はりせんぼん

今は調査員のお仕事をしている、もと看護師。最近、お勉強不足、渇を入れてやってください。

説明をする

2007-09-29 01:11:14 | 表現することを
 自分の目で見た世界を同じように相手が共有してくれるかどうかはわかりません。赤色は何色かという話でたとえられるようにです。赤色と言われた色はその人固有の色と言ってもいいでしょう。
 あるいは、色鉛筆を集めますと、イギリスの赤と日本の赤は似ていますが、ドイツはよりダークな、アメリカはラークのような、韓国は朱の抜けた色をしていました。赤と呼ばれる色に文化的差違があることも見逃せません。
 パソコン上では色を数字でしてすることができます。たとえば、イラストレーターを使用していましたら、シアンが57%、マゼンダが32%、イエロー5%、黒0%などと指定すれば、同一ソフト使用者では同じ色が表現できます。実際、コーポレートカラーなどの色指定は数値によって厳格になされます。ですけれども、その表現された色をどう感じるかは個々人の感覚に依存しているわけですから、感性の規格化ができない以上、目にする色はその人固有の色ともいえましょう。
 こうした違いは色ばかりではありません。触感も味覚も、事象の受け止め方も千差万別、固有のものです。まして、その表現形となりますと、個別性が高く個性溢れるものになります。

 例の展示会でそんなことを再確認し、改めて説明の大切さを実感しました。
 まずは、関心を持ってもらうための説明が必要です。この写真はこうやって撮ったと言うだけで、観覧者をその現場に導くこともできます。どうしても大きな作品、インパクトスコアの高い作品に人は寄っていきますが、一作品の見所のようなものを一言添えると、次の作品からはゆっくり見所を探してくださるようにもなります。
 その次に理解のための説明が必要な場合がありました。写真に興味のない人には写真鑑賞のツボのようなものをお伝えすることもありました。写真をずっとやっている人には、どこにオリジナリティを感じて撮影したかを伝えました。そうすると、作品に関する具体的な話し合いにつながったことがありました。この会話で、初めて相手の受け止め方がわかるのです。言い換えるならば、わかり合うための説明といえましょうか。
私に関する説明も必要でした。私が負っている背景が作品に投影されているかに関心を示される人がいたのです。
 素人の作品だから見る気はないといった態度の人もおられましたが、そういう人とは結局会話にはなりませんでした。これは説明以前の問題ですから仕方がありませんね。
 最後に、観覧者の感想とは、観覧者が心に起こったことを説明してくださっているのだと思うようになりました。結局の所、説明はわかり合えていないことを前提に、わかり合おうとする作業なのだと思ったのです。
 また、観覧者の言葉には思いがけない表現が溢れていました。その表現の一つ一つが、その人となりを表し、その人の歩んできた歴史を表しているとしたら、今後の撮影に生かしていくことが肝要と思いました。説明しあうことは、何かが解け合って新しい価値を生み出すための最初の一歩のようで、どこか熱いものを感じました。もちろん、阻却もありですけれども。
 ※ とうとう昨日のうちにアップできずに、こんな時間に投稿いたしました。
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満月

2007-09-27 23:20:50 | 日記
 月が満ちました。端正な顔をしています。そして、写真の展示も今日で終了しました。その時が来るまで満ちていくものも、やがては欠けていきます。ただし、欠けては満ちる月のこと、この満ちたときが新たな満月への出発点になることを祈りましょう。
 さて、今日はお隣の町からいらしたご婦人といろいろとお話をいたしました。彼女の家にはつい先頃まで15歳の老犬が居ました。ラブラドールリトリバーです。この老犬、なくなる3年前から歩行障害が出て、後ろ足を支えながらトイレに連れて行きました。その期間が終わると歩けなくなったので、今度は抱きかかえてトイレをさせました。オムツをいやがるので、最後までトイレに連れて行ったそうですが、大型犬のこと、それが度重なってご婦人は腰痛症になってしまいました。
 最晩年は、寝返りさえできず、苦しがる前に時間ごとの体位交換をしてあげました。こうして気づけば3年、無類の犬好きを自覚していたものの、さすがに新しい犬を飼う気にはならなかったそうです。
 そういう話をしてから、展示してあった金魚の写真を指さし、「何年ぐらい生きるのですか?」と聞かれました。「30年と聞きます」と話すと、「今度は金魚かしら、トイレも連れて行かなくていいし、私よりも長生きしそう」と笑っていました。
 そういえば、この一週間の間に介護の話題を5件ほど聞きました。私の素性は専業主婦ぐらいにしか語っていませんでしたのに、どこか臭いがするのでしょうか。
 会場を撤収し、いよいよそれぞれの地に別れ行く頃、秋特有の激しい風が地表をさらっていきました。これから急速に秋は深まるのでしょう。それはまた巡りめく季節の予兆のように感じられたのです。
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14日目の月

