はりせんぼん

今は調査員のお仕事をしている、もと看護師。最近、お勉強不足、渇を入れてやってください。

猫が欲しい

2007-08-31 19:04:35 | 雑記
 どうもすっきりしないときに、親に当たるのも一手とか。とはいえ、親に当たれば、後々の面倒を引き受けなくてはならない。物に当たれば、痕跡が長らく残って、これもまた面倒である。そうであるならば、猫を猫かわいがりしてすっきりするというのはどうだろう。……と、愚息君がつぶやいている。
 今さら猫なで声でお説教をするには、いささか大きくなりすぎて、「あ、そう」といなしておく。いなされた愚息君は、「だから猫が欲しいんだよ」と宣っている。
 以前、我が家に舞い込んだ子猫のような、ああしたアクシデントはないかと、大歓迎なんだけれどもと愚息君は言う。あの猫、僕のことを覚えているかなぁ。と付け加える。「猫は覚えていないんじゃないの?」。冷たく言う。じゃあ、犬が欲しいな。天井をむいて愚息君がこぼす。「恩を感じさせてあげればね」。それで、愚息君は黙りしてしまった。
 都合のいいところだけ横取りしようと思っても、生き物と一緒には暮らせない。それでも、隣のニャンコが庭を横切るときだけは、めっぽう猫なで声で都合よく振る舞える。隣のニャンコは、そんなことはよくよく承知で、ぷいっと横を向いてそしらぬ顔である。
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夏の終わり

2007-08-30 10:41:08 | 日記
 朝、車を走らせていますと、ナナカマドの実が色づき始めているのを見ました。ついこの前まで緑色で、探そうと思わなければ見つからなかったその実は、もう誰の目にもとまるようになっていたのです。
 その傍らで、未だ子育てに忙しいツバメの夫婦がひっきりなしにエサを運んでいます。気の早いツバメたちはコロニーに集合し、何度も円を描いて飛び回っています。こうして、円を描き出しますと、いつの間にやら南方への旅を始めるのです。
 アカマンマがニョロリと花穂を上げ、早咲きの菊花が朽ちてゆきます。ようやく花を咲かせ始めたサルビアは、遅咲きが故に霜の降りるまで咲き続けます。その花が霜に当たり変色し、やがて、凍結により膨張した茎が裂けるまで、今年はどれぐらいの時間があるのでしょうか。
 高層湿原では九月の声を聞けば、いっせいに紅葉が始まり、平地が紅葉する頃にはなべて枯れ野原となりましょう。まだ山際の木が緑であることを確認して、少しばかりの安堵を覚えるのは、季節がゆくことを惜しみますから。その気持ちを代弁するかのように、気ぜわしく虫たちが鳴いています。
 季節を急ぐものも、謳歌し続けるものも混在するこの大地に、暑すぎた夏も終わりを告げようとしています。
 一足早い秋の便りに、残暑の見舞いを込めてみました。
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卒業研究

2007-08-29 10:35:46 | 雑記
 昨日、放送大学から卒業研究に関する質問の回答が届きました。で、質問内容には一切答えず、この研究は社会学ではなくて社会福祉学の研究でしょうと、ただそれだけが書かれていました。
 やりたいことは、介護に関わる新聞記事の分析。専攻の社会学の専任教授は理論社会学の大家ですので、新聞記事の分析などにはご興味がないのでしょう。それでも、二次データの分析に関わる書籍の紹介をしてほしいとか、その程度の質問にもお答えいただけなかったのは残念でした。
 いっそのこと、大学院生か研究員になるという手もあるのではと、主人はのんびり答えておりますが、ここまで進めた歩をゆるめるのは惜しいと感じます。そう吐露いたしますと、研究には相性がありますからと、これまた至ってのんびり答えています。大学の教授だって学生の好き嫌いはありますし、まして研究を世話するとなれば好き嫌いは顕著でしょうと。
 確かに、研究も人と人との出会いに相違ありません。よい出会いを求めるのは希求のこと。どうして、教授を責められましょう。そうであるならば、いっそのこと教授の趣味に合わせてG・H・ミードによる分析をいたしますからとか、ハーバーマスを分析視点に加えますからと、書いておけばよかったのでしょうか。自分の脳天気さに腹が立ちました。
 この後、卒業研究が受理されるか否か、自信が持てなくなりました。それでも、一回テーマを設定したならば、最後までやり遂げるべきなのでしょうか。その方策を巡ってしばらく、悶々としそうです。
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カモメ詣で

