業をやっていたら

破綻してたのかもしれない

今になって人生を振り返ると

私は

弱い自分を奮い立たせる

そんな環境に恵まれてたから今がある

そんな気がしてなりません。

14歳で沖縄を離れた後は

もう頼る親はいませんから

自分で生活費も稼ぐしか無かったのです。

そして結婚して子供が生まれてからは

その子供たちが

自分にムチを打ち続けました

おかげで

ここまで挫折する事無く生きてきましたが

しかし

友人たちを見ると

もうリタイヤして自由を満喫してる人達がいる訳で

羨ましいと言う気持ちも湧いてきます

私は間違いなく

これからも

ムチを打たれ

走らされ続けます

小さな子供を抱えた社員もいますし

私自身孫が3人います。

私は子供好きですが

しかし

この可愛い子供たちは

私にいつもムチを打つのです。

このムチに打たれて

死ぬまで走らされる

どうやらこれが私の人生です。

もう諦めました

今年も

精一杯走って行きたいと思います。

弱い私にムチが必要だった訳で

有難い

無理やりそう思うようにしています。

 

それにしても私の兄は凄いですよ

いくら機械の力を借りてると言っても

一人で1400トンも出荷します。

昔は家族総出で200トンですからね

私の中では

大谷選手より偉大です。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする