はりせんぼん

今は調査員のお仕事をしている、もと看護師。最近、お勉強不足、渇を入れてやってください。

お婆さんたち

2008-05-30 16:48:37 | 不自由な言葉
 義母の調子が悪いという知らせの後、主人は郷里に出向き受診介助をした。主治医とあれこれを話し、専門医への受診を決定した。その専門医は、主人の同級生が勤める病院にいる。同級生は主人を慮って、事前に専門医にデータを提供した。専門医は、検査は必要だが、すぐに受診する必要はないのでと、6月の受診を勧めた。受診日は主治医の指示に従うように求められた。明日土曜日、義母は主治医を訪ね、専門医の受診日が決まる。
 義母は体調の変化を知られたくはなかったようだが、一連の話を、私はこっそり実母に知らせた。実母は、「知られたくないことはわかります」と言った。「それが、年寄りの多くの考えでしょうから」
 ところが、そう言った舌の根も乾かぬうちに、実母は見舞いの手紙などをしたためている。義母は驚いて、「さては言いましたね」と電話を掛けてきた。「はい、言いました」と私は答えた。「あなたの立場ならば、お母様にも言わねばなりません。お母様の立場ならば、見舞いもしなくてはなりません。私の立場はわかっています」。義母はきっぱりそう言った。「申し訳ありません」。私は謝った。
 義母は返す。「いいえ、違います。私は嬉しかったのです。あなたのお母様は、私を見舞ってくださった。あなたはそんな機会を作ってくださった。機会は貴重です。あの後で、私はゆっくり、あなたのお母様と電話でお話ししましたよ。今のこと、これからのこと、子どものこと、孫のこと。本当に嬉しかったです」
 電話を切って、今度は実母に電話を掛けた。「ああ、そのことね。年寄りというものはそういうものですよ。体の具合などは知られたくないものです。でも、誠意のある見舞いは欲しいものです。本当に大切なものから、本当に大切だと、いつだって言われたいものです」
 お婆さんたちのスクラムは強靱であった。「思いは千里を超えると言うではありませんか」。実母がそう言って電話を切った。
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老いの文化?(その3/3)

2008-05-29 01:46:01 | 不自由な言葉
 昨日の続きです。山上憶良の「病いに静見て自らを哀れむ文(長文)」を要約します。

 ①……悪いことをしたわけでもないのに、病気になり、ただ年老いてしまいました。医術に頼るにしても命根はすでに尽きていて、天年(天に与えられた寿命)を過ごしてしまったかと思うと、なお哀しいものです。
 生はむさぼるもので、死は怖れるものといいます。死んで金を積んでも何にもなりません。それは屍だからです。だから、生は極めて尊く、命は重いものだと感じます。
 でも私は病気なのです。臥坐することもできません。なすすべもないのに、幸せがない状態は私に集まってきます。たちまち、この病気を取り払ってもとの状態に戻りたいものです。
 人は誰でも死んでゆくのです。生まれ出れば、必ず人は死にます。死がなければ、生まれ得ないということです。そういう始終があるとは知っても、生きながらえることを思わずにはいられません。

 ②……何か言おうとしても言葉が詰まってしまいます。どうやってこの境地をお話しすればよいのでしょうか。いろいろ考えては見たのですが、考え詰めたのですが、思うことは絶えてしまいました。どうやって、この状況を考えればよいのでしょう。

 ③……世の中を生きることは、辛塩を傷口に塗るようなものです。重い荷を背負うことです。年老いた上に病気も加わってしまいました。あまりの長患いですので、死にたいとも思うのですが、騒いでいる子どもを見捨ててどうして死ねましょうか。生きようと心が燃えます。

 ④……でも、私が愛おしんだ息子は死んでしまいました。手を尽くしたのに、私よりも先に。これが、世の中というものです。

 かように山上憶良は書きました。全身創痍、ボロボロ状態で、子どもも死んでしまったのに、生きていくのが世の中だと書いたのです。崖っぷちの、そのまた先の崖っぷちに立ってもなお、山上憶良は生きると書くのです。

