「ジャクソン・ポロック展」 東京国立近代美術館

東京国立近代美術館
「ジャクソン・ポロック展」 
2/1-5/6



待望の展覧会が開幕しました。東京国立近代美術館で開催中の「ジャクソン・ポロック展」のプレスプレビューに参加してきました。

生誕100年を記念し、アジア初のポロック回顧展として愛知県美術館で始まった同展ですが、2月1日からいよいよ東京へと巡回してきました。

ポロックはブリヂストン美術館やDIC川村記念美術館など、単発的に何点かを見る機会はありましたが、これほどの規模でかつ画家の制作を追う形で紹介されたことは、少なくとも国内では一度もありませんでした。

まさに「日本におけるポロック元年」です。


展示室風景

いわゆる門外不出、イラン革命以来一度も国外へ出ることのなかった大傑作「インディアンレッドの地の壁画」を含む、国内外より集められた約70点の作品が一同に介しました。

展覧会の構成は以下の通りです。(出品リスト

第1章 1930-1941年:初期「自己を探し求めて」
第2章 1942-1946年:形成期「モダンアートへの参入」
第3章 1947-1950年:成熟期「革新の時」
第4章 1951-1956年:後期・晩期「苦悩の中で」


さて先に画家の制作を追う形と記しましたが、今回の最大の魅力は、まさに波瀾万丈、時代を翻弄し、また牽引したポロックの画業を時間軸で俯瞰出来ることに間違いありません。


「無題 自画像」1930-33年頃 ポロック=クラズナー財団

冒頭、何やら暗澹たる面持ちでこちらを見やるのは、ポロックがちょうど絵を学び始めた頃に描かれたという「自画像」(1930-33年頃)です。

1912年アメリカ西部のワイオミングに生まれ、18歳でニューヨークに出てきたポロックは、師事したリジョナリズムの画家、ベントンの他、陰鬱な画風でも知られるライダーに傾倒しました。

また彼の若い頃の生活や家庭環境、とりわけ母との関係もポロックの制作に何らかの影響を与えたと考えられています。自身も美術を愛し、息子を芸術家にさせようとした母でしたが、ポロックにとってはいわゆる抑圧的でかつ権威的で、その態度は彼に一種のトラウマとなってのしかかりました。

大きな女性を中央に描き、その周囲を子どものような人が囲む「女」(1930-33年頃)は、ポロックの屈折した母と家庭への思いの現れとも言えるのかもしれません。


左:「西へ」1934-35年頃 スミソニアン・アメリカ美術館、右:「綿を摘む人たち」1935年頃 オルブライト=ノックス・アート・ギャラリー

一方で初期のベントンやライダーの画を受け継ぐ作品として知られるのは「西へ」(1934-35年)です。若い頃のポロックはともかく落ち着かず、例えば「西部を旅しながら、売春婦と会うために刑務所で過ごした」などというエピソードも残っているほどですが、どこか不気味な画風はそうした彼の荒んだ生活とも関連しているのかもしれません。

1930年後半になるとポロックはベントンの影響を脱し、今度はメキシコの壁画の画家たちに強いシンパシーを抱きます。

そこでポロックはポーリング、つまりは後の方向を決定付ける流し込みの技法を経験します。また他にはトーテムやネイティブ・アメリカン文化の影響を受けたものなど、言わばアクションペインティングとは一見結びつかない、半ば表現主義的な知られざる作品を見られるのも、展示の大きなポイントでした。

そうしたこの時期のあまり知られていない作品として挙げられるのが、彼の唯一のモザイク画である「無題」(1938-41年頃)ではないでしょうか。


「無題」1938-41年頃 ポロック=クラズナー財団

色鮮やかなモザイクが散り、そこを黒い輪郭線が走る様子からは、抽象への萌芽を見ることが出来るかもしれません。それにしてもまさかポロックがモザイク画を描いていたとは知りませんでした。

1940年を過ぎるといよいよ我々の知っているポロックが登場します。ポーリングによってさらに動きと自由な形態を操るようになった彼は、アメリカの有力批評家、グリーンバーグの注目を得たことで、一躍スターダムの地位を獲得しました。


