प्रज्ञापारमिता

𝔇𝔥𝔞𝔯𝔪𝔞 𝔗𝔞𝔩𝔨, 𝔅𝔲𝔡𝔡𝔥𝔦𝔰𝔪, 𝔗𝔥𝔦𝔫𝔨𝔦𝔫𝔤, 𝔞𝔫𝔡 𝔱𝔥𝔢 𝔚𝔬𝔯𝔡

ひとりごと

2013年01月29日 | 仏教・思索
仏教を生半可ながら拙く学び始めたのは22歳の頃で、高野山大学に入って本腰を入れ始めた(そして得度した)のが、24歳の春。今年の五月に38歳になるので、仏教の道に入ってから13年ということになりました。伝法灌頂は30歳の夏ですから、一応「教師」と呼ばれる立場となって7年半くらい。

大阪の高校で古典や日本文化に親しみつつ仏教を遠巻きに見、東京でヒンディー語を齧りながら人生に迷いに迷っていた時(当時の私はクリスチャン)釈尊の伝記を呼んで衝撃を受け、インド仏教、富士門流そして日蓮宗の勉強を経由してチベットに惹かれ、南都仏教の僧になろうと思ったものの伝手もなく断念して高野山に上り、大乗起信論を卒論にし、加行をして…気づいたら山口県にいる…。
まぁ、人生って不思議ですよねぇ。仏壇も神棚もない、典型的な核家族に育った私が僧侶になって、曲がりなりにも活動しているとか。不思議と言えば不思議です。

この間の自分自身の仏教に対するスタンスも、それなりに変化がありました。

もともと福音派クリスチャンで、仏教の最初の教学学習が富士派や日蓮宗…ということで、どうしても「聖典主義」や「唯一の正しい教学」という概念に対する依存心が抜けきらず(これは一神教的あるいは西欧的あるいは近代的思考の特徴かも知れませんけれど)、これを自分自身で改善していくのになかなか苦労しました。
「言葉で記述できるもの・指示可能な対象はすべて影・無我・無常であり、本質ではない」ことは頭では理解できていても(理解? 理解ではない。言葉とはなんて不便なんだろう…)、どうしても文字に頼る。概念に引きずられる。分析思考に陥る。文字は大切で、もちろん不可欠のものですが、「それをドグマとして固定してしまう」愚を犯してしまう。
もしその段階にとどまれば、「諸大乗経顕道無異」というのも結局、矛盾するものを調整できず破綻してしまいます。そうではなくて、奥の奥(或いは表? 全体?)、釈尊のいう「自己」とは何であるのかが把握(誰が何を?)できれば、そこにこそ、仏教全体が立ち現れる。
それを踏まえて、そこから文字に立ち戻ったとき、聖典は書物を超えた「真実のことば」としてはじめて見えてくるのでしょう。多分、そういうことなんだと思います。

最近はそういう考えになりつつありまして、いい意味で「聖典離れ」になっています。

もっと俯瞰的に、実践的に仏教聖典と向き合うこと。説法を聴聞する如く、幅広く仏典を繙いていく必要性(現代口語大蔵経の必要性はここにあります)。一点集中の「真理はこれだけ」信仰からの脱却と、自分の中での仏説の再構成と咀嚼…。

うまく表現できないのですが、今は、そういう感じです。
コメント (4)

古代史

2013年01月29日 | 閑話休題
私、日本古代史に昔から関心があります。主に古墳時代から源平まで。もちろん鎌倉以降も大好きなんですが、古代史の魅力は抜群です。