 老いの文化の一端がここにあると記したのは、万葉学者の中西進です。私も文化がここにあると思います。もっとも、中西はそれを老いの自立思想と解釈しました。私には自立思想とは思えません。
 ですからここでは文化のことを書きましょう。山上憶良は古今東西の諺・事象などを引用し考え抜き、それでも老いや生に関わる自らの「それ」は言葉にできない、論理的思考の枠を超えていると万葉集に記しました。論理的に考えるに足る幾つかの材料提供は、すでにあったわけです。
 山上憶良はそうした事例も参照したけれども、自らの心境や生きたいと思うことを十分な言葉にはできませんでした。それでも、老いとは何か、生きるとは何かと考え抜くことを通じて、「老い」を考える対象として昇華させました。生きることとしての「老い」が、歌という芸術の世界を通じ意識づけられたのです。こうした意識の発見こそが山上憶良より開かれたことです。それが、文化における「老い」の浮上と私にも思えるのです。

 その意味で現在、「闘病記」「介護奮戦記」「老人論」などのジャンルが確立し得たことは喜ばしいことです。希有なこととしての老いではなく、普遍的文化としての老いを私たちが認識していると思われるからです。
 そういう時代ですから、今ある主張からどんな新たな価値(文化)を見いだすのか、私たちは試されていると言えましょう。それは、「老いの文化」に対する付加価値や普遍性の追求という挑戦です。ただ老いることを怖がるだけの文化から、明日はどんな価値を持つ文化が生まれてくるのでしょうか。楽しみですね。
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老いの文化?(その2/3)

2008-05-28 11:25:42 | 不自由な言葉
 古今和歌集を読んだので、次は万葉集かなぁと思いました。で、本を開いて後悔しました。昭和29年初版、昭和59年45版とあります。漢字にルビは振ってないわ、字体が読みにくいわ……、でした。その上、何度も読み返してボロボロです。気をつけて読まないとページが破れてしまいそうです。
 それでも、勇気を出して読み始めました。まずは「老い」を探します。雑歌をピックアップして読み始めましたが、巻5で衝撃を受けます。山上憶良です。

 山上憶良の晩年は健康ではありませんでした。教科書でもおなじみの
「白銀も金も玉も何にせむに勝れる寳子に及かめやも」
この句の後に長文が記されます。
 ……世の中はどんどん時間が過ぎてしまいます。自分はどんどん年を取ってしまいます。髪の毛は白くなるし、杖もいるし、どこかに行っても、人に嫌われ、憎まれます。命は惜しいけれども、なすすべがありません。
 その反歌。……この世が不変であって欲しいと思うけれども、それが世の中だから留まることはできないのよ。

 この後ややあって貧窮を憂うも、そうであっても死にきれないとつぶやきます。
「世間を憂しとやさ(恥)しとおもへども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」

 これに、続けて書かれた「病いに沈みて自らを哀れむ文」を要約を明日記しましょう。それは、ちょっとした衝撃なことでしょう。
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老いの文化?(その1/3)

2008-05-27 16:44:56 | 不自由な言葉
 先週金曜日に、あまりんさんから「老いの文化」の話がありました。鷲田清一の「老いの空白」を読み返しても良かったのですが、なぜか古今和歌集を手に取っていました。例の業平の朝臣、「ついに行く道とはかねて聞きしかど、昨日今日とは思わざりしを」の続きのように。
 すると、巻17雑歌上に、老いの句が幾つも並んでいるのを発見しました。No888~904ですから、16首です。一番興味深かったのは、
 「このみつの歌は、昔ありける3人のおきなのよめるとなん」の件でした。ということは、昔はあったけれども今はない、ということです。編者の書き方……えらいこっちゃ!。誰が詠んだと具体名はありません。暗に揶揄するかのようにも取れます……。
 しかも、そのみつの歌は未練たっぷり……。

「さかさまに年もゆかなん とりもあへず 過ぐる齢や共にかへると」
  ~逆さまに年が進めばいいのに、取り押さえることもできずに毎年ふけるなんて!
「とりとむるものにしあらねば 年月を あはれあな憂(う)と 過ぐしつるかな」
 ~抵抗しても歳は取るものでしょ、だから、ああ悲しいなぁと過ごしているんですよ
「とどめあへず むべもとしとは言われけり しかもつれなく過ぐる齢か」 
 ~年には勝てぬところ、まさにとし(疾し)とはよく言ったものだ、私の気持ちもお構いなしに

 意訳のしすぎかもしれませんが、どうにもネチネチ未練たっぷり、不満満載の歌たちです。
 いえいえ、偉い人ばかりではありません。詠み人知らずの歌にも、こんなのがありました。

