2010年“わかたのそば”の年越し蕎麦打ち。
開会時刻の9時半には、神戸から帰省の“シオダさん”の息子“トールくん”の子どもたちが雪遊びをしながらやって来ました。
が、、集会所の鍵を借りようとしたところ、常会で不幸(葬式)があり、鍵の管理人の“ニシカワのツトムさん”が不在、んで、連絡がついての帰宅でOPENです。
「さーてっ、どうしたら蕎麦が打てるんだったんかなー・・・???!!」と思案していたら、「蕎麦粉、小麦粉、水、、、」と去年のメモが見つかり「これは、誰が書き残したんー?」としたところ、筆跡鑑定と自供により“ヒデちゃん”ということで、安心というか、おー舟に乗ったかんじで作業開始です。
“わかたのそば”メンバーは葬儀関係で午前中の作業は少なくならざるをえませんでしたが、去年からのエントリーの助っ人の子どもたちです。
「いー、かんじー」「おーっ、去年よりも、うんまいでー」を連発してしまいました~(片手に)
去年は96パック(食)つくったと記録していましたが、今年の蕎麦粉は少なく買い足して、結果52パック(食)を打ち終えました。
メンバーのみんなは、入れ替わり立ち代りで、出たり入ったりの蕎麦打ちでしたが、少ないけれど、常会の各戸へ「元気でやりんさいよ、ほいじゃあねー」と手分けして配り終えました。
配り終えて、とりあえず、おつかれさまと残ったメンバーで乾杯。
今回、思ったのは、、、子どものチカラ。
オトナのチカラの70%くらいしかなかったかもしれませんが、去年よりパワーアップしていました。(タスカッタ~)
長くなるかもしれませんが、蕎麦に貼り付けた「ノシ」の一文をみなさんに。。。
“わかたのそば”「わかた」とは、広島弁で我が家の意味。
古来わかたのそば(傍)には、自然があり、そこには子どもから大人やお年寄り、様々な人が居て、そして、お互いが助け合いながらの暮らしが“ふつう”に営まれていました。
“わかたのそば”は、荒廃しかけた里山と、ややもすれば温もりを忘れかけそうな、人とひととのつながりを、“わかたのそば”の里づくりの場面から、ほんとうの意味での「自然回帰」の活動をすすめ、そして“わかたのそば”から広げていくのです。
“わかたのそば”「2010年・秋の新蕎麦」の、はずでしたが、猛暑と山鳥にやられて、来年の種くらいしか採れませんでした。 幸い去年、冷蔵保存していましたので、これでしのぎます。 でもそれ以上に、そばづくりとあわせて、畑・水車小屋を通じた人と人とのつながり、支え合いのきっかけは、さらにもっと素敵な収穫です。 美味しいかどうかは、みんなのきもちしだいです。「ひとを大切にしたい気持ち」 みんなで分けあって、味わいましょう。
人が寄って、話し合って、協力しあえば、なんとか、なるもんですよね。
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