「ムンク展―共鳴する魂の叫び」 東京都美術館

東京都美術館
「ムンク展―共鳴する魂の叫び」
2018/10/27~2019/1/20



東京都美術館で開催中の「ムンク展―共鳴する魂の叫び」を見てきました。

ノルウェーの画家、エドヴァルド・ムンク(1863〜1944)は、20世紀の表現主義の先駆けとして、人間の内面的な感情を表した作品を多く描きました。

そのムンクの作品が、母国ノルウェーより100点ほどやって来ました。ほぼ全てがオスロ市立ムンク美術館のコレクションで、「叫び」などの代表作をはじめ、初期から晩年までの作品を網羅していました。

はじまりは自画像でした。「地獄の自画像」では、オレンジ色に焦げた背景を前にした姿を描いていて、あまり明らかでない表情ながらも、眼光だけは鋭く、強い意志を感じさせていました。ムンクは生涯において自画像を多数制作していて、「私の絵は、自己告白である。」との言葉も残しました。


エドヴァルド・ムンク「病める子 I 」 1896年 オスロ市立ムンク美術館

1863年に軍医を父に持つ家庭に生まれたムンクは、5歳の時に母を結核により亡くし、9年後には1つ上の姉も同じ病気で失いました。また自身も病弱で、同年の春には、吐血と高熱で死の恐怖に苛まれました。「死と春」や「病める子 I 」は、死に接した一連の経験を思わせる作品で、後者では、蒼白な顔の少女が、まるで死を悟ったのか、どこか虚ろな表情で横を見つめていました。


エドヴァルド・ムンク「夏の夜、人魚」 1893年 オスロ市立ムンク美術館

オスロのフィヨルドをのぞむ地で暮らしたムンクは、夏の白夜の中、月明かりの照らす海辺の景色を繰り返し描きました。一例が、「夏の夜、人魚」で、黄色い月明かりが縦にのびる岩場の岸で、水浴びをする人魚を表しました。僅かに波打つ海は濃い水色に覆われていて、丸石は月の光を受けたのか、美しくきらめいていました。人魚の表情はぼんやりとしていて、幻想的な光景が広がっていました。

1892年、パリ留学後に故郷で個展を開いたムンクは、ベルリン芸術家協会の招待を受け、同地で展覧会を開催しました。しかし印象派も浸透していなかったベルリンでは、ムンクの絵画は受け付けられず、1週間余りで個展を終えることになりました。また1902年、かねてより「愛憎半ばしながら」(解説より)連れ立っていたトゥラ・ラーセンとの間で銃の暴発事件を起こし、左手中指の一部を失いました。その後、アルコール依存症や神経症に悩まされるものの、次第に作品は評価され、ヨーロッパ各地で個展を開きました。


エドヴァルド・ムンク「叫び」 1910年? オスロ市立ムンク美術館

「叫び」は会場中盤での展示でした。数ある西洋絵画の中でも、とりわけ有名な作品で、ムンクは1893年以降、4作(版画を除く)を描き、うち2点をムンク美術館、1点をオスロ国立美術館、そして1点は個人がそれぞれ所蔵しています。今回来日したムンクはムンク美術館のコレクションで、油彩やパステルではなく、唯一、テンペラが加えられた作品でした。

縦83センチほどと、決して大きくない画面の中で、極端にデフォルメされた人が、幻聴に耐えかねて、耳を押さえる姿を捉えていて、背後のフィヨルドは、もはや原型をとどめないほどに屈曲していました。まさに画中の人物の不安や孤独が反映されていて、渦巻く景色は、今にも崩壊してしまうかのようでした。


エドヴァルド・ムンク「絶望」 1893-94年 オスロ市立ムンク美術館

その隣の「絶望」にも心惹かれました。空と大地とが渾然一体、同じようにうねりを伴う中、一人の男が諦念に達したのか、肩を落としては、俯いていました。「叫び」の人物がかなり崩れているのに対し、「絶望」はむしろはっきり描かれていて、後ろの人物の歩く男にも、実在感がありました。オスロ市立美術館の「叫び」が来日するのは、もちろん初めてのことでもあります。

接吻、吸血鬼、マドンナなども、叫びと同じく、ムンクの手がけた連作「生命のフレーズ」の中心を占めるモチーフでした。「月明かり、浜辺の接吻」は、得意の縦にのびる月明かりの下、海辺の木立で男女が接吻する姿を捉えていて、二人はもはや一体であるかのように、強く、激しく密着していました。装飾性を帯びた構図も魅惑的と言えるかもしれません。