そういうわけで、本は色々と持ってはいますが、一冊でざっと見渡せる事典や概論の類も欲しいなぁ…と思い、先日『ゼロからの古代史事典』という本を買いました。ミネルヴァから出ているという時点で「ちょっと危ないかな」と思ったのですが、案の定(笑)
まず、執筆陣に専門の学者がいない。市民運動家とか専門外の左翼系学者とか、そんなのがズラっと並んでいたわけで。別に古代史なんて史料の限界もあってもともと諸説入り乱れたカオスの学問分野で、昔から黒岩重吾だの梅原猛だのの非専門家も首を突っ込んで喧々囂々やるのが常ですから、別に専門外の「趣味人」が集って本を出すのはいいんですけれど、なんというか…「サヨクだなぁ」と。取り敢えず学問的検証をしているようで、政治的主張がメインじゃないのかこいつらは、という記述が散見され、なんとも、面白い(笑)
単なる「オモシロ説」(関裕二とか)ならまだ罪はないのですが、こういう、学術書の体裁で政治をされると、ちょっとなぁ…ま、古き良き日本の革新系歴史学会の生き残りというか、現代について行けなくなった左翼歴史ファンの断末魔の叫びというか。
これはこれで、資料的には面白いかも知れません。

あ、ただ、君が代の追求は面白かった。
「強制された云々」「元号は中国では廃止してるのに日本では云々」という寝言は無視するとして、君が代の出典を古今和歌集だけじゃなくて万葉集の類似の歌まで遡って色々と検討しているのは、なかなか勉強になりました。君が代は祝歌ではなくてもともと挽歌であるという説はごもっともで、私も賛成します。


さて、もっとマシな本を探すとしようか…武光誠教授も東京堂から似たような本を出してるようなので、そっちを買うことにしますわ。最初からそうしとけば良かった。
コメント (2)

蝋梅

2013年01月20日 | 閑話休題
裏庭の蝋梅が少しだけ、咲きました。まだ大部分は蕾ですが、だいぶ大きくなったし、満開も近いかなぁ。ちょっとずつ、春も近付いています。例によって、画像クリックで拡大します♪
梅もだんだん小さい蕾が色づいてきました。

 先月、12/20の蝋梅

 本日、1/20の蝋梅
コメント (2)

平家の女性

2013年01月20日 | 閑話休題
『平家物語』には色々なタイプの女性が出てきますが、昔から人気のナンバーワンはやはり、静御前でしょうか。対極のタイプとして巴御前もなかなかイケてると思いますし、北条政子も人気のある有名どころです。
それぞれタイプは違うのですが、源氏方はだいたい、どれも芯の強い女性です。平家方では二位尼が強い女性ですね。人気があるかどうかはともかくとして。

最近、改めて『平家物語』を読んでるのですが、私のお気に入りは、そういう「強い女性」とは一味違った、小宰相。彼女は一ノ谷の戦いで通盛に殉じて入水するのですが、確かに身籠った状態で入水してしまうというのは、ある意味で「弱い」と評価されるかも知れません。また、建礼門院も好きですが、彼女も強い女性…とは少し、違います。
総じて平家方の女性は「弱い・線が細い」感じがします。ある意味で「武家の女」と「半公家の女」の相違なのかも知れませんが、そういう平家方の女性を見ていると、やはり感動を禁じ得ないです(平家は男も、たとえば平維盛もイザという時に「細い」。敦盛も弱くはないのですが、どうしても源氏に比べると「細い」…宗盛など論外)。
世間を知らない高貴な女性が、時代の波に翻弄されて栄華の世界から意味もわからないままに転落して平家と運命を共にし、その過程で除々にこの世の無常を静かに体現していく…という事の悲惨さ、リアルさ…そのあたりに感じ入る部分が大きいです。その過程で入水を選ぶ小宰相の決意とある意味での弱さ、平家の女性すべてを象徴する建礼門院の晩年。
『平家物語』は色々な読み方が出来ます。仏教的観点、歴史的観点、あるいは男の視点、武家視点、貴族視点、政治闘争、忠孝思想的視点、東アジア文脈、神仏論、軍略論、家族親族問題、裏切り視点、恋愛物…その中で、平家の女性という観点で読んでみるのも、改めて面白いなぁ…と。『平家物語』は歴史的事実そのままでは勿論ないのですが、あくまでも歴史をベースとした「半史実」ではありますから、より一層、考えるところがあります。清盛の時代の武骨な平家(徹頭徹尾、「武門平家」を貫いたのは教経と知盛です)が栄華とともに急速に女性的になるわけですけれども(富士川の戦いがその象徴…壇ノ浦で武門平家の片鱗は見せるものの時既に…)、それを「平家の女性群像」が見事に示していると思います。