2007-09-26 23:30:19 | 日記
 写真展も残すところ明日だけになりました。お客さんの入りはぽつぽつといったところです。その代わり、平日に美術館を訪ねてくださる方は本当の絵の好きな方々のようです。しばしば足を止め、丁寧に見ていってくださいます。
 お客さんの入りが少ないということは、ほんまもんの作家との会話時間が長くなります。結果として尻をたたかれるというのか、しっかりやンなさいと会話が結ばれていきます。この、「やンなさい」の「ン」がカタカナなのはここに力が入っているとしか思えないからです。
 
 何度も10年という言葉を聞きました。ここにいらしているホンマモノの作家たちは皆、それが生業です。作家として認知されるまでの長い道程や、作家活動を維持するための不断の努力、そのスパンが10年という単位であることに、一種驚愕の念さえ覚えました。どうして普通の暮らしをして、10年後の夢をこうも具体的に描き得るか。そう思ったのです。
 確かに、10年後に子どもは何歳になっていて、その頃私は何歳で、主人は何歳でと年は数えます。では、その10年後、どんな私になっているか、どのような私として人々に買ってもらえるか。それはなかなか想像しがたいものがあります。
 確かに、10年後も専業主婦をしていることも想像できるでしょう。あるいは、夢想とは知りつつも写真家として認知された自分も想像できます。
 けれども、それが実現可能な夢として今の自分をおくことは難しい作業だと感じます。そこに至らない理由はいくらでも想像できるにです。

 この一週間でずいぶん写真上の月も満ちてきました。時が満ちるにはそれなりの時間が必要でした。私という人間が満ちるにも時間が必要です。そして、何より大切なのは、10年たゆまぬ努力を続けられる、その志にあるとしたならば、「どうせ欠けてゆく月だから」と自分を甘やかすことを止めねばなりません。
 その覚悟があるか。満月までをアップしようと単純に考えていた私でしたが、作家の言葉と月の加減が重なり合って重たい夜を過ごしています。
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よっぽど惚けている!

2007-09-26 00:33:48 | 日記
 今し方も中秋の名月を眺めてきました。とはいえ、満月は27日ですから、本当は十三夜が正解です。で、その神々しい光を浴びつつ、はたと気がついたのです。この光は太陽の照り返しであって、地球の照り返しではないと。昨夜アップした記事は真っ赤なでたらめだったのです。
 記事をさりげなく書き直そうかと思いましたが、この月夜です。写真載せたさにこのおおぼけ状態を「記念」すべく、新しく記事を起こすことにしたのです。
 ああ……、
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丸くなってきて

2007-09-25 19:11:23 | 日記
 お月様が丸くなってきました。空もずいぶん明るくなりました。いくら地球の照り返しが月明かりと言われても、この明るさが地球から発せられたものとは想像がつきません。
 それにしても寒い。もう気温が20度を下回っています。予想最低気温は14度とも12度とも。ギョギョッとする季節が始まりかけています。

 今日は、連休も明けてお客さんもまばらでした。で、クリスマスのオーナメントをみんなで作りました。ガラスを寄せてオーブンで溶かし冷却して固化します。1400度の状態を一度のぞかせてもらいましたが、鮮烈なオレンジ色でした。それが、1000度になるとちゃんとガラスに着色した色が見えるのですね。ちょっとした驚きでした。
 会期は明日と明後日のみになりました。長い長いとため息をついていましたが、滑り出せばあっという間ですね。これにも驚きました。
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雨ばっかり

2007-09-24 23:16:49 | 日記
 夜になると雨ばっかり。つかの間月が出たと思えば、瞬く間に雲隠れする様は紫式部の歌(百人一首)のようです。おまけに、そんなときにコンパクトカメラ(デジカメの)しか持ち合わせていなかったのです。ひどい画像です!

