प्रज्ञापारमिता

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言葉と人と

2014年12月26日 | 仏教・思索
昔クリスチャンだったころ、牧師先生が「聖書の御言葉は誰が語ったかではなくて、何が語られているかを考えなさい。この牧師や宣教師が尊敬できないからと言って腹を立てたりせず、御言葉は御言葉としてとらえなさい」と言っていた。
まぁ、たとえば正論吐かれた時に「そうかも知れんがお前が言うな」と考えるのではなくて、虚心坦懐に「その通り、すんません」と考えなさい、っつーことにも通じるわけです。
で、私はそれはそれで正しいと思い、今でもできるだけそう考えるようにしていました。

でもどうなんだろ。
本当にそれって、正しいのかな。

少なくとも、たとえば僧侶の立場で法話するとき、これが「言い訳」になってないかな。「自分は不出来で碌な生活態度でもないし、修行もできてないけれど、今やってる話は仏教の正論だから、私を見ずに言葉を聞いて」というのが、果たして正しい方向性なのか。
一般的な「耳に痛い話」であれば何でもいい。受け止める側が「人を見ずに言葉の内容を見る」のは立派な態度だけけど、仏法あるいはキリスト教でも何でもいいけれど、宗教的なところになった場合、それってダメなような気がする。
法話や説教は単なるお話ではなくて、それ自体が秘蹟であり灌頂であり修行であるという、極めて宗教的な意義を含んでいるわけだから。

カトリックあたりで、洗礼やサクラメントを授けるときに、その司祭が不信心あるいはアンチキリストの心を持っていた場合、その秘蹟が有効か無効か、という議論がありましたが、もしかしたら無効なのではないかと思う。もちろん確かめられない部分だから受者に責任はないかも知れないけれど、やはり聖霊がそこになければ、カトリック的には無効なんじゃないだろうか。もちろんそこも含めて、信仰による神の救済によって最終的には是とされるかも知れないけれど、秘蹟の現場という限定された空間においては、やっぱり無効というしかないんじゃないのだろうか。

それと同様に、あるいはそれ以上に、仏教においては宗教者・僧侶の資質というものが絶大な意味を持ってくるのではないだろうか。受戒や灌頂というところだけではなく、個々の僧侶の日日の活動において、たとえば葬儀や法事もそうだし、法話もそう。言葉の中身だけではなく、それを伝える者の人格や思想って、決定的な意味があるのではないだろうか。なにしろ「言葉の伝達」はそれ自体が全的な仏の妙用であり、自他不二であるべき修行の現場でもあるわけだから。

近代的な考え方は、結局「文書・言葉でロジカルに伝える内容がすべて」なのが当然だけれど、本来はそうじゃなくて、「何かの伝達」というのはもっと巨大な、全体的な構造や言葉以前の真如の全的な移譲である、のじゃないかなぁ。
もちろん単なる宗教的な知識の伝達や、なんとなくいい話を聴いて啓発された、という点では、話者の資質などは重要ではないかも知れない。でも、そうじゃない部分にこそ、本質があるような気がする。
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自力と他力と菩提心

2014年12月19日 | 仏教・思索
自力と他力というのは、日本仏教ではよく使われる概念です。真言密教の場合は加持力といって、自他力不二をその旗印とするので、単純に自力か他力か、というのはそぐわないですが、一般的には自力にカテゴライズされてしまう場合が多いかなと思います。

ではこれ、インドではどういう扱いでしょうか。

高野山大学の生井元学長の著書『密教・自心の探求』に、面白い文章がありました。「瑜伽師地論」の説ですが、これによると、菩提心を発心するのに、四つの力があるということです。「自力・因力・他力・加行力」です。

自力というのは、著書から引用しますと「衆生自らの計らいの努力ではなく、菩提自身の自己発現である。(中略)自力とは、本源的に自己に内在する仏の本願力に触発されて顕れる、自身の発心」の力である、ということです。一般に言われる「自力」とはだいぶ、ニュアンスが違います。
次の因力というのは、ここからは著書の要約ですが、過去世以来の功徳が現世での発心の力となること、です。
この両者は、菩提自身の発心であり、不退転のものです。

次の他力は、他者からの勧誘によって、その人の努力から生まれる発心の力であり、加行力というのはこの世での修行していく計らいの努力によって生ずる発心の力で、このふたつは「計らいの努力」によるので退転の可能性がある発心です。

浄土思想に菩提心のないことを厳しく批判したのが明恵ですが、インド仏教まで視野に入れたとき、なかなか面白くも難しい問題がありますね。
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真言安心小鏡より

2014年12月15日 | 東亜仏典の言葉
六大無碍常瑜伽の講釈だけをして三密加持速疾顕の修行をしなければ、
何の役にも立たないことはあたかも隣の宝を数えるようなものです。  ――懐圓



ホントにそう。
もちろん講釈できるほど勉強してませんが、方向性は…。
反省してもっと頑張ります。

ネットが出てきて、どうもみんな昔よりお喋りになってしまいました。
確かにネットは利用価値が大きく、伝道にも交流にも大変、役立ちます。
今後とも利用していきたいとは思いますけれど、
あまりお喋りが過ぎて本質を忘却してそれに振り回されると、
結局のところ害悪のほうが大きくなってしまいます。
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聖妙吉祥真実名義経メモ

