うちとうちのまわりとうちのなかのことたち。

まぁ気がむいたときにのんびりかきますー。

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自己肯定感と他者肯定感

2014-08-09 20:34:41 | Weblog
昨日NHKでやってた、色んな障害のある子ども達が学校でぶつかる様々な 困った!(SOS) を挙げていきながら学校をデザインしようってゆう番組、バリバラ。

発達障害の子が友達が欲しいのに自分から話しかけられない理由は「相手が自分以外の友達と話したいかもしれないから」感情をアウトプット・コントロールできない。

性同一性障害なのかな?の子が、毎日「すっ…ごく嫌」な思いを我慢しながら男の子らしい服とランドセルで通ってる理由は、「自分の好きな服を来ていくと周りにキモいとか言われるかもしれないから」。
その子は「男なん?女なん?て言われるのが一番嫌。みんな同じ人間やんか!」って言ってて、みんなちっさい体と心でほんまに一生懸命感じて、考えて、頑張ってるんやなと思った。

ハードのSOSは勿論、一番のSOSを生み出すのは、環境と「その世界での普通」を作り出す周りとの人間関係。
子ども時代に育つ"自己肯定感"は、「健常者」かどうかに関わらずその子の人生においてほんまに重要で重大なものやと思う。
大人になってから自己肯定感を確立するのは至難の技やから。

子ども同志やからこそ相手を受け入れ合うのは難しい時もあるし、子ども同志やからこそいとも簡単な事でもある。

簡単に無神経な否定や排除をする大人が作られない世界になればいいのに。。。
とかが、その番組に加えて近頃やまない原発やら事件やら原爆やら戦争のニュースもあいまって昨日から夢から更に暇になってしまった今日一日ずっとなんか離れんかった^_^;

好きな可愛い格好をしてる時のその子はほんまに楽そうで可愛かった!
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2014/1/20 プロフェッショナル

2014-01-21 01:52:45 | Weblog
TVほんま見ーひんけど、プロフェッショナルみて久々にあまりに感動して泣いた。

ロボット研究者・山海嘉之先生

http://www.nhk.or.jp/professional/2014/0120/


脳の「動け」という指令でサイボーグが動き、サイボーグから「動いた」という指令が返ることを繰り返すことで、麻痺した身体がだんだん動くようになる。。。

という、常識を超えたものすごい画期的なロボットの発明者。

何よりも、ずっと研究の道を突き詰めてはる中で、脳の電気信号から、その向こうの当事者の心の動きに寄り添い続けてることがほんまにすごいと思った。

脳卒中で麻痺になったお母さんが、必死で踏ん張れた後に一言「立てた」って言ったときの嬉しそうな表情。

膝を「曲げたい」のに、脳が同時に「伸ばす」信号を出してしまって思うようにいかないお父さんの、なにくそ、っていう悔しそうな姿。

電気信号で思いを文章にできたALS(筋萎縮性側索硬化症)の男性が、一文書いたあとに一粒浮かべた涙。

意思疎通出来てるかどうかも分からん脳障害の青年に、五感全てを刺激して彼が必死で伝えようとしてる(かもしれない)微弱な信号を必死で受け止めようとしてる周りの姿。

そんな彼らにかける眼差しや一言一言が、すごく優しくて素直なひとやとおもった。

ロボットとかサイボーグとかってゆわれると最強に興味ない分野やったけど、想いを現実するのはやっぱ理系なんやな。

その日々の生き方はものすごく壮絶で、そこには一貫して貫いてる信念があって、めちゃくちゃかっこよかった。

「つらいことも後から振り返れば、人生の調味料」…つまり苦労ではあっても、苦痛ではない。
限られた人生の中で”死ぬほど頑張る”んじゃなくて、”生きる覚悟”を持って生きていく。という考え方。

番組の最後「プロフェッショナルとは」って先生なりの定義について、
『自分の限界に向き合ってやり抜いた事に対して、強い想いをを持ちながらさらにそれを超えていこうと努力するもの』
みたいな事を言っていた。

その時は自分の頭の中で色んなことが巡ってて、肝心なとこ具体的に何ゆってたかあんまよく覚えてないねんけど(笑)、多分そんなこと。

先生自身にも言えるけど、それって、必死で自分や家族と向き合って生きてる当事者にも言えることやん、と思った。

やから先生は、そんな彼らに対して同じように想いを持って全力投球してるんやろな。

うちも、カケラでもいいからそんな想いをちゃんと持ち続けながら周りのひとや自分を大事にしていける人間になりたい。

あかん、自分の文章じゃ何がすごいんかまったく伝わらん。。。
ただすごい人がすごくて優しくて感動した、ってだけな感じや
ちがうねん、そんな陳腐な美談的な感じじゃなくて、もっと実感もって伝えたいのに。。。
とにかく自分が忘れんためにも書いとくおやすみなさい
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さよならストレンジャー

2013-12-28 22:26:23 | Weblog
クリスマスあたりからずるずるいうてた風邪のやつが仕事納めとともに一気に攻撃力上がってダウン↓↓
久々に喘息まで出た。。。

しかし明日は絶対RADIO CRAZYにいかなあかんねん!!
今夜中に治す(/ _ ; )


年末年始は振り返りと抱負の時期ですね
2010…「動」 (転機の年)、2011…「進」 と、内面の変化を。
2012はそれを受けて、環境とか外面の変化 をテーマにあげてました。

2013は覚えてないや。特に掲げたもんなかったなー。ただ必死にそのときそのときのベストを尽くすって状態やった。


2014は、ちゃんと地に足ついて自分を見つめる年にしたいと思っています。

そんで、焦らず・飾らず・考えすぎず、自然に自然体でいられる方法をみつけたいな。


この2年間はあまりに怒涛すぎて、長かったとか早かったとかでは言い表されへん。

なんか、別世界で自分の器以上のものすごく濃い経験だけを必死で積んだよな、ドラゴンボールの精神と時の部屋みたいなかんじ。笑

でも結局は結果みたいなものを出すこともなく、次のステップに進んだわけでもなく、そのまま元の世界にまたほりだされた~、みたいな感じやから、2年分の成長とか実績ってゆう実感がまったくなくて。

やから、自分の中では27歳のときと変わってない気がして仕方ない。

でも年齢とか周りの環境だけは着実に2年分進んでいて、それを日常の中でふと思い知らされるときがたびたびあって、なんか今の自分の存在とか立ち位置が、自分の中でよくわからんくなることがある。

自然にしてたつもりが全然自然じゃなかったり、いろんな場面でどう振る舞えばいいのかまったくわからなくなったり。


わかってほしい、受け入れてほしい、認めてほしい、愛してほしい、だいじにされたい。。。

いろんな面で求めてしまってるばっかりな今の状態じゃ、結局魅力的な人間にはまだまだ程遠いんやろな。


彼についてですが、たくさんたくさん考えて、色んなこともあって、お別れすることとなりました。
今の自分の力で出来ることは全てやりきったと思っています。
そして彼もまた、彼の出来ることをこれからも前向きに積み重ねていくのだと思います。
本当に抱えきれないほどの心配と応援で支えてくれて、皆ありがとうございました。