「ももちどり さえづる春は 物ごとにあらたまれども 我ぞふりゆく」No28
 ~沢山の千鳥が来る春は、みんな新しくなるものさ、それでも、わたしゃ古いまんまさ
「何をして 身のいたづらに 老いぬらん 年の思はん事ぞやさしき」No1062
 ~この年になるまで何をなしえたのかなぁ。年を考えると恥ずかしいよ

 未練、悔恨、不満を詠んだ句たち。歌のための歌か、否か(フィクション or ノンフィクション?)。最後に、晴れの日を詠んだ、としゆきの朝臣が一首。

「老いぬとて などかわが身をせめぎけん 老いずば今日にあはましものか」No903
 ~老いたなぁと嘆いていたけれども、今日のような日に出会うために老いたんだなぁ

 老いてもこれ好日とは、まずは今日の喜びが必要なのは、昔も今も同じようですか……?
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田んぼ

2008-05-26 09:18:01 | 日記
 去年は減反で蕎麦を作っていた田が、今年は稲を育てている。これが本懐と彼は言うのだろう。夕暮れが迫った畦で田に肥料をまいていた。ミレーの絵を思わせる光景。犬の散歩をする人も、ウォーキングをする人も、なべて溶け込む時間である。早稲田は山を水面に映して美しい。
 真っ黒に日焼けした彼は、あるリズムを刻んで肥料をまく。肥料が放物線を描いて水面に落ちる。小さな水音と波紋が夕暮れに染みこんでくる。早稲田の周りにはアヤメが咲いている。紫色に咲いている。
 こんな時にカメラは持参していない。代わりに玄米をリュックに詰め込んでいる。急な出張で主人が車を使っている。精米所までの3キロの上り坂を私は歩く。あんまりダラダラの坂だから、吐く息が荒くなる。
 それから、そういえばと携帯電話を取り出して、便利な世の中になったものだと感心する。シャッターを切ると十二分に手ぶれする。もう十二分に夕暮れ時なのだから仕方がない。
 家に帰って、その画像を絵に起こす。できれば点描画にしたかったが、そこに至らない。ありきたりのデッサンに絵の具を重ねるが、思ったような色が出ない。けれども、十二分に静かな絵にはなったか(駄作)。
 早稲田はまたたく間に背を伸ばす。今度精米に行くときは、水面に山が映えることもなかろう。今年、この時限りの夕暮れ。
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老化、ですか?

2008-05-23 12:20:25 | 日記
 ああ……。診察室を出ると、深いため息が出た。理由は2つ。
 1つには、あまりに話し好きな医師だったこと。……話が終わらない。病気の話から、厚生労働省の批判になり、製薬行政の不備……、と話が続く。途中で看護師が、急ぎの書類を持って来たが、意も介さない。看護師は深いため息をついて、立ち去っていった。その後も話は続く。「僕が医学生の頃の話なんですよ。肝臓を切除して……」。
 多分、15分は話していたに違いない(単に私は聞くのみだった!!)。業を煮やした看護師が、私を叱る。「もうよろしいですね!」「はい」。私はすでに退室モードである。すぐさま立ち上がると……。「まあ。まあ」。医師は手を上下にして座るように指示する。すぐさま、看護師が「もう、本当によろしいですね!!」と言う。「はい、本当に」。私は逃げるように診察室を出た(いや、出られたのである)。正午も過ぎたというのに、待合室には10人の患者さんが待っていた。肩身が狭かった。
 もう1つの理由は、診断内容。足の皮が剝けるので、もしや水虫と思ったそれは、
「水虫じゃあ、ありませんねぇ。老化現象ですよ」
「老化、ですか……」
「僕のかかとも見てみますか。ほら、同じじゃありませんか。マイクロスコープで拡大しますよ。とっても病巣の状態が似ているでしょ。ねぇ、老化なんですよ」
「……」
「あっ、そうそう、お顔に出ているシミ、これも老化ですねぇ」
「これも、老化ですか……」
「でも、これは治せますよ。規則正しい生活をし、ストレスを避け、紫外線を避けるのです。体のバランスを良くすることが、大切なんですよ……」
「……」
「仕方ありません」
「……」

