「テート美術館所蔵 コンスタブル展」 三菱一号館美術館

三菱一号館美術館
「テート美術館所蔵 コンスタブル展」
2021/2/20~5/30



三菱一号館美術館で開催中の「テート美術館所蔵 コンスタブル展」のプレス内覧会に参加してきました。

1776年に生まれたイギリスの画家、ジョン・コンスタブルは、生涯にわたって故郷のイングランド東部の風景を描き続け、同時代のJ.M.W.ターナーと並び称されるほど高く評価されてきました。

そのコンスタブルの絵画がロンドンのテート美術館よりまとめてやって来ました。出品数は約65点で、初期から晩年までの油彩画や水彩画の40点に加え、同時代の画家による約20点の作品が公開されていました。

コンスタブルが生まれたのはストゥーア川流域、サフォーク州のイースト・バーゴルトの地で、平坦な地形が広がる農村地帯でした。そして画家を志したコンスタブルは1799年からロンドンのロイヤル・アカデミー美術学校で学びながら、故郷に愛着があったゆえか、毎夏にサフォークに戻っては地元の風景を描きました。


左:ジョン・コンスタブル「アン・コンスタブル」 1800〜05年頃か1815年頃 テート美術館
右:ジョン・コンスタブル「ゴールディング・コンスタブル」 1815年 テート美術館

当時は歴史画や肖像画が優位に置かれていたため、地位の低い風景画のみでは生計を立てるのは困難でした。よってコンスアタブルの地元の地主階級などの肖像画を手がけ、時には両親といった家族の肖像も描きました。


左:ジョン・コンスタブル「外套を着たボンネット姿の少女の習作」 1810年 テート美術館
右:ジョン・コンスタブル「教会の入口、イースト・バーゴルト」 1810年発表 テート美術館

そうした中、初期の風景画として目を引くのが「教会の入口、イースト・バーゴルト」でした。コンスタブル一家が礼拝に出かけていた教会をモチーフとした一枚で、手前の墓には若い女性が老人の話に耳を傾ける様子が描かれていました。そして風景画家としてのキャリアを築くためにロイヤル・アカデミーへ出品したものの、美術評論家の目に留まることはありませんでした。


左:ジョン・コンスタブル「麦畑」 1817年? テート美術館
右:デイヴィッド・ルーカス(ジョン・コンスタブル原画)「麦畑」 1834年出版 テート美術館
 
自然を「あらゆる創造力がそこから湧き出る源泉」と捉えたコンスタブルは、1802年に初めて戸外で油彩画の制作をはじめ、1814年からは大胆にも展覧会出品用の絵画も屋外で描こうと試みました。


左:ジョン・コンスタブル「モルヴァーン・ホール、ウォリックシャー」 1809年 テート美術館

「モルヴァーン・ホール、ウォリックシャー」は、肖像画制作ために訪ねた邸宅を舞台としていて、カラスの群れが飛ぶ木立の中の建物を遠くから俯瞰するように表していました。そしてこの作品はおそらく戸外で描いた最初の例とされていて、8月の僅か1日余りで完成させました。


ジョン・コンスタブル「フラットフォードの製粉所(航行可能な川の情景)」 1816〜17年 テート美術館

父が経営していたコンスタブル家の製粉所を眺めた「フラットフォードの製粉所(航行可能な川の情景)」が魅惑的ではないでしょうか。ちょうどストゥーア川を上がってくる荷船が水門を通過し、牽引用の馬から綱を外す作業が行われる光景を描いていて、透き通った空気と瑞々しいまでの樹木の緑がうるわしく見えました。


左:ジョン・コンスタブル「デダムの水門と製粉所」 1817年? テート美術館
右:ジョン・コンスタブル「ランガムのガンヒル近くから望むデダム」1815年頃 テート美術館