来年は30歳になります。


なんやかんやゆって、新しい出会いや経験や成長がしたくって、期待感のおおきい幕開けです(・ω・)g

ちょと早いですが皆さんことしもいっぱいありがとうございました(*^ ^*)
これからもよろしくお願いします(*^ ^*)
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そばにいたこと

2013-07-28 15:38:09 | Weblog

『震災で消えた小さないのち展』
http://chii-ten.blogspot.jp/

母に誘われて熊取まで行ってきた。絶対つらいし泣いてまうわ…と思いながら、案の定泣いちゃった(´・_・`。)

色んな絵本作家さんが、飼い主さんのために震災で犠牲になった動物達を描いた小さな展覧会。
ペットや福島の牛の絵の中に知ってる作家さんの絵を見つけたり、こないだ仙台行ったときに友達から19頭が流されたって聞いた、乗馬クラブの馬の絵もあった。

ただの動物画じゃなくて、全部の絵にその子だけの名前があって表情があって。
愛されてたんやなぁって思ったし、人間なら救えてたケースもいっぱいで、ほんとにつらくなった。
うちものりおおるし。

大阪は今月いっぱいで終わりだそうです。
色んなとこで開催してるみたいやけど、受付の方が「ほんとは早く飼い主さんに返してもあげたいんですけどね。」って言うてたのが印象的でした。


大切な存在を失うつらさって、身をもって体験した者以外にはわからんやろうし、
何か良い事があったからって、解決したり消えたり代わりがきいたりするもんじゃない。

どんなに前向きになったってどんなに物事が進んだって、何年経ったって、
その悲しみとかつらさとか、その存在があったこと自体は一生消えることはないから、
普段どおりの日々を過ごせるようになっても、ことあるごとに思い出してはこれからもその感情を感じて受け止めて消化していかなあかんのやろうと思う。


何ができるわけではなくても、周りがその当事者の気持ちを思って、寄り添っていくような行動は大きな拠り所になるやろなぁと、今日の小さな展覧会で思いました。
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岩手・宮城【3】

2013-03-15 04:37:36 | Weblog
【3日目】2/25(月)
宮城県
 多賀城市
 ↓
 仙台市 若林区(荒浜)
 ↓
 名取市 閖上
 ↓
 仙台市 ひさのとバイバイ、渡辺くんと再会
 ↓
 荒浜
 ↓
 仙台空港
 ↓
帰阪



最後の3日目です。

岩手県~宮城県沿岸にかけて、車で、しかもほとんど降りずに通り過ぎるだけで3日間かけてまわっても、ほんまにまわりきれん大きな範囲。
どこに行っても同じような景色・同じぐらいの大きな被害。
果てしないように感じた3日間でした。

初めて自分の目で実際に見て、空気に触れて、
あほみたいな話やけど確かに震災は現実世界であったことで、自分と何も変わらん環境で似たような日常生活を送ってた人達が経験したことなんやとじわじわ実感した。

これまでも当然頭ではそう思ってたけど、深く想像することで痛く実感してしまうのが、多分こわかったんやろうと思う。

ひとつひとつの場所や景色、出会った人との会話、全てが衝撃でショックなものやったけど、改めて思うのは、私が今回見たのは、震災から2年を経た姿であるということ。
1年前あるいは震災当初の姿は、もっともっと想像を絶する生々しさやったんやろうなと思う。


自分はそこにいて何も実際に経験してないから、自分の感覚と経験値から一生懸命想像して思いを馳せてみることしかどこまでもできんけど、
一つ一つの場所で、一体ここの人達は、あれほどの経験をどれほどの器で、どんな思いで一身に受け止めてるんやろう、って想像した。

きっと、きれい事やない、地縁とかしがらみとかもいっぱいある中で、人間としてどんな日々を過ごしてるんやろか、とずっと考えてた。


何についても、『現実』って善も悪もなく、何の色もない。ただその現実があるだけ。

実際神様なんておらんから(存在としては肯定するけど)、その「現実」が自分にとって「良い/悪い」とかの「意味づけ」をするんは、結局自分しかおらん。
ほんまにどうしょうもないただの現実が覆いかぶさってきた時って、一体全体それが何なのかも分からんくなって、立ち尽くして絶望してしまったりもすると思う。

月日とまわりの世界・世間だけが、自分たちを置いてどんどん進んでいく感覚もきっとあると思う。

勝手にそんな想像もしてしまうけど、ここの人達は、この場所で与えられた環境で、やっぱり非日常の日常を日々過ごしてるんやなぁと思った。







午前中は仙台市の荒浜沿い~名取市の閖上まで行きました荒浜周辺は、松が所々で並んでるのが目に付きました。




瓦礫の集積所はそこここで目にする。




閖上走ってたら、遠くに見えた大きな黄色い建物。行ってみることにした。




ガードレールの曲がり方で、水の流れ方や激しさを感じた。




遠ーくに中学校が見える。




何かなと思って行ったところは、なんと特別養護老人ホーム(特養)「うらやす」、デイサービス「ときわ」、事業所「ちとせ」って書いてあった。
元々ひさのと私は介護付き高齢者住宅の会社で働いてた同僚やから、こんな偶然ってあるんかと目を疑った。

施設ってもんが普段どんな様子か。ヘルパーさんや職員さんはどんな感じか。
入居者さんである要介護の高齢者…特に特養に入ってるぐらいの人というのはどんな状態で、この規模の施設ならどんなけ入居者数多かったか。

そして高齢者施設で災害が起こったときの、避難や判断の難しさ、どんなに大変でどんなにつらい現場やったやろうかってことがあまりに想像出来すぎて、胸がえぐられるみたいにつらかった。








写真撮るのにものすごく迷って、手が動かんって初めて体験したけど、2枚だけ撮った内部の写真。
普段の様子と避難の様子の想像図が、ものすごい速さで交互に目に浮かんできて、とにかく涙が溢れて止まらんかった。

この日は、前夜に雪が降ってまだ積もってたけど、敷地の入口から新しい足跡が残ってて、そこから続く自動ドアの向こうの玄関に、献花台が作られてました。

帰ってから調べたら、この特養は163人の入居者さんのうち、47人が犠牲になったとのこと。
この結果をどう捉えるか、ここに至るまでのプロセスや現場の方々の判断に、改めて頭が下がり、手を合わせずにはいられない気持ちになった。






施設を背に、後ろを向くとこんな景色。
ずっとずっと家の基礎が並ぶばかりで何もなくなってて、草が生えてる。きっと住宅街で、その中に施設があって、近くには学校があって、っていう地域やったんかなと思う。
残された民家のアプローチが、自分ちと何も変わらんくて、そこにあった生活が浮かんできた。
玄関やった場所に、お人形とお花が置いてある家もありました。




