よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

イカ三昧-佐賀県唐津市:呼子

2014年01月31日 | 佐賀
Yobuko, Karatsu City, Saga Pref.

さてさて、佐賀県唐津市にやって来て唐津の中心部を散策したワタクシ達は、次なる目的地に向かいました
次にワタクシ達が向かったのは漁港がある呼子という町でありました。
大阪人のワタクシはあまり知らなかったのですが、九州の人に言わせると「呼子といえばイカ。イカといえば呼子」というぐらい
呼子はイカで有名だそうで、家人も「今まで食べたイカの中で呼子のイカが一番美味い」と言うのです。
となれば呼子にイカねば、いや、行かねばなりませぬ


呼子の町が近づくとイカ料理の看板が次々現れました。「元日やから店が開いてるかなぁ」と心配でしたが、多くの店が営業しておりました。
ワタクシ達は「いか本家」という、あまりにもわかりやすいというか、なんとも単純明快な名前のお店に入りました。
メニューはまさにイカばかりでしたが、ワタクシ達は「イカ造り定食」を注文いたしました。
内容は「いか活造り、小鉢、煮物、いかしゅうまい、ご飯、味噌汁、香の物、カボスジュース」と書いてあります。
さあ、楽しみですなぁ


まずは「いかしゅうまい」が出てまいりました。いかしゅうまいは呼子が発祥だそうでして、ちょっとした名物のようですね。


「いかの煮物」は柔らかく煮こんでありまして、ワタクシの好みの味でありました。こうなるとお造りが楽しみですな。


どーですか。この「イカ活造り」の美しい姿。思わず「オオッ」と感嘆の声があがりますなぁ


「これはイカにも絶品ですなぁ」「イカんせんこの美味しさ言葉には表現しにくいなぁ」
「このゲソもイカがかな」「いかしゅうまいもらってもイーカなぁ」「私のを取ったらイカるよ」などと
アホな会話を交わすワタクシ達でありました


そしてそして、ワタクシとしてはお造り以上に絶賛したいのが「ゲソの天ぷら」だったのですよ。
お造りにしたゲソの部分を天ぷらにしてくれるのですが、これが美味い美味い


大阪に住むワタクシは「カニを食べに丹後や越前に行く」「伊勢エビを食べに伊勢に行く」などは何度も経験がありますが
わざわざイカを食べるために遠方に行くことはありませんでした。
イカを食べにわざわざ呼子まで行く…その気持ちもわかる気がいたしました。


せっかくですので呼子の町もちょっと歩いてみるとしましょうかねぇ。ワタクシ、漁港が好きなんですよ

使用したカメラ:FUJIFILM X-E1


佐賀県には2つの海があります。北にあるのが玄界灘、南にあるのが有明海。
冬の季節風に波が荒れる玄界灘と、干潟が続く遠浅の有明海では海の表情が全く違います。
同じ佐賀県の人でも「海」という言葉から思い浮かべる光景は生まれ育った場所で全然違うものになるでしょうね



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近代化の息吹-佐賀県唐津市:旧唐津銀行

2014年01月30日 | 佐賀
Old Karatsu Bank, Karatsu City, Saga Pref.

さてさて、佐賀県唐津市にやって来て、元日の静かな唐津の町を歩いているワタクシ達でありますが
散策中にとても目を惹く建物に辿りつきました


この建物は明治45年(1912年)に竣工した旧唐津銀行本店でありまして、唐津近代産業の牽引役であった大島小太郎という人物が
藩校時代の同級生であった建築家の辰野金吾氏に設計を依頼して作られた建物なんです。


辰野金吾…皆さんはこの名前をご存知でしょうか
日本銀行、そして東京駅という明治時代の国家プロジェクトの設計を行った建築家として名高いの人物が辰野金吾氏です。


しかし、ワタクシにとって辰野金吾氏は日本銀行よりも、東京駅よりも
大阪府堺市にある浜寺公園駅の設計者という印象が強いんですよねぇ


ただ、唐津銀行の設計を依頼された時、辰野金吾氏は東京駅の設計工事の真っ最中で、自らが設計をする時間は無かったのです。
そこで辰野金吾氏の一番弟子であった田中実という人物が、この銀行の設計を行ったそうなんですよね。


現在は各種市民団体によるコンサートや展示会等のイベントが不定期で実施されており、
また地下にはレストランも作られて、唐津市の観光の拠点施設として活用されているようです。
明治時代の洋風建築が好きなワタクシには、なかなか興味深く見学することが出来たのでした


ちょっと歩くとここにも洋風建築がありました。これはお医者さんのようですね。


かと思うと、時代が逆戻りしたかのような懐かしい写真館がありました。
昔は駅前や商店街の中に写真館ってありましたよねぇ。ワタクシは裕福な家庭でなかったので、写真館で写真を撮った記憶はありません。
今でも覚えているのは自宅近くの写真館のショーウインドウに、同じクラスの子の家族写真が飾ってあったことで
子供心に「やっぱり金持ちは違うよなぁ」と思ったんですよねぇ