2014年12月07日 | 仏教・思索
ウィキから、メモ。

『聖妙吉祥真実名義経』(Arya Manjusri namasamgiti:アリヤ・マンジュシリー・ナーマサンギーティ)、略して『真実名義経』(Namasamgiti:ナーマサンギーティ)は、チベット四大宗派において共通の日課経典であるが、中でもニンマ派においては前半の「幻化頌」と「曼荼羅の偈頌」が『大幻化網タントラ』の要約とされ、ニンマ・カマの系統のゾクチェンにおいては必須の経典ともされている。また、日課経典であると同時に、『大幻化網タントラ』の伝授が終わったら再びこの『聖妙吉祥真実名義経』に帰り、三面四臂のナーマサンギーティ文殊等を本尊として経典の読誦と共に、ナーマサンギーティ真言と呼ばれる長いマントラを唱えて修法に入る。ちょうど日本の真言宗において『理趣経』の読誦から『理趣経法』へと進むようなものである。五大タントラにおいては、「ナーマサンギーティが理解できなければ、時輪タントラは理解できない」とも言われるほど、チベット密教全般においても重要な経典とされている。読経にあたっては、ニンマ派には独特の節(ふし)回しと声明(しょうみょう)とがあり、マントラにも同様の唱え方があって、この経典が唱えられなければ僧侶や瑜伽行者としては一人前の扱いを受けない。なお、『聖妙吉祥真実名義経』については、栂尾祥雲著「聖文殊真実名義経の研究」(『栂尾祥雲全集別巻第一』)に詳しい。
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文殊菩薩मञ्जुश्री

2014年12月06日 | 仏教・思索
文殊菩薩についてざっと調べたことを。


文殊師利菩薩मञ्जुश्री ご縁日は二十五日、聖地はカトマンドゥ・五台山等

文殊は法身大日と同体、仏智の根源であり現用には降魔にも通ず。とりわけ『マンジュシュリー・ナーマサンギーティ』(『聖妙吉祥真実名義経』『佛説最勝妙吉祥根本智最上祕密一切名義三摩地分』『聖文殊真実名義経』等)には、文殊が本初仏でありすべての仏菩薩の根源であるとすら示されている。

文殊師利菩薩はまた別名として、覚母、曼珠室利菩薩、文殊師利法王子、文殊室利童真、妙徳菩薩、妙吉祥菩薩、妙音菩薩、般若金剛、吉祥金剛、一切無戯論如来(理趣経)等々があり、また金剛利菩薩・弁才天等と同体と見做される時もある。
覚母というのは、心地観経に「文殊師利大聖尊、三世諸仏以為母」の如く、諸仏菩薩の母の故にこう呼ばれ、文殊師利法王子は法性より化生し、仏法王の種を継いで絶えざらしむる故に法王子と名け、また文殊室利童真は童子の無我無執の如く、文殊の大空智の明了無碍を童真と名く。

その像容は、利剣・青蓮華・梵筐等を持す一面二臂、またはネパールにおいては一面十二臂をナーマサンギーテイ文殊と称す。基本的に身色は金・紫金、ネパールのナーマサンギーティ文殊は白。他の像容もある。

行ずる場合の印は多種多様のものが知られるが、たとえば胎蔵法においては蓮華合掌で火風指を開く(胎蔵中台院の文殊真言とセット)とする。即大日文殊また本初仏としての文殊の場合、『ナーマサンギーティ』は金剛界に近しい為、下の五字咒とともに外縛二火指蓮葉(文殊剣印)に作るべきとの経軌に従う。

また真言にも種々あるも、「おんあらはしゃのうoṃ arapacana 唵阿囉跛者娜」五字咒が基本であり根本。五字咒は一切如来最秘の真言、一切如来の教説、一切衆生利益の法門。五字は五智に通ず。また、arapacanaは四十二字門の字母であり、一切諸法出生の根源。この真言の功徳は、無尽弁才・離苦・滅尽罪障・証悟一切諸三昧門・大聞持・無上大菩提。チベット等ではdhīḥを付加する場合があるが、本来的にはないものであろう。
oṃ…聖音・供養円満/a…求菩提・無生/ra…不捨衆生・離塵垢/pa…第一義諦・諸法平等/ca…修妙行/na…無自性・言説不可得

種字、一般的にはマンで示すもア字・アン字など、他の種字もある。大日同体あるいは本初仏としては阿字を中心とするも良いか。大日同体として、私には阿字を用いる。

他の真言としては、
【胎蔵中台文殊】のうまくさんまんだぼだなんあべいだびでいそわか
【胎蔵文殊院文殊】のうまくさんまんだぼだなんまんけいけいこもらきゃびもきちはたしっちたさんまらさんまらはらちぜんそわか
【金剛界金剛利菩薩…文殊と同体】おんばざらていきしゃだだん
【文殊別尊法】おんどっきゃせいただん
【一字文殊】おんしろきえん おんちりきえん
【六字文殊】おんばらだばざらだん
【八字文殊】おんあくびらうんきゃしゃらくだん  …等々多数ある。


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寒いわー

2014年12月03日 | 閑話休題
ここ数日、本当に寒くなりましたねー。
ティンホイッスルやアイリッシュフルートの練習を屋外でやるのは難しい季節になりました。
千防川公園とか阿知須あたりでプープーやりたいんだけれど、ちょっと無理やなぁ。
寺の居間で練習するしかないんだけれど、まぁ、ローホイッスルはいいとして、ティンホイッスルとかフルートは音がでかいので、ちょっと躊躇してしまう。上手けりゃまだいいんだろうけれど、下手やし(笑)

それにしても、山口市・防府市・宇部市あたりでティンホイッスルとかアイリッシュフルートやってる人、いないもんかな。ずっとひとりでプープーやってるのも寂しくなって来た。ここらあたり篠笛サークルすら皆無なわけで、アイリッシュなんかやってる人、いないだろうなー…。

やってる人いたら誘って~~あんまりレベル高いと初級レベルの私はついていけんけど…

やりたい人いたら声かけて~~フルートはともかく、ホイッスルはリコーダーよりとりあえず簡単だから…
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