復興支援地図。これを使って、行き先を見つつ走りました。
地図上の水が来た範囲に色がついてたり、主要な建物が書いてある地図でした。



仙台駅近くに戻ってきて、お昼食べてるとこで、今回2つ目の目的やった渡辺くんとの再会
11年ぶりで、嬉しすぎてもしかしたら泣くかもなぁー…と結構本気で思ってたけど、登場時の姿にあまりにびっくりして、涙気分ひっこんだ。笑
なんでも、ボクシングやってたから、減量で13kgも痩せたらしい
男前なってた!!笑

ここでちょと喋って、3日間ずっと案内&運転してくれてひさのとはバイバイ。ひさのなしでは実現できなかった今回の旅。ほんまにありがとう。




絶対行きたくて、一番最初に連れてきてもらった国分寺薬師堂。
ここも地震の被害大きくて、瓦もほとんど落ちたらしいけど、きれいになってた。
波こそ来なかったものの、今までの地震とは比べ物にならんほどの揺れで、尋常じゃなかったらしい。
渡辺くんの自宅も、1階部分はめちゃくちゃで、半壊になったとのこと。

去年の東北行きは、直前に彼の事故があってドタキャンしてしまったんやけど、そんときに渡辺くんが、自分も大変やろうに、そっこーここのお守りを送ってきてくれた。
「被災から復興した神社のお守りを、震災でも死ななかった俺が送ってやるから絶対大丈夫だ!」ってゆう手紙付きで。

そんときはまだ彼の意識もなくて、正直目の前のこと以外何も頭にない状態やったけど、その言葉がほんまに心底嬉しくて、死ぬほど救われた。

そこからほどなくして彼の意識が戻って、奇跡みたいな回復につながってる。
やから、今回仙台に来たら絶対にこの神社にお礼参りするって決めてた。
今回唯一自分で決めてた行き先。笑














渡辺くんの車でもっかい荒浜周辺~空港のある岩沼までを案内してもらった。
高速道路が防波堤の役割になって、渡辺くんの家までは波が来んかったらしいけど、もし高速道路がなかったら家まで来てたって。やっぱりそのくらい渡辺くんちは海に近かった。

思えば2年前、この震災に関するニュースで一番最初に目にしたのが「仙台市若林区」。一瞬で渡辺くんの住所やって分かった。
ほんで耳に入ってきたのが「荒浜には200~300とみられる遺体が流れ着いているもよう。。。」というアナウンサーの声。

Googleマップで渡辺くんの住所調べたら近いなんてもんじゃないほど海の側やった。
そっからパニックになったらあかん、とパニック状態で自分に言い聞かせながら必死に連絡とって、何日かしてやっと繋がった。
当時人生でダントツ1番心配&安心して号泣した出来事やった。

まぁその順位はちょうど1年後に見事に塗り替えられたけども。


荒浜は、とにかく遠くの遠くまでずっと見渡せるほど広くて何もなくなってた。
堤防のすぐ側まで行ったけど、そっから海なんか見えんかった。
結構高い堤防らしい。それでも余裕で波が超えてくるって、そら毎日ここで生活してたら全然思わんやろ。

この近くは乗馬クラブがあってな~、馬も皆流されたんだよー。とか、
取引先の人も近所の人も結構亡くなっててな~、とか、
家建てて鍵の引渡しの翌日とか、車買って納車してすぐとかで津波が来た人もいてな~、とか、
仮説住宅も大変だけど、半壊の自宅で生活してる人もいっぱいいてな、そーゆう人は仕方なく住んでんだよ。他に行くとこがないから。とか、

色々話してくれた。

復興なんてまだまだで、見渡す限り、広大な原っぱに住宅の基礎部分がずらっと残っている状況。
残ってる瓦礫もまだたくさんあるけど、それでも瓦礫とか、建物に乗り上げた船・車はほぼ撤去されたので、かなりスッキリしたらしい。
最初は目も当てられなかったからな~。って言って、当初の写真をいくつか見せてくれた。

2階の屋上に乗り上げた船、家の窓から垂れ下がってる、流されてきた色んなもの。。。
その風景と、今自分が見てる風景は、確かに違うものやった。

カメラマンでもない自分が、個人的な観光で来ただけで写真を撮ることに、やっぱり少なからず疑問を持ってたけど、ひさのも渡辺くんも、写真は撮ったほうがいいって言ってくれた。

もちろん軽率なものは問題外やけど、撮って残していかないとどんどん形は変わっていって、それと共に記憶からは忘れられていく。
うちもそう思う。
実際、今回見たものだけでも、確かに頭の中に鮮明に残ってはいるけど、やっぱり写真を見返したら、更に鮮明に思い出す。

何もなくなってしまうと、何もない風景の向こうに、それまでの生活や、あの日何があったのかをただ想像するしかない。
百聞は一見に如かずという言葉どおり、視覚的に脳に入ってきた瞬間、やっぱりものすごい衝撃と実感がわく。

でも、形を残すか残さないかは、被災者心理的にも難しい問題であることは事実で、口出しは出来ないなぁとも思う。


2年経って何を思うか聞いてみたら、一番解決してほしいのは原発だな。っていう答えやった。
宮城はあまり直接的な影響はないけど、これだけ広範囲の被災で何から手をつけていいか分からない中、「原発を将来的にやめる」という決定くらいして、少しでも復興の進展を感じさせてほしい。とのこと。




帰りは仙台空港から帰阪。
渡辺くんのことは遠くからやけど2年間ずっと心配してたし、会ったらいっぱいいっぱい聞きたいことあった。
ほんで、できたら、ちょっとでも力になれたらいいなって思ってた。
のに、ずっと喋ってたけど8割方私の心配と彼の病状の心配やった。
いやいやご家族は元気なのか、困ってるなら何に困ってるのか、そもそも君は一体今どんな日々を過ごしてるねん。。。と思いながら、結局自分の相談ばっかしして、飛行機の時間になってしまった。

うちは果たして会いに来て、少しでも彼のプラスになれたんやろか…とかにわかに思いながら、名残惜しくバイバイして搭乗ゲート入った瞬間に、いきなりお守り渡してくれた。
何かと思えば、国分寺薬師堂のお守り。
私が行きたいって言い出すとは知らず、既に買ってくれてたらしい。
新たにうちの就職祝いと、彼の更なる回復祈願を兼ねて。

いや何でゲート通ってから渡すねん!笑
おかげで思いっきり泣きそうになったのに、後ろ並んでて行かなあかんし、変なプライドと恥ずかしさで泣かれへんかったやん!笑
でも機内で若干めそめそしたやん!笑