1816年にマライアと結婚したコンスタブルは、ロンドンに移ってアトリエを構えて、個人からの肖像画の依頼を受け続けました。とはいえ風景画を重視していたコンスタブルは、より注目を集めようと大型のカンヴァスを用いるようになりました。そして1819年、40歳を過ぎてロイヤル・アカデミーの准会員に選出されました。それは1歳年上のターナーが20代の半ばで早くも准会員になったことに比べると、かなり遅咲きとも言えました。

コンスタブルが絵画の制作において重要視していたのは空の存在でした。ロンドン中心部から数キロ北に位置するハムステッドへ夏の間過ごすようになると、小道や人目につかない一角だけでなく、視界に広がる荒野や空を積極的に描くようになりました。


ジョン・コンスタブル「雲の習作」 1822年 テート美術館

「雲の習作」は、1821年から翌年にかけて100点近く制作された空の習作のうちの1枚で、コンスタブルは雲の習作の多くに制作日時や天候状態を記しました。ちょうど湧き上がり、空を満たすように広がる雲を量感あふれるタッチで描いていて、天気の移ろいの一瞬を捉えているかのようでした。


ジョン・コンスタブル「チェーン桟橋、ブライトン」 1826〜27年 テート美術館

海岸を描いた作品の中で唯一の大型の油彩画とされる「チェーン桟橋、ブライトン」も目立っていました。イングランド南岸に位置する温暖なブライトンはリゾート地として知られ、コンスタブルは結核に罹っていたマライアの療養のために何度も足を運びました。雲がたなびく広い空の下、打ち寄せる白波とともに、漁師や観光客の姿を描きこんでいて、あたかも実際に海岸線に立っているかのような臨場感も得られるのではないでしょうか。


左:ジョン・コンスタブル「草地から望むソールズベリー大聖堂のスケッチ」 1829年? テート美術館
右:ジョン・コンスタブル「ハーナムの屋根。ソールズベリー」 1820年、あるいは1829年 テート美術館

しかし療養の甲斐なく1828年にマライアを亡くすと、コンスタブルは続けてロンドンより西のソールズベリーを訪ねては聖職者と交流し、主教の甥の家であるレドゥンホールと呼ばれる家に滞在しました。そして妻を失った悲しみから抜け出すべく友人のフィッシャー大執事に励まされ、「草地から望むソールズベリー大聖堂」などを描きました。

マライアの死から数ヶ月後の1829年2月、コンスタブルはロイヤル・アカデミーの正会員に選出されました。そして風景画を描くだけでなく、自身の絵を原画した版画集「イングランドの風景」の制作に着手したり、1830年代には風景画と歴史についての講義を引き受けるなどして活動しました。

今回の展覧会のハイライトを飾るのが、約190年前のロイヤル・アカデミーの夏季展を再現したコーナーでした。


左:J.M.W.ターナー「ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号」 1832年 東京富士美術館
右:ジョン・コンスタブル「ウォータールー橋の開通式(ホワイトホールの階段、1817年6月18日)」 1832年発表 テート美術館

ここには1983年に同アカデミーにて公開されたターナーの「ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号」とコンスタブルの「ウォータールー橋の開通式(ホワイトホールの階段、1817年6月18日)」が並んでいて、両作品を見比べることができました。


ジョン・コンスタブル「ウォータールー橋の開通式(ホワイトホールの階段、1817年6月18日)」 1832年発表 テート美術館

発表当時、ターナーは自らの「ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号」の隣に「ウォータールー橋の開通式」が並ぶことを知ると、コンスタブルの絵画の方が目立つことを懸念し、最後の手直しとして赤いブイを描き加えたと言われています。それを見たコンスタブルは「ターナーがここにやって来て、銃を撃ち放っていった。」と話しました。

コンスタブルはターナーに対して敬意を払っていたとされますが、半ばライバルでもあった両者の関係を伝える面白いエピソードではないでしょうか。なお2つの作品が公開時以来に揃うのは3度目で、ロンドン以外では初めてのことになります。