やっぱり『平家物語』は面白い。日本人の読むべき古典の筆頭だと思いますねぇ。

個人的にも、私が生まれたのは「清盛の都」神戸で、『平家物語』の舞台となった関西に育ち、高野山に学び、今は壇ノ浦がある山口県にいます。父方の里は平家の落人伝説のある場所でもあり(安徳天皇ゆかりの寺もあるそうです)、近くの瀬戸内海を見るたびに、落ちのびる平家の陽炎を見る思いに駆られ、いつもひとりで感動しています。


因みに、平家と源氏を離れたところで好きなのは、小督です。
コメント

氏神神社

2013年01月19日 | 閑話休題
恩智神社と弓削神社だけでも申し訳ないので、うちの現在の実家の地区の氏神神社も紹介しておきます。生活でよく通る方向とは真逆だったので、実はあまり行かないのですが、なかなか良い神社なんですね、ここも。
名前は若倭彦命神社・若倭姫命神社、そして鐸比古鐸比売神社(ぬでひこぬでひめじんじゃ)と言いまして、前者は物部氏系若倭部連、後者は和気氏の神社です。祭神は、前者は若倭彦命と若倭姫命、後者が鐸比古命(全国でも岡山県にもうひとつ祭っているだけの、珍しい神様)。前者の創建年代は不明、後者の創建は西暦151年・社殿は元禄時代のものという古社です。
実家の法善寺地区の本来の氏神は若倭彦命神社・若倭姫命神社なんですが、明治以来、鐸比古鐸比売神社に合祀されるという憂き目に遭っていたため、どちらの神社もうちの実家の地区とは縁が深く、鐸比古鐸比売神社の夏祭りの時には地区で蒲団太鼓を出している筈です。

因みに、先日の記事でアップした志紀にある弓削神社が道鏡ゆかりなんですが、鐸比古鐸比売神社は和気清麻呂(鐸比古命の十五代の子孫)ゆかりの神社ということになります。因縁ですなぁ~~。
鐸比古鐸比売神社は立派な社殿で、どうやらゲームに出てくる神社のモデルにも採用されたらしいのですが、今回は行っていないので、画像なし。機会があればアップします。関心がある人は、ググってください(笑)
コメント

恩智祭

2013年01月18日 | 閑話休題
恩智神社について記事を書いたので、夏祭りの映像も紹介します。
毎年8/1に行われています。
場所的にも時期的にも、今は絶対に行けないので残念ですが、死ぬまでにもう一度くらい、行きたいものですわ…。

恩智祭(恩智神社夏季例祭)ダイジェスト
コメント

恩智神社と弓削神社

2013年01月18日 | 閑話休題
一年半ぶりくらいに帰省できましたので、子供のころから親しんだ恩智神社と、弓削神社に行きました。
風邪気味でポーっとしていたため、恩智神社本殿の写真などは撮り忘れ(-_-;) 碌な写真が撮れていないのですが、熱もあって結構キツかったので、御勘弁…。

まず最初、恩智神社は近鉄大阪線恩智駅から徒歩で行けますが、駐車場もあります。その駐車場の石板と神兎・神龍の灯篭。


本殿と摂末社などは参拝だけして撮り忘れたんですが、真新しい神兎と神龍だけ撮りました。私が卯年・妻が辰年なので、丁度いいわ、と。
 

境内のすぐ下にかつて神宮寺であった感応寺(高野山真言宗)があります。新しく改築がされていて、すごく整備されてました…。その境内からの眺望、曇ってたのでちょっと残念…。
 