2007-08-28 11:35:56 | 日記
 カモメの写真を撮りたいと、ただそれだけの理由で日本海に出かけました。市振、親知らず、寺町、能生と訪ねます。にもかかわらず、芭蕉の句の一つも拝まぬまま、もっぱらカモメを訪ね、カモメにもてあそばれ、打ちひしがれるのです。
 カモメは警戒心の強い鳥で、ある一定以上近づきますと、一斉に逃げ出します。群れている鳥の一羽に焦点を合わせていると、その鳥以外が逃げ出してます。ようやくよい具合に近づけば、子どもがボールを投げてカモメを飛ばして笑っています。あっちに行っても振られ、こっちに行っても振られ、カモメ詣ではさんざんです。
 とはいえ、漁港にひしめくカモメや、漁船を宿とするカモメを見ると、人とカモメは近しい関係でもあるのでしょう。そうしたカモメと人との物語があるならば、カモメだけを写真に納めようと思わず、人とカモメの物語をとらえた方がよいのでしょう。
 かくして、カモメリターンマッチは、意外な展開を帯びて終わっていったのです。これはどうしたって、「続く」ですね。また日を改めて、営みをのぞきに行きましょう。ただし、正月ぐらい?
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コンポスト

2007-08-24 14:15:58 | 日記
 ずっとほしかった120リットルのコンポストが昨日、我が家に届きました。一台1万円近くしますので、購入を渋っていたところ、このたび市の補助金をいただき3000円で購入できました。ゴミ減量のためとはいえ、過分な補助をいただけて最高に嬉しかったです。
 さて、そのコンポストを乗せたトラックが我が家の前に止まりますと、販売業者がいとも軽々とコンポストを持ち上げました。そして、音も立てずに玄関脇に起きました。業者さんはずいぶんヒョロッとした人でしたが、なんとたくましいことかと思いました。お代を払って、私はよいしょとコンポストを持ち上げました。と、あまりの軽さに驚きました。
 そして、コンポストの底から地面がのぞけるのにまた驚きました。さっそく壊してしまったと底を探しましたが、底はどこにもありませんでした。心臓が高鳴りました。その後、説明書を読んで、底なしとわかるまで随分どきどきしましたが、わかってしまったら脱力感にとらわれました。
 ともあれ、庭の片隅にコンポストを設置し、この夏の間に取った草を詰め込みました。草は120リットルのコンポストからあふれ出しました。仕方がないので上から押さえつけました。汗をかきました。ようやく全量を押し込めました。
 発酵が始まると虫がわくそうなので、その対策を両親に聞きますと、石灰窒素を散布すれば青酸が合成されて虫は死に絶えると教えてくれました。青酸ですか……。
 ついでに、青草を詰め込むときはコンポストの上に乗って、草を踏みつけると効果的だといわれました。ただし、バランスを崩してこけるとコンポストのスカートをはく結果になるので注意するようにとのこと。遠慮することにしました。
 今日も炎天。コンポストをのぞきに行きますと、50度ぐらいに暖まっていました。蓋を開けますと、むっとする草いきれがしました。刈り取ったミントの香りも混じっています。2・3ヶ月すると良質な堆肥になるそうですが、この香りがどう変わっていくのでしょうか、興味を持ってしまいました。詰めた草の体積も昨日よりも幾分下がっているようです。こちらも関心がそそられます。
 またしても、楽しい実験アイテムが我が家にやってきたことでした……?
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厳罰化