エドヴァルド・ムンク「生命のダンス」 1925年 オスロ市立ムンク美術館

私が今回、最も魅せられたのが、代表作の1つでもある「生命のダンス」でした。例の月明かりの海辺で、複数のカップルが抱き合いながら、ダンスをしていて、ともかくドレスの白や赤はもちろん、海の群青に空の紫など、力強く、鮮烈な色彩美に見惚れました。油彩に特有な絵具の迫力を感じたのは私だけでしょうか。

1908年、アルコール依存症によってコペンハーゲンの病院へ入院したムンクは、心身こそすぐれなかったものの、同年に勲章を授与され、国立美術館に作品が買い上げられるなど、40代にしてノルウェーでの画家としての地位を確立しました。翌年に退院すると、ノルウェーへ戻り、アトリエを構え、壁画などの大規模なプロジェクトにも取り組みました。肖像画家としても人気を集めていたそうです。


エドヴァルド・ムンク「太陽」 1910-13年 オスロ市立ムンク美術館

輝かしい光が画面から溢れていました。それが「太陽」で、黄金の光をリングを描くように放つ太陽が、フィヨルドの大地と海をあまねく照らしていました。また「星月夜」も力作で、ムンクの家の玄関先から眺めたとされる夜の景色を捉えていました。七色に変化する空はもとより、黄色い星の瞬きなど、やはり色彩の美しさに感心させられました。


エドヴァルド・ムンク「星月夜」 1922-24年 オスロ市立ムンク美術館

1927年にはベルリンとオスロで、油彩画が200点超も出展された大規模な回顧展も開催され、ノルウェーの国民的画家となりますが、ドイツでナチスが台頭すると、同国では退廃芸術の烙印を押されてしまいました。さらに1940年にナチスがノルウェーを占領すると、親ドイツ政権の懐柔にも応じることなく、アトリエに引きこもりました。


エドヴァルド・ムンク「自画像、時計とベッドの間」 1940-43年 オスロ市立ムンク美術館

「自画像、時計とベットの間」は、最晩年に描かれた作品で、赤と黒のストライプのベットの横で、ムンクが手をだらんと垂らしながら、直立する姿を表していました。その表情は幾分と寂しげ絵もあり、自身の境遇を憂いているようにも見えなくはありませんが、背後の黄色しかり、輝く色彩はいささかも失われていません。結局、ムンクは戦争の終結を見ることなく、1944年に亡くなりました。

最後に会場内の状況です。会期早々、10月28日(日)のお昼過ぎに行ってきました。



またはじまってから2日目だったのにも関わらず、既に入場規制がなされていて、「10分待ち」の案内もありました。



ただし実際に入口へ行くと、特に規制はなく、そのまま入れましたが、中は相当の人出で、初めの展示室に関しては、絵の前に立つのもままならない状況でした。「叫び」のコーナーも同じように混み合っていました。ただしほかの展示室に関しては、人の流れも比較的スムーズで、列に沿えば、どの作品も最前列で鑑賞出来ました。


会期も半月ほど過ぎ、さらに混み合っています。平日こそ入場に際しての待ち時間は殆どありませんが、最近では11月10日(土)に30分、11月11日(日)には最大で40分の待ち時間も発生しました。おおむね午前中の早い時間から待機列が生じ、午後にかけて段階的に縮小し、夕方には解消しているようです。



都内各地で大規模な西洋美術展が立て続けに開催されていますが、おそらく最も混み合うのが、「ムンク展」に違いありません。会期末は長蛇の列も予想されます。当面は金曜の夜間開館日が狙い目となりそうです。



どうやら私にとってムンクは「叫び」のイメージが強すぎたのかもしれません。確かにメランコリックな面も見え隠れはしていましたが、そもそも先の「生命のダンス」をあげるまでもなく、絵自体は時に色彩に輝き、それこそ目がさめるほどに美しいのではないでしょうか。初めて画家の魅力を知ったような気がしました。



2019年1月20日まで開催されています。おすすめします。

「ムンク展―共鳴する魂の叫び」@munch2018) 東京都美術館@tobikan_jp
会期:2018年10月27日(土)~2019年1月20日(日)
時間:9:30~17:30
 *毎週金曜日、及び11月1日(木)、3日(土・祝)は20時まで。 
 *入館は閉館の30分前まで。
休館:月曜日、12月25日(火)、1月1日(火・祝)、15日(火)。11月26日(月)、12月10日(月)、24日(月・休)、1月14日(月・祝)は開館。
料金:一般1600(1400)円、大学生・専門学校生1300(1100)円、65歳以上1000(800)円。高校生800(600)円。中学生以下無料。
 *( )は20名以上の団体料金。
 *高校生は12月無料。
 *毎月第3水曜日はシルバーデーのため65歳以上は無料。
 *毎月第3土曜、翌日曜日は家族ふれあいの日のため、18歳未満の子を同伴する保護者(都内在住)は一般料金の半額。(要証明書)
住所:台東区上野公園8-36
交通:JR線上野駅公園口より徒歩7分。東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅7番出口より徒歩10分。京成線上野駅より徒歩10分。
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「フィリップス・コレクション展」 三菱一号館美術館

