はりせんぼん

今は調査員のお仕事をしている、もと看護師。最近、お勉強不足、渇を入れてやってください。

謹賀新年

2009-01-01 10:13:06 | Weblog
年が明け,現在快晴,凛とした空気がつぼみの梅を包んでいます
旧年中のご厚情に深謝し,
皆様のたくさんの花が咲くようにお祈りします

今年もよろしくお願いします
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お知らせ

2008-02-18 17:36:03 | Weblog
都合でしばらくお休みします。
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暫くお休み

2007-11-02 10:02:52 | Weblog
 情けないほどに、経済学につまずいています。定理なんて丸のまま覚えればいいのに、理解しようなんて10年早い……そうですが。数学は得意科目のはずで、計算問題なんて簡単だ、というわけにはいきません。
 曰く、「マクロ経済学では以下のように定義し、下記の数式を得る」
 その定義というのが、どうも現実離れしている側面があって、出てくる数式が次の数式を呼ぶわけですから、関係性を理解するのは大変なお話です。
 だいたい物理学だって定理の連続でしょうに。仮定した内容に対してこのようなことが言える。そう理解して構築されたもの、それが学問なんだからね。
 そうね、そうだったわね。と返事をして、やっぱりわからないと嘆くのです。丸覚えして、そこから初めて見えてくるものがある。そのことを信じられなくなったとしたら、ずいぶん柔軟性を失っているじゃないの。と自分が心配になります。だから、主人の発言には素直なそぶりをしています。
 でも、化けの皮ははげているのでしょう。赤点だっていいじゃないの。昨夜はそう肩を叩かれました。肩たたき(「た」が三つも並んでいる!)に、深い意味はないのでしょうが、悪意にとるあたりに自らの困窮がにじみ出ているようで悔しかったです。
 効用、需要曲線、限界曲線、限界生産力、均衡GDP、ケネーの経済表……。Wo……、等利潤線、生産関数、投資の限界効率、アセット・アプローチ……。用語を並べるとお経のような響き(声に出してね)。
 「負けるな、負けるな、和尚さんに負けるな、ポンポン…… 、皆出て、来い来い」。娘が励ましの歌なのか、癒しの歌なのか、はたまた貶し(毛無しは和尚)の歌なのか、歌ってくれました。出てきたのは悔し涙? いいえ、あくびの涙。精進が必要です。

 そういうわけで、暫くお休みいたします。ああ……、塾に行こうからしら?
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お知らせ

2007-02-01 16:54:12 | Weblog
 母が転倒して入院してしまいました。そんなことが起こっているとは露とも知らず、娘は学校PTAに出向いていました。第一報を受けたとき、親不孝の数々が脳裏を駆けめぐったのが強烈でした。今しがたの連絡では、どうやら一命は取り留め、大事には至らなかったようです。冬型の気圧配置のため、道中悪路のようですが、今から見舞いに行こうと思います。というわけで、はりせんぼんはしばらくお休みします。
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お休み

2006-11-13 11:08:11 | Weblog
都合で今週一週間とほんの少しお休みします。寒くなりましたので、皆様ご自愛下さいね。あっ、ちなみに写真のタイトルは「安全神話」? な訳ありません……。
 それでは、See You Again! Bay Bay!!
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必見!?

2006-10-27 15:40:55 | Weblog

青土社の月刊誌、「現代思想」11月号、今日発売でした。

 今月の特集号は、「リハビリテーション」。多田富雄の原稿、良いですねえ。こんなことを、専門職能団体は唱えて欲しかったです。もう必見ですよ。

 リハビリテーションの対抗団体になるか、否かは不明ですが、その団体は4億円の政治献金をしたとか。各地の研修会でも、現行のリハ職を凌ぐ猛勉強ぶりとうかがいます。専門性の樹立というのは、実は政治的な問題かもしれないと、この原稿を見てその感を深めました。

 よろしかったらご一読いただき、ご感想などお寄せ下されば幸いです。

 それから、それから、これは蛇足ですが、立岩真也の労働の連載も面白いです。上野千鶴子のファンはちょっと腹立たしいかも?ですが。上野千鶴子さんはバックパッシングのただ中、時の人なので、別の雑誌にもインタビュー記事が載っていました。で、「攻撃されているのはジェンダーだ」って話ですが、立岩真也は無償労働の観点から、立場を異にした見解を綴っています。

