はりせんぼん

今は調査員のお仕事をしている、もと看護師。最近、お勉強不足、渇を入れてやってください。

野菜

2013-11-30 19:03:14 | 日記
スーパーに行くと野菜が高くて目をむくのですが、
ご近所の兼業農家さんはたくさん野菜を食べていると言うのです。

出荷できるようには育たなくても
それなりに育ってね。
それなりに間引いて、
毎日食べているよ。
白菜は不作だけどね、60玉は良い具合。
それに、この前の雨で大根がよく太るでしょう。
きっと、甘くなるよ、寒くなってきたし。


そう言われてスーパーの大根を見れば千葉県産。
あれは宮崎で、これは群馬。静岡、愛知と並んでいます。
果物はアメリカ、チリ・・ 
物流が今の食を支えていて、それが暮らしだと思っているわけです。
食べ物を作るのにも労力は要りますが、
食べるために運ぶ、そのエネルギーの壮絶なまでのすさまじさを感じました。

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で、今、豆苗にはまっています。
空豆の若い苗を言います。
中華料理では高級食材として珍重されていましたが
水耕栽培ができるようになって
今では比較的廉価に手に入れられます。

その豆苗、一度、ばっさり茎を種から切り離した後、
10日間ほど日当たりのよい場所で水替えをして育てると
20センチぐらいに育ってきます。
これをまた食するわけです。
その栽培しているという感覚がたまらなくかわいくて
「ごめんなさい、でも、ありがとう」と言って二度目の葉を食べ庭に埋めます。

自分の家で食べる野菜ぐらい、自分で栽培できたらなあと
思うようになりました。

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オムツの話

2013-11-29 20:12:39 | 日記
人垣を縫って職人さんの手元を撮る。
などという撮影がありました。
できるだけ包丁と水平に撮影したくて身をかがめました。
 アラ・・・
本当に間近に鼻が寄って
この人も、その人もオムツを使っていることがわかりました。
今のオムツは消臭効果が高い上に、
着衣に響きにくいのだと驚いた次第です。
紙おむつの進化が人々の生活を豊かにしているのですね。


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さて、オムツは「むつき」とも呼ばれ、漢字で「襁褓」と書きます。
襁褓は生まれたばかりの赤子を包む産着のことであり、赤子自体も指します。
「襁褓の内」とは「幼少のころは…」との語りになります。
もちろん、「おしめ」の意味もあります。
お湿りの「しめ」を丁寧語にしたといわれています。

そうそう「襁褓」とは、衣を「強く」「保つ」と書きます。
守らなければならないもの、
守りたいものへの思いが込められている気がしてなりません。



写真は光のゆりかごを思ってアップしました。
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区切り

2013-11-28 20:20:08 | 日記
9月の中旬から抱えに抱えていた仕事に一区切りがつきました。
最後の仕事、あとは投函して返送を待って・・、いよいよ完成です。
忙しい時には忙しいと申しますが、
撮って撮って、書いて書いた、そんな時間でした。


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加えて、ここに至るまで
たくさんの課題に直面しました。
こんなこともわからなかったのだとか、知らなかったのだとか、
そういうことのオンパレードで
課題を克服する時間の-多々にも-睡眠時間を削られました。
それでも、どうにもならず、
時々穴があったら隠れたいぐらい恥ずかしい思いもしました。

ただ次から次に用事ができるものですから、
隠れているいとまもなく、
向かい風こそ、生きている証だと自分に言い聞かせて
頑張っている間に、一つ、またひとつとできることが増えて
そのことが嬉しい私です。

およそきしめ切りがなければ漫然と過ごしてしまうかもしれない時間を
かくも有効に使えるものかと苦笑。
この年になっても成長はあるようです。

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ペットボトル

2013-11-27 21:01:39 | 日記
ペットボトルに口をつけて飲むことを厭わなくなったのは幾つのことでしょう。

ペットボトルで飲む姿をラッパ飲みといって
幼少のころ、してはいけないことにカウントされていました。
同様に、口に入らない大きさのものを口にすることを厭うが故、
バーガーが日本に上陸した時も、
かぶりつくことへの抵抗感が強く、
長らくそれを食することができませんでした。


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そうした禁忌をいつの間にか解禁とし
時には歩きスマホをするおばさんになってしまいました。

