はりせんぼん

今は調査員のお仕事をしている、もと看護師。最近、お勉強不足、渇を入れてやってください。

同窓会

2006-01-31 17:27:56 | 共生ということ
 晦(つごもり)とか、尽(じん)という言葉が好きです。けじめがついていくようで、何かが終わっていくようで、また新しい何かが生まれてくるようで、好きです。
 今日は一月尽。2006年の1月が終わります。
 明日からは、真新しい2006年の2月が始まります。

 だ、なんてノンビリ思っていたら、母から電話がかかってきました。何でも、同窓会の幹事が困っていると言うのです。はりせんぼんも40歳を超えました。当然母はそれなりの年で、同窓生も同じ年。すでに鬼籍に入った者、病院に長期入院している者、音信不通の者など、この半世紀の間に連絡のとれる同窓生は半減しました。
 その上、幹事を快く引き受けていた母の友人達も慢性疾患に悩まされたり、伴侶が死別し財政的基盤を失ったりしました。それで、もうこれ以上の同窓会の維持は難しかろうと言うのです。
 母はその友達のために悩んでいました。「同窓会の維持が困難を手紙に書こうと思うが、文面が思いつかない」

 母は娘の私が言うのもなんですが、文才があります。これまで、一度だって文章を書くことを相談されたことはありませんでした。
 私は母の話を聞きました。その結果、本当は今後同窓会が開けないと言いたいのではなく、出会えたこと、共に過ごせたことを最後に刻印したいと、その思いの強さがわかったのでした。
 母が私に相談したのは、老いと向かい合わせになった衝撃を吸収してほしかったためのようでした。

 ああ、それにしても、母は巻き戻せない時間をヒシヒシと感じ、月の終わっていく今日を、また老いたと迎えているのでしょうか。あとどれぐらい母と共にあれるのかわかりませんが、少しでも豊かな時間を過ごしてもらいたいと願います。
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唐松も赤くなり

2006-01-30 13:43:29 | 雑記
 不隠な雲が流れていくようで、昨日は胸騒ぎがして眠れませんでした。なんの具体性のないものにおびえ、あくびをしつつも床居の胸は躍るのでした。

 今朝になって、学校新聞のミスを見逃したまま印刷してしまったことが発覚しました。それから、配達された不幸な手紙、一通。

 朝になってからは、不安が現実になったのです。ですが、現実ですから具体的に対処のために動けました。もう、胸は躍りませんし、おびえもしていなかったのでした。

 あれこれが一段落してから、遅いモーニングコーヒーをたて、新聞を読みました。日経新聞に連載されている渡辺淳一、「愛の流刑地」も明日最終回かと、ホッとしました。この作品には、作者のエゴイスティックなものを時折感じていたのでした。そう言いつつ、みんな読んでしまったのは、筆致の優れたところに寄るのでしょうか。

 そんなことを思いながら外に出ました。昨夜は大風が暴れていたのに、今日は風がないでいます。そして、何とも暖かです。唐松の木が赤く染まり始め、スノーフレークの芽も顔をのぞかせていました。春の足音が聞こえてくるようでした。
 試験も終わって、はりせんぼんにも早い春休みが来たように思いました。
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足浴

2006-01-27 11:01:04 | Weblog
 看護学校で足浴の実習をした。学生はみな二十歳前で、恥ずかしい年頃だった。入念に自分の足を洗って実習に臨んだ。けれども、これでもかと垢が出た。湯温で体が温まる以上に、その恥ずかしさで顔が火照った。

 臨床に出ると、もう誰も私の足を洗ってはくれなかった。かわりに、何百本の足を洗った。生きる希望をなくしたご婦人には香油を垂らした。とびきりの紳士には、シャボンの香りを楽しんでもらった。20代の女性には、中庭から泥棒した薔薇の花弁を浮かべた。むくみの激しいご老人には、ゆっくりと湯を味わってもらった。

 ただし、湯温はきっかり、37度から39度。いくら寒がりの人にも42度以上の足浴は絶対に勧めなかった。
 足浴の湯温が、足浴後の疲労感に関係していることに気がついていたからだ。私は、そのことを情報提供した。そして、了解を得て湯温を決めた。実践後、誰も寒さは訴えなかった。

