【2日目】2/24(日)
宮城県
気仙沼
↓
本吉
↓
南三陸町
↓
石巻
↓
東松島
↓
仙台市
ドリカムライブ(セキスイハイムスーパーアリーナ)
↓
多賀城
2日目です。
この日はライブが3時半からと早めやったことと、途中で自分も運転したことで、写真は少なめやけど、川沿い走ってると、この川を逆流して水が来たんかって想像したりしてぞっとした。
地形的にくびれになってるようなところは、左右両方から水が来て、どこにも逃げ場なく孤立してしまったっていうところもあった。
そこから海なんか全然見えへんのに、確実に津波の爪痕が残っていて、そらここの人達はまさかあれほどの津波がここまで来るなんて思わんかったやろなぁと思った。
大きな工場とかは再建して稼動してるとこもあった。
民間企業の力って、やっぱり早いし大きい。
ちょっと高台の、ぱっと見にはあんまり被害の見えない住宅街を抜けていくと、普通に皆生活してはるし、ほんまに近所の道走ってる感覚になる。
けど、そっから少し下に向かって走っただけで、いきなりあの何もない風景がばぁっと目の前に現れたりして、余計にインパクト強かった。
震災当時、TVで何度も繰り返し中継のアナウンサーが叫んでた「壊滅」という言葉からは映画とか戦争とか、人間の世界を破壊しに来た敵に立ち向かってくような近未来アニメ?とかしか思い描かれへんかった。
そしたら目の当たりにする現実は、そのイメージ通りで、それどころか想像の域をはるかに超えてしまってた。
ホテルの窓からすぐ下に見えた気仙沼駅。屋根に絵が描いてある~
瓦礫は、種類ごとに集められて細かくされてるようでした。
真ん中だけがなくなったり、橋桁しか残ってなかったりする高速道路。
南三陸町役場。最後まで避難を呼びかけるアナウンスをして、犠牲になってしまった職員さんがいたところ。
どんな思いで最期まで伝え続けたんやろ。
彼女も含め、17,300人の住民のうち1万人が犠牲・安否不明になった南三陸町。
ここも、いくつかの建物がぽつぽつ残ってるだけで、ずぅっと見晴らしのよい原っぱになってました。
「なつかしい未来へ」。
なつかしい景色が見られる未来がほんまに訪れますように、と思った。
瓦礫の山。ほんまにおっきい。
全児童の7割が犠牲になった、石巻市の大川小学校。
小学校の周りはほんとに何もなかった。だだっ広い工事現場のような場所の中に、小学校だけがそのままあるってゆう感じやった。
すぐそこの北上川を津波が昇ってきたとのこと。
学校のほんとすぐ後ろに裏山があった。すぐに山へ避難していれば、って後から散々議論されてたけど、後から何を言っても結果論でしかない。
先に全員点呼を、という判断をした教員の方々を誰が責められるやろう。
子ども達を犠牲にしようと思ってた先生なんているわけない。絶対全員守らなあかんっていう思いだけやったやろうに。
地形やこれまでの経験からくる危機感の薄さ、その他あらゆる条件が全て悪いほうに向いてしまって、結果、最悪の結果になってしまったんやろうと思う。
今もまだ見つからないままの子も何人かいて、そのお母さんの中には、震災後に重機の免許を取って、捜索を続けている方もいると聞いた。
大川小学校の慰霊碑。
東松島市の航空自衛隊基地近く。ここも見渡す限り原っぱの中、何軒かぽつぽつ残ってた。
玄関側の壁全体に、花のペイントがされた家。
おそらくもう住めないであろうこの家に、どんな気持ちで描いたんやろ。
この日の昼食!イカやら貝、牡蠣の網焼きをタレで。ワカメ汁は御自由にどうぞやった。めっちゃ美味しかった
夕方はセキスイハイムスーパーアリーナってとこでドリカムのライブに行ってきました。
ここは震災直後は遺体安置所になってたところとのこと。
360度のステージやったから自分でもお客さんを見渡せた。
ここにいてるお客さんのほとんどが、きっとそれぞれの被災体験を持ってる人達なんやろうけど、ライブ中はほんとに皆楽しそうで嬉しそうで、泣いてる人もいっぱいいてて、美和ちゃんも泣いてた。
演奏や歌が圧巻なのは当然ながら、美和ちゃんはとにかく愛が溢れすぎてて、それをどう放出したらいいのかも分からんくらい愛が溢れてた。
雪降りまくりで、ライブ終わったら駐車場の車は雪だるまになって、フロントガラス凍って視界ゼロやった
駐車場から出るのも1時間くらいかかったけど、あらためて音楽ってすごいなって思った。
この日は雪道を走って多賀城市のホテルへ
夜ごはんは利久って牛タンやさんに行きました。
ちっこいTVでお店のひともWBCの壮行試合のTV中継見つつ、お酒?飲みつつ(笑)
気さくで人懐こい感じのおっちゃんとお兄ちゃん達でした。