三菱一号館美術館
「フィリップス・コレクション展」
2018/10/17~2019/2/11



三菱一号館美術館で開催中の「フィリップス・コレクション展」のプレスプレビューに参加してきました。

アメリカのペンシルベニア州の鉄鋼王を父に持ち、コレクターでもあったダンカン・フィリップス(1866~1966)は、印象派や当時のモダン・アートを収集し、膨大な西洋絵画コレクションを築き上げました。

1921年にはニューヨーク近代美術館よりも早く、アメリカで初めて近代美術を扱う美術館として開館し、今では全4000点以上もの作品を有する、世界でも名高いプライベートコレクションとして人気を集めています。

そのフィリップス・コレクションが一号館美術館へとやって来ました。出展作品は全部で75点で、一定数まとめて東京で公開されるのは、2005年に森アーツセンターギャラリーで開催された、「フィリップス・コレクション展 アートの教科書展」以来のことでもあります。


クロード・モネ「ヴェトゥイユへの道」 1879年

まず最初に出迎えていたのが、モネの「ヴェトゥイユへの道」でした。1878年に同地へ移住したモネは、同じ景観を異なった季節や時間帯で同じ景観を描くなどして、複数の作品を制作しました。水色の空の下に伸びるのが、サーモンピンクを帯びた道で、村のはずれにあったモネの旧居へと通じていました。ともかく美しい色彩が際立っていて、淡い光が一面を覆っていました。


アルフレッド・シスレー「ルーヴシエンヌの雪」 1874年

そしてドワクロワ、ドーミエ、クールベと続く中、シスレーの「ルーヴシエンヌの雪」にも目が留まりました。雪の降りしきる村の小道を捉えていて、強い風が吹いているのか、歩く人物は傘を斜めにして差していました。僅かなピンク色の混じる雪は、冷ややかというよりも、むしろ温かみがあり、雪の柔らかな質感が伝わってくるかのようでした。フィリップスは、シスレーを天才と捉え、「第一級の風景画家」であると考えていて、同作も最後まで手放すことはありませんでした。


オノレ・ドーミエ「蜂起」 1848年以降

作品の展示の順に一工夫ありました。キャプションの番号に注目です。というのも、左上に番号があり、右下に丸字の番号の2つがありますが、例えばドーミエの「蜂起」では、前者が11で後者が7と一致しません。一体、どういうわけなのでしょうか。

答えはコレクションの順番にありました。つまり左上の番号はカタログのナンバーで、端的に作品の制作年代順を表していますが、一方の丸字の番号は、フィリップスが購入した順を示しています。

よって「蜂起」に関しては、出展中、11番目に制作年代が古い作品であり、同じく出展中において、フィリップスが7番目に取得した作品を意味しているわけでした。そして会場では作品が丸字の番号順に並んでいるため、それを追っていくと、フィリップスのコレクションの形成過程の一端も伺い知ることが出来ました。


ダンカン・フィリップスの言葉 *解説パネル

またもう1点、「ダンカン・フィリップスの言葉」なるパネルも見逃せません。ここではフィリップスの残した言葉を幾つか紹介し、彼がどのように画家を評価していたのかが分かるようになっていました。


メイン・ギャラリー、1930年。左からドーミエ「蜂起」、シャルダン「プラムを盛った鉢と桃、水差し」、マネ「スペイン舞踏」。 *写真パネル

さらにあわせてフィリップスの時代のギャラリーの展示風景の写真もあり、当時、作品がどのように並んでいるのかについても知ることが出来ました。今回の「フィリップ・コレクション」は、単に作品を見せるだけでなく、フィリップス本人のコレクターとして活動にかなりフィーチャーしているのも、大きな特徴と言えそうです。


ピエール・ボナール「開かれた窓」 1921年

フィリップスはモダン・アートの良き理解者でもありました。当初は印象派以前の作品も購入していましたが、時代が下りにつれ、嗜好も変化し、ボナール、ブラック、スーティン、ココシュカ、モランディなどを購入し、アメリカの美術館として初めて公開しました。


