「森堯之写真展 朝鮮・1939年」 JCIIフォトサロン

JCIIフォトサロン
「森堯之写真展 朝鮮・1939年」
11/27〜12/25



JCIIフォトサロンで開催中の「森堯之写真展 朝鮮・1939年」を見てきました。

1915年に徳島で生まれ、帝国美術学校で西洋画を学んだ森堯之(1915〜1944)は、前衛画家としてデビューしつつも、日本工房へカメラマンとして入社し、瀧口修造らの設立した前衛美術協会に参加するなどして活動しました。そして森は、1939年、日本工房の刊行した季刊「NIPPON」の18号の取材のため、朝鮮半島へと渡り、現地の人物や風景を撮影しました。

その一連の活動を紹介するのが、「森堯之写真展 朝鮮・1939年」で、80年を経て日本工房関連のネガより見出された、77点の写真が展示されていました。

季刊「NIPPON」は、1934年、ドイツで報道写真家であった名取洋之助が、欧米向けに創刊した対外文化宣伝グラフ誌で、まさに日本を紹介すべく、文化、産業、建築など、幅広い内容を取り上げていました。写真は、森のほかに土門拳、デザインは山名文夫や亀倉雄策、記事はブルーノ・タウトや柳宗悦らが書くなど、錚々たるメンバーが参加していました。



森は朝鮮において、町の史跡や民族美術館の工芸品、さらに街ゆく人々を、編集者の要望に応えるべく、演出を交えながら、端正に写し出しました。そこには報道写真家に徹したプロの視線、ないし力量も伺い知ることが出来るかも知れません。



とりわけ魅惑的であるのは、何気ない人の表情を写した写真で、どこかモデルの息遣いが伝わってくるかのようでした。しかしながら当時の朝鮮は、日本の統治下であり、老人が苦々しい様子でレンズを睨む「街を行く老人」や、赤ん坊を背負う女性があたかも視線を逸らすような「子守」などには、現地の人々の奥底にあった感情が滲み出ているのかもしれません。

森は本シリーズを撮影したのち、しばらく「NIPPON」で仕事を続け、計6冊に名を記しました。しかし18号以外は、どの写真を森が撮影しているのかよく分かっていないそうです。



1939年、森はシュルレアリスムの作家の集う美術文化協会の創立会員となり、前衛美術を代表する1人として目されるようになりました。また翌年に結婚し、1941年には妻の実家のあった大連に滞在しましたが、のちに応召し、結果的に1944年、出征先のビルマで戦病死してしまいました。時に29歳でした。


実のところ、前もって森の存在を知らず、新聞の紹介記事を見て行きましたが、しばらく作品を前にしていると、思いがけないほどに惹かれていることに気がつきました。それにしても戦争とはいえ、才能のある人物が、若くして亡くなってしまったのが残念でなりません。



解説の付されたリーフレットが800円で販売されていました。即購入したのは言うまでもありません。(写真はリーフレットより引用しました。)

会期末です。12月25日まで開催されています。

「森堯之写真展 朝鮮・1939年」 JCIIフォトサロン
会期:11月27日(火)〜12月25日(火)
休館:月曜日。
 *祝日の場合は開館。
時間:10:00~17:00 
料金:無料。
住所:千代田区一番町25番地 JCIIビル1階
交通:東京メトロ半蔵門線半蔵門駅4番出入口より徒歩1分。東京メトロ有楽町線麹町駅3番出入口より徒歩8分。
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