 さて、今日の写真展示ですが、結構お客さんが来ました。その中に、車いすで90歳を超えたお母様をお連れになった人は今日一日で7軒の美術館を巡ったと言います。お母様が美術館好きなのです。で、今日はお仕事が休みでしたので巡り歩いているのです。
 話の途中から、お母様は私の手をしっかり握って、たいそうにこやかにお過ごしです。
「あなた、プロなの?」
「いいえ、専業主婦です」
「じゃあ、アマチュアさんなのね」
「はい」
「結構ですね。良い目をされていますから、ご精進くださいね」
「はい、お母様も、うんとお幸せにお過ごしくださいね」
「はい、うんと幸せなのですよ、こんなにいい息子に見守られていますから」
と、息子はすかさず応えます。
「僕だって幸せですよ、母が好きですから」
こうして、わたしも幸せのお裾分けをいただきました。

今日は友達も来ました。両親も来ました。とても賑やかでした。そして、思い出に残る一日になったと思いました。
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今日のお話

2007-09-23 23:28:50 | 日記
 今日は月が出ませんでした。電信柱の向こうの空が明るいのは月明かりなのですが。
 今日の展示会は比較的多くのお客さんに恵まれました。さすがに観光地、北は北海道から南は京都、大阪まで。ずいぶん遠方から美術館を訪ねれれる方がいました。
 もちろん、地元の方もたくさん見えました。常連さんになっている人も、そうでない人も、地元のパワーってすごいですね。お友達になりましょうというモードの人も、批判眼丸出しの人も、様々な参加の形がありました。
 あるいは、お子さんたちが自由に感想を述べあっている横で、お父様やお母様が聞き入っている姿も印象的でした。媒介物があることは、感性を惹起させる、あるいは会話を発するチャンスを作り出すことかもしれません。それらのモーションを注意深くおうようにしました。
 そして、自分がいいと思ったものが相手にそう思ってもらえないことも多々ありました。その逆に、思いがけない評価をいただいたものもあります。何事も勉強ですね。
 明日はどんなお客様がいらっしゃって、どんな会話が成り立つのか。ちょっと興奮しています。本当は、かなりドキドキしておこがましく振る舞っていたのですけれども、それでは展示した意味がないと知ったことも大きな収穫でした。
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昨日の月

2007-09-23 00:02:32 | 日記

月がだんだん丸みを帯びてきました。
素敵だと思います。
クレーターに照準を合わせなければ宮沢賢治の物語に出てきそうな雰囲気です。

それにしても例の展示、
今日は稲刈りに小中学校の運動会に彼岸とあって空前の閑古鳥でした
あまりに暇なので、一日中出展者と話をしていました
今日はお客さんくるかしら……? 来て欲しいな

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月の写真だけ

2007-09-22 00:29:08 | 日記
これは昨夜の月
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ガハハ……

2007-09-22 00:21:19 | 日記
 どういう巡り合わせかはわかりませんが、縁あって小さな写真と詩の展示会をします。今日(と言っても、これを書いている間に昨日になってしまった)、作品を搬入しました。結構な重労働でした。
 もっともこの企画は、芸術家を本業とする人たちの展覧会の片隅での、こっそり展示会です。展覧会と書けないのは展示ぐらいのレベル-貼り付けました-だからです。
 ですから、「会場に来る人の意見を聞いて、来年はもっと違った形に、その先はもっと違った物に。そうやって進化できなければ、君の作品は偽物だ」と、お尻をたたかれてきました。
 いずれにしましても、どこかおこがましさがありまして、口角から頬にかけて変な緊張がとれません。あげく、そこが痛いのです。こんな所も筋肉痛になるのです。
 もっと、ガハハ……と笑えるようになりたいと思います?
 それにしても来年ですか……。体がこわばります……。
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 しばらく月の写真を毎日アップします。
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