こっちが心配して、顔見たくて行ってるのに、逆に心配してくれて、頑張れよ~って言うてくれて、会ってる間も自分の話せんと昔話やらうちの話ばっか聞いてきて。
全てが何も飾らん言葉ばっかりやけど、ほんまにどこまでもあったかい人間やなぁちくしょー、と思った。


なんか渡辺くんの人間性を称えるブログみたいになってるけど、ちょと違う!笑


大層なもんではなく、ただ自分のためにも残そうと思いました。

知識のない状態で、特に目的もなく自分が見てきた事実と感じたことだけを長々と書きました。
長文・乱筆でまとまりのない文章にも関わらず読んでくれた方、ありがとうございます。
もし、読んであまり良い気分がしなかった方がいたらすみません。

この震災で感じること・考えることはほんとにたくさんある。
一方で、今回の旅行に行ったからといって自分の生活が特に大きく変化するわけでもない現実も、感じています。
これからも、友人を大切に思う気持ちをはじめ、自分のできることをしっかりやっていきたいと思います。


VANISHING / 清貴

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岩手・宮城【2】

2013-03-04 02:22:48 | Weblog
【2日目】2/24(日)
宮城県
 気仙沼
 ↓
 本吉
 ↓
 南三陸町
 ↓
 石巻
 ↓
 東松島
 ↓
 仙台市
 ドリカムライブ(セキスイハイムスーパーアリーナ)
 ↓
 多賀城


2日目です。
この日はライブが3時半からと早めやったことと、途中で自分も運転したことで、写真は少なめやけど、川沿い走ってると、この川を逆流して水が来たんかって想像したりしてぞっとした。
地形的にくびれになってるようなところは、左右両方から水が来て、どこにも逃げ場なく孤立してしまったっていうところもあった。

そこから海なんか全然見えへんのに、確実に津波の爪痕が残っていて、そらここの人達はまさかあれほどの津波がここまで来るなんて思わんかったやろなぁと思った。

大きな工場とかは再建して稼動してるとこもあった。
民間企業の力って、やっぱり早いし大きい。

ちょっと高台の、ぱっと見にはあんまり被害の見えない住宅街を抜けていくと、普通に皆生活してはるし、ほんまに近所の道走ってる感覚になる。
けど、そっから少し下に向かって走っただけで、いきなりあの何もない風景がばぁっと目の前に現れたりして、余計にインパクト強かった。

震災当時、TVで何度も繰り返し中継のアナウンサーが叫んでた「壊滅」という言葉からは映画とか戦争とか、人間の世界を破壊しに来た敵に立ち向かってくような近未来アニメ?とかしか思い描かれへんかった。

そしたら目の当たりにする現実は、そのイメージ通りで、それどころか想像の域をはるかに超えてしまってた。




ホテルの窓からすぐ下に見えた気仙沼駅。屋根に絵が描いてある~




瓦礫は、種類ごとに集められて細かくされてるようでした。






真ん中だけがなくなったり、橋桁しか残ってなかったりする高速道路。




南三陸町役場。最後まで避難を呼びかけるアナウンスをして、犠牲になってしまった職員さんがいたところ。
どんな思いで最期まで伝え続けたんやろ。
彼女も含め、17,300人の住民のうち1万人が犠牲・安否不明になった南三陸町。
ここも、いくつかの建物がぽつぽつ残ってるだけで、ずぅっと見晴らしのよい原っぱになってました。




「なつかしい未来へ」。
なつかしい景色が見られる未来がほんまに訪れますように、と思った。




瓦礫の山。ほんまにおっきい。






全児童の7割が犠牲になった、石巻市の大川小学校。
小学校の周りはほんとに何もなかった。だだっ広い工事現場のような場所の中に、小学校だけがそのままあるってゆう感じやった。

すぐそこの北上川を津波が昇ってきたとのこと。

学校のほんとすぐ後ろに裏山があった。すぐに山へ避難していれば、って後から散々議論されてたけど、後から何を言っても結果論でしかない。

先に全員点呼を、という判断をした教員の方々を誰が責められるやろう。
子ども達を犠牲にしようと思ってた先生なんているわけない。絶対全員守らなあかんっていう思いだけやったやろうに。
地形やこれまでの経験からくる危機感の薄さ、その他あらゆる条件が全て悪いほうに向いてしまって、結果、最悪の結果になってしまったんやろうと思う。

今もまだ見つからないままの子も何人かいて、そのお母さんの中には、震災後に重機の免許を取って、捜索を続けている方もいると聞いた。



大川小学校の慰霊碑。






東松島市の航空自衛隊基地近く。ここも見渡す限り原っぱの中、何軒かぽつぽつ残ってた。




玄関側の壁全体に、花のペイントがされた家。
おそらくもう住めないであろうこの家に、どんな気持ちで描いたんやろ。






この日の昼食!イカやら貝、牡蠣の網焼きをタレで。ワカメ汁は御自由にどうぞやった。めっちゃ美味しかった




夕方はセキスイハイムスーパーアリーナってとこでドリカムのライブに行ってきました。
ここは震災直後は遺体安置所になってたところとのこと。

360度のステージやったから自分でもお客さんを見渡せた。
ここにいてるお客さんのほとんどが、きっとそれぞれの被災体験を持ってる人達なんやろうけど、ライブ中はほんとに皆楽しそうで嬉しそうで、泣いてる人もいっぱいいてて、美和ちゃんも泣いてた。

演奏や歌が圧巻なのは当然ながら、美和ちゃんはとにかく愛が溢れすぎてて、それをどう放出したらいいのかも分からんくらい愛が溢れてた。

雪降りまくりで、ライブ終わったら駐車場の車は雪だるまになって、フロントガラス凍って視界ゼロやった
駐車場から出るのも1時間くらいかかったけど、あらためて音楽ってすごいなって思った。


この日は雪道を走って多賀城市のホテルへ
夜ごはんは利久って牛タンやさんに行きました。
ちっこいTVでお店のひともWBCの壮行試合のTV中継見つつ、お酒?飲みつつ(笑)
気さくで人懐こい感じのおっちゃんとお兄ちゃん達でした。
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2/23(土)~25(月) 岩手・宮城【1】

2013-03-03 03:55:15 | Weblog
2/23(土)~25(月)に、岩手・宮城へ行ってきました。
ほんまやったらちょうど1年前の同じ時期に行く予定やったけど急遽無理になって、ちょうど1年後。
1年前に行ってたら何がどんな風に見えたかは分からんけど、この1年間、私自身もほんとに命について色んなことをいっぱいいっぱい考えた。
そんな経験や変化を経たうえで、この時期に行けたことは自分にとっても良かったと思える旅行でした。