おぉっ、「佐賀県やのに博多屋や」「今の時代にナショナルかいな」と二重に驚く電気屋さんがありました
創始者の松下幸之助氏が大阪で開業したせいか、私が子供の頃の大阪は家電製品は圧倒的にナショナル製が多かった気がします。
明る~いナショナル 明る~いナショナル
ラジオ~ テレビ~ な~んでも ナショ~ナ~ル~」なんてCMがありましたよねぇ

使用したカメラ:FUJIFILM X-E1


初めて訪れた唐津の町ですが、唐津湾に面した静かな佇まいの町でありました。
いつもそう感じるのですが、初めての町を歩くときは心が高ぶります。
四つ角を曲がるたびに、路地に入っていくたびに、目の前に広がる初めての光景にワクワクするんです



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石炭の炎が燃えていた頃…-佐賀県唐津市:旧高取邸

2014年01月29日 | 佐賀
Old Takatori Residence, Karatsu City, Saga Pref.

さてさて、佐賀県唐津市にやって来て、唐津城を訪れたワタクシ達でありますが
その後に唐津城を出て海岸沿いに西へ向かって歩いていきました。すると印象的な建物があったんですよ


この和洋折衷の瀟洒な建物は旧高取家住宅というのですが、どういう建物かちょっと説明させてくださいね。
この住宅は、高取伊好(たかとりこれよし)が自宅として1905(明治38)年に建設したものなのですが
高取伊好は近代化の遅れていた唐津炭田を近代化しました。その後、杵島炭坑などの経営で成功し、「肥前の炭坑王」と呼ばれた人物です。


最初、この建物に入る時は「石炭で財を成した炭鉱王の家やから、まぁ成金趣味的な豪邸やろなぁ」と思ったのですが
中に入ってみると実に洗練されたというか、センスのいい調度品が並び、洒落た建物なんですよねぇ


残念ながら内部は撮影禁止ですので、写真は一枚もありません
中に能の舞台があったり、伊藤博文が訪問するときに博文が使うためにだけ作られた便所があったり、
複雑な意匠の欄干を眺めたり…なかなか楽しい時間を過ごすことが出来ました。


あらためて思ったのは、明治時代の近代化において九州の石炭産業というものがいかに大きな存在であったかということ
そして、石炭産業が生み出す富がいかに莫大であったかということでした


明治時代や大正時代の擬洋風建築が好きなワタクシには、訪ねてみてよかった場所でありました。

旧高取邸を後にしたワタクシ達は、「ちょっとコーヒーや紅茶が飲みたいなぁ」とJR唐津駅の方に向かって歩きました


ところがところが、この日は元日。駅近くの繁華街は全てシャッターが下りて、閑散としておりました。


おまけに駅近くの商店街や繁華街はうら寂しいというか、時代の流れから取り残された佇まいを見せておりました。
昭和の時代の場末の繁華街…そんな趣が、ワタクシにはまた楽しい風景でありました。
どうもワタクシはレトロなもの、時代を感じるものが好きなんですよねぇ


今も現役の銭湯がありました。ワタクシは家風呂の無い長屋で育ったので、銭湯に行くのは日々の営みでした。
ワタクシの実家の近くにはたくさんの銭湯がありましたが、今は数えるほどになってしまったのが寂しいです

使用したカメラ:FUJIFILM X-E1


私が鉄道に興味を持った小学生の時、北九州地方、とくに筑豊地方には覚えきれないほどの鉄道路線がありました。
石炭運搬のために次々とと敷設された路線が入り組み、地図を見ると複雑な路線図となっていました。
今はほとんどの路線が廃線となり、寂しくなった鉄道地図が石炭産業の衰退を物語る気がします



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元日は佐賀へ-佐賀県唐津市:唐津城

2014年01月28日 | 佐賀
Karatsu Castle, Karatsu City, Saga Pref.

さてさて、2日間にわたり奈良県御所市の画像をアップしてきましたが、今日からは再び年末年始の九州の画像に戻ります。
皆様、またお付き合いよろしくお願いいたします

今年の元日、ワタクシは大分県日田市の家人の実家で新年を迎えました
当然ですが元日の朝はお雑煮やおせち料理をいただくことになりますな。


「ところ変われば品変わる」という言葉がありますが、お雑煮ほど地域によって多種多様な食べ物も他には無いでしょう。
ワタクシは大阪生まれ、大阪育ちですのでお雑煮といえば「白味噌仕立てのお味噌汁の中に、丸餅、金時にんじん、大根、クワイが入ったもの」
と思っておりました。(それにしてもクワイというのはいまだに好きになれません)
ところが学生時代に旅先で正月を迎えると、おすましであったり、中の具材が全然違っていて驚いたのを記憶しています
家人の実家はおすましの中に鶏肉が入っていたりスルメが入っていたりで、大阪との違いに最初はビックリしたものでした。


子供の頃は正月っておせち料理と鯛を塩焼きにした「祝鯛」、お餅くらいしか食べることが出来ず
子供のワタクシは「カレーが食べたい。ハンバーグが食べたい」などと思っていたものでした。
今は逆に、正月から何でも食べられることが寂しく感じたりします
(祝鯛も日本全国の習慣だと思っていましたが、関西だけの風習のようですね)

