高原千尋の暗中模索

行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止とゞまる事なし。

「科学者や医師にとって巨大な踏み絵」

2011年10月06日 | 東日本大震災

 放射能に対する不安に苦しむお母さんたちに、事の本質を分かりやすく、的確に説明してくれる武田邦彦中部大学教授に対する攻撃が散見される。

 ひとつは週刊新潮10月13日号に掲載されている記事『御用学者と呼ばれて』(澤田哲生東工大助教、松本義久東工大准教授、長瀧重信長崎大学名誉教授)であり、いまひとつは上武大学経営情報学部の池田信夫教授のブログ10月5日の記事『武田邦彦氏の売り歩く放射能デマ』だ。
 これらの武田氏攻撃のポイントは、武田氏が一関市長へ回答した以下のコメントにある。
 「放射性セシウム137の{成人、経口}での50%致死量は0.1ミリグラム程度です。これに対して青酸カリは{成人、経口}で50%致死量が200ミリグラム程度ですから、青酸カリの方が約2000倍ほど毒性が低いという関係にあります。」(「一関市長さんへのご返事」より)

 この武田氏の比喩に対し、攻撃陣の論点は、「そもそも0.1mgのセシウム137を摂取するには、暫定規制値500Bq/kgの野菜を数百トン食わなければならない」(池田信夫氏)という点に集約される。
 よくよく彼らの論陣を見てみると、セシウム137の経口毒性そのものについては否定していないのである。当たり前だ。放射性物質が人体に悪影響がない、などという科学者はひとりもいない。放射線の人体への影響については全て“程度”の問題である。そんなことは言われなくても武田氏は理解している。論点の巧妙なすり替えによって、武田氏をデマゴギーと攻撃しているだけとしか思えない。

 「セシウム137の経口毒性は動物実験もあり、計算もでき、これらの毒性を示したのは医師などを含む研究者であることも理解し、それらのデータと調和した発言を求めます」(武田氏ブログ10月5日)と武田氏は攻撃陣をいなしている。武田氏はセシウム137の経口毒性の程度を一般人に分かりやすくするために、あえて青酸カリとの対比で表現しただけである。福島原発事故で地上に、生活空間にブチまかれた放射性物質とは分かりやすくいえば“猛毒”である、ということを表現したに過ぎない。これは一般人には非常に分かりやすい。

 武田氏は一貫して放射線の安全性の是非を論じている暇あれば、除染を優先すべきと主張してきた。それが起きてしまった人災に対する科学者としてのあるべき姿勢であると説く。是非を論じている間にも、膨大な人々がいわれのない被曝をうけ続けているからである。勝手に被曝させておいて、安全か否か、程度はどれくらいか、を“議論”されても、勝手にしてろ! としか被害者は思わない。いま、“程度”の議論が重要と主張する科学者、医者、行政関係者、その他社会的影響力を持つ“文化人”は、押し並べて“御用人”と断定する。武田氏はこの考え方を、「科学者や医師にとって巨大な踏み絵」と定義する。私はこの意見に全面的に賛同する。

 私のブログをご覧頂いているほとんどの方は武田氏のブログの読者であると思っているが、念のために、武田氏のブログの重要部分を以下に転載させていただく。


【緊急】 発言記録を残そう!! (10月5日)

事実をそのまま見てください。可哀想に福島の子供たちに甲状腺の異常が認められたのですが、これまで「直ちに健康に影響がない」、「この市の線量なら大丈夫」、「野菜を食べても安全」、「給食は食べなければならない」、「瓦礫や花火の搬入に反対する奴はケシカラン!」、「私は医師だが1年100ミリまで大丈夫」・・・などと言った人があれほど多いのに、まだ誰一人として甲状腺異常の診断結果について「そんなことはウソだ。子供は健康だ!」という反論をしていません。

黙っています。「安全だ」と言い続け、危険を回避しようと努力する親御さんを批判し、給食を無理矢理食べさせて子供を被曝させ、そして目の前に健康不安や患者さんがでると黙っている。そんな人たちを許すことはできません。そんな人で子供たちを病気にすることはできません。

断固、「被曝は大丈夫」と言った人がいたら、即座にそれを記録し、テレビ、新聞、ブログなどの発言記録を保管し、可能な限り糾弾しなければならない。子供は声を上げない。大人が声を上げ行動しなければ子供は声を上げずにベッドに行く。

東京都に運ぶ瓦礫を阻止できなければ、また被曝を拡大する。福島の除染が遅れればそれだけ子供の被曝が増える。911デモで不当に逮捕されたのがフランス人だったことは日本人として残念だ。私たちはもう「抜け殻」になったのか?