2007-08-23 12:27:36 | 共生ということ

 福岡市で起きた飲酒運転による交通事故から一年が経ちました。飲酒運転を厳罰化することで、飲酒運転による死亡事故を4割削減できたそうです。すばらしい成績です。

 運送業界に勤める知り合いは、同業界では飲酒運転で検挙された場合、懲戒免職もやむなしと指摘します。下手に恩情をかけては会社生命が絶たれます。会社を生かすには個人を切らざるを得ません。飲酒とはそれだけの覚悟を持っての行為。飲まなければ、乗らなければよい、それだけのことと言いました。そうした認識が広がることで、無理に酒席に誘うことも誘われることも減っているようです。

 さて、月刊「介護保険」に「コムスン」の特集が載っていました。特集自体は淡々と事実関係を整理したもので、コムスンと対比する形で「くすのきの郷」の事案も整理されていました。特集の論点は、不正を常態化していたコムスンの企業体質と、介護保険の構造的問題を背景にした職員不足という2社に同等の処分は適切かにありました(ただし、結論に割かれたのはわずか数行)。
 小宮英美の連載では、企業倫理などが当たり前に裁かれるようになって、ようやく介護は市場原理が機能するようになったと指摘していました。
 8月14日付の日本経済新聞の社説では持続可能な介護保険制度の構築を訴えていました。一つには外国籍の介護員の導入、一つには介護負担を2割、一つには介護福祉士への資格の一本化はいかがなものでしょうか、でした。低い介護報酬や職員給与の低さが背景にあるとの指摘がベースにあります。
 介護報酬を考える場合の論点として、厚生の指標の中で、住井広士は要介護認定をADL中心から、質的評価を加える必要を説いていました。 認知症介護の判定を要介護度に加算できるようになれば、介護負担を報酬に反映できるとともに、人員配置に反映できるかもしれません。しかしながら住井は2009年の介護保険改正に当たってそのような動きはないと書いています。
 コムスンの不正が報道された当初は厳罰化を望むとの発言が多かった中で、変われるところがあるという認識が働きやすい職場や、新しい就業スタイルの提案に結びついてきたことが、救いと思います。
 刑務所の塀を渡るような思いで収益を確保する疑似市場としての介護保険。市場原理がどこまで機能するかは未だ不透明ですが、市場の声がようやく双方向性を帯びてきた現時点の動きを歓迎したいと思います。その時、安易な厳罰化を求める声を抑えるためにも、住井のような基礎研究が世論形成に役立てばと思います。 

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海と毒薬

2007-08-22 09:32:36 | 日記
 遠藤周作の「海と毒薬」は1958年初版で、九州帝国大学で実際に捕虜に行われた生体実験をモデルにしています。
 で、高校時代を福岡市で過ごした私は、高校の夏休みの課題図書としてこの本を読みました。看護学校も夏休みの課題図書でした。で、この夏は愚息君の課題図書でした。
 あまりにも重たいお話で、愚息君にあれこれ質問されますと、心が暗くなっていきます。よりによって3回も課題図書となるなんてねぇ、運が悪いなぁと思いました。
 もちろん、遠藤の文章はよくねられていますし、良書には違いありません。そう思いつつも、人の道は何かとか、倫理とは何かとか、答えの出ない問いを発せられているようで、汲々としてしまうのです。人は神の御心に従えば人の道を踏み外さないのでしょうか。人は倫理綱領をとりまとめれば、その枠からはみ出ないのでしょうか。そんなことは保証できないでしょう。こうして、幾重にも問いは続き、まるで山彦のように私を苦しめます。
 こういう時には発想の転換が肝要です。なぜ四半世紀も読書感想文を書くために選ばれ続けているのでしょうか。良書だから、が理由でしょうか。終戦にあわせ、戦争体験を考える好材料だからでしょうか。それとも……。課題を出す人の心はともかくも、課題は受けて立つしかありません。愚息君は舌打ちをしながら、読書感想文を書いています。
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白い犬とワルツを