 もう少し蛇足を加えるならば、ジェンダーが概念として提示され、自明だった世界が揺らいだわけです。リハビリテーションも自明なこととして日本でも戦後60年以上のキャリアを持ちました。自明だった世界、求めたら得られたリハビリテーション機会が、日数制限という枠でくぐられてしまうことを、進歩の揺らぎにできるかどうか、今が正念場だと思います。

 話が大きくなってしまいますが、日本の厚生行政は医師よりだと思うことがあります。医師のみが専門職としての安定が保たれる構造と。看護協会も国会議員を送り込んだり自らの専門性の堅持のために多大な努力をしています(南野さんは嫌いだったなぁ。清水さんは……)

 いっぽうで、医療費や介護費用の抑制のために、そこに従事する人間の人件費を削っていこう、そのためには、専門性の式を下げてやろうって魂胆が厚労省にはある気がします。
 そんななかでも、多田富雄の文章にはリハ職への頼もしいエールが満載です。こうした声を、集団内部から立ちあげ、政治活動に導けてこそ、大人の専門職かもしれないと、またまたエラソーなことを書き殴って終わりにしようと思います!

 エイ、エイ、オ~~~~!! 頑張るのである!
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(うちの金魚も応援しています?)

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8月が終わる

2006-08-31 15:49:51 | Weblog

 PTA広報誌の作成に手間取っている間に8月が終わろうとしています。こうして困っているときに限って、事件は起きるものですね。先週はイラストレーターを触っている間にらくらいがあって、データは飛ぶはイラストレーターはバグルはでお涙ちょうだい状態でした。

 今日が本当に寂しいのは、私生活上の問題だけではありません。今日を限りにブックマークを一つ削除しなくてはならないこと。でも、そのブックマークの人は、目立ちたがり屋だから、どこかでまたお会いしましょうと言っています。
 その人はその人の判断で今日の日を選んでけじめをつけようとします。けじめをつけなければいけない別の道もありましょうけれども、別の道でも花開いてほしいと思います。

 今ホームレスの本を読んでいます。現代思想(青土社)の8月号と岩波ブックレット。その中にこんなフレーズがありました。

 個人とは、一個の身体を有する存在である。その個人が生命への権利を有すると言うことは、この地表情の一定面積をその身体を支えるために、立ちあるいは横たわって、利用する権利を有すると言うことである(p76)。

 じゃあ、自分が物を言っていい場所があるか、を考えてみました。安心して誰かの時間をいただき、安心して誰かの感覚器をお借りして、利用する権利です。それはあるようでないような、ないようであるような、ミョウテコリンな投げかけでした。

 新しいHPを開設されたら、またブックマークを載せようと思っています。それまで、先の妙竹林な問題を考えるとしましょう。

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宣伝

2006-04-11 00:02:46 | Weblog

 何も1時間半以上かかる学校に通学しなくてもいいのに、そこがいいと言って息子は遠い学校に通い出した。

 私は完全な夜型人間で、毎晩2時3時に寝ていた。それが、弁当である。朝の6時には息子は家を出るので、それ以前に起きて弁当を作っておかねばならない。
 そんなわけで、4月の声を聞いてからは早起きを心がけているのであるが、夜になっても眠くならないので、気がつくと夜更かししている。

 しがなく、朝は亡霊のように台所に立ち、トントン包丁を振るうのであるが、子ども達が家を出る頃にはすっかりグロッキーになっている。朝よりもより亡霊度を高め、新聞に目を通していると、主人が帰ってくることがある。

 このところの主人は激務である。何をしているのかと聞けば、「書類が……、書類が……」と言っている。あとは会議。本業はどこに行ったのかと思えば、ささやかな成果ありと言う。

 奈良勲監修、「理学療法学事典」、医学書院、9450円 の片隅になにやら書いた。嬉しかったと言う。

 医学書院によれば、
「理学療法学に特化した本邦初の事典。専門領域としての理学療法学の定義や範疇を明確にし、実践に必要な用語を学際領域から広く取り入れ、初学者から臨床家までに必要とされる見出し語を網羅。学問領域としての確立と標準化された臨床技術の確立をめざしている。近年ますます重要度を増す理学療法士を根幹からサポートする、待望の書」
との由。

 数年がかりで刊行にこぎ着けたらしく、理学療法学の興隆を願ってやまない主人は、次世代への願いでいっぱいの様子だった。

 ちなみに、同書の著者は300人ほど。さて、誰が私の主人でしょう?