 さて、ヘルパー講座で教えていたとき、その私のやり方に異を唱える一群の人たちがいた。求められたら応えるのが仕事だと言う。そして、湯温を42度にして実習した。「やっぱり、ホカホカして気持ちがいいわ」と言う。
 私は彼女たちの言い分を聞くかわりに、足浴前、足浴直後、足浴15分後、30分後、1時間後の体温を測定してもらった。
 足浴前の体温が36度代前半だった被験者は、足浴15分後には37.3度にまで体温が上がっていた。そして、30時間後、体温は下がった。1時間後の体温は平熱のままだったが、被験者は「寒い」と言った。
 私は、こうした足浴と体温などの自律神経系の研究を1980年代に数多く眼にした話をして、ケア技術の検証の大切さを話した。そして、安全面への配慮のために、先行研究を知っての実践を勧めた。
 
 ところが、ある日の実習では、「私は絶対足浴をされたくない」というご婦人が2名いた。「私たちは、病院で看護助手をしているの。もう数えられないほど患者さんの足を洗ってきたわ。私たち、患者さんじゃないのよね。だから、イヤよ」と言う。
 「その考え方はおかしい気がするよ」と、彼女たちから別の考えを引きだそうとしたが、最後に出てきた言葉が「汚い」で、唖然とした。とうとう、彼女たちは自分の足を洗ってもらわなかった。

 その後、幾分日が経ってから、別の実習生が足浴をされてホロホロ泣いた。問いかけると、「自分の祖父の足を今まで汚い物を触るように洗ってきた。だが、そのことが如何に屈辱的な行為であったかがわかった」と言う。
 自分が、足浴を体験しない限りは、足浴が何をもたらすのかがわからないのかもしれないと考えさせられた。そして、足浴をしなかった実習生に出会う前にこれを体験したかったと思った。

 また、実習生がこうした屈辱的な、あるいはそれに近いネガティブな印象を足浴に持つ率は、1%ほどあることが、実施後のアンケートから浮かび上がった。「恥ずかしい」を加えると、全体の3割が何らかの抵抗感を、足浴の被体験に感じていたのであった。
 同様に、提供側も恥ずかしさを感じており、それは、全体の1知割強であった。明らかに、足浴を提供してイヤだったという記述はなかった。

 さて、相手の身になってとよく言うが、一つひとつのケアを実施するにあたって、みずからが被験者になってから提供することも、被験者になったつもりで、先行研究をあたることも、私は大切なことだと思う。その視線は「検証」する態度である。
 体験や検証のない「相手の身になって」は、案外落とし穴もある。一つひとつの介護技術は、科学的な裏付けデータのあるものも多いが、検証の乏しい割にルーチンになっているものもあるからだ。
 介護現場における知の集積には、提供したケアにおいてのみでなく、提供される前の提供者(介護職)の研鑽も問われるものだと思う。
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 ああ、明日も試験ですって。ゲッソリ……。皆様はよい週末をお送り下さいね。
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 写真は近所の川。まだこんなに凍っているんですよ。ただし、葦に当たる陽はもう春です。
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象の時間、ネズミの時間

2006-01-26 00:32:52 | 裏帳簿
 本川達雄先生は、歌う生物学者。獣ならば、一生に体重1㎏あたり、15億ジュールを消費するのだとか、心臓は20億階でお釈迦になるとか、呼吸は3億回吸うと終わるのだとか、そんなことを歌っている。本業は東京工業大学大学院の教授。

 その本川先生が、「象の時間、ネズミの時間」中公新社、1992年をお出しになっている。これが面白い。

 拡散により動いた距離の平均値は、時間の2乗に比例する。
<移動距離の2乗>=2D×時間
 ならば、拡散運動を待って、ゾウリムシはあんぐり口を開けていれば、エサを捕獲できるか。
拡散に要する時間∝拡散で動く時間の2乗
 動く劇距離が2倍になると拡散に要する時間は4倍になり、10倍では100倍の時間がかかる。1㎜先のエサが拡散で届くのに8分。ゾウリムシが泳げば、それぞれ1秒。やっぱりエサが飛び込んでくるのを待っていられない(はりせんぼんが要約)。

