思ったより長く入院してた父が一昨日、いったん退院しました。
迎えに行くのは施設の仕事だけど、退院手続きは家族がやらなきゃいけないし、父と次に会える機会がいつになるか分かんないから、時間を合わせて退院に立ち会いました。
それから出勤して1日仕事だから、なかなか疲れるワケです。気疲れもあるし、何より生活リズムが狂うのがしんどい。けど、とにかく父が無事に退院出来たんだから、良かった良かった。
……と、思ってたら! 甘かった! 回復したはずの父の容態が、また入院直前と同じになってる!と、施設から電話が来たのが昨日。
「ウチにいた時から波はあった。いちいち騒がずに様子を見て欲しい。こっちの身がもたない」
仕事中、忙しい時にかかって来たもんで、ちょっとキツい言い方をしちゃいました。だって電話は午前中に頼みますって以前から言ってあるし。
で、今日の午前中、また施設から、父が食事を採れなくなってるので救急車を呼んでいいか?との電話。「さもなくばこのまま看取ることになります」なんて言われたら「すぐ救急車呼んで下さい」と答えるしかない。
けど、付き添いは断りました。いちいち仕事を休んでたらホントに生活がメチャクチャになっちゃう。
というワケで、父、再び入院。マジでそろそろ覚悟を決めなきゃいけないようです。だってもう、96歳だし。心不全だし。よくここまで頑張って生きて来たと思う。
もしそうなっても、たぶん私は泣かないでしょう。何年か前、父がボケてると気づいた時は涙が止まらなかったけど、もう去年からまともにコミュニケーションが取れず、今は私を自分の息子と認識出来てるかどうかも判らない。
正直言って、肉体だけ生きてても生きてる感じがしないのです。気持ちが通じ合わなくなった時点で、ほぼ亡くなったも同然と私は感じてます。
だから、もし自分が認知症になったら、出来るだけ早く死にたい。安楽死を認可して欲しいと切に願ってます。
文の内容と画像が全然合ってないのはいつもの事だし、そんなに落ち込んでるワケでもありません。淡々と、流れに身を任せるのみです。
その後2年半、父は病院のベッドの上でした。私たちが起きているときに倒れていたら、発見も早く、後遺症も重くはならなかったのにと、悔やまれてなりません。
父の最期を看取ったとき、私は泣きませんでした。「来るべき時が来た、ただそれだけ」と、ベッドの上の動かなくなった父を見つめていました。
そんな私でしたが、葬儀の時は、自分でも驚くほど号泣しました。父と仲が良かったわけではない。かわいがってもらった記憶もない。どころかこの父のせいで私たち兄弟はしなくてもいい苦労をしてきたのに。
親子って、なんだろう?そう思ったものです。
自分語り、失礼いたしました。ハリソン君は、本当によくやっておられると思います。
人は衰えて自我を失い、別人のような姿を最期に見せることによって、看取る家族に別離の悲しみの感情を和らげさせていくのだと何かの本に書いてありました。
一理あると思います。
実の息子たちは金も労力も祖父母や私たちに協力しませんでした。管理人様も介護について親族との間にいろいろあったと想像せざるを得ません。
働きながら肉親の面倒を見る管理人さん、
ご苦労をお察しいたします。
予想外のタイミングで感情が爆発しちゃう時ってありますよね。何十年も関わって来た人がいなくなったら、何らかの喪失感はあるだろうし、やっぱり子供の頃の記憶に直結しますもんね。なんだかんだ言って私も泣くかも知れません。
>ひささん
いま関わってる親族は、両親を除けば遠くに住んでる兄だけで、兄は介護にまったくノータッチですから、逆に揉める機会すら無いんですよね。中途半端に関わられるより良かったかも知れません。
幸か不幸か、兄も私も独身なもんで、横槍を入れてくる人もいない。私は当然の義務と思って納得しながらやってるし、親になんの恩返しもしてない兄の方がかえって精神的にはキツイかも?
いろいろ意見はあるでしょうが、先進医療も労力も未来のある人に使うべきです。西洋医療はキリスト教的考えなので自死を認めない・延命されるのですが、現実的ではありません。行き過ぎた科学と同じで誰もシアワセにしてないと思います。
老人ばかりの国になり医療は逼迫するでしょうから、自分で死に方を選べるようになるでしょう。担当医が人殺しと言われないように、公的に認められる物で意思を残しておくべきでしょうね。
子の立場からは言い出しにくく、親の方から切り出して欲しかったところです。自分は親になる予定が無いので、ほんと公的な手続きをしておかないと。いつどうなるか分かりませんもんね。