ボランティアや何か支援をしに行くわけでもない、ただ被災地の案内と、仙台に住む友人に会いに行くだけの個人的な旅行としてでしたが、本当に強烈な3日間になりました。

帰ってきてからも、何かにつけてふとした瞬間に、脳裏に焼きついた色んなシーンが常に浮かぶ感じ。

行く前から、一体ボランティアでも支援でもなくただ行って何の意味があるんかなとか、どーゆう姿勢でおればいいんかなとか。。。
でも、なんか一生懸命そうやって「目的」と「理由」を探してることに、何の意味もないわと思ってからは、ただ起こった現実を自分で見ることと、懐かしい友達に会いに行くことだけを考えよって思いました。

なので、こんなブログ書くのにも、一瞬無駄な「意味づけ」をせなあかんような気にもなったけど、変な色つけんとそのまま見てきたこと・思ったことを書くことにします。


【1日目】2/23(土)
岩手県
 山田町
 ↓
 大槌町
 ↓
 釜石
 ↓
 陸前高田
 ↓
宮城県
 気仙沼


最初の会社の後輩であり、いまや私の人生になくてはならない友人となったひさのから、新花巻駅で電車内合流とゆう難ミッションを課され、緊張の中いざ伊丹空港へ。。。

初めて1人で飛行機(◎ω◎;)!!

伊丹空港でひとしきり迷ってから、ゲート?通るときにトレイに何を出していいかも分からず、ガラガラを持ち込んでいいのかも分からず、ピー!!て鳴りませんように…とそわそわオドオドしながら何とか乗って、何食わぬ顔で大事にカバン抱えてたらCAのおねいさんに「荷物は座席の下にお入れ下さい(にっこり)」と言われ、花巻空港でまたひとしきり迷ってからやっとこさバスに乗り、電車に乗り、合流駅でひさのが見えた瞬間一気に安心して眠くなった

ひさのは去年1年間岩手でNPO法人KnK(国境なき子どもたち)の職員として被災地支援に入ってて、その頃から色々と話を聞いたりしてた。
けど、実際その地を自分の足で踏んで、自分の目で見ると、今更ながらほんまに同じ日本の、自分ちと同じよな場所で起こったことやねんなぁ…と実感した。

だって一緒やもん。
ちょっと寒いけど、駅にしても、町並みにしても、お店にしても、周りの人達にしても、普段自分が生活してる大阪となんら変わりない。




最初につれてってくれたのは、ひさのの活動先でもあった釜石市の青葉ビル。
障害者、高齢者のセンターや子ども支援センターが入ってるビルで、犠牲になった方もおられたとのこと。
KnKの活動の一環として、ロクシタンの支援で新しくなってます。



壁時計のところから色が少し変わってるのは、そこまで水がきたから壁紙を変えたとの事。






北上して、山田町から沿岸沿いを南下
一見、田舎に旅行行ったらこーゆう風景よくあるなー、という印象やけど、よく見たら家の基礎部分がずらっと続いてる。
野原じゃなくて、住宅街やったんや…と思った瞬間ショックやった。





そして、たまにぽつん、と流されなかった建物がそのまま残ってる。
家の形をしてるのに、中身は全てなくなってまったくのがらんどうで、真っ黒に口をあけてる感じが怖かった。




ひとつひとつに深く思いを入れてたら、大きすぎて広すぎて、到底もたないと分かっていたので、事実をただ見ることに集中してたつもりやったけど、もうただただ勝手に涙が止まらんかったのが、ここ。
町全体を一望できる高台にある、大槌町の城山公園。ほんとにひとつの町全部がなんにもなくなってた。
大槌町は町長さんが犠牲になったこともあって役場が機能せず、復興も遅れてしまったとのこと。今は小学校の跡地が役場になってた。
守れなかった子どもがいる小学校の先生達は一体どんな気持ちやったんやろうとか、そゆことを思うと、すべてがつらかった。

写真は枠で区切られるけど、この右も左もずっと向こうのほうも、ずぅっと同じ光景が広がってる。
この光景になってからこの桜が咲くのも、この春で3回目になるんやな。





町を見下ろす場所にあった希望の灯りは、阪神大震災の慰霊碑の火が分灯されたもの。




普通の家にも、ビルにも、至る所の建物にあった赤丸に×のマーク。
自衛隊の救助活動時、生存者最優先で捜索してたから、遺体があった所にとにかく印だけして進んでいったものらしい。
普通に自分らが住んでるようなところに付けられた、たくさんの印を見た。




そのままになってる車もたくさん見た。






壊れた橋?のそのまた向こう側の景色も重機がいっぱい。




ずぅっとここで暮らしてきて、暮らしていく人がいるんやな。








夜は、ホテルから少し歩いた復興商店街にて。
被災してお店がなくなってしまった人達とかが集まって、プレハブ長屋みたいな飲食店通りでお店を再開してる。
色んなところに、こんな復興商店街を見かけました。

東北の人は、お店でもホテルでも、どんなところでも柔らかくてあったかい印象の人が多かった。

初日は気仙沼駅前のホテルで宿泊
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成長の”過程”と、その瞬間の”事実”

2012-07-13 23:47:46 | Weblog
今日、TVを見ていてふと思ったことを。


例えば、若い頃ひどい非行に走っていた人が、色んな「悪い」ことして、「問題」起こして、
そゆのを経て、更正・改心しました。親や周りの人に感謝して、今は立派な大人です。当時のことは本当に子供で何も気付いてなくて、後悔しています。。。
って、それはそれで人間らしいことやし、素晴らしいことやとおもう。


でも、その「後悔してる」日々の中で、傷つけた人の事ってどうなんやろ。

たとえば、殴られた痛み、いじめられた恐怖、傷つけられた自尊心があったとして、それらは決して元に戻せないとおもう。

傷を受けた本人が、(それこそ頑張って、耐えて、そして運よく)なんとかそれを乗り越えて、そのおかげで強く・深くなって、大人になっていればいいけれど。

もしお互いが大人になっていて「許す(される)」ことはあっても、消えることは絶対にない。

もし、もしその相手がもう会えない人になってしまっていたとしたら、もうどうにもならんのではないやろうか。


ちなみに見てた番組は色んな芸能人が授業するっていう内容ですごいよかったし、上の内容は小森純の授業見て思ったことやけど、別に小森純には何の関係もないし、彼女みたいな人生を否定するわけではないです。
ただ、社会の中でこういう面もあるんちゃうかなって思っただけ。


…なんてことをふと思ってたときに、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんがこんな↓ツイートしてた。なんてタイムリー。。。とちょっとビックリした

"わたしをいじめたひとたちは、もうわたしをわすれてしまったでしょうね"
『わたしのいもうと』
著者: 松谷みよ子  制作: 味戸 ケイコ
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☆宣伝☆友人のお店 ●+。*U^エ^U*。+○

2012-06-20 11:37:42 | Weblog
私の親友こっちゃんが、このたびめでたく自分のお店をオープンしました
私もほんの少ーしですがお手伝いしてて、こないだ初めてお店に行ってきたので宣伝させてください