宮城県
気仙沼
↓
本吉
↓
南三陸町
↓
石巻
↓
東松島
↓
仙台市
ドリカムライブ(セキスイハイムスーパーアリーナ)
↓
多賀城
2日目です。
この日はライブが3時半からと早めやったことと、途中で自分も運転したことで、写真は少なめやけど、川沿い走ってると、この川を逆流して水が来たんかって想像したりしてぞっとした。
地形的にくびれになってるようなところは、左右両方から水が来て、どこにも逃げ場なく孤立してしまったっていうところもあった。
そこから海なんか全然見えへんのに、確実に津波の爪痕が残っていて、そらここの人達はまさかあれほどの津波がここまで来るなんて思わんかったやろなぁと思った。
大きな工場とかは再建して稼動してるとこもあった。
民間企業の力って、やっぱり早いし大きい。
ちょっと高台の、ぱっと見にはあんまり被害の見えない住宅街を抜けていくと、普通に皆生活してはるし、ほんまに近所の道走ってる感覚になる。
けど、そっから少し下に向かって走っただけで、いきなりあの何もない風景がばぁっと目の前に現れたりして、余計にインパクト強かった。
震災当時、TVで何度も繰り返し中継のアナウンサーが叫んでた「壊滅」という言葉からは映画とか戦争とか、人間の世界を破壊しに来た敵に立ち向かってくような近未来アニメ?とかしか思い描かれへんかった。
そしたら目の当たりにする現実は、そのイメージ通りで、それどころか想像の域をはるかに超えてしまってた。
ホテルの窓からすぐ下に見えた気仙沼駅。屋根に絵が描いてある~
瓦礫は、種類ごとに集められて細かくされてるようでした。
真ん中だけがなくなったり、橋桁しか残ってなかったりする高速道路。
南三陸町役場。最後まで避難を呼びかけるアナウンスをして、犠牲になってしまった職員さんがいたところ。
どんな思いで最期まで伝え続けたんやろ。
彼女も含め、17,300人の住民のうち1万人が犠牲・安否不明になった南三陸町。
ここも、いくつかの建物がぽつぽつ残ってるだけで、ずぅっと見晴らしのよい原っぱになってました。
「なつかしい未来へ」。
なつかしい景色が見られる未来がほんまに訪れますように、と思った。
瓦礫の山。ほんまにおっきい。
全児童の7割が犠牲になった、石巻市の大川小学校。
小学校の周りはほんとに何もなかった。だだっ広い工事現場のような場所の中に、小学校だけがそのままあるってゆう感じやった。
すぐそこの北上川を津波が昇ってきたとのこと。
学校のほんとすぐ後ろに裏山があった。すぐに山へ避難していれば、って後から散々議論されてたけど、後から何を言っても結果論でしかない。
先に全員点呼を、という判断をした教員の方々を誰が責められるやろう。
子ども達を犠牲にしようと思ってた先生なんているわけない。絶対全員守らなあかんっていう思いだけやったやろうに。
地形やこれまでの経験からくる危機感の薄さ、その他あらゆる条件が全て悪いほうに向いてしまって、結果、最悪の結果になってしまったんやろうと思う。
今もまだ見つからないままの子も何人かいて、そのお母さんの中には、震災後に重機の免許を取って、捜索を続けている方もいると聞いた。
大川小学校の慰霊碑。
東松島市の航空自衛隊基地近く。ここも見渡す限り原っぱの中、何軒かぽつぽつ残ってた。
玄関側の壁全体に、花のペイントがされた家。
おそらくもう住めないであろうこの家に、どんな気持ちで描いたんやろ。
この日の昼食!イカやら貝、牡蠣の網焼きをタレで。ワカメ汁は御自由にどうぞやった。めっちゃ美味しかった
夕方はセキスイハイムスーパーアリーナってとこでドリカムのライブに行ってきました。
ここは震災直後は遺体安置所になってたところとのこと。
360度のステージやったから自分でもお客さんを見渡せた。
ここにいてるお客さんのほとんどが、きっとそれぞれの被災体験を持ってる人達なんやろうけど、ライブ中はほんとに皆楽しそうで嬉しそうで、泣いてる人もいっぱいいてて、美和ちゃんも泣いてた。
演奏や歌が圧巻なのは当然ながら、美和ちゃんはとにかく愛が溢れすぎてて、それをどう放出したらいいのかも分からんくらい愛が溢れてた。
雪降りまくりで、ライブ終わったら駐車場の車は雪だるまになって、フロントガラス凍って視界ゼロやった
駐車場から出るのも1時間くらいかかったけど、あらためて音楽ってすごいなって思った。
この日は雪道を走って多賀城市のホテルへ
夜ごはんは利久って牛タンやさんに行きました。
ちっこいTVでお店のひともWBCの壮行試合のTV中継見つつ、お酒?飲みつつ(笑)
気さくで人懐こい感じのおっちゃんとお兄ちゃん達でした。