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気がついたら1年

2006-02-16 21:11:19 | Weblog
ああ、気がついたら、ブログ開設から今日で1年です。
多くの人に支えていただきました。
そして、
多くの人に出会えたことを感謝します。

何度でも、

See You again ! 

出会い続け、
変わり続けていきたいと思います。
ますますのご愛顧と、
時に愛の鞭を
時にさわやかな愛の飴を!?

今後ともよろしくお願いします。
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足浴

2006-01-27 11:01:04 | Weblog
 看護学校で足浴の実習をした。学生はみな二十歳前で、恥ずかしい年頃だった。入念に自分の足を洗って実習に臨んだ。けれども、これでもかと垢が出た。湯温で体が温まる以上に、その恥ずかしさで顔が火照った。

 臨床に出ると、もう誰も私の足を洗ってはくれなかった。かわりに、何百本の足を洗った。生きる希望をなくしたご婦人には香油を垂らした。とびきりの紳士には、シャボンの香りを楽しんでもらった。20代の女性には、中庭から泥棒した薔薇の花弁を浮かべた。むくみの激しいご老人には、ゆっくりと湯を味わってもらった。

 ただし、湯温はきっかり、37度から39度。いくら寒がりの人にも42度以上の足浴は絶対に勧めなかった。
 足浴の湯温が、足浴後の疲労感に関係していることに気がついていたからだ。私は、そのことを情報提供した。そして、了解を得て湯温を決めた。実践後、誰も寒さは訴えなかった。

 さて、ヘルパー講座で教えていたとき、その私のやり方に異を唱える一群の人たちがいた。求められたら応えるのが仕事だと言う。そして、湯温を42度にして実習した。「やっぱり、ホカホカして気持ちがいいわ」と言う。
 私は彼女たちの言い分を聞くかわりに、足浴前、足浴直後、足浴15分後、30分後、1時間後の体温を測定してもらった。
 足浴前の体温が36度代前半だった被験者は、足浴15分後には37.3度にまで体温が上がっていた。そして、30時間後、体温は下がった。1時間後の体温は平熱のままだったが、被験者は「寒い」と言った。
 私は、こうした足浴と体温などの自律神経系の研究を1980年代に数多く眼にした話をして、ケア技術の検証の大切さを話した。そして、安全面への配慮のために、先行研究を知っての実践を勧めた。
 
 ところが、ある日の実習では、「私は絶対足浴をされたくない」というご婦人が2名いた。「私たちは、病院で看護助手をしているの。もう数えられないほど患者さんの足を洗ってきたわ。私たち、患者さんじゃないのよね。だから、イヤよ」と言う。
 「その考え方はおかしい気がするよ」と、彼女たちから別の考えを引きだそうとしたが、最後に出てきた言葉が「汚い」で、唖然とした。とうとう、彼女たちは自分の足を洗ってもらわなかった。

 その後、幾分日が経ってから、別の実習生が足浴をされてホロホロ泣いた。問いかけると、「自分の祖父の足を今まで汚い物を触るように洗ってきた。だが、そのことが如何に屈辱的な行為であったかがわかった」と言う。
 自分が、足浴を体験しない限りは、足浴が何をもたらすのかがわからないのかもしれないと考えさせられた。そして、足浴をしなかった実習生に出会う前にこれを体験したかったと思った。

 また、実習生がこうした屈辱的な、あるいはそれに近いネガティブな印象を足浴に持つ率は、1%ほどあることが、実施後のアンケートから浮かび上がった。「恥ずかしい」を加えると、全体の3割が何らかの抵抗感を、足浴の被体験に感じていたのであった。
 同様に、提供側も恥ずかしさを感じており、それは、全体の1知割強であった。明らかに、足浴を提供してイヤだったという記述はなかった。

 さて、相手の身になってとよく言うが、一つひとつのケアを実施するにあたって、みずからが被験者になってから提供することも、被験者になったつもりで、先行研究をあたることも、私は大切なことだと思う。その視線は「検証」する態度である。
 体験や検証のない「相手の身になって」は、案外落とし穴もある。一つひとつの介護技術は、科学的な裏付けデータのあるものも多いが、検証の乏しい割にルーチンになっているものもあるからだ。
 介護現場における知の集積には、提供したケアにおいてのみでなく、提供される前の提供者(介護職)の研鑽も問われるものだと思う。
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 ああ、明日も試験ですって。ゲッソリ……。皆様はよい週末をお送り下さいね。
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 写真は近所の川。まだこんなに凍っているんですよ。ただし、葦に当たる陽はもう春です。
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