 その他に、走る・飛ぶ・泳ぐコストだとか、表題の時間の問題、心拍と呼吸の問題……etc、もエレガントに書き表されている。

 また、本川先生は別の雑誌(多分、看護系の雑誌インタビューだったと思うのですが)に、次のようなことを述べる(手元に文献がなく完全な引用ではありません)。

 ナマコを観察していたら、まったく動かない。1時間見ても動かない。何でなんだろうと思った。それで、それぞれの動物には違う時間が流れているのではないかと思った。

 あんぐり口を開けているだけでは、生き残っていけない。けれども、それぞれの生き物が、それぞれの時間を生きていて、
①  一生に体重1㎏あたり、15億ジュール
② 心臓は20億階でお釈迦
③ 呼吸は3億回吸うと終わる
これは、神々の方式のようだ。その証拠に、あまりにエレガントである。
エレガント故に、本川先生は「一生のうた」として歌ってしまうのであろう。
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夜間不隠

2006-01-25 00:36:48 | 裏帳簿
 昼間は紳士なのですが、夜間不隠の激しい利用者さんがいました。昼間は杖でようやく歩行。それが、夜になると杖なしでも歩けるのです。その上、ガリガリ壁を削ったり、大声で歌ったり、泣いてみたり、「助けてくれ」と隣室を訪問したり、あげく、スタッフの頭を花ビンで叩いたり……。

 時をおかずして、彼のことは大問題になりました。同じフロアにいる他の利用者、その家族から退所を迫られたからです。「まあともかく時間を下さい」と、スタッフは期日までに猛烈に試行錯誤しました。

 最初は、睡眠薬と精神安定剤の投与を試みました。かえって不隠は強くなるばかりか、昼間はほとんど寝て過ごすようになりました。

 消灯前の足浴。足を洗い終わってから30分間は熟睡しました。ですが、その後は騒ぎっぱなしです。

 昼間覚醒時間の延長。半分専属のようにスタッフは彼にかかわりました。しかし、一向に目を覚ましません。それどころか、夜間の興奮が激しくなってしまいました。

 転室。彼の好きな間取りの部屋に変わってもらいましたが、何らの効果もありませんでした。

 最終手段として、事務所で一晩中、彼を預かることにしました。やはり暴れました。暴れて暴れて、そうして、力尽きたように眠りました。
 朝が来ても、彼は目覚めませんでした。それで、スタッフは小声でミーティングをしました。昼が来ても目覚めませんでした。スタッフは抜き足差し足で、事務所に出入りしました。

 夕方になって、彼はようやく目覚めました。「ああ、よく寝た」と言いました。

 それから、スタッフはおもむろに利用者ファイルを開いて、平均何時間の睡眠が彼に与えられていたのか。睡眠継続時間は何時間が最長だったのかを計算し始めました。スタッフはビックリしました。このところは日平均4時間。最長2時間しか寝ていなかったのです。

 かわいそうなことをしていたのだと、スタッフはみずからのケアを反省しました。そして、寝たい時間にたくさん寝られるように、中途覚醒しないようにあれこれと工夫を始めたのです。

 その取り組みの中で、彼が現在の障害(脳血管障害)を負った日、それが夜間だったことを突き止めました。彼はその病気ゆえ、その当時のことを鮮明に記憶はしていませんでした。ですが、何時間も発見されずに、朝になって病院に搬出されたことを知って、夜間不隠の原因を知ったような気持ちになりました。

 彼は相変わらず、昼夜逆転が続いています。ですが、煌々と灯りのついた事務室でならば夜間も穏やかに過ごすことができるとわかりましたので、それから夜の居場所は事務室になりました。

 現在は、食事や入浴時間の配慮が大変だそうですが、日々穏やかに過ごしていると聞いています。
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等価交換

2006-01-24 01:39:41 | 雑記
 どれぐらい前でしたか、子ども達が「鋼の錬金術師」を見ていました。この物語には「等価交換」という言葉が出てきます。何かを得るためには等価の交換が必要なのです。それは時に腕であったり、足であったり、命がけの場合もありました。
 物語全体に主人公の成長と希望がありますから、視聴時に「等価交換」という言葉自体に抵抗を感じることはありませんでした。
 とはいえ、日常生活の中で等価に交換できるものはさして多くはないような気もします。