左:ジョン・コンスタブル「教会の農場」 1830年頃 テート美術館
右:ジョン・コンスタブル「教会の農場」 1830年頃 テート美術館

晩年に至るにつれてコンスタブルは、過去の風景を再び取り上げたり、モチーフを配置し直すなど、想像力に働かせたピクチャレスクな絵画へと作風を変化させました。


ジョン・コンスタブル「虹が立つハムステッド・ヒース」 1836年 テート美術館
 
ラストの「虹が立つハムステッド・ヒース」もピクチャレスク的な作品で、ブランチ・ヒルの池を見下ろすパノラマの中へ実際に存在しない風車を描きこんでいました。また虹も後期を特徴付けるモチーフとされていて、以前の自然主義的な作品と比べるとダイナミックに映るかもしれません。

妻マライアに先立たれ、親友のフィッシャー大執事も亡くしたコンスタブルの晩年は、喪失感にかられていたと言われています。そして7人の子どもを世話しつつも、自身も病気に苦しむ時期を経験しました。晩年のコンスタブルの絵画には回顧的な主題が目立ちますが、それはともすれば妻や友が生きていた過去を懐かしむ意味もあったのかもしれません。

会期も中盤を過ぎました。現在のところ目立った混雑は起きていませんが、各時間の入場人数を制限していることもあり、最終盤に向かって行列になることも予想されます。

チケットは美術館の窓口にて当日でも購入可能ですが、混雑時に優先的に入場できる日時指定券をWebket(WEB)で発売中です。これからお出かけの方はあらかじめチケットを購入されることをおすすめします。


これまでにターナーこそ回顧展などで何度か目にする機会があったものの、私自身、コンスタブルについては一度もまとめて鑑賞したことがありませんでした。実に国内では1986年に当時の伊勢丹美術館などで開かれた展示以来、約35年ぶりの回顧展でもあります。

巡回はありません。5月30日まで開催されています。おすすめします。

「テート美術館所蔵 コンスタブル展」 三菱一号館美術館@ichigokan_PR
会期:2021年2月20日(土)~5月30日(日)
休館:月曜日。
 *但し祝日・振替休日の場合、会期最終週と2月22日、3月29日、4月26日は開館。
時間:10:00~18:00。
 *祝日を除く金曜、第2水曜は20時まで開館。
 *入館は閉館の30分前まで。
料金:大人1900円、高校・大学生1000円、中学生以下無料。
 *マジックアワーチケット:毎月第2水曜日17時以降に限り1200円。(Webketのみで販売。)
住所:千代田区丸の内2-6-2
交通:東京メトロ千代田線二重橋前駅1番出口から徒歩3分。JR東京駅丸の内南口・JR有楽町駅国際フォーラム口から徒歩5分。

注)写真はプレス内覧会の際に主催者の許可を得て撮影しました。
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「大・タイガー立石展 POP-ARTの魔術師」 千葉市美術館

千葉市美術館
「大・タイガー立石展 POP-ARTの魔術師」
2021/4/10~7/4



1941年に現在の福岡県田川市に生まれた立石紘一は、タイガー立石、あるいは立石大河亞と名乗り、絵画、陶彫、マンガ、絵本、イラストなどの幅広い分野で旺盛に活動しました。

その立石の過去最大規模の回顧展が「大・タイガー立石展 POP-ARTの魔術師」で、17歳の頃に描いた作品から遺作まで、約200点を超える作品と資料が展示されていました。


「ネオン絵画 富士山」 1964/2009年 個人蔵(青森県立美術館寄託)

まず入口で煌々と明かりを灯すのが「ネオン絵画 富士山」で、山頂から太陽が輝く光る富士山をネオンで象っていました。立石は美大卒業後に一時、ネオン広告制作会社に就職していて、日の丸や富士山などの通俗的イメージをネオンで表現しました。

第15回読売アンデパンダン展(1963年)へ出展した「共同社会」も目立っていたかもしれません。ここにはブリキの玩具と思しきバスや電車とともに、古い流木の欠片がパネルの上へ整然と並んでいて、素材の入り混じる奇異な光景を築き上げていました。