先日、あるご婦人とお話をしましたら、
未だにペットボトルから飲むことができず、
紙コップをカバンに潜ませて旅行すると話されました。

 それは躾というものでしょう。
 身体に染みついてしまったことですから、
 どうしてもできないのですよ。

所作の隅々までに行き届いた「気」、あるいは「気迫」のようなものは
私が誰であり、どう暮らしてきたかを明らかにするものなのでしょう。
だから、生涯自分に禁忌と美徳を課す。

身が美しくあるということを躾と書きます。
私という「美」を暮らす。
その価値を教えて生涯の財とする教育を躾という、
と感じた瞬間でした。


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最後の一葉

2013-11-26 20:14:50 | 日記
オー・ヘンリーのあまりに有名な「最後の一葉」
この時期になると、様々な「最後の一葉」がブログにアップされますね。
最後の一葉に命の終わりを予感していた人に
落ちない葉を描いて希望をプレゼントした画家の心根が素敵です。
あるいは、「最後」という言葉への様々な思いが
絵心をくすぐるのでしょう。



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か細い枝先に最後の一葉を見つけて
嗚呼、これぞ最後の一葉という葉を見つけた時は
私だってワクワクします。

その葉の多くが実のところ、
夏の盛りを過ぎて痛んだ葉のピンチヒッターとして
細枝に芽生えたものが多いことや
日当たりの悪い木の内側に多いことなどは
面白いことですね。

逆境を生きるために生まれ出た最後の一葉、
逆境を耐えて初めて人生の華を得た最後の一葉。
終わりがないことを頑張った命の頑張りがそこにはあります。

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講演会の

2013-11-25 21:32:15 | 日記
ひょんなことから講演内容をまとめる仕事をしています。
実のところ、その講演会には裏方で出かけておりましたので、
よく話を聞けていない部分が多く、
その作業に難渋しています。


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講演自体は一般向けでした。
ただ、研究者の発表でしたので、
会場にいれば何となくわかった気になることも、
一般の人がわかるように改めて文章にするとなると、
作業はたちまちストップしてしまいます。

講師が伝えたかったニュアンスを私が受け止めていれば
もう少し作業が楽だったでしょう。
講師が用意した資料だけが頼りの
危ない橋を渡るかのような作業の現況に四苦八苦しています。

作業に躓いて、そういえばと頼まれていたリンゴを買いに行きました。
だるまストーブが焚かれた広い作業場で
だるまストーブの横で郵送伝票を書いていたら
黒焦げになりそうになりました。
 遠赤外線効果で中から焼けるからねぇ。

躓いた気持ちがそこでポキリと折れたような心地に。
それでも、どこかに伝える言葉があるのじゃないかと、
帰宅後、また資料に目を落としています。

どうしたら伝わるか。
伝えること、伝わること、伝わり方のこと(遠赤外線じゃありませんが)
またひとつ、お勉強の時間を迎えています。
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迎合せず

2013-11-24 21:14:23 | 日記
奥山に鹿がなき哀しい秋だ。
というニュアンスの句を見せてもらいました。
それを見て、猿丸太夫の
 奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき 百人一首の句ですね!
を思い出しました。

それが迎合だとは申しきれませんが、
迎合だけはするなと若い時から心に決めてはいた。
そのことの、情けないのですが、やはり褒められると、
褒められた方向に思考は向いてしまう、私の心を嘆きました。


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迎合して撮った写真も詠んだ句も、できた時は不思議と喜びが大きいのに、
ほとぼりが冷めると、そんなつまらないものはないわけです。
中身が空っぽの気がします。

   ※

かくして思います。常時、自分を客観視はできません。
「自分基準」を持ち合わせるぐらいに
それに向き合えるか、唯我独尊でいられるか。

誰にでも愛される何かを作りたいとは思いつつ、
何よりも自分がそれを愛せることに素直になりたいと思った一日でした。






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地域に暮らすなら

2013-11-23 21:11:07 | 日記
昨日はどこまでも無償のボランティアは良くないよ、
 ……という話を書いたつもりでしたが
 ちょっと尻切れ蜻蛉の話で終わっていました・・ 反省
どこまでも無償ボランティアが良い。
というご意見もたまわりました。

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地域に暮らすならばボランティアは必須のこと。
それは人として当たり前で
人と人が繋がって行くことを
厭うのは人として間違っている……。


人と人が繋がることが結果として
地域を豊かにし
それは緩やかに自分に返ってくるのではないかと
それは人としての喜びだろう。




まあどちらにしても
地域に暮らすというのも、単なる暮らしも
割り切れない何かを抱えて生きることに他ならなく、
イエス、ノーではありません。

地域を作る、という話が出るたびに
それは答のない答を求める旅だと思う昨今です。
それが暮らしであり、会社などのシステムを離れた人の姿だとも思うのです。

 




