प्रज्ञापारमिता

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法蔵『義記』出版!

2012年04月17日 | 仏教・思索
法蔵著『大乗起信論義記』の現代語訳(島村大心訳)、高野山出版社よりやっと出ました。定価18000円…は確かにちょっと高いですが、起信論研究の基本文献の筆頭たる本書の、初の現代語訳ですから…支払う価値はあります。
将来的には『義記』よりちょっと古い、新羅・元暁の『海東疏』を勉強してみたいのですが、その為の準備段階としてもこの『義記』は絶対に通らなくてはならない(なんせ日中通して、『起信論』解釈のメインラインは『義記』だったわけですし)ので、頑張って読みたいと思います。


関心がある方、注文は…
高野山出版社
電話 0736 -56 -2724


因みに『大乗起信論』自体を先に読んでおくべきなのは当然です。
『起信論』を読む場合は、大蔵出版『仏典講座・大乗起信論』がお薦めです。春秋社『大乗とは何か』もお薦め。また岩波文庫からも『大乗起信論』が出ています。この2冊には現代語訳も付いていますが、注釈が読み易いという点で、大蔵出版本のほうが使い易くて便利だと思います。


【追記】
4/18、現物が到着。
税込18900円、送料500円。
判型はB5、ムックサイズの簡易製本でした。
斜め読みですが、内容は面白いです。『義記』本文の現代語訳だけでなく、対応している『起信論』本文の国訳も併記してあるので、非常に便利です。常用している平川釈『起信論』と併読していけば面白いな、と。
原漢文・国訳ともに『義記』本文のものは本書に収載されておらず現代語訳だけですので、『義記』そのものの研究をするならば類書・大蔵経などを基本にしなくてはなりませんが、『起信論』自体を読む時に本書を座右にすれば、法蔵の思想を把握して行くのに欠かせないものではあると思います。少なくとも現時点では、『起信論』を学ぶ者には必携でしょう。
欠点はふたつ。
ひとつは、『義記』の全訳ではなかったこと。ただし『起信論』本文にかかわる随文釈はすべて採っているようですから、少なくとも『起信論』を読むのには取り敢えず必要十分でしょう。
もうひとつは、簡易装丁であったこと。18000円もするのにこの装丁では、耐久性に関しても不十分です。繰り返し参照するわけですから、ハードカバーにして欲しかったところです…もっとも、このご時勢にこんな「売れない本」を出して頂いただけで快挙ですので、コスト面の事もあろうし、装丁まで求めるのも酷でしょうが…。
その他、誤植などはまだわかりません。

ともあれ、活用させていただきたいと思います。
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初夏則事

2012年04月10日 | 閑話休題
初夏則事 王安石

石梁茅屋有彎碕   
流水濺濺度両陂   
晴日暖風生麦気   
緑陰幽草勝花時


 石梁 茅屋 彎碕有り
 流水濺濺として両陂を度る
 晴日暖風 麦気を生じ
 緑陰幽草 花時に勝る


本当に、最高の季節は夏ですね。
7月中旬から下旬頃、初夏~盛夏にかけてが最高です。
「晴日暖風 麦気を生じ」
麦気とは違うけれど、夏山の草いきれ。
信貴山麓育ちの私としては、なんだか懐かしい原風景。
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議論

2012年04月08日 | 仏教・思索
議論することは大切でしょう。でも、「やり方」があります。

特に仏教…に限らず、こと宗教絡みのテーマは議論が白熱して収集がつかなくなることが多々あります。醜い罵倒や「水掛け論」の典型を観察したければ、その対象は宗教論争に限る…というのが、残念ながら実態ではないでしょうか。
東亜における歴史論争についても同様なんですが、中途半端な知識と「こうあるべき」という前提(それは「事実」云々ではなくて大抵は感情論に立脚している)を互いに振り回し、もはや「議論・討論」ではなくて壮大な独白のぶつけ合い…結局は声が大きい方が勝ち、ウンザリして撤退した方は「敵前逃亡」と決めつけられて敗者の烙印を押される…。
そんな不毛な「論争」を何度、目にしたことか。特にネットの世界で甚だしいのですが、実は「専門家」と言われる人たちの間でも事情は似たようなもので、メンツや信念などというものの前には、客観的な事実など吹き飛んでしまう場合が多いようです。
だからこそ、釈尊は「戯論を離れよ」と言われたのでしょう。はっきり言って、ほとんどの「論争」なるものは、無意味です。時間の無駄です。