初期の立石は主に絵画を制作していて、「東京バロック」では東京駅舎や東京タワー、それに西郷隆盛像といった東京の代表的なモチーフとともに、戦闘機や労働者などの人物をコラージュするように描きこんでいました。またあたかも20世紀フォックス映画のオープニング画面のように自らの名前を記した「立石紘一のような」も面白い作品かもしれません。

立石の絵画で興味深いのは、確かにポップ・アートの影響を伺えるものの、シュルレアリスム的な作風も見られることで、それが日本の土着的なモチーフと融合していることでした。また中国で象徴的な存在である虎も繰り返し登場していました。

1968年にタイガー立石として漫画家として活動し、翌年にイタリアのミラノへ渡った立石は、漫画のコマ割りを取り入れた「コマ割り絵画」を制作しはじめました。ここでは宇宙船や火星人を連想させるモチーフが登場していて、それこそSF物語を読んでいるかのようでした。

またイタリアではイラストレーションの仕事も手掛けていて、デザイナーや建築家とのコラボレーションでイラストや宣伝広告などを手掛けました。それに関したTシャツやポスターなどの資料も展示されていました。

長らくイタリアに滞在して1982年に帰国すると、今度は立石大河亞と名乗り、絵画のみならず絵本や陶彫の作品を制作するようになりました。そして1985年からは千葉県の夷隅郡へと転居し、後に養老渓谷へと移ってアトリエを構えました。


「明治青雲高雲」 1990年 田川市美術館

帰国後の立石の最大の作品で代表作と言えるのが、「明治青雲高雲」、「大正伍萬浪漫」、「昭和素敵大敵」と題する大画面の3部作でした。


「大正伍萬浪漫」 1990年 田川市美術館

明治、大正、昭和の各時代における人物や建物に乗り物、それに事件や美術史のモチーフを自在に描いていて、政治から経済、文化や娯楽などの世相が画面から溢れるように展開していました。


「昭和素敵大敵」 1990年 田川市美術館

これらは立石が「時代の総括」と呼んだもので、美術評論家の中原祐介によって「大河画三代」と命名されました。


「明治青雲高雲」(部分) 1990年 田川市美術館

そのうち興味深いのは、古今東西の美術のモチーフが徹底的に引用されていることで、例えば明治時代の高橋由一の鮭や大正時代の岸田劉生の麗子像、それに昭和時代の古賀春江の海などが目を引きました。


「昭和素敵大敵」(部分) 1990年 田川市美術館

立石は漫画から絵画や絵本などをジャンルを渡り歩くように制作してきましたが、この作品においてもあらゆる主題がモザイク状に取り扱われていました。まさに過去や未来、それにローカルチャーもハイカルチャーも行き来した立石の表現の1つの集大成と呼べるのかもしれません。


「明治青雲高雲」下絵 1990年 ANOMALY

また3部作の下絵もあわせて展示されていて、絵画と見比べることもできました。鉛筆や色鉛筆などを用いて、意外と細かく描かれた下絵そのものも魅力的ではなかったでしょうか。


セザンヌやホッパーなどの美術家をモチーフとしつつ、さながら飛び出す絵本の大型版のような陶彫作品を過ぎると、ラスト近くで展示されていたのが全長9メートルに及ぶ絵巻物の「水の巻」でした。長大な作品のために一部のみが開いていましたが、絵画にも現れるような多様なイメージを絵巻へ落とし込んでいて見応えがありました


左:「雄鶏楼と富士」 1992年 ANOMALY
右:「大地球運河」 1994年 山本現代

この他では「コンニャロ商会」や「虎家族」といった漫画や、「とらのゆめ」などの絵本の原画も数多く出展されていました。ともかく作品と資料を合わせると膨大で、回顧展として不足はありませんでした。なお一部の絵本は美術館4階の図書室にて閲覧できました。


