高原千尋の暗中模索

行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止とゞまる事なし。

3.11 被曝による死者6500万人(4)

2011年07月19日 | 東日本大震災

5.アメリカ“ネバダ核実験場”
 
 アメリカ、ネバダ核実験場から西へ120マイル(200キロ弱)にあるユタ州セント・ジョージ市は“運悪く”、核実験場の風下に位置していた。
 この町の住民のほとんどは酒もタバコもやらない敬虔なモルモン教徒のひとたちである。元来、病気とは無縁であった。それが、1965年頃から白血病や肺癌などが多発し、流産や奇形児の誕生が相次いだ。

 ネバダ核実験場では、1951年から1992年までに928回の核実験が行われた。そのうち100回は大気圏内で、828回が地下核実験として実施された。核実験は風が北か、北東に向かって吹いている時に限定して行われた。実験場の背後にはラスベガスなどの大都市が控えていたためである。実験場の北および北東の地域にはユタ州の他に、ネバダ州、アリゾナ州などがあり、先住民が多く暮らしていたが、少数民族の彼らは存在自体が無視された。ユタ州南部の住民たちには、アメリカ原子力委員会が作成したパンフ『ネバダ実験場周辺地域における原爆実験の影響』が配布され、「核実験は国家の戦力を強化し、より良い市民防衛である」として、住民たちの愛国心を刺激した。最初の核実験(1951年)以降、風下住民の間に奇妙な病気が広がり始め、1965年頃からそれが急増していった。
 


 セント・ジョージで生まれ育ったデニス・ネルソンが、この町で起こった惨劇について証言している。核軍拡競争がもたらした放射能被曝の実態を知る手掛かりのひとつとして、ぜひ読んでいただきたい。


ユタ州ネバダ核実験場風下地域
デニス・ネルソン
(原水爆禁止1997年世界大会・国際会議)

「私は、冷戦のさなか、アメリカ・ユタ州のセント・ジョージ市で育ちました。当時は、冷戦があまりに激しかったため、道徳や正しい行為など問題にもされませんでした。普通の人々の命は、たとえ少しくらい犠牲者を出そうと「国家の安全」や「自由」という作り話を守ることの重要性に比べたら、全く意味のないものと考えられていました。ネバダ核実験場の風下にあるユタ州南部とネバダ地方には「ほどんど人の住んでいない地方」というレッテルがはられ、そうした政府の声明によって、少なくとも2万人の人々が目にみえない、無視してもかまわない存在とされたのです。このなかには私の家族も含まれていました。

私の子ども時代に、後に「死の灰の町」として知られるようになるセント・ジョージ市の西120マイル(200キロ弱)の地点で約200発の核爆弾が実験されました。風は私たちの町の方向に向かって吹くことが多く、ある時、特別やっかいな爆弾が、計画していたよりも「激しく爆発」してしまった時には、原子力委員会のある役人は、もし実験の当日に雨が降っていれば、その影響でセント・ジョージ市の住民の半分が死んでいただろうと後になってから言いました。たしかに、あの日、私たちは幸運に恵まれました。速やかに死ぬ代わりに、ゆっくりと死ぬことになったのですから。1950年代になると、あまり大騒ぎにはなりませんでしたが、一人また一人と、死者が出るようになり、それが今日もなお続いています。世界はユタ州の小さな町で何が起きているか知ることはありませんでした。この小さな町の人々は、放射線を浴びてからというもの、放射線実験に組み込まれ、知らないうちに、世界中で用いられることになる放射線の遮蔽基準を設定することに貢献させられていたのです。」


デニス・ネルソン
(原水爆禁止2000年世界大会・国際会議)

「1945年7月16日にニューメキシコの美しい砂漠地帯で始められ、現在も進行中の核戦争は、私の母と父と末の妹の命を奪いました。この戦争は今もなお日々、犠牲者を生みつづけています。アメリカ先住民の部族のなかには、ウラン鉱山で働く人々がいて、肺から血を流しています。カザフスタンでは、家族を失って悲嘆に暮れる女たちがいます。イラクでは奇形児が生まれ、キエフでは被曝して髪がすっかり抜けてしまった子供たちがいます。世界で最高水準の病院でさえも、放射線被曝が原因の癌を治療しようとしても、すでに死にかけた患者たちにいっそうの痛みと苦しみを与えることしかできないのです。