 家に帰って、事の次第を家族に話す。子ども達は「オバサンだ」と笑うし、主人は「君だけ年を取らないわけないでしょ」と笑う。悔しかった。そのせいだろうか。子ども達がせせら笑う夢を見た。子ども達が笑うたび、どこからか「親孝行とは何でしょう」「それは、本当の親孝行ですか」のフレーズが繰り返される。目覚めたときは、泣いていた。子ども達に腹が立ったのではなく、自分の親不孝が悲しかったのである。
 で、「人は誰だって老いるのだ!」。朝から気炎を上げたら、迷惑そうな顔をされた。
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まずは何をすべきか

2008-05-22 00:33:25 | 日記
 中国四川省の震災にまずはお見舞いを申し上げたい。おびただしい瓦礫の山に、苦しむ人々。何かできることはないかと考える。娘はなけなしの小遣いから募金をしてきた。私もそんなことしかできないでいる。

 それにしてもである。日本の医療チームは何をやっているのだろうか。野戦型の治療機器をそろえ出向いたことはわかる。だが、まずはそこにある、「要望・リクエスト」に応えるのが外交の鉄則ではないだろうか。
 四川省・成都入りしてからの12時間の空白は中国側の事情だとしても、その後に生じた長時間の調整時間は無駄と感じる。指定された病院で手術をする。その間にも、四川省内の情報収集はできる。何が足りないのか。足りないものは医師なのか、薬なのか、テントなのか。その個数は何個か。あるいは、情報収集を効率化するためのシステムを考えても良かった。最初から「野戦だ」と出向いていくのではなく、その後の支援につながる橋渡し機能がいかに大切かは、阪神淡路大震災の教訓ではなかったのか。
 彼らに必要なのはマネージメント能力だと私は思う。

 それを最初から、「野戦型だ」と言い放つようでは、先方の信頼を得ることはできない。ちょっと前、たとえば江沢民の時代ならば、もっと反日感情が高かっただろうから、こんなごね方をしたら。「帰ってくれ!」と言われたかもしれない。
 まずは相手の困っていることを手助けし、その後、協力者として提案をする。それなくして、どうして異国の医師団を初めて受け入れるだろう国で成果が上げられようか。日本の旗印を背中に背負って出かけたならば、外向的交渉術を持つ人間を団長にすべきではなかっただろうか。
 少なくとも、いきなり「野戦型だ」と切り込むような団長は、手足になって働いてもらうことがまずは安全と映るだろう。そこだけにしか能力がないかのように見えるからである。
 先の大戦から60年以上が経ったが、いきなり殴り込みの外交は、反感を生むことがあっても、感謝を生まないかもしれないと危惧するのは、杞憂であろうか。
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 参考記事、リンクせずに不親切ですが
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080521-00000112-mai-soci

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藤原新也

2008-05-21 16:06:04 | 日記

 一番影響を受けた写真家を上げるならば、藤原新也か、と思う。広角レンズを巧みに使った丁寧な仕上げも好きだ。そのエッセイも捨てられない。写真と文章の互いが「存在の闇」をあきらかにしている、そんな感じを持つ。

 最初の衝撃は、デビュー作「インド放浪」であった。犬は人を食うぐらい自由なのだと、ガンジス川で屍体をむさぼるイヌの写真を撮る。その写真は電車の中吊りになって、かなりの物議を醸した。これには、過度の売名行為と見る向きもあった。が、私は、どうにもならない不条理を内包した世界が、「世界」として肯定される事への安堵を覚えた。

 彼に影響されてインドを旅した中年男性がいた。旅行に利用したバスからバナナを投げると、貪り取るように無数の手が伸びてくる。その手が伸びた瞬間を写真に撮って帰ってきた。ともに旅をした欧米人が、これは生活支援だと言ったそうだが、彼は動物園のエサやりのようで悲しかったと話した。バスの窓枠一枚で、住んでる世界も価値観も違っている。僕は観察者にはなれたが、生活者にはなれなかった。僕は空っぽだと言った。

 何かに必死になる者を、時に人は観察者として嘲り笑う。私はそうではないと思うからこそ、相手を笑うのである。が、その私に必死になる何かがあるかと聞かれれば、わからない。やれ国会が、法案が、不正がとマスコミが踊れば、つばを飛ばす勢いで騒ぎ立て、祭りが終われば、さめざめとした空虚を、お笑い番組でやり過ごしている。茶を濁す小さな暮らしがあるだけかもしれない。