「大・タイガー立石展 POP-ARTの魔術師」会場風景

7月4日まで開催されています。おすすめします。なお千葉での展示を終えると、青森県立美術館(7月20日~9月5日)、高松市美術館(9月18日~11月3日)、埼玉県立近代美術館・うらわ美術館(11月6日~2022年1月16日)へと巡回します。(予定)

*会場内の一部の展示室と作品の撮影が可能でした。

「大・タイガー立石展 POP-ARTの魔術師」 千葉市美術館@ccma_jp
会期:2021年4月10日(土)~7月4日(日)
休館:5月6日(木)、5月24日(月)、6月7日(月)。
時間:10:00~18:00。
 *入場受付は閉館の30分前まで
 *毎週金・土曜は20時まで開館。
料金:一般1200(960)円、大学生700(560)円、高校生以下無料。
 *( )内は前売り、市内在住の65歳以上の料金。
 *常設展示室「千葉市美術館コレクション選」も観覧可。
住所:千葉市中央区中央3-10-8
交通:千葉都市モノレールよしかわ公園駅下車徒歩5分。京成千葉中央駅東口より徒歩約10分。JR千葉駅東口より徒歩約15分。JR千葉駅東口より京成バス(バスのりば7)より大学病院行または南矢作行にて「中央3丁目」下車徒歩2分。
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「日本民藝館改修記念 名品展 I 」 日本民藝館

日本民藝館
「日本民藝館改修記念 名品展 I ―朝鮮陶磁・木喰仏・沖縄染織などを一堂に」 
2021/4/4~6/27



2020年11月末より改修工事のため休館していた日本民藝館が、2021年4月4日にリニューアルオープンしました。

それを期して行われているのが「日本民藝館改修記念 名品展 I ―朝鮮陶磁・木喰仏・沖縄染織などを一堂に」と題した展覧会で、木喰仏や朝鮮陶磁、それに琉球の染織から大津絵、はたまた茶の湯の器といった優品が一堂に公開されていました。



今回の改修に際して大きくリニューアルされたのが、2階の最奥部に位置する大展示室でした。かつては木の板で覆われていた床には大谷石が敷き詰められ、壁には静岡の葛布が貼られるなどして佇まいを一新しました。また正面右手には壁一面に連なる大型のガラスケースも設置されました。



これらは民藝館の創設者であり、自らの設計した旧大広間(現豊田市民芸館)を踏襲したもので、言わば柳の意図した空間を自然素材を用いて再現されました。



そしてこの大展示室では「陶磁器の美」として、瀬戸や丹波の日本の焼き物をはじめ朝鮮や中国、さらにイギリスのスリップウェアを中心とする西洋の陶器が展示されていました。



大展示室中央に置かれた机の上の作品、及び机の手前から後方にかけては撮影することが可能でした。写真からしてもリニューアル後の雰囲気が幾分なりとも伝わるのではないでしょうか。(他は撮影禁止です。)

さらに大展示室へと至るスペースが一部拡張され、モニターにて日本民藝館や柳宗悦の業績を紹介する映像「日本民藝館物語」が上映されていました。また1階のトイレも全面的に刷新されました。

新型コロナウイルス感染症対策に伴い、チケット販売箇所が建物内ではなく、屋外の玄関横の窓口へ移りました。それにスリッパが使用不可となり、代わって使い捨てのシューズカバーが用意されました。また予約制ではありませんが、混雑時は入場を規制する場合があるそうです。

なお「名品展 I」を終えると、7月からは第2弾として「名品展 II-近代工芸の巨匠たち」が行われ、バーナード・リーチや河井寛次郎、それに濱田庄司といった柳と交流のあった作家の作品が展示されます。*会期:7月6日(火)~9月23日(木・祝)