ハンドメイドの子供服や、ペット服・雑貨…等々のお店です
店舗は遠く福岡ですが、楽天でネット販売もしてます

Kotorie
・ハンドメイド子供服部門…『Kotorie』
・ペット部門…『Hug Dog』


Kotorie(ハンドメイド子供服&ペット服・雑貨)楽天HP


Hug Dog のページ


私がお手伝いしたのは『Hug Dog』の看板やらロゴやらのデザインです
小学校の頃、性格は絵に描いたように真逆やのに何故か共に犬マニアやって(笑)、将来2人で一緒に動物の仕事しようねーって言ってた。
それがこんな形でまさか実現するなんて。。。

中学からは福岡と大阪でバラバラになって、でも2人とも途中で福祉の道に進んだりしながら、いきなり2年くらい前に「やっぱりペットのお店する!!」って言ってきて、しかも一緒にやろって言ってくれたときはホンマに嬉しかった

こっちゃんはその間に出産を経ながらしっかり準備を進めていって、結局私は福岡で仕事として一緒にやることはなかったけど、デザイン(と呼べるものでは全然ないけど。。。)という形で関わらせてもらいました

お絵描きはスキやけどデザインなんて勉強したことなかったし自信もなくて、ホンマにいいんかな。。。とかも思ったケド、こっちゃんが「はるかに描いてほしい」てゆってくれて、私もめっちゃ心込めたし、結果的にはこっちゃんと私にしかできひん事やったから、よかったなて思った

紙の上で描いただけやった絵が、実際に形になって商品になってるのん見たら、ホンマに感無量て感じやったー

お子さんのおられる方、ペット飼ってる方、ぜひ一度のぞいてみてください


自宅兼店舗入口


店内


看板娘・いちこ☆うちののりお君のママ☆


看板娘2・はな☆のりおの姉妹☆


看板息子・りく☆


りく☆


看板息子2・ゆき☆他にも2匹います。


☆ペットフード


☆ペット雑貨


☆ペット服


☆着用例。スカート可愛すぎ


☆子供服


☆店内


☆店長こっちゃん


☆看板


☆カード、ロゴ


☆看板娘3


☆ケージに入ってたりします。笑


☆雨降りやけどお客さん来るかなー


☆いっちょまえにお手伝い


☆商品カゴにはまったww
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ご報告。

2012-06-07 21:13:32 | Weblog
私事ですが。。。
10/27に結婚式を挙げる予定だったのですが、このたび一旦キャンセルとなりました。


ご存知の方もおられますが、2/7に彼が事故に遭い、意識不明の重体となりました。
当初は命も諦めるよう宣告されましたが、奇跡的に一命をとりとめました。
その後1ヵ月半ほどで意識も戻り、現在は大阪の病院でリハビリに励んでいます。

彼自身の記憶や感情、結婚への意志もしっかりしてるので、どうにか予定通りその日に挙げたいと思ってたし、その実現を目指して頑張ってきたところもありましたが…

今はまだ回復の過程のため症状も安定せず、果たしてどんな状態で挙式当日を迎えられるかの見通しが全くたちません。でも10月にするなら準備は今からしていかなあかんし、、、
ということで、両家で話し合った結果、この大事な時期にリハビリに専念するためにも式は一旦キャンセルすることに決めました。

やっぱりどんな形であれ何かしらの式をしたいという気持ちと、現状や具体的な段取りを考えたときにやはり難しいかな…、
という気持ちの間でいっぱい揺れて悩みましたが、キャンセルしてしまえば、ふっと一つ背負っていたものが降りたようで少し楽になった感じです。

既にその日程を空けてもらってた人もいてたのですが…本当に申し訳ありません。

切ない気持ちはないと言ったら嘘になりますが、式をするかしないか、という選択肢を持てたこと自体が奇跡やし、後悔はありません。

結婚自体がなくなったわけではなく、ちゃんと2人で一緒に準備しを進めていけるようになるまでのあいだ挙式を延期するだけなので。。。
近い将来、皆さんに良い報告ができるよう、皆さんへの感謝を伝える場としての素敵な式があげられるよう、気持ちを新たに頑張ろうと思います(^ω^)


事故以来、本当にたくさんの『奇跡』の積み重ねと、周りの方々の支え、彼の生きる力によって、ここまで頑張ってこれました。


「命だけは助けてください。。。」…ってゆう台詞、初めて本気で使った(笑)

でも最初は神様にいっぱいお祈りしたし、神様の存在に頼ったり怒ったり感謝したりしたけど、
それよりずっと人間の方がすごいって思った。

人を救うのは人やということ。

周りの人に感謝ばかりの4ヶ月になりました。

「このご恩は一生忘れません。」…ってゆう台詞も、初めて本気で使ったから。

そんな言葉を使う相手がたくさんできたことが、一生の宝やなぁーとまた感謝(^∧^)

誰も聖人君子なんかやないから、厳しい環境に立たされたときに弱い部分や甘い部分、自分の心の見たくない部分にもたくさん直面した。
どうしても勝てなくて、自分心底弱いなぁー情けないなぁーって痛感した。

うまくやれてるならやれてるで、普通にやり過ごせてる自分不感症なんかな、感覚おかしいんかな、とか思ったり。

それでも今日まで毎日笑って過ごせたことも、絶望的な状況の中でも心折れずにやってこれたのも、本当に周りの人たちのおかげです。

本当に伝えたいと思えば思うほどに、ありきたりな言葉しか出てこなくてめっちゃもどかしいんやけど、心からの感謝の気持ちしかありません。


今回のことで、どんな境遇におかれても、その時にできる最高のことをせーいっぱいやってったら、それはその結果としてちゃんとあらわれるのだなぁと思った。

逆にゆえば、神でも魔法使いでもないから、できることするしかできひんし。

"Care" と "Cure" って一心同体やな、っていうのも感じた。
うちらはお医者さんみたいに専門知識と技術をもって彼を救うことは出来ないけど、お医者さんに出来なくてうちらにしか出来んこともいっぱいある、って。
それが両立して初めて奇跡もおこるんやって思いました。

もちろん頑張ったら生きる、善人やったら生きるとかってわけやなく、ほんまにどうにもならんときはどうにもならん。大切な人を亡くしてしまった人も世の中にはたくさんいるから、簡単に「生きてたから何でもできる」とは言えんけど。。。


人間は弱いから、自ら進んでつらいことや嫌なことを選びとるのは難しい。

でも、強制的に・否応なしに与えられた試練なら、もぅ向かうしかないからなんとか藻掻こうとするし、その中で最善を尽くしてやるしかない。

でもそこにこそ成長があって、そこにしかない出会いや感動や経験、価値観が生まれる。

そら、例えば手も足もないよりあった方が良い。
わざわざないのを選択する人なんかよっぽどおもろい人やないとおらんと思う。
病気になる、事故に遭うのかって、わざわざ選ぶ人なんかおらん。

