「歿後60年 椿貞雄展」 千葉市美術館

千葉市美術館
「歿後60年 椿貞雄 師・劉生、そして家族とともに」 
6/7~7/30



千葉市美術館で開催中の「歿後60年 椿貞雄 師・劉生、そして家族とともに」を見てきました。

30歳の頃に図画教師として船橋に着任し、亡くなるまで同地で暮らしながら、画家として活動した一人の人物がいました。


椿貞雄「髪すき図」 1931(昭和6)年 東京国立近代美術館

その名が椿貞雄(1896〜1957)。生まれは山形の米沢です。大正3年に18歳で上京し、岸田劉生の作品を見て衝撃を受けます。よほど心酔したのでしょうか。手紙を書き、劉生との出会いを果たしました。そして草土社の結成に参加します。武者小路実篤らの白樺派の人道主義にも影響を受けたました。

冒頭のテーマは「出会い」。言うまでもなく劉生と椿の出会いです。2人の自画像が並んでいました。うち一枚がチラシ表紙にも選ばれた椿の「自画像」です。ちょうど劉生に師事した年に描かれました。

やや眉間に皺を寄せ、太い唇を結んだ表情はとても力強い。前を見据えた視線にも迫力が感じられます。顔面の筋肉ほか、衣服のごわごわとした質感などは、師の劉生の画風に似ているかもしれません。


岸田劉生「芝川照吉氏之像」 1919(大正8)年 東京国立近代美術館

思いの外に劉生画の参照が多いのもポイントです。例えば「椿君之肖像」は劉生が椿のために描いた肖像です。赤いカーテンを背景に、貞雄がやや斜めの方向を向いて構えています。顔面の感触は実に生々しく、北方ルネサンス、ひいてはデューラーの作風を見ることも出来ます。

面白いのが「人類の意思」でした。劉生はブレイクの影響を受け、旧約聖書の各場面を描きました。祈る人々やおそらく聖人の姿も垣間見えます。ミケランジェロの「最後の審判」のイメージに近いかもしれません。

椿が「能面的」と称したという「古屋君の肖像」もよく知られているのではないでしょうか。実のところ出展の約1割5分ほどが劉生の作品でした。貞雄の劉生への傾倒ぶりは並大抵ではありません。劉生が藤沢の鵠沼に移り住むと、貞雄も同様に引っ越し、互いの家を行き来しながら、制作に勤しみます。当初の貞雄の画業は劉生なくしては成り得なかったのかもしれません。

劉生が宗元画などの「東洋的写実」(解説より)に関心を持つと、椿も日本画の制作を行うようになりました。関東大震災に際しては、京都へ渡り、文人画も描きます。船橋で図画教員になったのは大正15年です。翌年、転居し、ヨーロッパへの遊学を除き、亡くなるまでの30年間を船橋で過ごしました。

劉生の麗子像と同じ肩掛けを着せたのが「童女像」です。おかっぱ頭で人形のように可愛らしい。否応なしに麗子の画を連想させます。椿は「愛情の画家」とも称されていたそうです。展覧会のタイトルに「家族とともに」とありますが、実際にも終生、自らの姪や子どもなどの家族の肖像を多く描きました。


岸田劉生「狗をひく童女」 1924(大正13)年 ポーラ美術館

浮世絵からの摂取もありました。寛永の浮世絵「犬を連れた禿図」です。劉生は山東京伝の版本を元にして「狗をひく童女」を描きます。さらに椿も童女のモチーフを借りて「春夏秋冬図屏風」を表しました。各々に個性的です。同じ図からもまた異なった表現を見せています。確かに初期の椿は劉生画に倣っていますが、次第に影響を脱し、自らの画風を切り開いていきました。


椿貞雄「冬瓜南瓜図」 1946〜47(昭和21〜22)年 島根県立石見美術館

その一つの例が静物画です。劉生は宗元画の参照から、絵具の抵抗感、ないし物質感を避けたのに対し、椿は油彩絵具自体の力強さを細密表現に生かそうと試みます。ともかく冬瓜が目立ちました。「冬瓜南瓜図」はどうでしょうか。ゴツゴツした南瓜の質感を絵具を重ねて表現。冬瓜も白や緑の絵具を塗り込めて描いています。重厚感がありました。

壺も得意のモチーフです。中でも「白磁大壺に椿」が美しい。白く、水色にも光る陶の質感を巧みに再現しています。あえて椿の画業の到達点を挙げるとするならば、こうした壺や野菜に見られるような静物画にあったと言えるかもしれません。

椿は変化する画家です。一つのきっかけは劉生の死です。さらに著しいのは戦後の展開でした。筆触は動きを伴って大胆となり、色彩は驚くほど明るく、鮮やかになります。椿自身、戦後に「自由に絵が描けるようになった」(解説より)と語っているそうです。もはや初期の劉生のルネサンス云々の影響は殆ど見られません。

船橋の画家ゆえに千葉の風景も幾つか登場します。面白いのが船橋観光協会のためのポスターでした。「東京から一番近い船橋海水浴場へ」と題し、水着姿の少女が潮干狩りをする姿を描いています。たくさんのアサリをカゴに入れては楽しそうです。実に素朴です。生命感に溢れています。

単に劉生の弟子と捉えるには語弊があるほど、多彩な作風を持つ画家だと言えるのではないでしょうか。その変遷を追うのも興味深いものがありました。


出展は計194点(一部に展示替えあり)。手紙などの資料も含みます。初期から晩年までの作品も網羅します。千葉市美ならではの充実ぶりです。質量ともに申し分ありません。

昭和32年、61歳で没した椿は、船橋市宮本の西福寺に埋葬されました。ゆかりの地、千葉単独での回顧展です。巡回はありません。



7月30日まで開催されています。

「歿後60年 椿貞雄 師・劉生、そして家族とともに」 千葉市美術館@ccma_jp
会期:6月7日(水)~7月30日(日)
休館:7月3日(月)。
時間:10:00~18:00。金・土曜日は20時まで開館。
料金:一般1200(960)円、大学生700(560)円、高校生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *前売券は千葉都市モノレール千葉みなと駅、千葉駅、都賀駅、千城台駅の窓口、及びローソンチケット、セブンチケットで会期末日まで販売。
住所:千葉市中央区中央3-10-8
交通:千葉都市モノレールよしかわ公園駅下車徒歩5分。京成千葉中央駅東口より徒歩約10分。JR千葉駅東口より徒歩約15分。JR千葉駅東口より京成バス(バスのりば7)より大学病院行または南矢作行にて「中央3丁目」下車徒歩2分。
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