大展示室を除く展示室の佇まいは基本的に変わりません。ただそれでも開館当初に近づいたスペースで見る民藝の名品は、心なしか以前よりも映えているように思えました。



6月27日まで開催されています。

「日本民藝館改修記念 名品展 I ―朝鮮陶磁・木喰仏・沖縄染織などを一堂に」 日本民藝館
会期:2021年4月4日(日)~6月27日(日)
休館:月曜日。但し5/3は開館し、5/6は休館。
時間:10:00~17:00。 *入館は16時半まで
料金:一般1200円、大学・高校生700円、中学・小学生200円。
 *団体見学は当面中止。
住所:目黒区駒場4-3-33
交通:京王井の頭線駒場東大前駅西口から徒歩7分。駐車場(3台分)あり。
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「あやしい絵展」 東京国立近代美術館

東京国立近代美術館
「あやしい絵展」
2021/3/23~5/16



東京国立近代美術館で開催中の「あやしい絵展」のプレス内覧会に参加してきました。

妖しい、怪しい、奇しいなどの漢字で当てはめられる「あやしい」には、時に退廃的かつ神秘的、またはミステリアスな魅力をもちえていて、美術においても多様に表現されてきました。

そうした「あやしい」に関する作品と資料を集めたのが「あやしい絵展」で、主に幕末から昭和初期に制作された日本の絵画、版画、それに雑誌や書籍の挿絵などが計160点ほど展示されていました。(会期中に入れ替えあり。)


安本亀八「白瀧姫」 明治28(1895)年頃 桐生歴史文化資料館

入口に立つ安本亀八の「白瀧姫」からしてミステリアスな雰囲気を醸し出していたかもしれません。これは幕末から明治にかけての見世物興行で人気を博した生人形の1つで、織姫になぞらえた白瀧姫を等身大のリアルな姿で象っていました。なおこの人形は見世物で使われたものではなく、日本織物株式会社が敷地内に建てた織姫神社に長らく安置されていました。いわゆる経年劣化のため、現在は着衣や持ち物が新調されているそうです。


稲垣仲静「猫」 大正8(1919)年頃 星野画廊

その「白瀧姫」をじっと伺うように佇むのが稲垣仲静の「猫」でした。そしてこの猫がいわば展覧会のガイド役を果たしていて、会場内の随所で江戸時代にできた定型詩の都都逸を呟いたり、作品の主題となった物語などを解説していました。

宿命の女を意味するファム・ファタルが日本に与えた影響を追う展示も興味深いかもしれません。


左:ダンテ・ガブリエル・ロセッティ「マドンナ・ピエトラ」 1874年 郡山市立美術館
右:藤島武二「夢想」 明治37(1904)年 横須賀美術館

ロセッティの「マドンナ・ピエトラ」とともに並ぶのは藤島武二の「夫人と朝顔」や「夢想」で、例えば「夢想」ではロセッティの「ベアタ・ベアトリクス」の女性に似通っていることが指摘されていました。


田中恭吉「冬蟲夏草」 大正3(1914)年 和歌山県立近代美術館

田中恭吉の「太陽と花」や「冬蟲夏草」も小品ながらも目を引くのではないでしょうか。僅か23歳の若さで亡くなった田中は、病を抱えながらも自己の内面に向き合うような木版を制作していて、とりわけ太陽へ向かって真っ直ぐ花を開く「冬蟲夏草」には、死の恐怖と生への意志がともに表されているかのようでした。


橘小夢「刺青」 大正12(1923)年、または昭和9(1934)年 個人蔵

神話や異世界を主題とした絵画などにも、妖しく耽美的とも受け止められる作品が少なくありませんでした。例えば橘小夢の「刺青」は谷崎潤一郎の同名の小説を題材としていて、女郎蜘蛛を刺された少女が伏す姿を不気味に表していました。


谷崎潤一郎「人魚の嘆き・魔術師」(春陽堂) 大正8(1919)年 弥生美術館

同じく谷崎の小説「人魚の嘆き」に付された挿絵も怪しげな印象を与えるかもしれません。驚くほどに長い髪の毛を振り乱す人魚の姿を、ピアズリーに影響を受けたという流れるような曲線によって緻密に描いていました。