身体も心もとてつもなくしんどいし、不便やし、不可能なこともたくさんあるのは事実。
でも、一見マイナスに見えることでも、実はものすごい幸せに溢れてるのも、紛れもない事実やと思う


色々学んだことや感じたことはあるけど、なにより彼自身が、命が消える直前の淵から驚異的な力で頑張って生きてること。それに尽きます。

生きててくれてありがとう

それどころか、日々穏やかに前向きに、でもすごい気迫と意欲で目の前の事に向かっている姿を見ながら共に過ごさせてもらえて、尊敬することばかりです。
基本アホやし。それも救い
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あたりまえのなかに

2012-03-08 03:30:15 | Weblog
この1ヶ月間は、すごく悪い事があったけれど、その事ですごく人のありがたみ、あたたかさ、優しさに触れた…とゆうか浸かりまくった1ヶ月でした。

ありがたいって『有難い』って書くけどその通りで、
「いま、あること」と「これから、あること」って、全部が奇跡の積み重ねなんやなぁって。

常にそんな大層なこと思ってたら到底もたへんし、毎日そんなわけにいかんけど、
せめて自分の過ごす日々に傲慢になったらあかんなぁとおもう。

「あたりまえにあること」に、あぐらかいてたあかんなぁって。
いいことでも悪いことでも、それが当たり前になった世界の中にいると、
あぐらかいてることにも、もしくは実はつらいことにも、なかなか気付けんくなるから、
たまにはこうやって振り返ったり、噛み締めたり、見渡したりする機会は必要かもしれん。


蛙を沸騰したお湯にいきなり入れたら当然逃げるけど、ぬるま湯から火にかけてったら、熱湯になってもそのまま気付かず死ぬんやって。

いつ誰に聞いたんかも忘れたけど、何かあったときにたまに思い出す話。


色んな経験してく中で反省はいっぱいしたらいいと思うけど、後悔せんよにおりたいなぁ


自分の気持ちや思いや考えは、出し惜しみしたらあかん。
それは、何でもかんでも出せというわけやなくて、「ちゃんと」出せということ。

変に今はあかん・とか、いつでもいい・とか、自分だけに都合よいように・とか
そんなんしてたらあかん。
いつ何があるかわからんねから。

とにかく色~んなことに右往左往しながら・試行錯誤しながらの日常でも、
後悔のないよに、その時その時の充分な自分で、過ごしていかなあかんなぁと思います。


その中で、人に感謝したり、人をちゃんと好きになったり、人と素直に向き合う人生やったら(仕事でも、恋人でも、仲間でも、それこそ道端での出会いでも)、
その結果は後からちゃんとついてくる。


奇跡 / くるり
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泳ぐ

2012-01-27 22:59:36 | Weblog
自分の知ってる範囲、知ってるやり方、信じる事柄でしか進めないんやったら、結局狭い世界でしか通用せぇへんなーって実感しています。


それって、泳ぐんみたいやなって思った。


陸での呼吸しか知らんかったら、どんなにきれいな水でも泳げへん。

無理に自分の知ってる呼吸法だけで泳ごうとしても、全然通用せずに死んでしまう。


まぁ、実際うち泳げへんけど!ww



今の仕事してて、おかしいことはおかしいやろ!って物申すことがあまりに多すぎて、
最初はおかしいことはおかしいんやー!、って貫いてたけど、

ふと、それって結局自分の信念やら仕事観だけに固執して、意固地になってる状態でもあるんやろか…、って考えるようになった。

自分が間違ってるとは思わないけど、なんかそーゆぅ「良い・悪い」「正しい・間違い」とかの話やなくて、全体として。



改めて、自分の中で新たに成長…というか磨くというか、覚えなあかんところが出来てきてるよなぁって実感した。


もすこし柔軟さというかファジーなところというか、

納得いかなくても、『相手を変えようとする前に自分を有効に変化させる』(諦めとか堕落とか、マイナスの意味ではなく)、という部分。


…ニュアンスむずい(-_-)



人は弱いから、他人に支えられて助けられて強くなっていくもんや。ってよく言うけど、
逆に自分しかいなくて、自分で自分を強くするってめちゃくちゃ難しくてすごいことやなぁと、思う。

自分が持ってる色んな感情とか弱さとか甘えを、自分で理解して自分で乗り越えるって、そう出来るもんじゃない…って、いつか新聞を読んで思いましたとさ。



さて おふろー(・ω・)



OL気取りな気分のときに聴きたいお姉さんNO.1、トーコさん
星空/古内東子




なんだかんだゆってこの曲がいちばんすきかも。
銀座/古内東子




そしてあややの渡良瀬橋、よいね可愛いし
渡良瀬橋/松浦亜弥
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うちとうちのまわりとうちのなかのことたち。

2011-12-31 17:54:02 | Weblog
もう2011年が終わりそうになってて、あぁそうか~、と思いながら何かしら書くことにします。


今年1年はほんっまに過ぎるの早かった!

去年は『転機の年』にすると決めて、ほんまに色々転機になった年で、一言であらわすと『動』でした。

今年の始めに、今年は『進』の年にしたいって決めて、そしたらほんまにそのような年になりました。


仕事変わったから環境ももちろん変化したんやけど、それよりも色んな新しい出会いがあって、自分の内面的に進めたな、って思うところが多々あった。



仕事も正社員ではないけれど改めて新しい仕事に就いて、そしたらこれまでの自分の経験や考え方を糧に一気に色んなことができるようになって、視野が広がった&新しくなりました。


去年の今頃はまだまだ過去を引きずって、そこに執着して狭い世界になってたとこもあったけど、今ではそれが、ほとんどプラスに捉えることができるようになった。


やっぱり福祉の仕事していきたいなって思ったし、生活保護のケースワーカーという仕事は予想以上に楽しいというか合ってる仕事なんかなぁーって思えました。
ので、紹介してくれたJOE先生に感謝感謝です



なんか完全アラサー・・・って自分でゆってびびるけど、明らかに下降してってる部分も著しいけど(お肌とか体力とか…記憶とか(=Δ=;))、
でも、昔より今の方が楽しいなー、ってたくさん言った年でした。

やから、総括的に良い年やったと思う。


反省もいっぱいあって、だめな・最低な自分もいっぱい知ったけど。。。


なんてゆうか、そゆのも含めて昔よりも少ぅーし「自信」がついたんやと、思う。


今まではほんとに自己評価が低くて、どんなに周りが良くしてくれても常にどこかしら不安で、基準が「どうせ」とか「うちなんか」ってゆう考え方やったけど、

自分を好きになった部分が多いというか、「自分がいいと思うことでいいんやな」って自然に思えるようになったから、意見が言えるようになったし行動できるようになった。


全てがまだまだで、周りに比べたら全っ然保守的で自信もないままやけど、明らかに前よりは違うなー、と思えるところができた。



前までは、その時の自分が一番成長してて一番大人で、その枠の中で一生懸命背伸びしてた感じやったけど、

最近になってから、今の自分っていうのはほんまにちっぽけで、コドモで、まだまだ知らない世界がいーーっぱいあって、やからこれからも成長していけるんやなぁー、っていう風に視点が変わった。