ニコラ・ド・スタール「北」 1949年

ロシアに生まれ、フランスで移動したニコラ・ド・スタールも同様で、「北」は、アメリカの美術館に最初に入ったスタールの作品でした。1953年の終わりまでに6点のスタールを購入したフィリップスは、同年にアメリカにおけるスタールの初個展も開催しました。


ラウル・デュフィ「画家のアトリエ」 1935年

さらに時代は前後するものの、1926年にはボナールがフィリップス・コレクションを訪れたほか、デュフィも「画家のアトリエ」を描いた2年後の1937年、フィリップス家に招かれました。フィリップスは、同時代の美術家をサポートした最初のアメリカの美術館長の1人で、時に金銭を援助しては、画家の重要な買い手となりました。


ジャン・シメオン・シャルダン「プラムを盛った鉢と桃、水差し」 1728年頃

美術館を「実験場」と位置付けたフィリップスは、全ての時代の良きものをまとめて見せることが重要と考えていて、印象派と存命中の画家の作品を、同時に見られるように工夫していました。ロココの画家であるシャルダンの「プラムを盛った鉢と桃、水差し」を、セザンヌやブラックと並べて展示していたそうです。


ジョルジュ・ブラック「フィロデンドロン」 1952年

フィリップスが高く評価した画家の1人にブラックがいました。1927年にはじめてブラックを購入したフィリップスは、「フランス的センスにあふれて、論理的で、均整がとれている」(解説より)と評し、「ブドウとクラリネットのある静物」や「レモンとナプキン」、「円いテーブル」などを取得しました。そして今回の展覧会においても、実に出展中1割弱がブラックの作品で占められていて、もはやハイライトと捉えても差し支えありません。


ポール・ゴーガン「ハム」 1889年

一枚の肉厚なハムに出会いました。その名もまさに「ハム」で、コレクションが唯一、所有するブラックの絵画でした。フィリップスはゴーガンのプリミティヴィズムについては評価を保留し、タヒチの風景画を手放すこともありましたが、ロマン主義者としては称賛していました。それにしてもうっすらとワイン色を帯びたハムはジューシーで、美味しそうではないでしょうか。


フランツ・マルクの「森の中の鹿 I」 1913年

フランツ・マルクの「森の中の鹿 I」も魅惑的でした。断片的な色面で構成された森の中には、5頭の牝鹿が体を休めていて、マルクは牝鹿に無垢や、傷つきやすさ、それに優しさの暗喩として表していました。フィリップスは1953年、マルセル・デュシャンを通じて、コレクターであるキャサリン・ドライヤーの遺品の寄贈を受けていて、本作のほか、同じ青騎士のメンバーである「白い縁のある絵のための下絵」や、カンペンドングの「村の大通り」などをコレクションしました。


エドゥアール・マネ「スペイン舞踏」 1862年

マネにも見逃せない作品がありました。それが「スペイン舞踏」で、手を振り上げては踊る、マドリード王立劇場のダンサーたちが描かれていました。ダンサーは正面を向きながら、音楽に合わせるようにポーズをとっていて、まるで公演の最中のようにも見えますが、実際にはアトリエで構成された作品でした。また本作は、三菱一号館美術館のオープニングを飾った2010年の「マネとモダン・パリ」で出展の叶わなかった作品で、同館としてはゆうに8年越しに公開が実現しました。


エドガー・ドガ「稽古をする踊り子」 1880年代はじめ〜1900年頃

すでに定評があるとは言え、ともかく想像以上に充実した作品ばかりで感心させられました。プレビュー時に、三菱一号館美術館の高橋明也館長から、「世界で最も素晴らしい個人コレクション。」との発言がありましたが、あながち誇張ではないかもしれません。


ダンカン・フィリップスと妻マージョリー、ブラック「フィロデンドロン」 の前で、1954年。 *写真パネル

最後に会場内の状況です。プレビューに次いで、会期1週目の日曜日に改めて行って来ました。さすがにはじまったばかりから、入場規制等もなく、館内もスムーズで、どの作品も好きなペースで観覧することが出来ました。


