「吉澤コレクション 伊藤若冲『菜蟲譜』」 佐野市立吉澤記念美術館

佐野市立吉澤記念美術館栃木県佐野市葛生東1-14-30
「吉澤コレクション 伊藤若冲『菜蟲譜』」
9/29-11/11



1999年、約72年ぶりにその所在が確認されたという伊藤若冲の幻の名作「菜蟲譜」を公開します。「関東の文人画展」と併催の「吉澤コレクション 伊藤若冲『菜蟲譜』」へ行ってきました。



一巻の画巻である「菜蟲譜」の長さは何と全11メートルです。よって作品はスペースの都合上、期間を入れ替えて半分ずつ紹介されていました。

現会期中に出ている前半は、わらびにはじまり、トウモロコシ、棕櫚、そして茄子などへと続く、約100種類もの野菜、果物の部分です。それらがうす塗りの墨で覆われた絹地にのびやかに配されています。さすがに見応えは十分でした。



まず一見して感じたのは、各モチーフがそれこそ「動植綵絵」のような、複雑怪奇な構図と細密極まる線の集合によって出来ているのではなく、むしろ逆に、柔らかな線を多用しながら、軽妙洒脱に、半ば可愛らしささえ感じる雰囲気で統一されているということでした。

ただもちろんそれでいても例えば葡萄には、鹿苑寺障壁画の「葡萄小禽図」を連想させる部分があるなど、他の作品でも見る若冲らしいデフォルメと遊び心に満ちた表現を認めることが出来ます。

野菜をたんに写実ではなく、あたかも擬人化するかのように愛情をこめて描くのがまさに若冲の真骨頂です。その意味では、図版で見る限りではあたかも「池辺群虫図」のような動きもある後半部の方がより楽しめるのではないでしょうか。(野菜から蝶が宙へと飛び立ち、視点を変化させて一気に虫の世界へと進む箇所などは実に見事です。)

これからのお出かけを予定されている方には、今月21日からの後期展示もおすすめします。(後期部分展示:10/21~11/11)





冒頭の立派な題字を記したのは、大阪で書家として活躍し、若冲とは禅を通しての友人関係にあった福岡撫山です。もちろん彼はこの作品の注文主としても知られていますが、おそらくは撫山の招待を受けた若冲が、そのお礼として描いたものではないかとも考えられています。

また前期展示では直接見られませんが、巻末の跋文も、当時大阪に住んでいた漢詩人、細合半斎の作です。つまりはともに大阪で活躍していた両人が、この作品の両端を挟むという形になっています。

以下は、この日の講演会で美術学者の河野氏が推論として提示していた話ですが、この作品を描いた頃の晩年の若冲は、ある種の大阪文化圏、つまりは当時(18世紀末)の大阪で文人画家や本草学者としても名高く、また出版なども手がけていたマルチな才人、木村兼葭堂(1736~1802)の文人サークルと深い交流があったのではないかということでした。

また「菜蟲譜」とそのサークルなどを通じて入ってきた本草学との関係も深く、例えば中国・明の時代に描かれた図巻、「花鳥草虫図鑑」のモチーフには、「菜蟲譜」と共通した特徴をあげることも出来ます。

作中に登場する野菜や果物というと、若冲の家業であった青物問屋との関係も頭に浮かぶところですが、実際に「菜蟲譜」を描く際に彼が影響を受けていたのは、これらの交流より受容していた中国の画なのかもしれません。

「菜蟲譜」がこの葛生の地で発見された当時、地元では「国宝級の発見。」として大きく湧いたこともあったそうです。(そもそもこの美術館が出来たのも「菜蟲譜」が発見されたからでした。)

また発見の翌年、2000年に京都国立博物館で開催されたかの伝説的な「若冲展」では、この作品が目玉としてチラシ表紙の一部も飾っています。これ一点のために、わざわざ佐野まで足を運ぶ方も少なくないのというのも決して誇張ではないかもしれません。

当面、館外に「菜蟲譜」を出品する予定はないそうです。若冲ファンにとって是非一度見ておきたい展示であるのは間違いありません。

11月11日まで開催されています。

前期(前半、野菜・果物部分):9/29~10/20
後期(後半、小動物部分):10/21~11/11

*関連エントリ(同時開催中の企画展)
「関東の文人画展」 佐野市立吉澤記念美術館
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