 しかるに、いつでも花の終わった後の寂しさをまといつつ暮らすよりも、いつも花見に行く気分で暮らしたい。誰かを観察する者になるよりも、誰かに観察され嘲笑われる者になりたい。少なくとも、一般化された真実を語る人間になるよりも、私にとっての真実を語れる人間でいたい。藤原新也の本を読み返すたび、そうした意識が芽生えてくる。

藤原新也オフィシャルサイト

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これ以降しばらくは画像が大きいものが増えるかもしれませんが、あしからず

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夢見た道を行く

2008-05-20 20:00:46 | 日記
 「子どもの頃に夢見たことを叶えるのは自分なの」。シンガポールに住んでいた女性が言った。女の子であっても、結婚や出産によってキャリアを諦めることはない。子どもが生まれれば、老親が面倒を見てくれる場合もあるし、社会的にも面倒を見てくれる。だから、母親になっても、自分のキャリアを高められる。それがかの国のワーキングスタイルなのだ。
 シンガポールは、人口448万人、1人当たり名目GDP(US$)29,474(2006年)、豊かな国である。また、小国ゆえに男女ともに貴重な人的資源として大切にされているという。もっとも、それは激しい競争あっての待遇という。競争に打ち勝ってその職を得、競争に打ち勝って、良い待遇を得られるという。
 未来に希望を抱き、たゆまず努力し、確かなスキルを取得できる。その限りのおいて、「子どもの頃に夢見たことを叶えるのは自分」なのである。自分が「する」限り、希望が続くとも言い換えられると、彼女は言った。
 さて、そうした強い個をどう育成すればよいのだろうか。ヨロヨロになって帰ってきた愚息君の表情を見ていると、この世の春とはこのことかと、頭の痛い今日この頃である。
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 いやいや、それは母もであった。放送大学授業の図表、写真などを写真に納めてプリントアウトし、ノートに貼り付けるという裏技を使っているのみならず、時には、ベンジャミンラビットのフィギュアなどを手前に置いて,それらを撮影していたりする。これでええのか……。ええわけないだろう、と言いながら,どこか肩の力が抜ける一瞬で困ってしまう。
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子ども格差

2008-05-19 22:34:28 | 日記
 東洋経済の、5月17日号は、「子ども格差」の特集である。これを読んで、山田昌弘の「希望格差社会」を思い出した。……子ども達は二分されている。将来に希望を持てるものと、そうでないものと……。
 この号も、子どもの貧困を主軸に、山田の仮説を証明するかのような内容であった。子どもの貧困は、その国の国民1人当たりのGDPではなく、「相対的貧困率」と比例する。相対的貧困率とは、「子どもが属する、一般的な家庭の半分に満たない所得の家庭割合」を示す指標である。日本は14.3%である。貧困の中で十分な教育機会を得られない子ども達がいることは、新たな人材が育成できないことを示す。子どもを大切にしない国に、安定した将来はないかもしれない。そんなことを危惧する。
 これは子どもだけの問題ではない。たとえば、女性の正社員率はいつまで経っても上がらない。結婚、出産を機に退職する女性も後を絶たない。その後の再就職は残念ながら保障されていない。したがって、母子家庭の子ども達の教育環境は悪くなる。
 子どもを見る保育園は充足されていない。夫が育児時間をとったり、育児休暇を取る率は相変わらず一桁台である。育児はどうしても女性に背負わされている。
 これが、男女ともにそれなりの仕事が得られ、男女ともに育児を負担する社会であれば、家庭に入る所得水準も上がるだろう。男は外で仕事と頑張りすぎ、精神的な負担も減るかもしれない。
 私はもうオバサンの域にあるので、どうしても年金だ、介護だと、そんな方向に目がいく。自分の得るだろう権利に対しては結構真剣になれる。そして、アンテナを張り巡らしている。
 だが、この国の未来を考えたならば、子ども達の問題は大きな問題である。「日本の子ども貧困率は先進国でワースト10位」などという副題がついた本特集であるが、もう少しだけでも、この国の子ども達のことを考えたいと思った。
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 例の道路財源であるが、日本の公立小中学校の耐震化工事に使ったらどうだろうか。未だ6割の学校が耐震基準に達していない。道路特定財源の雇用創出効果が一番高いのは、土地取得事業がない工事のはずだ。子どもを守るためならば、私は道路に多少の不便があっても良いと考えるのだが……、如何なものか。参考記事、以下。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008051790071959.html
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 友達のロッジの山桜と白樺、唐松の新緑
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