 八百屋に行って野菜を買います。豊作の折には原価を割って農家が泣きの涙で野菜を破棄し、それで農産物の価格が維持されます。
 魚屋に行って魚を買います。不漁の折には高値の魚が並びます。漁師の方々は懐が寒いことでしょうが、魚を買わなければ誰も潤いません。そうとわかっていても、日ごろの感謝を忘れて、財布のヒモを締めることがあります。

 その魚や野菜だって、この大地が創造してくれた贈り物なのに、太陽や海の営みにまで思いを寄せることは、なかなかにして難しいです。まして、太陽や海の恵みにお金を払って、等価交換することはできません。私たちはただひたすら、太陽や海の受益者なのでした。

 さて、ホリエモンが逮捕されたようです。北斗星まで詰めるぐらいのお金を稼いで、あげく太陽までも買おうと思っていたのでしょうか。応援していた人も多かっただけに残念でした。

 ちなみに、マルクスはお金を商品と言いました。お金は商品ですから、流通してなんぼ、貯めてなんぼ、増やしてなんぼのものです。でも、人間界だけに通用する商品です。
 試しに犬にお金をあげましょう。ドッグフードを買いに行くでしょうか。稲にお金をあげましょう。例年よりもたわわに実るでしょうか。

 ホリエモンが白か黒か、私は感心がありません。ただ、巨万の富がいったい何と等価交換されたのか。何を交換できなかったのか。そこのことを知りたいと思います。
 人間の作った尺度だけでしか物を見られなくなることを私はおそれます。無償の恵みによって生きていることを忘れないように、しっかり感謝の心を持っていきたいと思います。
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一つことを

2006-01-23 11:26:13 | 雑記
 今週は放送大学の試験週間。
 今学期で卒業するご予定の方々は、どこか晴れ晴れとしたお顔をされています。で、私のように先の長い人間はどっぷり受験生の顔。まあいいっか。卒業の見込みがついたら、私もあんな顔になるのでしょうから。

 試験の帰り、列車に乗り合わせた放送大学生のご婦人は、晴れ晴れとしたお顔をされていました。「これで、卒業なの」。やっぱり……。
 「でも、再受講するのよ」
 「そうなんですか? その魅力は?」
 「面接授業かしら」
 「面接授業?」

 「小さいときからの夢をずっと追い求めて、それで研究職になった。そんな先生のお話にはロマンを感じるのよね」
 「ロマンですか」

 「それは珍しい人たちだと思うのね。それができたラッキーな人かもしれない。でも、それだけじゃないわ。そこには、ずっと一つのことを、暖め続けられる信念や行動力、根気、アイデア、たくさんのものが詰まっているのよね。ロマンですね。まして、そこに至る研究の深み、醍醐味を聞けること、それが、私の生きる活力なの」
 「一つのことを追い求めるロマン、それは深くて素敵な醍醐味を持つのですね」

 「そうなのよね。一つだけど一つでなくて、たくさんだけど、そこに戻っていくような。研究の円環かしら。素晴らしい人たちとの出会いだと思うわ」

 「一つこと」に魅了される人、その関わりを伝えることで、その人に魅了される人がいる。そして、その話に魅了される私……。なんだかとても素敵な気分。
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ありがとうの向こうに(その8・結語)

2006-01-20 11:25:04 | 患者として

 親切や厚意はよいものとされています。そこに、「でも……、痛かったの」と言えない空気のようなものを感じてきました。患者として病院を訪れるとき、医学体系に合致しない症状がしばしば棄却(?)されます。なんだか、症状に見合った患者を演じなくてはならないようで、息がつまります。こうしたことが積み重なると、時に私の存在価値を揺るがされるように感じてきました。

 当たり前ですが、人間は生ものです。そして、患者も人でありますから、生ものです。医学的な常識を越えたところに症状を持つこともありますし、既存の知識・技術体系だけで生活を成り立たせているわけではないと思います。それぞれの人がそれぞれの井戸に暮らすために、多様な知恵を使っていると思います。

