(5月のお話(^^ゞ)
大阪あそ歩 128
大正区 鶴町・船町
これぞ大正ロマン!渡し船に乗って巨大工場見学
~木津川飛行場跡と船町工場群と~
「明治16年、三軒家に大阪紡績会社(現・東洋紡績)が設立されると、大正区は日本一の紡績工業都市となり、
大阪は「東洋のマンチェスター」とも呼ばれました。近代化の波は船町・鶴町にも押し寄せ、
日本初の公共飛行場や造船所、自動車工場などが設立。いまもその痕跡をとどめる船町工場群は必見です!」
スタートは東船町バス停
いきなり大きな工場の姿が!!わ~工場大好き テンション
この殺風景なゴツゴツとした鉄の感じがいい。
千本松大橋のループ
その下にある船町緑地
1 木津川飛行場跡の碑
「大正12年淀川末流の木津川尻埋立地に、我が国最初の本格的な民間飛行場「大阪木津川尻飛行場」が開設。
・・・・「エアガール」(スチュワーデス・客室乗務員)第1号も、木津川飛行場から誕生しました。
・・・・発着数がキャパシティを越えたため、昭和14年、大阪第二飛行場(伊丹飛行場)に移転。あえなく閉鎖されました。」
「開設当初飛行場には、滑走路がなく、木津川に着水した飛行艇はクレーンで陸につり上げてもらっていました。」
2 木津川
「慶長15年に中村勘助が木津川に豊臣家の軍船係船所を建設。同時に堤防を築いて新田開発を行い、
豊臣家より勘助島(現・大正三軒家)の名が与えられました。・・・・」
木津川の渡し
この渡船に乗り木津川を渡って住之江方面?に行ける。
3 木津川の戦い
「元亀元年、石山本願寺と織田信長が石山合戦を開始。天正4年には石山本願寺側についた毛利水軍600隻と、
信長方の九鬼嘉隆水軍300隻が木津川口で戦いましたが、信長方が多くの船を焼かれて大敗。
毛利水軍は石山本願寺内に兵糧・援兵を運びましたが(第1次木津川口の戦い)。この敗戦に激怒した信長は、
嘉隆に対して燃えない船を造るように命じ、嘉隆は船に鉄を貼った鉄甲船を建造。
天正6年に嘉隆率いる6隻の鉄甲船と毛利水軍が再び木津川口で戦い、見事に毛利水軍を撃破しました。」
「小田水軍の安宅船は、全長約40Mといわれ、その空前の巨大さで毛利水軍を圧倒、
火の矢も乗り移りも通じず、毛利水軍は敗北しました。」
新木津川大橋
なんか可愛い工場の屋根。
殺風景な工場風景に美しいバラが映えて美しい。清涼剤のよう
東船町停留所から工場群を歩くとき、トラックに気をつけ
(バス内のアナウンスでも注意をしていた。)
人通りがまったくなく、たま~に工場で働いている人が自転車で通り過ぎるくらいだ。
女性一人で歩くにはちょっと不安になる感じのまち歩きですよ。
紺色の文字で書かれた「」内の文章は、「大阪あそ歩」からの抜粋です。
Mameshiba
>128は何だろうと思ってましたが、
大阪あそ歩の登録NOみたいですね。
そうなんです~。たくさんコースがあるんですよ。
どこを歩こうかと、マップを見ながらあれこれ考えるのは楽しいです。
>見に行ったら、千林もありましたよ。
はい~先日記事にしました
http://blog.goo.ne.jp/haru_hinata/e/f892893d5915f3b10da30b1bdba1a738
近場なので安心でしたが、やっぱり迷いました(^^ゞ
しょっちゅう歩いてるところでも、路地に入ると初めて見る景色ばかりで楽しかったです。
>豆柴さん似の人がガイドしてました。
えーっ どれどれ・・・
う~ん、似てないよ~ん。ガイドさんのほうがお若い?
大阪あそ歩の登録NOみたいですね。
見に行ったら、千林もありましたよ。
豆柴さん似の人がガイドしてました。(_ _*)☆\(`_´")バシッ