「トーテム・レッスン2」1945年 オーストラリア国立美術館

そのグリーンバーグが激賞した作品が「トーテム・レッスン2」(1945年)です。タイトルにもあるようにネイティブ・アメリカンへの関心こそ示すものの、かつての自身の内面の露出を見せた作風は影を潜め、モチーフの意味を云々しない、いわゆる一つの絵画として存在感の際立った平面を作り出します。

「月の器」(1945年頃)ではポーリングともう一つポロックを特徴づける技法、ドリッピング(たらし)を用い、具象と抽象の間を超えた、より斬新で新しい空間を得ることが可能になりました。


「ブルー-白鯨」1943年頃 大原美術館

また少し時代こそ遡るものの、この時期の作品で面白いのは、「ブルー - 白鯨」(1943年頃)です。ここではタイトルでも一目瞭然、ポロックが好んで読んだというメルヴィルの「白鯨」を引用しています。

一面の青を背景に浮かぶどこか幻想的で断片的でモチーフはミロを連想させますが、実際に彼は1941年、MOMAで行われたミロの回顧展に接していたようです。ポロックはピカソにも多大な影響を受けましたが、ミロの感化もあったとは知りませんでした。


展示室風景

1947年、いよいよポロックが西洋美術史上、唯一の地位を占めるときがやってきます。それが『オールオーヴァーの絵画』です。

キャンバスを床に敷き、画面に直接筆を接することなく、まるで紐を投げ広げるように絵具をたらしていく技法、ドリッピングで描かれた一連の絵画は、複雑怪奇な抽象面を展開しながらも、画面の中心と部分の主従の関係を乗り越え、中心のない、全てが渾然一体となった平面を作り上げることに成功しました。


「ナンバー7, 1950」1950年 ニューヨーク近代美術館

今から遡ること60年前、1951年に都美館で開催された読売アンデパンダン展で初めて日本にやってきたポロック作、「ナンバー7, 1950」(1950年)もこうした作品の一つです。

何ものにもとらわれず、常に運動するかのようにのたうち回り、また振動する線の乱舞は、不思議にも剛胆さと繊細さ、そして多様性と均一性を兼ね備えた、まさに他にはない生命感と躍動感に溢れた平面を展開しています。

そして本展の超目玉の「インディアンレッドの地の壁画」(1950年)です。初めにも触れたように1976年、王朝時代にイランに渡ってから革命後、ただの一度も国外へ出ることのなかった最高傑作とも呼ばれるこの作品を今、東京で、まさに目と鼻の先でじっくり見入ることが出来るわけです。


「インディアンレッドの地の壁画」1950年 テヘラン現代美術館

この作品を前にして、視界の全てを絵画イメージに委ねていくと、色彩と線の恐ろしいまでの交錯、またリズムに全身が飲み込まれ、それこそ動けなくなってしまうのではないでしょうか。

迸る生命、そして神経の線は、絵具を垂らして描くことによるのか意外にも脆く、また繊細で、その一見密集した画面からは想像もつかないような浮遊感すらたたえています。

単一性と多様性の同居も、ポロックのオールオーヴァーの特徴の一つとして挙げられますが、常に揺れ動く細部の多様でカオスなイメージと、全体の驚くべきほどの調和は、まさに混沌と均衡が同時に進行するかのような森羅万象の宇宙そのものにも例えられるかもしれません。


展示室風景

さてオールオーヴァーで頂点を極めたポロックですが、常に変化を求める彼のこと、その場所にずっととどまることはありませんでした。

1951年には作風を一転、オールオーヴァーを放棄し、今度はポーリングを黒のみに限定、またモチーフにも具象を再び取り入れた絵画を制作していきます。


右:「ナンバー8, 1951/黒い流れ」1951年 国立西洋美術館

元々「インディアンレッドの地の壁画」でも強く浮き上がっていたのが黒い線であるように、ポロックにとっての重要な色とは黒でしたが、今度はそれを前面に押し出します。そして黒が細部だけでなく、全体の均衡も打ち破ってひたすらに乱れていく「ナンバー8, 1951/黒い流れ」(1951年)のような作品を描きました。

結果的に黒い塗料だけに限定したブラック・ポーリングは1年で放棄し、1952年には再び色を取り入れましたが、このどこか悪魔的とさえいえる黒こそ、ポロック晩期を特徴づける作風に他なりません。

