スピッツのつぐみ、むっちゃえぇ曲(T△T)
でもすごく美しいことのようですごくこわいね、この歌詞。
雨の昼下がりに、遅い昼食をとった。
コトリンゴを聴きながら、金魚をゆらゆら眺めてると、なんともいえないきぶんに、なった
心と体は別々やというけれど、心と体と、それに頭もべつべつばらばらな、この状態。
ゆってることとやってることと、感じてることと、考えてること、てんでばらばら。
自分で自分に疲れるーーーーー
少し前、ぽちに「結構日記に内側の部分出すよね」ってゆわれて、でも結構抑えてるし、やっぱりよそゆき(これでも)やでっていう話をした。
多分感じるままに書いてたらとんでもなく暗かったり、重かったり、深く潜ったり、堂々巡りやったり、してしまうやろなー、と思う。
自分だけの日記をつけるほどマメちゃうし。
でも、そのときそのときの状態や感情を残すことって大切やなー、と最近感じてから、なんだか色々アウトプットしたいモードではある。
…んやけど、やはりよそゆきになるのか、筆(キーボード?)が進まなくて、眠くなって、やめちゃう(ねむいだけか)。
そういえば昔読んだ漫画で、敵キャラの男の子がどんなに攻撃してもへっちゃらで向かってくるシーンがあってん
でもそれは何故かというと、彼はボスに「痛み」を感じない体に改造されたからやったん。
やから、怪我することや痛い思いをすることを恐れずに彼はドンドン向かってくる。
痛くないから。
彼はむしろその状態を喜んでいる。自分は最高に強くなった、と。
でも、気付かないうちにダメージを受けた体は確実に壊れていく。
結局は、事が大きくなってから…=取り返しのつかない状態にまでボロボロになってから、体が動かなくなって気付く。
…っていう話を、何気ないやり取りの中でふと思い出した。
それ読んだとき、たしか小学生ながらにすごく怖くなったのを覚えてる。
痛みを感じること、って嫌なことやけど大切なことなんやぁ、って。
さて、11月からは保育士資格の勉強しに専門いきます
つかの間のエセ学生生活、満喫してやるー(・ω・)ノミ
…しかし、卒業したら資格もらえるんじゃなくてあくまで「試験のための勉強ができる」だけ。
資格取るには国家試験受からないとなのよね。
受験資格だけあるくせに勉強不足で落っこちた、社○福祉士の二の舞には決してなるまい・・・・・
色々うつうつとしていた時期も少しやわらいできて、
過去への嫌悪のような、しかし執着のような、
薄くべっとりと貼り付いていた感情も落ち着きつつあります。
波はあれど。
でも、今のほうが良いとも思わない。
やっぱり、今は頭で全部考えちゃうから。
何事も、始める前に構えちゃって、損得勘定?みたいなことをしてしまう自分が確実にいる。
やから、「目的」ありきで、そこに向かうために出現したり与えられたりする「過程」を無条件に乗り越えていく…
っていう、「あの頃」のパターンというか状態って、どうしたら発動するんやろ、とか、今との違いって何なんやろ、とか考える。
「あの頃が良かった」というよりは、「あの頃みたいに自分のプラスパワーを出せている実感」を感じることができるものを、探してるっていう感じかなぁー
…あ、あの漫画、「ナースエンジェルりりかSOS」や!!思い出した
なつかしーーー(´▽`)。。。!!!