本殿に続く131段の階段です。8/1には、この階段を蒲団太鼓(神輿)がかけ登ります。
この階段が結構、思い出の場所です。夏の暑い時によくここに来てました。左側の道を登れば駐車場なんですが、更にずんずんと山道を歩けば、小一時間で高安山霊園、そこを超えて信貴山に続きます(いわゆる恩智越)。子供時代の山歩きコースでした。機会があれば、また歩きたいものです。

 

恩智神社から山を下りまして、恩智城趾をぶらっと見て、天王の森へ。
ここは恩智神社旧境内で、御旅所となっています。小学校時代はここを横切って通学してました。
写真のうしろにチラッと映ってるマンションは「コープ野村」ですが、私はそのD棟に、高一まで住んでました。映ってるのは多分、A棟だと思いますけど。
 

で、次に弓削神社。
ここはJR大和路線志紀駅すぐで、現在の私の実家近くの神社です。本当は地区としては実家の隣の地区になる(なにしろここは八尾市、実家は柏原市ですから)のですが、どうしてもよく通るのがこちらな上に家から近いので、自分の地区の神社よりも親しみが…(笑)
 

ここは実は、「あの」弓削道鏡生誕の地。このあたりは物部氏系の土地であったらしく、弓削や跡部などの地名も残っています。弘法大師の母方である「阿刀氏」も、このあたりの豪族でした。実は弘法大師は讃岐ではなくて八尾の生まれだと言う説もあります。


あと、次の日に奈良町(元興寺様)と桜井・聖林寺様を訪れ、そして再開発の著しいかつての「私の庭」天王寺を偵察に行ってから山口に帰ってきたのですが、体調がキツくて写真などを撮る余裕ナッシングということで、アップするものがありません。
…唯一、なぜか猿沢の池近くの公衆トイレ横で鹿だけ撮ってました(笑)


で、そんな中でも無理矢理(阿倍野から御堂筋線で新大阪に行けばいいものを、わざわざ天王寺から難波までJRで移動して)、新しく出来たジュンク堂なんば店だけは視察に行きました。我ながらアホだな…。 
しかし、湊町駅時代を知る者としては、信じられないくらい再開発されてますね、あの一帯。高校時代は湊町~心斎橋~長堀・谷六が通学路でしたけれど、当時は書店なんかなかったですから。湊町は当然、心斎橋でもアセンスくらいだったと思います。
ミナミの文化レベルも上がったなぁ(笑)
コメント (4)

日本の伝統とは

2013年01月13日 | 仏教・思索
ある意味で、私は「日本国体論者」であり「復古主義者」でありますが、今、保守と呼ばれる政治家や言論人が「日本の伝統」と言う時、私にはちょっと違和感があります。本当に「日本の伝統」の何たるかを自覚しているのかな、と。
そういう人たちの言葉を聞くと、大抵は明治維新以来の近代日本の制度や思想を指しているようにしか思えません。それをもって「伝統」あるいは「国体」というのは、ちょっと待てよ、と。
色々とありますが、たとえば明治憲法に規定された天皇というものが、果たして建国以来の伝統を踏まえているのかどうか。軍の最高統帥権者が天皇であるというのは、実は桓武天皇以前と、明治以降の話であって、歴史的に大部分は、朝廷に国軍というものはなかったのではないかと。あくまでも特定の軍事集団を臨機応変に将軍に任命することで行政に当らせたのが、日本の「国体」ではないでしょうか。源平など典型ですよね。
それが良いか悪いかは別として、重要なことは、天皇直属の軍がなかったにも関わらずどうして皇室が1500年以上継続していたのか、そこを考えないと、本当の日本の国体はわからないと思います。明治以来の天皇制は、ほとんど外国の王政(王権神授説的な)の模倣に過ぎないのではないでしょうか。
また、国家神道的な体制を国体と同一視して「伝統」と言う向きもありますが、それもおかしい。皇居の「御黒戸」を強制的に勝手に撤廃し、皇室・宮家・大臣・官僚はキリスト教に改宗すべしと説いて明治天皇を激怒させた程度の認識だった元勲たちが形成した、国民統合の為の人工宗教が国家神道だったのではないでしょうか。元ネタの平田国学自体、日本の古代以来の伝統回帰を謳いながら、実際のところ極めて「近代思想的」なものだったわけでしょう?
そもそも明治体制が武士の論理で形成され、国民皆兵の方向で日本国民に武士論理の浸透を図ったものであると私は思っていますが、それが果たして日本の国柄に根差した全国民的な日本の伝統と言えるでしょうか?
本当の日本の国体・国柄というものを復興させたいのであれば、歪な明治維新期の諸々をいったん相対化して、江戸以前の日本の社会の在り方をもう一度きっちりと研究して、もっと多様で幅の広かった「日本を取り戻」して欲しいものです。
コメント (8)