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個人で生活を守ろう。政府、自治体、医師、学校・・・そんなところは何の責任もとらない。

だから、できるだけ1年1ミリを守り、どうしてもダメでも1年5ミリの範囲に入るようにしたいと思います。1年1ミリなら3月11日以前と同じですから、人間として受け入れることができます。とにかく被曝を少しでも減らして2度と甲状腺異常の子供たちを出してはいけないと思います。

新米はしばらく様子を見ること、肉は外国産を買うこと、魚は量を減らし、買うなら日本海側に限定し、外国の加工食品などを積極的に使い、日本の牛乳は一切飲まず、東北、関東の食材でベクレル表示のないものは避け、家の除染をもう一度して、自治体に地域の除染を厳しく要求し、被曝を1年1ミリ以内にするように心を強くしよう!原発の設計変更、それに被曝と人体の関係が判るまで、原発は中止しなければならない。

ビクビクして生活するより、やるだけのことをやって、後で「ああ、よかった。無事に済んだ」と笑うようにしたい。



大きな展開をするべき時・・・10人の子供と科学的な考え方(10月5日)

福島の子供たちの甲状腺の異常は私にとって衝撃的なことでした。それは「原発の事故でも素早く避難し、被曝に注意すれば被害者を出さずにすむ」と確信していたのですが、力及ばず{もしかしたら}被害者を出したかも知れないからです。

でも、今回の10人の子供が本当に被害者なのか、それとも自然の状態なのかはまだ明確ではありません。その意味では「ある面で考えた科学的な考え方」では「10人の子供は被曝ではなく別の原因で異常が認められる」という場合を慎重に考えなければならないからです。

でも、私は「科学者」として、この時点であえて「子供の甲状腺異常は被曝が原因だ」として行動をおこすべきと判断したのです。それは「科学技術がもつ社会への責任」からです。

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科学はあらゆる可能性を考え、慎重にデータを解析し、人間の頭の限界を知りつつ綿密にやっていくものです。だから、今回の10人の子供の異常を「被曝が原因」と断定することは「科学的」ではありません。それでは、なぜ私が「科学者」として「被曝が原因だ」と断定したのでしょうか?

科学は判らないことがあります。というより判らないことだらけと言っても良いでしょう。「被曝と人体」という問題もわからないことだらけで「1年0.1ミリが限度」というドイツの医者もいれば、「1年100ミリ」という日本の学者もいるぐらいです。この問題について私は次のように考えています。

「「被曝と人体」についてはほとんど判っていないので、学問で決めることはできず学者や医師は発言を控える必要がある。もし目の前で被曝している人がいないときなら自由な議論が必要だが、被曝している間は学問は無力であり、社会のコンセンサス(1年1ミリ)を尊重しなければならない」

ということです。今回の事件において科学者や医師の社会的に求められることは「人体実験をする」ということではなく「被害者を出さない」ということです。そのためには科学の原理「判らないことは判らないことを認める」ということであると考えています。被曝が人体に悪い影響を与える可能性が高いとすれば、また悪い影響を与えると今まで社会に言ってきたとすれば、被曝を社会的コンセンサスの範囲に収めるように発言するべきです。

つまり、科学は「原発を実施する限りは被曝によって被害者を出さない」、「不可抗力で被害者が出るのはやむをえないにしても、意図的に被害者を出すように誘導してはいけない」とするべきです。特に人の健康に責任を持つ医師はさらに慎重でなければならないでしょう。

ところが、事故が起こっても高線量地域からの避難もさせず、むしろ「被曝は健康に影響ない」と言い続けて被曝量を増やしているのは事実なのです。学校での被曝、給食、食材、瓦礫・・・あらゆる面で日本の科学者の大半は「被曝を増やす」ことに熱心です。特にわざわざテレビや新聞に登場したり、書籍を執筆して「被曝しても大丈夫」という学者や医師は科学というものを知らないと感じます。

「何ミリまで大丈夫だ」というのは現在の状態で科学が言うことではありません.科学は「判らないときには判らないという」ということです。また科学技術が原因して被害を出しそうな時には、それを極力、小さくするのに努力しなければなりません。政府は現実を見て科学者や医師に反することをするかも知れませんが、それを予想して科学者や医師事態が被害を増大させるのは科学ではありません。

その意味であえて「10人の子供の異常は被曝が原因だ」とするべき行為を今まで日本の学者や医者はしてきた。だから断定するべきだと私は判断したのです。

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今こそ、科学者、医師は本来の科学に携わる人としての言動に戻るべきです。それには今回の10人の子供の診断結果はとても意義があります。つまり、「一人でも患者さんがでたら、科学や医学は真の意味での社会的な存在価値を保持できるか」ということを問うているからです。「ぜったいに被曝を避けるべきだ」と発言してきて、結果的に患者さんが出た場合と、「被曝は安全」と言って患者さんが出た場合ではまったく違います。

科学者や医師は「抜け殻」でなければ心が動くはずです。自らの行動は職務倫理を充足しているか、すでに原発という大きな科学的作品を社会に出している限り、それに伴う科学としての責任を持たなければなりません。

それは「今回の10人は被曝が原因か」を追及することではなく、「一人でも患者さんがでれば、「大丈夫」という発言は科学や医学が社会にもつ意義を失う」ということです。被曝を低減することは日本の財力なら現実的に可能なのです。そしてそれができなければ原発を運転すること自体が間違っています。

読者の方のメールに刺激されて、私の科学という物に関する考えを書きましたが、もしご異論があればメールをください。科学者や医師にとって巨大な踏み絵です。大きく展開していただきたい。




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