しかし何かと混雑が後半に集中する一号館美術館のことです。年明け以降、入場待ちの列が発生することも考えられます。

会期も残すこと90日となりました。ロングランの展覧会ではありますが、早めに観覧されることをおすすめします。


「フィリップス・コレクション展」会場入口

2019年2月11日まで開催されています。おすすめします。

「フィリップス・コレクション展」 三菱一号館美術館@ichigokan_PR
会期:2018年10月17日(水)~2019年2月11日(月・祝)
休館:月曜日。
 *但し、祝日・振替休日の場合、会期最終週とトークフリーデーの10/29、11/26、1/28は開館。年末年始(12/31、1/1)。
時間:10:00~18:00。
 *祝日を除く金曜、第2水曜、会期最終週平日は21時まで開館。
 *入館は閉館の30分前まで。
料金:大人1700円、高校・大学生1000円、小・中学生500円。
 *アフター5女子割:毎月第2水曜日17時以降/当日券一般(女性のみ)1000円。
住所:千代田区丸の内2-6-2
交通:東京メトロ千代田線二重橋前駅1番出口から徒歩3分。JR東京駅丸の内南口・JR有楽町駅国際フォーラム口から徒歩5分。

注)写真は報道内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。作品は全てフィリップス・コレクション。
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「江戸絵画の文雅─魅惑の18世紀」 出光美術館

出光美術館
「江戸絵画の文雅─魅惑の18世紀」 
11/3~12/16



出光美術館で開催中の「江戸絵画の文雅─魅惑の18世紀」を見てきました。

「古くより不可分の存在」(解説より)であった文芸と絵画は、江戸時代になってさらに進化を遂げ、多くの作品を生み出しました。

そうした文芸をキーワードにしたのが、「江戸絵画の文雅─魅惑の18世紀」で、主に館蔵品を中心とした文人画、琳派、浮世絵の作品が約50件ほど展示されていました。

冒頭からして蕪村の傑作が待ち構えていました。それが国宝の「夜色楼台図」で、雪がしんしんと降り積もった夜の町並みを表していました。既に雪は長く降っているのか、屋根はおろか、山々も白く染めていました。ほぼモノクロームながらも、窓から漏れる明かりを示すのか、建物には朱も加えられていて、人々の息遣いも見ることが出来ました。また空は完全に闇ではなく、雪の夜に特有の明るさをたたえていて、仄かな光をたくわえていました。蕪村は胡粉の白を下塗りし、その上から淡墨を施し、さらに濃墨を重ねることで、夜の雪雲を巧みに表しました。私も何度も目にした作品ですが、これほど情景の豊かな雪景色をほかに知りません。

なお近年、本作の題が中国の明代の詩の一節であることから、蕪村は北京の雪景色を、京都の東山に見えるように描いたと指摘されています。さらに画中で一番大きな楼閣を、蕪村も通った料亭に例え、その奥に、芸妓と雪見を楽しむ蕪村の姿を想像する向きもあるそうです。しばらく絵を眺めていると、いつしか中に入り込み、蕪村と同様に楼閣に立っては、雪景色を見渡しているような錯覚に陥りました。

蕪村と並び称する文人画の大家、池大雅では、「十二ヶ月離合山水図屏風」に惹かれました。十二ヶ月の四季の移ろいを、一幅一幅、独立した図に描いていて、「離合山水」の名が示すように、各幅を繋げると、一つの大画面として風景が立ち上がるように出来ていました。大らかな線と点、さらに淡い緑や青の色彩にて、野山や水辺を表していて、舟に乗る老人など、人の姿も見ることが出来ました。特に印象深いのは点の用い方で、それこそ細かに樹木の葉を象ったかと思えば、山の際などは、かなり粒の大きな点で示していて、大小に変化を付けて景色を表していることが良く分かりました。

琳派にも見逃せない作品がいくつかありました。その1つが伝宗達の「果樹花木図屏風」で、中央に緑の丘を描き、手前に柑橘類の樹木や椿、奥に朴などを描いていました。金地から丘、また金地、さらに奥へと至った、4つの場面の構成も特徴的で、丘の緩やかな曲線は、「蔦の細道図屏風」を思わせるかもしれません。

深江芦舟の「四季草花図屏風」も興味深い作品で、金地に土筆や蕨、躑躅に海堂など、四季の草花を表していました。そして金地は、黒に近い灰色と斑模様になっていましたが、これは何も金が剥落しているわけではなく、元に銀地を交錯させたからこそ表現でもあるそうです。今でこそ銀が変色していますが、制作当初は、金と銀とが共にまばゆい光を放っていたのではないでしょうか。極めて独特な光景が生み出されていました。

禅画では大雅の「瓢鯰図」が見逃せません。有名な如拙の「瓢鮎図」を、大津絵風に表していて、大津絵では猿は鯰を捕らえるところを、大雅は禅僧に置き換えて描きました。丸々とした鯰と禅僧、そして大きな瓢箪の姿は、大変に滑稽で、親しみ易さを感じる作品でもありました。