「あやしい絵展」会場風景 第2章-4「表面的な『美』への抵抗」
 
さて今回の「あやしい絵展」のハイライトを挙げるとすれば、それは北野恒富や甲斐庄楠音、または岡本神草や秦テルヲといった、関西を中心に活動した画家の展示ではなかったでしょうか。


右:甲斐庄楠音「畜生塚」 大正4(1915)年頃 京都国立近代美術館

中でも特に目立っていたのが甲斐庄楠音で、未完の「畜生塚」をはじめ、「横櫛」や「幻覚」などの大作が並んでいました。


甲斐庄楠音「横櫛」 大正5(1916)年頃 京都国立近代美術館

そのうちの「横櫛」は、通称「切られお富」と呼ばれる歌舞伎の一場面を真似た義姉の姿より着想を受けた作品で、着物を身に付けては笑みを浮かべる女性の立ち姿を捉えていました。ここで印象に深いのは顔の彩色で、どこか血の通った肌の生々しさまでを表現していました。まさに官能的でかつデロリとも呼べるかもしれません。なお笑みに関しては、甲斐庄自らがレオナルドの「モナリザ」の影響をほのめかしているそうです。


岡本神草「拳を打てる三人の舞妓の習作」 大正9(1920)年 京都国立近代美術館

岡本神草の「拳を打てる三人の舞妓の習作」は、3人の舞妓が手指を動かしながら拳遊びをする様子を描いていて、細長い指や掌や顔には陰影が付けられていました。神草は展覧会に間に合わせるため、本作の出来上がった中央部のみを切って出品していて、切断された跡も残されていました。なお周囲の未着手の部分があるからか、中央部の色彩や立体感が際立っていて、それがかえって作品の奇抜さを演出しているようにも思えました。


左:秦テルヲ「眠れる児」 大正12(1923)年頃 京都国立近代美術館
中央:秦テルヲ「母子」 大正8(1919)年頃 京都国立近代美術館
右:秦テルヲ「池畔の女たち」 大正7(1918)年頃 京都国立近代美術館

あやしくも人間の根源的な情念や意志、それに時に諦念などを抉り取るかのような秦テルヲの絵画も見応えがありました。まるでピカソの一時代を思わせるような沈んだ青を基調に、母と子や肩を落として落胆に暮れるような女性を描いていて、モデルに対する画家の共感の眼差しも感じられました。


北野恒富「道行」 大正2(1913)年頃 福富太郎コレクション資料室

近松門左衛門の「心中天網島」を題材にした北野恒富の「道行」にも心を引かれました。諦めたような面持ちで遠くを見やる治兵衛の肩には、髪を乱した遊女の小春がもたれかかっていて、虚な表情を見せていました。そして後ろには死の象徴とされる烏が飛んでいて、心中へと至る運命を暗示していました。ただ2人して手を取り合う仕草には、死を厭わないような決意も滲み出ていたかもしれません。


小村雪岱「邦枝完二『お傳地獄』挿絵原画『刺青』」 昭和10(1935)年 埼玉県立近代美術館

この他では小村雪岱や鏑木清方などにも優品が目立っていたのではないでしょうか。また圧倒的に女性の描写が多いのも印象に残りましたが、その理由を検討したコラムがカタログに掲載されていました。そちらも展覧会を追いかける上で重要な観点と言えそうです。


島成園「おんな(旧題名・黒髪の誇り)」 大正6(1917)年 福富太郎コレクション資料室

展示替えの情報です。会期中に一部の作品が入れ替わります。

「あやしい絵展」出品リスト(PDF)
前期:3月23日(火)~4月18日(日)
後期:4月20日(火)~5月16日(日)

必ずしも全てが前後期での入れ替えではありません。詳しくは出品リストをご覧ください。


左:甲斐庄楠音「幻覚(踊る女)」 大正9(1920)年頃 京都国立近代美術館
右:甲斐庄楠音「舞ふ」 大正10(1921)年 京都国立近代美術館

オンラインでの日時指定制が導入されました。現在、美術館の窓口でも当日券を販売していますが、土日の午後などの混雑時は予約チケットが優先されます。前もってチケットを確保してから出かけられることをおすすめします。