猫と猿と馬

2013年01月08日 | 仏教・思索
「猫の宗教と猿の宗教と馬の宗教」というのがあります。

猫というのは、親猫が子猫の首根っこをくわえて安全な場所まで運んでいきます。子猫はぶらーんと咥えられるだけ。一方の猿は、母猿の背中にしがみついて、その体勢で母猿は子猿を安全な場所に連れて行く。馬は生まれてすぐに立ち上がり、母親のリードに従って自力で逃げる。

宗教がある種の「救い」というものを説くとして、仏教は猫と猿と馬、どのカテゴリーになるでしょうか。
一般的には「猫の宗教」と思われている場合が多いように感じます。
浄土教などは確かにそういう傾向があるでしょうし、いわゆる「癒しブーム」なる風潮で「そのままでいいんだよ」「絶対肯定」を仏教と同一線上に置いて考えている人の場合、たしかに「仏教は猫」と信じられているかも知れません。
一方で、たとえば禅宗系統などに親しい人であれば、仏教は馬だ、と言うかも知れません。その場合、猫が他力、馬が自力、ということになるのでしょう。

しかし私としては、仏教は猿の宗教だと思っています。

母猿にしがみつくという「努力・精進」は必要、その上で現実の自分の至らなさ・無明を見つめて母に任せきるという「信」も必要、そしていつか母のような存在になりたいと言う「菩提心」も必要。つまり、自力・他力・向上心が融合した、ある意味で段階的な「自他不二」の宗教こそが、仏教の本来的にあるべき姿ではないかと。
母猿にしがみつく努力をしたら、それが母猿を信頼していないことになる…なんて事はありませんし、しがみつく自力だけを恃んで母猿の大きさを信用していないとすれば、それは現実が見えていないと言わざるを得ない。
自力・他力のありさまを虚心坦懐に見詰めて、いつか自分自身が母猿として菩薩行を十全に行える仏陀となる…そこまでを総合的かつ段階的に構想するのが、仏教、少なくとも大乗仏教の立場ではないでしょうか(もちろん仏陀の立場から見れば完全なる自他不二の一法界で、本質的な段階の別は妄想だ…となるのですけれど、凡夫の立場では段階を踏んで向上して行く道が必要と思います)。

もっとも、実際の浄土教(とりわけ中国浄土教や融通念仏)や禅宗がすべて猫と馬の要素だけで成り立っているとは思いません。猿の要素も当然、あると思いますので、あくまでも上に言ったことは「一般的な人々が思うであろう仏教のステレオタイプ化」の其々、ということです。
コメント

落ち着いた。

2013年01月04日 | 閑話休題
寺のほうもやっと一段落しました。
明日は法事、明後日から2日ほどかけて、檀家宅に返礼参りです。
100件以上あるので、1日で終わらせたいけれど、ちょっと無理かも。

で、今月中旬には数日間、大阪に帰省する予定です。
一年以上ぶりやなー。
子供のころから親しんだ神社(恩智神社)に「初詣」行きます。
ま、うちが寺だから厳密には「初詣」にはなりませんが、今年は敢えてどこの神社にも行っていないので、それはそれ、「神社への初詣」ということで(笑)
コメント (2)