勝川春章の「美人鑑賞図」も目を引きました。11人の女性が、絵を鑑賞したり、軒先で談笑する姿を表していて、春章は、横幅120センチ超にも及ぶ、単体の美人画と異例の大きさの画絹に描きました。着物の鮮やかな色彩も鮮烈で、まさに華やかでかつ妖艶な光景と言えるかもしれません。

ラストは文晁に玉堂、そして岸駒に呉春、森狙仙でした。ここでは森狙仙の大作、「猿鹿図屏風」が目立っていましたが、私としてはもっと小さい玉堂の「籠煙惹滋図」の方に心惹かれました。色紙大サイズの小品ながらも、細かく、震えるような墨線で描いた山水の光景は、思いの外に雄大で、目を凝らして絵の中へ入り込めば込むほど、景色が臨場感をもって立ち上がってきました。山水の魅力が小画面に濃縮された一枚と呼んでも良いかもしれません。


作品と文芸との関係については、解説パネルなどで記載がありましたが、そもそも作品が想像以上に優品ばかりでした。土曜日の午後に出かけて来ましたが、館内は大変に余裕がありました。自由なペースで鑑賞出来ます。

蕪村の「夜色楼台図」は11月18日までの展示です。以降、休館日を挟み、11月20日からは同じく蕪村の「龍山落帽図」と「寿老四季山水図」が出展されます。それ以外の展示替えはありません。ご注意下さい。

12月16日まで開催されています。

「江戸絵画の文雅─魅惑の18世紀」 出光美術館
会期:11月3日(土・祝)~12月16日(日)
休館:月曜日。但し月曜日が祝日および振替休日の場合は開館。
時間:10:00~17:00
 *毎週金曜日は19時まで開館。
 *入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1000(800)円、高・大生700(500)円、中学生以下無料(但し保護者の同伴が必要。)
 *( )内は20名以上の団体料金。
住所:千代田区丸の内3-1-1 帝劇ビル9階
交通:東京メトロ有楽町線有楽町駅、都営三田線日比谷駅B3出口より徒歩3分。東京メトロ日比谷線・千代田線日比谷駅から地下連絡通路を経由しB3出口より徒歩3分。JR線有楽町駅国際フォーラム口より徒歩5分。
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「中国近代絵画の巨匠 斉白石」 東京国立博物館・東洋館

東京国立博物館・東洋館8室
「中国近代絵画の巨匠 斉白石」 
10/30~12/25



東京国立博物館・東洋館8室で開催中の「中国近代絵画の巨匠 斉白石」を見てきました。

1864年に湖南省の農村に生まれた斉白石は、大工や指物師として生計を立てつつ、絵の才能を開花させ、画家の道を歩みました。そして40歳の頃に全国各地を旅行し、60歳になって北京に拠点を定めては、大家として成功を収めました。今では、中国で最も有名な画家の1人とも呼ばれています。

その斉白石の作品が、北京画院よりまとめてやって来ました。北京画院とは、1957年に設立された中国で最も古く、規模の大きい近代美術アカデミーで、斉白石は初代名誉院長に迎えられました。


「桃花源図」 1938年 北京画院

冒頭から魅惑的な作品が待ち構えていました。それが「桃花源図」で、深い山の連なる光景を、清代の文人山水画の形式で表現していました。山の合間には草庵もあり、水辺には小さな橋も架かっていましたが、人の気配は感じられず、静寂に包まれていました。ともかく樹木の紅が瑞々しく、色彩感に秀でていて、全くジャンルは異なるものの、まるで印象派絵画を前にしているような感覚に陥りました。


「墨梅図」 1917年 北京画院

「墨梅図」は水墨のみで白梅を表した一枚で、細い枝に無数の梅を咲かせていました。身をよじらせた幹の表現も特徴的で、白石は同郷の篆刻家であった友人の誕生日を祝って描きました。


「菊花図」 20世紀 北京画院

華やかな黄色が目を引くのが「菊花図」で、素早く、力強い墨線で花弁や葉を描いていました。ちょうど奥の垣根より菊が飛び出してくる構図も躍動感があり、花の生気も感じられました。


「雛鶏出籠図」(部分) 20世紀 北京画院

白石は水墨の名手と呼んでも差し支えありません。それを示すのが「雛鶏出籠図」で、竹籠から鶏の雛が逃げ出す様子を墨で描いていました。よちよちと歩く雛は実に可愛らしく、墨の滲みを重ねては、ふわふわとした羽毛の質感までを巧みに表していました。