「あやしい絵展」会場風景

会場内の一部作品を除き撮影も可能です。


5月16日まで開催されています。なお東京での展示を終えると、大阪歴史博物館へと巡回します。*会期:2021年7月3日(土)~8月15日(日)

「あやしい絵展」@ayashiie_2021) 東京国立近代美術館@MOMAT60th
会期:2021年3月23日(火)~5月16日(日)
時間:9:30~17:00。
 *金曜・土曜は20時まで開館。
 *4月25日(日)、29日(木・祝)、5月2日(日)~5日(水・祝)、5月9日(日)、5月16日(日)も20時まで開館。
 *入館は閉館の30分前まで。
休館:月曜日。但し3月29日、5月3日は開館。5月6日(木)は休館。
料金:一般1800円、大学生1200円、高校生700円、中学生以下無料。
 *当日に限り所蔵作品展「MOMATコレクション」も観覧可。
住所:千代田区北の丸公園3-1
交通:東京メトロ東西線竹橋駅1b出口徒歩3分。

注)写真はプレス内覧会の際に主催者の許可を得て撮影しました。
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「木村裕治展 落穂を拾う」 クリエイションギャラリーG8

クリエイションギャラリーG8
「木村裕治展 落穂を拾う」
2021/3/23~4/24



クリエイションギャラリーG8で開催中の「木村裕治展 落穂を拾う」を見てきました。

アートディレクターの木村裕治は、「Esquire日本版」や「朝日新聞GLOBE」といった雑誌を中心に、書籍や映画のポスターのデザインでも幅広く活動してきました。

その木村の仕事を辿るのが「落穂を拾う」と題した個展で、1982年の事務所設立以来、約40年のキャリアの中で手掛けられたデザインが展示されていました。



まず目立っていたのが雑誌の仕事で、ANAの「翼の王国」や小学館の「和楽」、それに中央公論新社の「婦人公論」などのロゴデザインが壁一面に散らばるようにして展開していました。



それらは時に自在に重なり合うようにも並んでいて、全体としてダイナミックなデザインを築いているようにも思えました。



木村のデザインは明快な構成や写真を引き立てるようなレイアウトなどを特徴としていて、どれもが一目で心に残るようなヴィジュアルばかりでした。



ともかく壁には余白の隙間がないほどに無数の作品が紹介されていて、それこそデザインの海に飲み込まれるような錯覚にとらわれました。



ミレーの絵画を連想させるタイトルの「落穂」とは、木村が仕事や生活の中で目に止まり、運ばれたり持ち込まれたもの意味するそうです。そしてそれらは木村のキャリアにおいて無数に集まったとしています。



過去の仕事を集めては分類するような考現学のような視点も垣間見えたかもしれません。また木村の「仕事は一旦終わったもの、そのままを展示するな、という声が聞こえてくる。」というメッセージも印象に残りました。



アートディレクターの有山達也やイラストレーターの下田昌克、それに写真家の永野陽一や筑摩書房の社長を務める喜入冬子ら、各界の著名人などが木村に寄せたコメントも面白いのではないでしょうか。かなり読ませる展示でもありました。



「そう、この個展のテーマは落穂。結論を出さなくてもいいんだ。ありのままを見ていただければ。そう思った時から気が楽になって、こんな個展になった、というわけです。この個展のおかげで落穂がまた増えたのはいうまでもありません。」木村裕治 *会場内リーフレットより

予約制ではありません。自由なタイミングで入場することができます。


撮影が可能です。4月24日まで開催されています。

「木村裕治展 落穂を拾う」 クリエイションギャラリーG8@g8gallery
会期:2021年3月23日(火)~4月24日(土)
休館:日・祝日。 
時間:11:00~19:00。
料金:無料。
住所:中央区銀座8-4-17 リクルートGINZA8ビル1F
交通:JR線新橋駅銀座口、東京メトロ銀座線新橋駅5番出口より徒歩3分。
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