美味しいおせちをいただいた後、この日はワタクシ達は佐賀県の方に出向くことにいたしました
ワタクシはなども長崎には行っていますが、佐賀県っていつも長崎に行くときに列車や車で通過するだけで、ゆっくり訪ねたことがありません。
この日、ワタクシ達はまず佐賀県唐津市へと向かったのでありました。


ワタクシ達は唐津城へと到着しました。唐津城は豊臣秀吉の家臣、寺沢志摩守広高によって1602年から7年の歳月を費やして築城されました。
唐津湾に突き出した小高い丘の上に城があるのですが、本来は天守閣はありませんでして現在の天守閣は模擬天守なんです。


元日のこの日、残念ながら天候は薄曇りでありまして、陽光に輝く唐津湾を見ることは出来ませんでした。ちょっと残念ですね。


ところでところで、ここ唐津城でワタクシ達はちょっと面白い光景を見ることが出来たんですよ


天守閣の下にあるべきはずの石垣が無く、ジャッキのような物で天守閣を支えているのがわかるでしょうか?
築城から400年という長い年月を経て、唐津城の石垣が前面へせり出したり、ゆるんだりして、ひび割れしている石材が見つかったそうです。
このまま放置するとやがて崩落してしまう危険性があるので唐津市では、築城400年を契機に石垣を積み直す事業に着手しました。
近くの海岸に取り外した石垣は一個ずつ並べられており、すべて元の位置に戻すために石にナンバリングをしてありました。
その作業が平成31年までかかるそうですから、大変な修復作業ですね


市街地から眺める唐津城は周囲に高層建築物がありませんので、とても勇壮な感じに見えました。


ではでは、初めて訪れた唐津の町をちょっと散策してみましょうかね

使用したカメラ:FUJIFILM X-E1


佐賀県ってどうしても「長崎に行く時の通過地点」という印象が私には強いのです。
福岡、長崎、熊本といった個性豊かで観光地も多い県に囲まれて、どうも地味なイメージが強いんですよね。
今まで何度も通過しながら、一度もゆっくり訪ねていなかったことが申し訳ない気がします



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ゆるやかに時は流れて-奈良県御所市:御所まち

2014年01月27日 | 奈良(奈良市以外)
Gose Old Town, Gose City, Nara Pref.

さてさて、奈良県御所市の古い町並みが残る「御所まち」へとやって来たワタクシは
グッと冷え込んだ朝の冷気の中、いつものごとくカメラを持って軽やかに町の中を歩いていきました


これだけの町並みが残っているのに、御所は観光地でもなく、重要伝統的建造物群保存地区にも選ばれておりません。
ですので観光客やカメラマンもほとんどおらず、ワタクシのようにカメラを肩に下げてウロウロ歩く人物はほとんどおりません。


もしこの界隈で犯罪事件などが起ころうものなら
「そういえば見たことも無い人相の良くない中年男がウロウロ歩いていました」
「しかもカメラを持って普通の家を撮っていましたよ。変質者じゃないですかねぇ」などと言われるかもしれないですな


などとアホなことを考えていましたが、およそ犯罪などが起こりそうもない穏やかな町でありました
すれ違う人と「おはようございます」と会釈して挨拶を交わすことが、なんだか嬉しいんですよねぇ。


ちなみにこの御所市ですが「ごせ」であって「ごしょ」とは読みません。関西以外の方は間違って「ごしょ」と読む人が多いんですよ。
じゃぁこの町が何か皇室などと関係があるのかというと、なんの関係もありません。
「ごせ」というのはこの町が葛城川の川瀬にあり、川瀬が「こせ」と発音されたそうなんですね。
その発音に中世以降、「御所」という文字があてはめられたようです。地名というのは奥深く、面白いですな


ここ御所まちも町の中を歩いていると、少子高齢化ということをひしひしと感じます
若い人とはほとんどすれ違うことがなく、出会う人の多くはお年寄りの方々でした。


昔の地割が残っており道幅が狭いからでしょうか。高齢の方が自転車で町中を行き来する姿をよく見かけました。


「過疎化」「少子高齢化」…この言葉はかつては農山村などのへき地に当てはまった言葉でしたが
今では日本全土の多くの地域に当てはまる言葉になりました。
このことを考えると、日本の未来には暗澹たる気持ちになってしまいます


今の日本には課題が山積みであるのは事実ですが、一番手を打たなくてはならないのは少子化対策じゃないかなぁと思うんですよね。
子供の笑顔は国の未来だと思わずにはいられません。


奈良県御所市…この町の景観や建造物への保存が進むことを心から願います。
と同時に、この町の持つ素朴さ、長閑さが無くならないことも願います。ここはとてもいい町です

使用したカメラ:FUJIFILM X-E1


私は旅先などですれ違う人と「おはようございます」「こんにちわ」などと挨拶を交わすと、とても嬉しい気持ちになるのです。
きっと自分の心の中に、近所付き合いが密接だった子供の頃の思い出が残っているのでしょう。
都会ではいつから挨拶をしなくなったのかなぁ



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