「葡萄松鼠図」(部分) 20世紀 北京画院

また「葡萄松鼠図」も愛らしい一枚で、葡萄の房から実を採っては、互いに奪い合おうとする栗鼠を、瑞々しい墨で表現していました。葡萄の実は淡い紫で塗られていて、墨による葉と絶妙なコントラストを描いていました。葡萄はツルを伸ばし、実を多くつけることから、子孫繁栄を意味したおめでたい植物として知られています。


「松鷹図」 20世紀 北京画院

中国で英雄の象徴とされる鷹を描いた「松鷹図」も力作で、激しい動きを伴う墨で示された松の枝の上に、一羽の鷹が羽を休めていました。やや上目遣いで見やるような仕草も面白く、どことなく人懐っこい表情に見えるかもしれません。実際に白石は師から鳥の描写に際し、「活」、すなわち「躍動感」が大切と教わっていたそうです。それを上手く反映した作品とも言えるのではないでしょうか。


「草蟹図」 20世紀 北京画院

蝦や蟹も白石の得意とした画題でした。その1つが「草蟹図」で、重なり合いながら群れる蟹を、輪郭線を用いず、墨の滲みのみで表現していました。こうした技法は明代の文人画家を継承するとされていて、目をこらすと蟹には青色も加えられていました。農村に生まれた白石は、幼い頃から生き物に親しんでいて、ひしめく蟹はまるで実際に動いているようでした。


「借山図」(第十一図) 1910年 北京画院

山水では「借山図」も目を引きました。白石が中国各地を旅して描いた作品で、様々な景勝地が、余白を多く用いた構図にて表現されていました。こうした余白のある作風は、白石山水画の特徴でもあり、のちの「双肇楼図」でも見ることが出来ました。なお「借山」とは、白石の故郷の湖南省に構えた書斎の号に因んでいるそうです。


「蝉図(画稿)」(拡大) 20世紀 北京画院

大らかとものびやかとも受け取れる白石の作風ですが、一転して実に細密な描写を見るものもありました。それが昆虫を描いた作品で、熊蜂やバッタ、はたまた蝉などを極めて写実的に写していました。


「飛蝗図(画稿)」(拡大) 20世紀 北京画院

その視点はもはや博物学的と言っても良いほどで、まるで図鑑の1ページを前にしているかのようでした。白石は常に虫を観察し、触覚の形状や羽の文様などを捉えては、写すことを楽しんでいたと伝えられています。


左:「故郷無此好天恩」朱文印 1930年 北京画院

白石は、詩、書、画、印の4分野に通じた、「四絶」と称さました。中でも篆刻には若い頃から興味を持っていて、先人に学びながら、独自の字体や刀法を確立しました。そこにはかつての大工や指物師の経験も活かされていて、力強い刻刀を用いつつ、剛直な刻線を特徴としていました。


「篆書五言聯」 20世紀 北京画院

最後に展示替えの情報です。出展は120点超にも及びますが、一部の資料を除き、前後期で全ての作品が入れ替わります。

「中国近代絵画の巨匠 斉白石」
前期:2018年10月30日(火)~11月25日(日)
後期:2018年11月27日(火)~12月25日(火)


「中国近代絵画の巨匠 斉白石」会場風景

会場は東洋館4階の第8室です。平成館の特別展ではありません。よって総合文化展の入場料で観覧出来ます。またデュシャン展と大報恩寺展会期中は、特別展チケットでも観覧可能です。


写真では、墨や色彩の細かなニュアンスが伝わりませんが、全作品の撮影も出来ました。


「中国近代絵画の巨匠 斉白石」会場入口

後期も行くつもりです。12月25日まで開催されています。おすすめします。

「中国近代絵画の巨匠 斉白石」 東京国立博物館・東洋館8室(@TNM_PR)
会期:10月30日(火) ~12月25日(火)
時間:9:30~17:00。
 *毎週金・土曜、10月31日(水)、11月1日(木)は21時まで開館。
 *入館は閉館の30分前まで。
休館:月曜日。但し12月24日(月・休)は開館。
料金:一般620(520)円、大学生410(310)円、高校生以下無料。
 *( )は20名以上の団体料金。
 *特別展チケットでも観覧可。
住所:台東区上野公園13-9
交通:JR上野駅公園口より徒歩10分。東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅、京成電鉄上野駅より徒歩15分。
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「超おさらい!日本美術史。」 Pen(2018/11/15号)

縄文時代から戦前へと至る日本美術の歴史を、一挙におさらい出来る特集が、雑誌「Pen」11月15日号に掲載されています。



「完全保存版 超おさらい!日本美術史。」 Pen(ペン) 2018年11/15号
https://www.pen-online.jp/magazine/pen/463-nihonbijyutsushi/