2007-08-21 13:51:55 | 雑記
 母が倒れて時間が経ち、もう十分に回復しているにもかかわらず、一抹の不安が消えません。些細な徴候を案じるのが得意なのは、娘だからであり、医療職としての経験かもしれません。
 その私以上に心配を抱えているのが父で、母の一挙一動にあらぬ意味を感じることも多いようです。母は時々それを鬱陶しがって、父を困惑させています。もう私は十分に普通ですよ。母はそう思っているのでしょうが、父の肩に入った力は容易に抜けません。私も肩の力を抜こうとするのですが、どこかで力んでいるのでしょうか。胸の奥に時折痛みを感じ、どう処してよいのかがわからなくなります。

 いつまでも疼くような感情を私は処理しきずにいました。その気持ちをちょっと軽くしてくれたのは、テリー・ケイ、「白い犬とワルツを」、新潮文庫、1998年でした。最愛の妻を亡くした主人公の一挙一動を危なっかしいと見つめる子ども達と、迷い込んだ犬との対比が鮮やかです。白い犬は来たい時に来て、居てほしい時に居て、主人公と犬の間には約束事があって、お互いは求め合っていました。
 そういう関係をまた構築できるには、私が母を信じる心を持たなくてはなりません。些細な徴候を疑う対象としてではなく、当たり前の人と自然に思えるように。
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 そんなことが心を占拠する中、走行車中から夜景を10秒間露出し写真を撮りました。10秒を刹那と思うのも、10秒を長いと思うのも勝手なことです。昨日、野暮用のついでに10時間かけて実家の往復をして1時間両親に会い、そんな言葉がふと漏れたことを書き留めておきます。
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秋の気配

2007-08-20 01:29:33 | 雑記
 標高1600メートルあたりまでドライブしました。主人の趣味でオーリンズのサスペンションを搭載したレガシィは、ハードな足回りになっていました。で、低速で段差を超えると卵が割れるのです。ところが、高速域でのカーブなんて最高です。ピタッと足が吸い付くように路面を蹴って、安定性と操舵性に優れているのがわかります。
 と、快適にとばせたのは前半の1/3行程まで。あとは観光地特有の渋滞。牛歩の如く山を登るにはオーリンズのサスペンションの能力は生かせません。もちろん、帰りも渋滞でした。
 こうしてトボトボ山を下りる中で、秋のキリンソウを見つけたり、マツムシソウ、釣り鐘ニンジン草……、と高原の花々を楽しめました。唐松林や白樺林は未だ緑が濃くて、隈笹が木の間にざわめいていました。山肌が開けたところに出ると、真っ赤に熟れた赤とんぼが群をなして飛んでいました。
 さてさて、秋は来たかと下山すれば、子にエサをやるツバメがいました。里から見る山もまだまだ青いのです。どこかで秋は生まれているのに、何も変わらないようにして毎日が過ぎていきます。
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 ショルダーバッグ、デビューしました。お調子者なので、早速記念写真を撮って、記念に後悔?するのです?
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ピカソのほほえみ

2007-08-17 09:21:43 | 雑記
 サービスエリアにあった花に微笑みかけられてシャッターを切りました。自然の造形は含蓄があるといいますが、そういったたぐいのものでしょうか。
 それから、やんわり久石譲の「感動を作れますか?」を読んだことを思い出しました。only one ではなく、number one を目指せとか、とことん自分を追い込んで考えたときに感性にフィットするものが降りてくるとか、単に自分の好きなものを作るのではなくて人様に喜んでもらえるもの、また買ってもらえるものを作るのが専門職とか、どこかで区切りをつけるのも能力のうちとか、長年のこだわりが書かれていました。
 もちろん、この場面に見合うのは被写体の降臨です。アラーキー流に言えば、写真には愛がなくてはなりません。愛を、ビビッと感じた時を降臨というのかもしれません。
 皆さんがきれいな景色を撮っているさなか、サービスエリアの片隅で思慮深げに咲くアンスリュームに愛を感じて何が悪いの? ほらご覧なさい、まるでピカソの絵画のようでしょ。
 で、私がアンスリュームの虜になっている間中、「だあれも、こんな所で写真なんか撮らないって言うの」と他のお客さんたちに見られていたりして。え、私の顔もピカソのほほえみ? ま・さ・か……
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