それで更に物事の捉え方が楽しくなった気がします。



来年はどんな年にしようかってゆうのは、去年や今年のよにまだハッキリしませんが、
今年までは結構自分の「内面」に変化や重点を置いてたとこがあったけど、今年は外面やなー、と。


そいえばこのブログのメインタイトルは『うちとうちのまわりとうちのなかのことたち。』であって、そこで言う「まわりのことたち」に重点を置く年にしよかと思います。


今のところ環境から何から、自分の内面じゃなく外面の全てが変化する年になりそうなので、変化を楽しんで前に進んでいけるようにしたいなー、と思っています。


ほんなら今年もお付き合いしてくれた皆さんありがとう
今年初めて出会った皆さんありがとう



最後に、今年は地震っていう大きな大きな災害があって、そこに自分ができることの精一杯をやったかというと何も全然言えないけど、地震から見えた人の姿や、考えたこと・感じたことがほんとにほんとにたくさんありました。

被災した友人の、変わらず冗談を言うメールひとつにも、ものすごく色んな思いを感じました。

亡くなった方の御冥福をお祈りするとともに、被災された方をはじめ皆が、来年も一人ひとり一歩ずつできることをしながら進んでいけたらと思います。
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MUSIC STAR

2011-11-22 01:34:27 | Weblog



最近フジファブリックの山内総一郎に惹かれてもて、なんか気付いたら好きで好きで大好きになってしまってます。
というだけの日記です。


どのくらい好きかとゆうと、好きと気付いて画像検索して、一気にかたっぱしから
こんなのや↓



こんなのを↓


保存してしまったくらいです。


こないだの音博で見たときは、最初どうしても志村の声で聴いてたフジファブリックしかイメージできんくてなんだかしばらくよくわからん感じにかられた。
けど、ECHOが最っ…高に良くて、鳥肌もんやって、それでめちゃくちゃ泣きそうに感動した。


そっからじわじわ総くん気になりだして、改めてちゃんと見たら醸し出す雰囲気というかシルエットとというか、そゆのもめっちゃ好きな感じやって、惚れてしまいました(*´Δ`*)



そう、それはまるで


最初は全然意識もしてなかったのに、いつからか気付いたらいつも目で追ってた彼・・・
えっ私もしかして○○の事・・・好き・・・なん!?
うそーまさかー・・・でも・・・そうかも・・・?

そうやってちょっとでも「好きかも」って意識した瞬間から完全に「好き!!!」に爆走


…ってゆう始まりのパターンやな、恋でゆえば!



気付いたらフジファブリックの動画巡りしてしまう~

そしたら志村が死んでからのライブとか総くんが歌ってるの初めて改めてちゃんと見て、ロッキンジャパンのECHO見たら涙だーーて出てきてびびったー

なんか誰かが死んだから悲しい、の涙やなくて、何かメンバーの表情とか演奏から溢れてる気持ちとかこれまでの色んなこと勝手に想像して切なくなったー(:_;)


元々志村の危うい感じがすきやってんけどなー
てかMUSICの中の、会いにとMirrorは総くんが歌ってるってさっき知るまで何の違和感もなく聴いてたΣ( ̄Δ ̄;)
そう思って聴いたら全然違うし!うちあほか!

でもたまに志村ぽいセンス感じる。まぁ当たり前か。





…素敵。すき。
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バランス

2011-11-04 00:53:15 | Weblog


バランスとるのて難しいね!
意識せんかったらどんどん偏るし、でも意識してバランスとろうって思えば思うほどアンバランスになるというか不自然になるというか。。。


今生活保護のケースワーカーしてますが、なんというか、報われないことというか、うまくいくと思ったらふりだしもしくはそれ以前の状態に急降下したりすること多い~。

砂山ちょっとずつちょっとずつ掘って行ったけど、あとちょぴーっと掘れば貫通する!…てとこで崩れたー(TΔT)あーー(TΔT)みたいな。

まぁ「報われる」とかそんな感情持つ時点で、自分視点なんやな。


相手にとって良い方向に向かうように…、て思ってやればやるほど空回りする感じやなぁ↓↓
決して入り込みすぎないように。でも相手のこと思うのは忘れないよに・・・
の間で、結局身動きがとれなくなってる。

でも絶対なくしたくない部分やしなー

ふと立ち止まって考えたときに、勝手な自己満足にしかなってない気がしてならないのです。

自分が焦るばかりで相手のこと全然見えてないねんな~↓↓…未熟。
背負いすぎは「おごり」でしかない。


いわゆる「福祉の精神」でコテコテなのは嫌いで、
「弱者や困ってる人のために」とか「助けたい・救いたい」とか、
それって「間違い」ではないけど、結局「~してあげてる自分が好き☆」みたいなお門違いの感覚が生まれてきがち。やから気をつけてるねんけど…



この春いちばん最初に肝に銘じた、『自分の力で相手を変えられると思うな』。


…ちゃんと心がけてるつもりやったけど、全然出来てないわ。
「つもり」なだけなんかなー



できることは、相手が自分で変わっていこうとできるように手助けするだけ。
ただそれだけ。

その「ただそれだけ」のバランスが、とってもとってもとっても難しいです。



大切な人をちゃんと大切にできる人間になりたいなぁ。



明日から夜行バスで東京へ。
土曜日はのぶちゃんみっちーの結婚式、月曜日は9年ぶりにさおりちゃんのお墓参りに行こうと思っています。




悲しみは地下鉄で/モーモールルギャバン


悲しみは地下鉄で見失った 僕は死ねばいい

バイトが終わった 汗もかかず終わった ビールを飲む価値も無い 夜にさよなら乾杯
パンツくらい穿け そのまま眠る僕は 昨日の電話以来 錆び付く胸が痛い

君にキスをした 君を抱きしめた 記憶さえ無くなれば もう夜が来なければ
何も出来ないよ 何も癒えないよ 昨日の電話以来 錆び付く胸が痛い

悲しみは地下鉄で見失った 僕は死ねばいい
悲しみは地下鉄で見失った 僕は死ねばいい

風俗に行こう 友達と行こう 何もせず終わろう 日はまた昇るだろう
空虚なる笑顔 気まぐれの愛情よ あの娘に感謝したい 明日が来なければいい

青春時代は優しくて残酷だ 今はただ一筋の光も見当たらない
青春時代は優しくて残酷だ 今はただ一筋の光も見当たらない

人間て何ですか 食えるんですか 金になりますか
人間て何ですか 食えるんですか 金になりますか

あぁ まだ外はひどいひどい雨だね
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