 だというのに、患者の智恵というのは今までバラバラの存在として、体系立てられる機会が少なかったように思います。少し、そのことを考えてみましょう。

 残念なことですが、多くの人たちは人の体の障害に無頓着です。そこに、患者の眼差しを持ってもらおうとすれば、何が困難なのか、困難の原因は何か、困難の解消方法は何か、などを具体的にイメージできる表現が必要になってきます。
 また、相手に合点してもらうためには交渉力が不可欠です。誰にどういう形で伝えることが望ましいのか。時には伝える人の人選も必要でしょうし、ALSの吸引問題のように署名活動がよいかもしれません。

 (その6)では私の申し出に対して、スーパーが即座に対応してくれました。しかしながら、もしも、「そんな取り方したら、痛いわ」と言うだけでしたら、小うるさいオバサンとして、すまされてしまったと思います。
 人を動かすだけの情報にするためには、どうしても集積された情報が必要だと思います。そして、お互いにとってのよい関わり合いが紡げるような具体策を提示していくことが、相互に発展する関係を模索させる力になると思います。そのような情報発信者になりたいと思います。

 そんな活動には尻込みしたとしても、せめて患者団体に、あなたの、そして私の暮らしの智恵をお伝えしたいと思います。その智恵を集積したとき、同じ境遇で苦しむ人がより早く適切に暮らしの智恵を手に入れられると思うからです。

 興味深いことに、(その6)では、スーパー側に「個人の意向を聞くことが大切なんですね」と了解されました。本当に基本的な他者尊重の姿勢だと思います。書き出せしてみれば、「他者の尊重」、たったこれだけなのです。
 ですが、「問いかけるもの」として、スーパーの店員が私やあなたのことを意識してくれたなら、なんと嬉しいことでしょうか。そこで、店員が問いかける度に、主体として回答を考える、大切な何かを伝えられるではありませんか。そうして、生かされていく私がいるのではないかと思えるのです。

 「ありがとう」には儀礼としての要素もあると思うのですが、「ありがとう」は私の存在を認めてくれた御礼でもあります。「ありがとう」は関係性の継続を望む言葉としても存在していると思います。

 そして、私が私として主体的にあることが、本音の「ありがとう」を生むのであれば、そうした環境を作るために「患者学」の興隆を支えたいと思います。私の生きていることの智恵が、何かを生み出すのであれば。
 そのためにも、小さな情報提供と「ありがとう」の花束を私はいつも用意しましょう。

 少し整理します。
 「ありがとう」は私が生かされたときに輝く言葉(その1)。
 私のためだけに生きる人に「ありがとう」はないかもしれない(その2)。
 「あなたのため」の行為→「ありがとう」は美談、思いの共有が必要そう(その3)。
 「ありがとう」の多寡がケアの評点かと悪態を吐きました(その4)。
 時間を織り込める人間関係がない、「ありがとう」の最終処分場としての役割を引き受けたくない私がいます(その5)。
 本音の「ありがとう」は、主体としての私を意識したときに訪れました(その6)。
 個々人の生活を尊重と、患者としても自分の生活を磨きたい(その7)。
 伝わる情報が本音の「ありがとう」を生み出す原動力(その8)

 重たい話をここまで読んでくださって、ありがとうございました。感謝申し上げます。

 さて、大寒を過ぎました。半月後には節分。そして、春が巡り来ますね。皆様、よい週末を。私は期末試験ですが……。ゲッソリ……。

PS あまりあわてて下書きをアップしていました。今し方、自分のブログを覗いてビックリ。午前とは一部違った文面になっています。まったくもって、ご笑止千万です。

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ありがとうの向こうに(その7・井の中の蛙から発信)

2006-01-19 11:16:19 | 患者として
 しばしば「井の中の蛙」を人は笑いの対象にします。井の中の蛙にとったら、井の中から見上げた空は蛙にとっての宇宙ですし、井戸の壁は外界から身を守る盾でもありましょう。その世界観が世間一般で通用するとは限りません。
 でも、蛙はその中で生きるすべを身につけ、その中で思考を巡らしているのです。
 そのことに思い至ると、「井の中の蛙」と、暮らしの智恵を笑ってはいけないと知りました。