チューブトップは、油断してたら腹巻になってたりするので、要注意です。
つぐみ / スピッツ
「愛してる」 それだけじゃ 足りないけど 言わなくちゃ
嬉しいとか 寂しいとか 君に生かされてる
だから 思い切り 手をのばす 手がふれる
海原を渡っていく 鳥のような心がここに在る
歩き出せない暗い夜に 前触れなくぶつかった
きっと運命とか 越えるほど ありえない 確率で
見つけ合えたよ
「愛してる」 それだけじゃ 足りないけど 言わなくちゃ
優しくて 憎らしくて それのために僕はここに在る
隠しきれない トゲトゲで お互いに傷つけて
そんな毎日も なぜだろう ふり返れば いとおしくて
ここにいたいよ
違う色重なって新しい光が
寒い星を照らしている
「愛してる」 この命 明日には 尽きるかも
言わなくちゃ 言わなくちゃ できるだけまじめに
さらに 思い切り 手をのばす 手がふれる
海原を渡っていく 鳥のような心がここに在る
でもすごく美しいことのようですごくこわいね、この歌詞。
雨の昼下がりに、遅い昼食をとった。
コトリンゴを聴きながら、金魚をゆらゆら眺めてると、なんともいえないきぶんに、なった
心と体は別々やというけれど、心と体と、それに頭もべつべつばらばらな、この状態。
ゆってることとやってることと、感じてることと、考えてること、てんでばらばら。
自分で自分に疲れるーーーーー
少し前、ぽちに「結構日記に内側の部分出すよね」ってゆわれて、でも結構抑えてるし、やっぱりよそゆき(これでも)やでっていう話をした。
多分感じるままに書いてたらとんでもなく暗かったり、重かったり、深く潜ったり、堂々巡りやったり、してしまうやろなー、と思う。
自分だけの日記をつけるほどマメちゃうし。
でも、そのときそのときの状態や感情を残すことって大切やなー、と最近感じてから、なんだか色々アウトプットしたいモードではある。
…んやけど、やはりよそゆきになるのか、筆(キーボード?)が進まなくて、眠くなって、やめちゃう(ねむいだけか)。
そういえば昔読んだ漫画で、敵キャラの男の子がどんなに攻撃してもへっちゃらで向かってくるシーンがあってん
でもそれは何故かというと、彼はボスに「痛み」を感じない体に改造されたからやったん。
やから、怪我することや痛い思いをすることを恐れずに彼はドンドン向かってくる。
痛くないから。
彼はむしろその状態を喜んでいる。自分は最高に強くなった、と。
でも、気付かないうちにダメージを受けた体は確実に壊れていく。
結局は、事が大きくなってから…=取り返しのつかない状態にまでボロボロになってから、体が動かなくなって気付く。
…っていう話を、何気ないやり取りの中でふと思い出した。
それ読んだとき、たしか小学生ながらにすごく怖くなったのを覚えてる。
痛みを感じること、って嫌なことやけど大切なことなんやぁ、って。
さて、11月からは保育士資格の勉強しに専門いきます
つかの間のエセ学生生活、満喫してやるー(・ω・)ノミ
…しかし、卒業したら資格もらえるんじゃなくてあくまで「試験のための勉強ができる」だけ。
資格取るには国家試験受からないとなのよね。
受験資格だけあるくせに勉強不足で落っこちた、社○福祉士の二の舞には決してなるまい・・・・・
色々うつうつとしていた時期も少しやわらいできて、
過去への嫌悪のような、しかし執着のような、
薄くべっとりと貼り付いていた感情も落ち着きつつあります。
波はあれど。
でも、今のほうが良いとも思わない。
やっぱり、今は頭で全部考えちゃうから。
何事も、始める前に構えちゃって、損得勘定?みたいなことをしてしまう自分が確実にいる。
やから、「目的」ありきで、そこに向かうために出現したり与えられたりする「過程」を無条件に乗り越えていく…
っていう、「あの頃」のパターンというか状態って、どうしたら発動するんやろ、とか、今との違いって何なんやろ、とか考える。
「あの頃が良かった」というよりは、「あの頃みたいに自分のプラスパワーを出せている実感」を感じることができるものを、探してるっていう感じかなぁー
…あ、あの漫画、「ナースエンジェルりりかSOS」や!!思い出した
なつかしーーー(´▽`)。。。!!!
チューブトップは、油断してたら腹巻になってたりするので、要注意です。
つぐみ / スピッツ
「愛してる」 それだけじゃ 足りないけど 言わなくちゃ
嬉しいとか 寂しいとか 君に生かされてる
だから 思い切り 手をのばす 手がふれる
海原を渡っていく 鳥のような心がここに在る
歩き出せない暗い夜に 前触れなくぶつかった
きっと運命とか 越えるほど ありえない 確率で
見つけ合えたよ
「愛してる」 それだけじゃ 足りないけど 言わなくちゃ
優しくて 憎らしくて それのために僕はここに在る
隠しきれない トゲトゲで お互いに傷つけて
そんな毎日も なぜだろう ふり返れば いとおしくて
ここにいたいよ
違う色重なって新しい光が
寒い星を照らしている
「愛してる」 この命 明日には 尽きるかも
言わなくちゃ 言わなくちゃ できるだけまじめに
さらに 思い切り 手をのばす 手がふれる
海原を渡っていく 鳥のような心がここに在る