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ボランティアの限界

2013-11-22 19:18:50 | 日記
明日は勤労感謝の日だというのに文化の日の話です。
この辺りはとても公民館活動が盛んです。
各町会の文化祭に加えて、そこで出展された作品を
15あまりの地区をとりまとめている市営公民館に持ち寄って
翌週、地区文化祭を行います。

種種様々な展示があるのですが、
我が町会は絵画や彫刻、手芸などの他に
私がこの3年作り続けている、町内会新聞も展示します。
 A3裏表カラー印刷で通算15号を作ってきました。
これが自分で言うのも何ですが、なかなか人気だったようです。

で、いくら払ってもらってやってもらっているの?
 という話が必ず出て、いやー すこしお礼はするけど、ほぼボランティアで・・・
そりゃ イケないよ。こんなの作ってもらってボランティアだなんて。

作品の番をしていた人が、ずっと同じ会話が続いてねと
昨日(鹿肉パーティの折)、私の所にやってきて言いました。



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実は今年になって初めて猟友会の人に殺処分の経費以外にお金が当たるようになったのだそうです。
毎日罠を見回り、鹿を埋める穴を掘り、翌日には遺体の状態を確認する、
といった一連の作業にまったくお金が払われてはきませんでした。




 それはボランティアだからというのが社会の見方だけれども、
 ボランティアだけで250頭以上の有害害獣駆除はできないね。
 山を守りたいという使命感がなかったらできない。
 山で猟をする仲間は奥さんに「またお金にもならなことを」と怒られ
 「また山に行くのですか」と窘められるんだね。

 ボランティアってね、大切な精神だと思うよ。
 でもね、ずっとそれをやっていても良いという条件ややる気を作んないとね
 続かないし、おかしいわけ。

 作り手や遣り手の苦労が報われるような、そんな活動が地域活動じゃないの。
 やってくださいって無償労働を強いるんじゃ、
 言い方は悪いけどね、戦時下の女子挺身隊制度みたいだよ。
 「何々のため」の何々に地域であるとか国家が入るならば無償が当たり前って思う。
 それって民主的なのかなって思うわけ。
 
 これからね、介護だって、保育だって ボランティアという無償の力を
 地域も国もきっと期待するだろうと思う。
 その時、働くってどういうことなのかなって
 一人一人が きちんとした投げかけに答を用意していないとね
 駄目だと思うよ。

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鹿肉パーティ と 殺処分

2013-11-21 21:03:59 | 日記
先の鳥獣防護ネットの打ち上げがありました。
昨日射止めた鹿肉を炭火で焼くパーティです。
射止めてすぐに解体して冷凍、
それを料理直前に冷凍したまま薄切りとし、
醤油だれで軽く味付け、炭火で焼くシンプルな料理です。
柔らかくて美味しかったのでした。


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猟友会の人が参加していました。
この地域で目標としている害獣(鹿)数は600頭。
そのうち、禁猟期間の7か月に
その方と仲間が近隣で処分した頭数は250頭あまり。
鹿肉を食べることはまれで、その場に穴を掘って埋める。
そういう殺処分をしているそうです。

 むかしはね、鹿が珍しかった。
 一頭狩ると近所が集まってお祭り騒ぎでしか肉を食べた。
 角、内臓、皮、全て使って残るのは骨だけだった。
 猟師はそれを見て誇りに思ったものだったよ。

250頭あまりの殺処分をした鹿のうち、
肉を食べる目的で解体を依頼された件数は忘れたましたがね、
もう血を見るのはけっこうと言うぐらい、解体したね。
解体した鹿肉の販売ルートがないから、
殺して埋めるだけの仕事に猟師は嫌気がさしてね、
辞めていった仲間も多いんだよ。
新しいメンバーも来なくて、昔からの人も年を取っちゃってね。


ルートの確保はできるのかを元市議会議員に聞いてみると
難しいとのこと。
鹿肉は鮮度が一番な上に、解体時に出る血の処分に法的縛りが大きく
その処分施設を作れば真っ赤な赤字とのこと。
ヨーロッパのジビエは狩猟後3年間ほど掛け飼育し
人が食べやすい味にした高級食材とのこと。
野生の鹿の利用には難関ばかりだと。


沢歩きをする人が、今秋はやたらに牡鹿の鳴き声を聞いたと。
淋しくて、胸が詰まるような声だったとポツリと言いました。
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