 私はわたし自身が小さな障害を負う中で、私の住む井戸が変わる体験をしました。つい先頃までは看護職として病院(施設なども)にあって、今は患者として病院に通っています。同じ病院なのに、看護師と患者にはそれぞれの世界、それぞれの井戸があるような気がします。なぜでしょうか。
 井戸には大きな差があります。看護や医療の井戸はヒポクラテスの時代からの知識や技術体系があります。患者にはそれが足らないように思います。では、どうしたらよいのでしょうか。

 最近では、乳ガンやアルコール中毒などの自助グループだけでなく、各種患者会が組織されています。インターネットも普及し、ALS、OPLL、認知症様々なサイトが充実し、患者と総称される人々が、「自分にとって必要な情報」を比較的入手しやすくなりました。まずは、これらを活用したいと思います。

 ただ、患者にとって必要なことは、患者個々人の暮らしの知恵をつけていくこと、まずは自分にとって必要な情報や技術、そして人的ネットワークだと思います。それらの資源があって暮らしが「成る」と思うのです。ですから、自分自身が生きていくための情報を積極的に身につけていきたいと思います。

 その上で、市井の一凡人ではありますが、井の中の蛙の智恵、暮らしを、もっと伝えて活きたいと思います。そのことは明日、書こうと思います。
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ありがとうの向こうに(その6・変化の予兆)

2006-01-18 08:28:44 | 患者として
 今週は冒頭から、ネガティブな話を書いてきました。もちろん、皆様の厚意には感謝はしているのです。多くの厚意がそうであるように、厚意を寄せてもらった私には、ある種の清涼感さえわいてきます。また厚意は、生かされている自分を知る上でも、幸せな体験なのです。
 それでも、わたし自身が「ありがとう」しか御礼の手段を持てなくなったら、厚意の最終処分場のようになっていくようで堪らなくなったのでした。
 それを、ある人々は「わがまま」「身勝手」「自分だけで生きているのじゃないのよ」「お世話になっているのに、足(たる)を知らない」と言います。
 「そうウジウジしないでおきなさい。もっと前を向いて生きていきなさい」というお気持ちなのでしょう。痛いほど分かります。わかるのですが……

 その考えに変化が訪れました。安売り日のスーパーでのことでした。レジには長蛇の列。レジうちのお姉さんは、半分目をむいてレジを打っていました。
 ようやく、私の会計の順が回ってきたようです。でも、私は重い荷物をカートからスムースにレジに置くことができませんでした。1回目はそのままカートのカゴが残りました。2回目も同じ。3回目、レジのお姉さんは私がカゴを持ち上げると同時に、カゴを引っ張りました。グギッと肩から音が出ました。そんなことはお構いなしに、レジのお姉さんは黙々と商品を計算していました。私は痛いと言えませんでした。それで、痛みを必死に我慢していたのです。
 そのうち、レジのお姉さんは「○○円です」と言いました。でも、私はお財布からお金が出せませんでした。
 後で聞くところに寄ると、口唇にチアノーゼが出ていたそうです。その顔で「お金が出せません」と言いました。レジのお姉さんは、そこで初めて私の顔を見てあわてました。「どうしたのですか?」と。
 近くにいた人が私の財布をとって、会計を済ませてくれました。

 症状が落ち着いてから、ムムの教授(久方の登場です。理学療法学を教えておられます)に聞きました。私がレジで体験したようなことは、高齢者や一般市民にとっても同様の障害をもたらすのか。「もたらすでしょう」と、ムムの教授は答えました。
 それで、そのスーパーにもう一度行って、ことの次第や問題点、改善策を伝えました。そして、一番してほしいことは、「お荷物をお取りしましょうか?」と声をかけることと責任者にお願いしました。責任者は快諾してくれました。

 次にそのスーパーに行って、やっぱりカゴをレジに置けずにオタオタしたとき、レジのお兄さんが言いました。「お荷物をお取りしましょうか?」。
 「ええ、ありがとうございます」。今度は生き生きと御礼を言えたのです。
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