「東郷青児展」 東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館

東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館
「生誕120年 東郷青児展 抒情と美のひみつ」 
9/16~11/12



1976年、損保ジャパン日本興亜の前身会社の一つだった安田火災は、東郷青児から自作とコレクションの寄贈を受け、東郷青児美術館(現在の東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館)を開館しました。

まさに東郷青児ゆかりの美術館による回顧展です。出展作品は全部で70点。同館のコレクションだけでなく、鹿児島市立美術館、大分県立美術館のほか、久留米市美術館などの他館の作品も加わります。東郷青児の画業を、時間を追って丹念に辿っていました。


東郷青児「コントラバスを弾く」 1915年 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館

1897年に鹿児島で生まれた青児は、一家揃って5歳で上京します。早熟だったのでしょうか。ドイツから帰国した作曲家、山田耕筰から前衛芸術の知識を吸収しました。そして18歳で描いた「コントラバスを弾く」が、日本初の「立体派・未来派」風の作品として話題を呼びます。東京フィルハーモニーの練習場を間借りして、制作したこともあったそうです。


東郷青児「パラソルさせる女」 1916年 陽山美術館

翌年には二科展へ「パラソルさせる女」を初出品し、いきなり二科賞を受賞しました。キュビズム、ないし未来派風で、中央に女性の顔が伺える以外は、ほぼ、幾何学的なモチーフで埋め尽くされています。画面右上に、パラソルが描かれているそうですが、なかなか分からないかもしれません。


東郷青児「サルタンバンク」 1926年 東京国立近代美術館

1921年には渡仏し、当初は未来派の画家と過ごしました。しかし政治色が強くて馴染めず、しばらくしてルーブル美術館へ通ったり、ピカソと交流を深めるなどして活動しました。そのピカソにも見せた自信作が、「サルタンバンク」でした。また「ピエロ」の造形も、ピカソの影響を色濃く反映しているかもしれません。

当時のフランスは、アール・デコの全盛期でした。いわゆるフランス仕込みとでも言えるのでしょう。その潮流を摂取して、帰国後の装丁や舞台装置の仕事に活かしました。

渡仏後、7年経ってから帰国します。帰国後に開かれた、第15回二科展には、渡欧時の作品を、23点出品しました。また、関東大震災から復興した、東京のモダニズム文化にも受け入れられ、シンプルで洒落た装丁や挿絵が、高く評価されました。さらに室内装飾や舞台装置のデザインや、自邸の家具や照明の設計なども行います。かなりマルチに活動していたようです。


東郷青児「超現実派の散歩」 1929年 東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館

この頃に描いたのが、白い人物が月に向かって宙に浮かぶ、「超現実派の散歩」でした。先の「サルタンバンク」での画風とは一転し、どこかシュルレアリスム的な様相を呈しています。当時は、古賀春江らとともに、「新傾向」として注目を集めたそうです。青児自身も、「超現実主義の試運転をやった」と語っています。

コクトーの「怖るべき子供たち」の装丁が目を引きました。ちなみ青児は装丁のみならず、翻訳までも手がけています。また婦人の姿を描いた「三越」の新年号も美しく、洗練されていました。こうした一連の資料類もかなり出ています。青児の幅広い活動を知ることが出来ました。


東郷青児「山の幸」 1936年 シェラトン都ホテル大阪

青児の画業の一つの転機と言えるのが、藤田嗣治とともに取り組んだ、京都の丸物百貨店の大装飾画でした。6階の食堂を飾るためのもので、同じ店内のスペースで、藤田が「海の幸」を、そして青児が「山の幸」を制作しました。前者が力強く肉感的とすれば、後者はより優美で、かつ詩的とも呼べるのではないでしょうか。この対の作品が並んで展示されています。東京では初公開でもあるそうです。

1933年頃から、積極的に女性の絵を描くようになります。ここに青児は、泰西名画風のモチーフを加え、いわゆる「近代的な女性美」(解説より)を生み出しました。


東郷青児「紫」 1939年 損保ジャパン日本興亜

その際たる作品が、「紫」でした。淡い紫色のイブニングドレスを着た女性が、白い右手を伸ばしながら、ポーズをとって立っています。フランス風のモードも取り入れた画風は、いかにも華麗で、スカートは広がり、ドレープも美しく靡いていました。全ては滑らかで、筆跡はまるで見られません。それも驚きを持って迎えられたそうです。かつてはキュビズムや未来派的な画家として知られた青児は、いつしかモダンな女性を描く画家へと変わりました。ここに新たな大衆性を獲得したとも言えそうです。

終戦後、翌年に二科展が再開されました。青児もリーダーとして積極的に関わり、活動を全国へと広めました。と同時に、復興期の建物の装飾壁画の仕事も手がけました。


東郷青児「平和と団結」 1952年 朝日新聞社

一例が、京都の朝日会館ビルの壁画、「平和と団結」でした。ビル全体を覆うために、かなり規模が大きく、28メートル×23メートル四方にも及びます。青児は向かいの旅館から双眼鏡と無線で指示を出し、二科会の仲間たちが足場を組んでは制作しました。妖精のように舞う女性の姿が、幻想的な世界を誘います。会場では油彩の下絵が展示されていました。


東郷青児「裸婦」 1952年 INAXライブミュージアム

「裸婦」も美しいのではないでしょうか。熱海の浴場のモザイクタイルで、青児は、当時の伊奈製陶、現リクシルにデザインを提供しました。


東郷青児「若い日の思い出」 1968年 損保ジャパン日本興亜

「大衆性」、「モダンでロマンチックで優美、華麗な感覚と詩情」、そして「油絵の技術における職人的な完璧さと装飾性」の3点が、青児の芸術を特徴付ける「東郷様式」と呼ばれているそうです。その典型例として、ラストの「若い日の思い出」があげられるかもしれません。

率直なところ、私は戦前の展開の方が好きでしたが、画風は、初期から晩年にかけて、思いの外に変化します。そして優美な作品とは裏腹に、画家自身は、極めて精力的に活動していました。頭の中に、漠然と作品のイメージこそありましたが、この展覧会に接して、実は東郷青児について何も知らなかったことを思い知らされました。

[生誕120年 東郷青児展 抒情と美のひみつ 巡回予定]
久留米市美術館:11月23日(木・祝)〜2018年2月4日(日)
あべのハルカス美術館:2018年2月16日(金)〜4月15日(日)



会場のスペースの都合か、リストに掲載されている作品の一部が、展示されていませんでした。巡回先の久留米市美術館と、あべのハルカス美術館には出展されるそうです。


11月12日まで開催されています。

「生誕120年 東郷青児展 抒情と美のひみつ」@togoseiji120) 東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館
会期:9月16日(土)~11月12日(日)
休館:月曜日。
 *但し9月18日、10月9日は開館。翌火曜日も開館。
時間:10:00~18:00
 *入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1200(1000)円、65歳以上1000円、大学・高校生800(650)円、中学生以下無料。
 *( )は20名以上の団体料金。
住所:新宿区西新宿1-26-1 損保ジャパン日本興亜本社ビル42階
交通:JR線新宿駅西口、東京メトロ丸ノ内線新宿駅・西新宿駅、都営大江戸線新宿西口駅より徒歩5分。
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