प्रज्ञापारमिता

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以心伝心

2014年10月06日 | 法話関係
秘蔵の奥旨は文を得ることを貴しとせず。ただ、以心伝心に在り。文はこれ、糟粕。文はこれ瓦礫なり。糟粕瓦礫を受くれば、すなわち粋実至実を失う。学ぶも信修なくんば、益なし。

弘法大師空海『性霊集』巻第十


【訳】本当に大切な意味というのは、ただ文章を読むだけで良いということはない。「文章の奥にある心」と「読む人の心」が通じ合うことが大切である。そしてそれは、師匠と弟子が向き合ってはじめて伝わるのだ。表面的な文だけだと、それは「かす」であり、「がれき」である。それだけを知って「わかった気になる」なら、本当に大切なところを見失う。ただ学んでも、そこに込められた奥の意味があることを信じて、そして実践しなければ、意味はない。


これは弘法大師空海が伝教大師最澄に宛てた手紙です。
書物で密教を知ろうとする最澄に対して、師匠と弟子がきちんと向き合い、文章に込められた本当の意義を直接に教えてもらい、頭だけではなくちゃんと実践して、はじめて仏教がわかるのですよ、と述べたものです。
このことは仏教だけではなく、あらゆることに通じます。
私たちはちょっと見たこと、聞いたことで「わかったつもり」になり、その本当の姿をなかなか見ることができません。自分の経験、自分の知識、自分の思い、そういうものにしがみつき、自分を物差しにして物事を判断して「わかったつもり」になります。
本当にそれで「わかったこと」になるでしょうか。
自分だけで物を考えても、きっとそれはひとりよがりのものにしかなりません。色々な人の意見を聞き、またその道の先達・先生によく教えを乞い、母に頼る子供のような素直な心で受け止め、そして頭だけではなくて実際に行動してみる、その繰り返しの中で、言葉だけでは表現できない「本当のところ」が、身をもって体験できてくるのではないでしょうか。
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光明真言

2014年10月04日 | 仏典の言葉
光明真言は真言密教において常用される代表的な真言で、正式な名を「不空大灌頂光真言」と言います。
『毘盧遮那仏説金剛頂経光明真言儀軌』『不空羂索毘盧遮那仏大灌頂光真言』等で説かれています。

滅罪の法会、あるいは土砂加持などで中心となる真言でもありますので、往々にして亡者供養のためのものという考えでとらえられる場合があります。
しかしこれは勿論、亡者のためだけにある真言ではなく、これを持する行者にとって除闇遍明を期するものであり、まさしく法灯明それ自体を込めた、仏教の根本真言と言って良いものです。

真言密教のみならず、全仏教の一大法蔵の精髄は光明真言にあり、またこれを約めては、阿の一字に収まります。

光明真言は大日如来の真言でありますが、大日を展けば五智如来また神羅万象ことごとく顕現し、神羅万象すべて大日如来の秘密荘厳身ならざるはありません。
真言密教末徒として、また釈子として、日日の修行にあってこの真言を根本に行学に励むことこそが、即身成仏の正道でしょう。

身に印契、もしくは端坐合掌をなし、
口に光明真言を誦し、
心には大日如来の光明の身に満ち渡り凡心転じて仏性の顕現を期する。


日日に他の行はあくまで根本大日・光明真言からの輾転と心得、一心にこの真言を堅く持ち保つことこそ肝要のことです。

現在、光明真言も他の真言と同様のものと考え、下手をしたら御宝号の「ついで」に唱えるものと誤解をしている場合があるようですが、この光明真言は諸仏の根源、法身大日如来の根本真言でありますから、即身成仏の修行にあっては、もっとも純粋かつ相応しいものであります。
「それそのもの」「真如」を、便宜でも方便でもなく、そのまま示したものです。

願わくは、光明真言が更に一般に普及し、これが真言密教の根本であることを広く知っていただければ、幸いに思います。


光明真言とは、具体的には漢字では…

唵 阿謨伽 尾盧左曩 摩訶母捺囉 麽抳 鉢納麽 入嚩攞 鉢囉韈哆野 吽

このように書きます。

おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん

…のように読みます。

参考までに、サンスクリット語では、ॐ अमोघ वैरोचन महामुद्रा मणि पद्म ज्वाल प्रवर्त्तय हूं と表記し、
oṃ amogha vairocana mahā-mudrā maṇi padma jvāla pravarttaya hūṃ
以上のような発音となります。

伝統的な悉曇文字については、フォントの関係でここに挙げられませんが、ウィキペディアなどで「光明真言」を探していただけば、そこに書いてあります。


最後にその意味ですが、以下に挙げたものは一例です。
この真言の解釈には伝統的・仏教学的に様々なものがあり、一様ではありません。
大切なことは、仏陀の光によって身が満たされ、凡心が如来心と一致する、と観想することです。


【大日如来根本真言】 

オーム 不空遍照尊よ 大印ある者よ 宝珠(菩提心)と蓮華(清浄不染)との
光明を 汝は転じて行者の身に満たさせよ フーム

【五智配当釈】

唵 … AUMで法報応の三身を示す、また供養円満の意
阿謨伽 … 北方・不空成就 (成所作智 ← 前五識) 風 化他成就
尾盧左曩 … 中央・大日 (法界体性智 ← 自性清浄心・阿摩羅識) 空 根本智
摩訶母捺囉 … 東宝・阿閦 (大円鏡智 ← 阿羅耶識) 地 堅固菩提心
麽抳 … 南方・宝生 (平等性智 ← 末那識) 火 平等照見
鉢納麽 … 西方・阿弥陀 (妙観察智 ← 意識) 水 転法輪智
入嚩攞 … 〔一切如来の〕光明により
鉢囉韈哆野 … 転ぜよ、転識得智の意
吽 … 金剛不壊、また成就の意



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除闇遍明、法灯明の根本真言たる光明真言が、人々の心とこの世を照らし、
世界の本当の清浄なる真如が顕現し、仏国土が仏国土として観られますように。

合掌
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