私の父は、62歳のときに肺ガンと骨肉腫で死にました。母は、47歳のときに脳腫瘍で亡くなりました。妹は、40歳で直腸ガンで死にました。弟は19歳のときにリンパ腫を患い、ほかにも家族のなかには、膀胱ガン、皮膚ガン、甲状腺の病気にかかった者がいます。父は、私たちの家から120マイル(200キロ弱)のところで原子爆弾が爆発していることを知っていました。しかし、12年間でネバダで1000発近くが爆発し、その死の灰が私たちの屋根や果樹園や野菜畑や外に干した洗濯物に降りかかることになるとは思っていませんでした。死の灰は、家のなかや車のなかや、食べ物にまで入りこんできました。私たちが使う水や、牛が食む牧草や、私たちの飲むしぼりたてのミルクにも入りこみました。父は、それによって自分自身や妻や末娘が死ぬことになるとは知りませんでした。残された家族がその後ずっと、手術や治療や薬物療法を受け続けることになるとは知りませんでした。それは、戦争を煽る秘密でした。この秘密によって、「冷戦」の火は燃えつづけたのです。これによって、世界大戦終結後も、軍需品製造で莫大な利益をあげ、富める者は、さらに裕福になったのです。「冷戦」は、実際にはきわめて熱い戦争だったのです。

私の住んでいた町はそれほど大きくなく、約5000人の女性、男性、子供が住んでいました。無防備で、シェルターに囲まれていたわけでもなく、しのびよる破壊的な攻撃に関する警告もされませんでした。私たちは、道を誤った科学の犠牲者でした。大量殺戮兵器を製造することで生命を救い「安全」を強化できると思い込んでいる狂人たちの犠牲者でした。現代の核の戦場によって被害を受けたり、汚染された犠牲者を追悼する記念碑は一つもありません。何千人もの女性が乳房を失い、何千人もの男性が自律呼吸機能を失い、何百万人もの子供たちが屈託のない幸せな子供時代を奪われたのです。私の子供たちの生まれる前に、祖父母は亡くなってしまいました。子供たちは、自分たちの愛する人や知人が不治の病気にかかったという知らせに慣れてしまいました。子供たちは生き残った犠牲者でもあります。私たちは彼らのことを認め、尊重し、援助する必要があります。彼らに、過去何が起きたのかをよく教えなければなりません。過ぎ去った日々の美しい記憶を分かち合うだけでなく、全人類に大きな影響を及ぼした不幸な歴史的事実も教える必要があるのです。そうしなければ、必ずまた同じことが繰り返されるでしょう。」(原水協ホームページより)



※地下核実験で生じた陥没が並ぶネバダ核実験場

 セント・ジョージで起こった悲劇について、住民の浴びた実効線量や癌発生率・死亡率などのデータを探してみたがなかなか見当たらない。
 「この小さな町の人々は、放射線を浴びてからというもの、放射線実験に組み込まれ、知らないうちに、世界中で用いられることになる放射線の遮蔽基準を設定することに貢献させられていた」と、デニス・ネルソンが言う通り、ICRPが勧告する放射線被曝限度の基準値(公衆の被曝限度 1mSv/年、職業被曝限度 5年間で年平均5mSv/年)を設定するための基礎データが収集されたことは疑いようもない。アメリカの核兵器開発の推進者たちは、プルトニウムを人体に直接投与するという悪魔的な人体実験を実際に行うほど、“研究”熱心な人々である。セント・ジョージでも、しっかりとデータを蓄積しているはずである。それにも関わらず、そのデータが公になっていないとすれば、実験台にされた少数先住民族の人々や、敬虔な宗教信者の人たちがあまり声を上げなかった、上げられなかったためかもしれない。核の支配者たちの思惑が、見事にハマったということなのではないだろうか。

 声を上げなければ被曝の惨状は黙殺される。力の及ぶ限り被爆者の声を黙殺するのが核の支配者のセオリーである。それは広島・長崎においても、セミパラチンスク(旧ソ連)やロプノール(中国)においても、ビキニ環礁やイラクなどにおいても共通する。また、チェルノブイリやスリーマイル島などの原発事故においても同様である。
 もし声を上げなければ、福島原発事故においても“被曝”は黙殺される、黙殺され続ける。セント・ジョージが核実験場から200kmであることを考えれば、被曝の被害は数百キロの範囲に及ぶことを肝に銘じ、声を上げなければならない、上げ続けなければならない。ネバダ核実験場が生んだ被爆者たちの声なき声がそれを教えてくれている。耳を澄ませて聞き届けたい。


=余話=
 1953年にネバダで核実験が行われた時、セント・ジョージでは映画「スノー・キャニオン」の撮影が13週間にわたって行われていた。映画のデレクターは、砂漠のシーンの撮り直しがいつでもできるようにするため、ロケ地の砂60トンをハリウッドに持ち帰った。
 それから27年後、雑誌ピープルは「スノー・キャニオン」に関連した役者や関係者の多くが癌であるという奇妙な一致に気づいた。1981年の時点で、220名のメンバーのうち91名が癌であると診断された。そのなかの一人が西部劇の名優ジョン・ウェインで、彼は胃癌と肺癌を併発していた。癌を患う91名のうち、ジョンを含む46名が80年代に亡くなっている。映画の撮影に関わった人の、実に21%が癌で死亡している。


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