प्रज्ञापारमिता

𝔇𝔥𝔞𝔯𝔪𝔞 𝔗𝔞𝔩𝔨, 𝔅𝔲𝔡𝔡𝔥𝔦𝔰𝔪, 𝔗𝔥𝔦𝔫𝔨𝔦𝔫𝔤, 𝔞𝔫𝔡 𝔱𝔥𝔢 𝔚𝔬𝔯𝔡

野球と人生

2014年06月29日 | 法話関係
よくマラソンを人生に譬えることがありますが、人生なら野球でしょう。

野球は九回までありますが、それに人生を配当すると、0~9歳までは試合前の準備期間。十歳代で一回表裏、二十代は二回、五十代は五回、九十代が九回、百歳超えたら延長戦。

私たちはみんな「自分のゲーム」の先発ピッチャーで、試行錯誤しながら人生というゲームで投げていく。完投(百歳到達)出来たら幸甚ですが、大抵は六回・七回・八回あたりで降板になります。
でも、ゲームは九回まで続きます。自分が降板した後の残りのゲームは、誰かにリリーフしてもらわないといけない。

人はみんなそれぞれのゲームを一試合ずつ投げているのですが、たとえば親が死ぬ、配偶者が死ぬ、友人が死ぬ…となった時、私たちは彼らのゲームを引き受けてリリーフしてあげることが大切。だから人は年を取るにしたがって、担当するゲームがちょっとずつ増えていく。自分のゲームを中心にするのは当然だけれど、誰かのゲームもリリーフしてあげなくちゃならない。

誰かのゲームをリリーフするというのは、その人の生きて来た人生の続きを何かしら引き受けて継承していくということなんだけれど、それをするためには、その人のゲームの展開をしっかり見てないといけない。リリーフだってゲーム展開をちゃんと読んでないと、きちんとしたリリーフできないから。
お互いに相手の試合も最初からちゃんと見て、時にはゲーム展開を振り返りつつ、「その時」が来ればリリーフしていくこと。これが人生の大切な人間関係なんだろうな、と。

また、先発ピッチャーも、守備陣がいなくてはゲームにならない。攻撃陣がいなくてはゲームにならない。
だから人生も同じく、まわりの人たちやご先祖さんや動物、自然、時間、空間、宇宙、仏様、神様…のさまざまなものが自分を支えてくれるから、ゲームになる。しかし同時に、ピッチャーの自分が投げないことにはゲームは進まない。最初の一球は「私」が投げなくてはどうしようもない。

九回までひとりで投げ切っても、実はひとりでゲームはできない。そこに気づかないと、ゲームには勝てない。

あぁ、野球っていいね。深いね。
マラソンより絶対に、人生を考えるにはいいゲームだよ。

でもこれを法話でやろうとしても、おばあちゃんたちは野球をあまり知らないので、イマイチ「ぴん」と来ないんだろうなぁ。いい譬えなんだけどなぁ。惜しいわ。
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