セレヤの山の下で

静岡県内の小さな旅、植物などを紹介しています。

大井川 川越遺跡

2011年09月12日 | 旅、ウォーキング

川越遺跡全景(の一部)

江戸時代「越すに越されぬ」とまで言われた大井川。
これは、当時の政府の政略でした。

幕府の敵が容易に江戸へ攻めてこられないよう、様々な政策をしました。
でも、よくよく見ると「敵」は、大阪か京都を設定していたようです。

新居や箱根などに設けられた「関所」は、人々の通行を監視し、
川は人々の通行を妨害しました。

江戸時代、特別許可によって、橋を架けた川もありましたが、
川に橋をかけることが禁じられていました。
大きな川の多くは船により渡しが行われていましたが、
船の使用が禁じられている川もありました。
その中に大井川が含まれています。
また、冬場になると多くの川に仮橋が架けられました。
しかし、大井川では仮橋を架けることも禁じられていました。

大井川を渡るときは、川越人足たちに頼みます。
まず、川会所に行って、渡しを頼み、代金を払います。
代金は川会所の役人が、川の深さを測って決めました。
代金に換わって木札が渡され、それを番宿で待機する人足に渡し、川を渡してもらいます。



番宿(六番宿)


番宿の人足レプリカ。

人足はその川札を札場でお金に替えました。
川を渡るのには蓮台や肩車などの方法がありました。



島田宿側の川越場の様子。


島田市博物館


島田市博物館別館


せき跡


あさがおの松公園(浄瑠璃『朝顔日記』に由来する伝説にちなんでいます)


川越茶屋


大井川を渡った金谷側にはあまり遺跡が残っていませんでした。






※私は未確認の情報ですが
川越茶屋では、木曜日に半額になるようです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