Obuse Town, Nagano Pref.
さてさて、ワタクシ達オッサン二人組の信州旅行も帰宅の時間が迫ってまいりました。
ワタクシ達は志賀高原からの帰路、ちょっと長野県小布施町に立ち寄ることにいたしました。
小布施町は長野県の北東に位置する町でして、葛飾北斎をはじめ、歴史的遺産を活かしたまちづくりを行ないました。
その結果、雰囲気のある街並みが人気を呼び、今では人気の観光地として多くの観光客がやって来ます。
「町おこし」の成功例として、小布施を参考にする自治体も多いと聞きました。
この日は三連休の真ん中の日、ワタクシ達は「けっこう人が多いやろなぁ」と予想はしてきたのですが、その予想を上回る人出にビックリ。
ワタクシは6年前に小布施を訪ねたことがあるのですが、その頃はさほど観光客が多くはありませんでした。
今では大人気の観光地に様変わりでありました。
古い町並みが広がるエリアに高井鴻山記念館という建物がありましたので、ワタクシ達は入館いたしました。
記念館は豪商でありながら画家、書家、思想家、文人として江戸末期一級の文化人であった高井鴻山に関する資料が展示されているのですが
ワタクシはそういった資料よりも豪商の立派な建物の方に目が行きます。
鴻山は葛飾北斎と交友があり、北斎は83歳の時に初めて小布施を訪ね、一年あまりを小布施で過ごしました。
北斎の才能を評価していた鴻山は、この敷地に北斎のためのアトリエも建てているんですよ。
北斎は小布施をずいぶん気に入ったのでしょうね。計四度も小布施を訪れているんです。
ただ、初めて小布施に来たときは83歳。最後に訪れたときは89歳なんですよ。
江戸から小布施まで80代にして歩いてやって来て、精力的に絵を描いていた北斎のバイタリティには驚くばかりです。
当時は平均寿命も50歳くらいだったのですから、驚くべき人物ですね。
一方、鴻山という人物なのですが、文化人としてはなかなかの人物だったようなのですが
金銭面ではルーズであり、事業家としてはまったく無能だったらしいです。
京や江戸では遊郭などで大金を使って遊女と遊びほうけていたようで、しっかり者の弟のおかげで高井家はもっていたのですな。
まぁ、芸術家や小説家に人格破綻者や常識から逸脱した人が多いのは、いつの時代も同じですな。
そういう生き方をしているから、ワタクシ達のような凡人には見えない世界が見えるのでしょう。
ではでは、小布施の街をそぞろ歩くといたしましょうか。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T1
ここ小布施もそうなのですが、これまで「町おこし」に成功した街を数多く訪ねました。
気づいたのは町おこしに成功した街には共通点があるんですよ。
一つは行政が主導ではなく、住民が主導で町おこしを推進していること。
もう一つはホスピタリティ、いわゆる「おもてなし」の心にあふれていること。
おもてなしの心にあふれた町には、再訪したくなりますものね。
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さてさて、ワタクシ達オッサン二人組の信州旅行も帰宅の時間が迫ってまいりました。
ワタクシ達は志賀高原からの帰路、ちょっと長野県小布施町に立ち寄ることにいたしました。
小布施町は長野県の北東に位置する町でして、葛飾北斎をはじめ、歴史的遺産を活かしたまちづくりを行ないました。
その結果、雰囲気のある街並みが人気を呼び、今では人気の観光地として多くの観光客がやって来ます。
「町おこし」の成功例として、小布施を参考にする自治体も多いと聞きました。
この日は三連休の真ん中の日、ワタクシ達は「けっこう人が多いやろなぁ」と予想はしてきたのですが、その予想を上回る人出にビックリ。
ワタクシは6年前に小布施を訪ねたことがあるのですが、その頃はさほど観光客が多くはありませんでした。
今では大人気の観光地に様変わりでありました。
古い町並みが広がるエリアに高井鴻山記念館という建物がありましたので、ワタクシ達は入館いたしました。
記念館は豪商でありながら画家、書家、思想家、文人として江戸末期一級の文化人であった高井鴻山に関する資料が展示されているのですが
ワタクシはそういった資料よりも豪商の立派な建物の方に目が行きます。
鴻山は葛飾北斎と交友があり、北斎は83歳の時に初めて小布施を訪ね、一年あまりを小布施で過ごしました。
北斎の才能を評価していた鴻山は、この敷地に北斎のためのアトリエも建てているんですよ。
北斎は小布施をずいぶん気に入ったのでしょうね。計四度も小布施を訪れているんです。
ただ、初めて小布施に来たときは83歳。最後に訪れたときは89歳なんですよ。
江戸から小布施まで80代にして歩いてやって来て、精力的に絵を描いていた北斎のバイタリティには驚くばかりです。
当時は平均寿命も50歳くらいだったのですから、驚くべき人物ですね。
一方、鴻山という人物なのですが、文化人としてはなかなかの人物だったようなのですが
金銭面ではルーズであり、事業家としてはまったく無能だったらしいです。
京や江戸では遊郭などで大金を使って遊女と遊びほうけていたようで、しっかり者の弟のおかげで高井家はもっていたのですな。
まぁ、芸術家や小説家に人格破綻者や常識から逸脱した人が多いのは、いつの時代も同じですな。
そういう生き方をしているから、ワタクシ達のような凡人には見えない世界が見えるのでしょう。
ではでは、小布施の街をそぞろ歩くといたしましょうか。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T1
ここ小布施もそうなのですが、これまで「町おこし」に成功した街を数多く訪ねました。
気づいたのは町おこしに成功した街には共通点があるんですよ。
一つは行政が主導ではなく、住民が主導で町おこしを推進していること。
もう一つはホスピタリティ、いわゆる「おもてなし」の心にあふれていること。
おもてなしの心にあふれた町には、再訪したくなりますものね。
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