展覧会のラストを飾るのは、私にとっては馴染みの深いDIC川村記念美術館の「緑、黒、黄褐色のコンポジション」(1951年)です。


「緑、黒、黄褐色のコンポジション」1951年 DIC川村記念美術館

前にも触れたことがありましたが、実はこれこそ私にとってポロックにしびれ、そして一目惚れした作品です。それにしても一つの大きな制作の流れを追った上で改めて前に立つと、線と面にはより震えとどこかもどかしいまでの迷い、また苦悩を感じてなりません。

この作品を初めて目にした時に受けた印象は激しさでも力強さでもなく、儚さでしたが、それはあながち見当違いでもなかったのではないかと思えました。


アトリエ再現展示

出口にはポロックのアトリエをの再現展示もあります。一般的に画家の回顧展として70点とはそう多くないかもしれませんが、ともかくは偏愛のポロックを回顧的に追えた上、夢にも思わない「インディアンレッドの地の壁画」などの代表作を前にすることが出来て感激もひとしおでした。


アトリエ再現展示(床面)

ちなみに「インディアンレッドの地の壁画」は1998年のMoMAで行われたポロックの一大回顧展にも出品されていません。是非ともこの絵画を前にして打ち震えてみて下さい。

関連の講演会の情報です。

シンポジウム「PAINTERS' ROUND-TABLE: WHAT IS JP? 画家たちのポロック」
 出演:堂本右美、岡村桂三郎、小林正人
 モデレーター:中林和雄(当館企画課長)
 日程:2月12日(日) 13:00~16:00 *終了済

シンポジウム「今ポロックの何を見るのか」
 出演:池上裕子(美術史)、沢山遼(美術批評)、林道郎(美術史)
 モデレーター:中林和雄
 日程:3月24日(土) 13:00~16:00

講演会「ポロックとは何か」
 講師:中林和雄 (当館企画課長)
 日程:4月22日(日) 14:00~15:30

いずれも申込不要、参加無料(先着150名)です。(開演30分前に開場)

なお本展は東京国立近代美術館の開館60週年を記念し、誕生日当日の方は無料で入館出来ます。

東京国立近代美術館60周年記念サイト

「ジャクソン・ポロック/タッシェン」

5月6日までの開催です。もちろんおすすめします。

「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」 東京国立近代美術館
会期:2月10日(金)~2012年5月6日(日)
休館:月曜日(3月19日、3月26日、4月2日、4月30日は開館)
時間:10:00~17:00 但し金曜は20時まで。
場所:千代田区北の丸公園3-1
交通:東京メトロ東西線竹橋駅1b出口徒歩3分。

注)写真は報道内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
驚きました (みけ)
2012-03-31 00:50:31
ようやく行けました。初めてのポロック。
「トーテム・レッスン」を見た瞬間、動けなくなりました。美しさに射抜かれたような感覚。続く「ナンバー25」。
はろるどさんの「モチーフの意味を云々しない」というお言葉通り、それそのものの美に打たれる。私にはたぶん初めての経験でした。
なんだかもうひとつのドアを開けたみたい。はろるどさんのおすすめに感謝です。
 
 
 
Unknown (はろるど)
2012-04-17 22:01:40
@みけさん

こんばんは。

>そのものの美

本当にそうですね。頭をガツンと殴られたような衝撃。圧巻でした。

いよいよ会期もあと半月もありませんね。
もう一度行きたいです。
 
 
 
ポロック (dezire)
2012-05-06 15:32:51
こんにちは。
私もポロックの展覧会に行ってきましたので、興味深く読ませていただきました。
衝撃的なインパクトのある作品で、美術の中心をパリからニューヨークに引き寄せ、美術の概念を根本的に変えた画家のいうのも分かるような気がしました。

私も私なりにポロックの絵画の何が斬新的か?ポロックの魅力的は何か?について感じるところをまとめてみました。ぜひ一読してみてください。
ご感想、ご意見などどんなことでも結構ですから、ブログにコメントなどをいただけると感謝致します。

 
 
 
Unknown (はろるど)
2012-06-12 01:43:30
@dezireさん

こんばんは。お返事遅くなってしまって申し訳ありません。コメントありがとうございました。

>ポロックの絵画の何が斬新的か?ポロックの魅力的は何か?について感じるところをまとめてみました。ぜひ一読してみてください。

ありがとうございます。
ポロック、改めて展覧会を終えると名残惜しいですね。
リンク先、またお伺いさせていただきます。宜しくお願いします!
 
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