प्रज्ञापारमिता

言語活動(言説)に依らずして、究極的なもの(勝義)は説示されない。
究極的なものを理解せずして、涅槃は証得されない。

整った心

2017年10月06日 | 法話関係
10月です。今年も残すところ3ヶ月ですが、良い一年だったと思うためには「終わり良ければ」で、これからしっかりと今年を締めるために精進しましょう。
精進の第一歩は、やはり心です。この心をしっかり整えて、心配なく明るい心でいられるよう、生活しなくてはなりません。
そのためには仏教の教え、弘法大師の教えを時には戴いて、手を合わせることが非常に大切で、実際に心を整える役に立つものです。

「雲が多ければ月は明瞭に見られない。土地が痩せていれば苗の生長は難しい」(宗秘論)

月や苗(仏教や弘法大師の教え)が如何に素晴らしくても、心が整っていなければ、教えだけではどうしようもない。いくら「修行や学問の実践」をしようが、心得違いがあれば高慢の種にしかならない。

心を整えるためには教えを聞き、整った心でまた教えを聞く。その繰り返しを意識して、実践をしなくてはなりません。
では、「整った心」とはいったい、どういう心なのでしょうか。

それはまず、「動かない心」です。悪口を言われても落ち込まない、対抗しない、怒らない、誉められても有頂天にならない、高慢にならない。いつも平常心であること。
次に、「平等の心」。私とあなた、を分けない。ウチとソト分けない。喜びも悲しみもひとかたまりで、みんなその海の中にいる。差別しない。同じ世界に、一緒に生きている。

このような心であること。生きる上では様々な苦労や努力がありますが、どうせする苦労や努力ならば、このような心になれるような努力がこそが、人としての最上の努力です。

「朝夕あくせくして衣食住に追われ、東奔西走して名誉を求めることは、落とし穴の底でもがいているようなものである」(秘蔵宝鑰)

自分や自分の家族のためだけにする努力は虚しいものです。そういう枠を外して、世界全体がおなじ目線の平等で大切な、共同世界だと思い、平安な心で毀誉褒貶を一時的で無意味なものとわかる心。
仏教や弘法大師の教えを聞けば、少しずつそういう心に近づきます。そしてそういう心で聞けば、どんどん心が更に明るく清くなります。

あと3ヶ月で今年も終わりますが、この3ヶ月、改めて共に一所懸命に努めて参りましょう。
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