それが「完全保存版 超おさらい!日本美術史。」で、縄文、飛鳥、平安、桃山、江戸(前〜中期、後期)、明治、そして戦前の順に、各時代の核となる作品を参照しながら、美術の大まかな通史を紹介していました。



はじまりは縄文時代で、東京国立博物館での「特別展 縄文」でも記憶に新しい十日町の「火炎型土器」のほか、有名な「遮光器土偶」を見比べながら、土器の文様の変遷、また土偶における造形美を踏まえ、縄文人の生活などについて触れていました。



また、基本的に通史ながらも、利休の「わび」や南蛮美術、それに若冲や蕭白、蘆雪などの18世紀の京都の絵師に着目したコーナーもあり、それぞれの特質や各絵師の個性を見比べることも出来ました。



私として特に面白かったのは、「美人」や「かわいい」などをキーワードに、時代を横断して作品をピップアップしていることで、「美人」では奈良時代の「鳥毛立女屏風」に起源を辿りつつ、平安時代の「源氏物語」、さらには清長や歌麿の美人画から、黒田清輝の「智・感・情」などを取り上げ、時代ごとに移り変わる「美」の様相、ないしトレンドを追っていました。

現代美術に関しては、「現代のアートシーンに現れた、日本美術のDNA」と題し、美術史家の山下裕二先生のインタビュー記事が掲載されていました。ここでは山下先生が注目する現代アーティストを取り上げ、それぞれの作品から見られる、日本美術の影響について触れていました。

来年2月より開催予定の「奇想の系譜」展にも関した特集、「奇想をキーワードに、非凡なる美を再発見」も興味深いのではないでしょうか。ここでは奇想を「奇なる発想に基づく、既知や諧謔、エンターテイメント性に富んだ芸術表現」と捉え、奈良から明治時代までの奇想的な作品を紐解いていました。また各時代の監修者が作品を選出しているのも特徴で、推薦コメントならぬ、解説も付されていました。新たな視点で作品を理解することができるかも知れません。

さらに「日本画の味わいをつくり出す、伝統的な画材」では、顔料、筆、また絹や和紙など日本画の画材の特徴についても踏み込んでいて、時代を経て、どのように使われていたのかを紹介していました。



【縄文時代から戦前までの日本美術史を、各時代の出来事とともに学ぶ】(特集より一部紹介)
縄文時代:1万年もの定住生活から生まれ出た、美の原点。「火焔型土器」「遮光器土偶」etc.
飛鳥時代:仏教が伝来し、日本で初めて仏像がつくられた。「法隆寺 釈迦三尊像」「中宮寺菩薩半跏像」etc.
平安時代:往生を切望する貴族が欲した、華麗なる仏画。/スクロールする絵巻の楽しさ。『仏涅槃図』『伴大納言絵巻』(常盤光長)etc.
桃山時代:天下人に愛された、永徳と等伯がしのぎを削る。『檜図屏風』(狩野永徳)『松林図屏風』(長谷川等伯)etc.
江戸時代(前~中期):美意識の継承によって、育まれていった琳派。『風神雷神図屏風』(俵屋宗達)『風神雷神図屏風』(尾形光琳)etc.
江戸時代(後期):江戸の風俗を生き生きと描いた、浮世絵の盛栄。『高島おひさ』(喜多川歌麿)『三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛』(東洲斎写楽)etc.
明治時代~戦前:西洋の写実表現に学びを得た、近代の日本画。『班猫』(竹内栖鳳)『落葉』(菱田春草)etc.



見開きの図版が精細でかつ大きく、それを見るだけでも楽しめますが、テキストの記述が詳細で、かなり読み応えがありました。しばらく楽しめそうです。

「Pen 2018年11/15号[超おさらい! 日本美術史。]CCCメディアハウス

雑誌「Pen」、特集「超おさらい!日本美術史。」は、11月1日に発売されました。

「Pen(ペン) 2018年11/15号 [超おさらい! 日本美術史。]」(@Pen_magazine
出版社:CCCメディアハウス
発売日:2018/11/1
価格:700円(税込)
内容:燃え盛る炎のような模様の縄文土器、力強い肉体を表した仏像、金を貼った豪華な屏風……。誰もが知る名作でも、なぜそれが生まれ、どんな意味をもったかを案外知らないものだ。今回Penの誌上には、縄文時代から現代まで、日本美術史上の傑作が勢揃いした。パリやモスクワで日本美術の展覧会が相次ぐなど、海外からも注目される日本の美。その歴史を作品誕生のエピソードや背景となる当時の情勢を交えながら、時代別に振り返ろう。
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