「正しい議論」というものは、当然あるでしょう。
たとえば仏教思想の展開というものは、そのような議論の中で熟成されてきました。大乗仏教の大成者である龍樹菩薩がどれだけの論争をヒンドゥー系哲学者としてきたか、あるいは日本でも南都・天台の論争などは、結果として双方に益をもたらしました。
しかしそれは、「正確な知識とソースの提示」に基いた理性的な討論が基本だったわけです(まぁ、常にそうであったとは言いませんが)。証明不能な「信念」など持ち出して振り回し、声を大にしてあいてを威嚇して打ち負かすような愚劣な手法は取らなかったし、そういう手法で「勝ちを奪った」者も、いずれは相手にされなくなるものです。

仏教者として、私自身がこれからどう法を伝えていくのか…ということを考えた時、上記のことはよくよく肝に銘じておかなくては…と思います。私もバカですから、どうしても議論になれば「勝ちたい」「言い負かさねば」という感情が湧いてきます。また、「ここで負けたら自分の考えが否定され、間違った知識に基づいた相手のとち狂った暴言が是とされてしまう」という思いが、どうしても出てきます。単なる信条の違いならともかく、歪曲された知識を振り回す人は、どうしてもスルーできない…。
が、しかし、そういう人と議論しても、実は無駄です。これは痛いほど、わかっています。相手には(そして恐らく、自分にも)「正解」が既にあるわけですから、どうせ合意はできないわけです。結局「勝つか・負けるか」の世界。アホらしいですが…。

仏法を伝える時は、つまり経典に基づいた事を、地味に話していくことがベストなんだと思います。「私の考え」というものは所詮「私の考え」でしかないですから、他者と完全に共有できるわけではない。仏法は、自他不二、つまり「他」はある程度は経典として提示できても、「自」はそれぞれです。本当に。ですから、法師の役割は、「他」の部分を言葉の限界の範囲内で提示して、あとは黙って自行を日日実践していくことに尽きます。それをそれぞれの「自」がどう受け止めて実践して考えるか、それは銘々其々。「自」の部分を振り回してしまうと、すぐに不毛な論争に発展して、もっと大切なこと、仏道を歩く、ということが阻害されてしまいます。

まぁしかし、喋りたい、勝ちたい…という煩悩は、なかなか強いものがあります。誰しも自分の考えや存在を否定されたくはないですから、防衛意識というものが出てきてしまうんですよね。困ったものです。
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いろはうた

2012年04月07日 | 東亜仏典の言葉

いろはにほへと ちりぬるを  
諸行無常
色はにほへど 散りぬるを

2 
わかよたれそ つねならむ   
是生滅法
我が世たれぞ 常ならむ

3 
うゐのおくやま けふこえて  
生滅滅已
有為の奥山 今日越えて

4 
あさきゆめみし ゑひもせす(ん)
寂滅為楽
浅き夢見じ 酔ひもせず 



花は匂うけれども散ってしまうのに…。
世の中の森羅万象のこと、宇宙・自然環境から人間の寿命・容姿・人間関係、財産や地位、果ては心の状態に至るまで、およそ「ある」と見えるものはすべて移り変わり変化し、ある期間を経たのちはすべてまったく姿を変え消えてしまうことは、水が水蒸気となって天に登り、あるいは氷が溶けて大海と一味になる如くである。


私の人生もどうして永遠でありえようか。
そういう「ある」と思えるもののうちで最も深刻に思いを致すべきは、「自分のこと」である。いったい、今まで近親で死んでしまった者はいくらもあるけれど、「この私」だけがそうではない道理はなく、自分もまた常ならず、いずれ散りゆく。これが道理であって、現実である。


有為の深い山を今日越えて。
そういう「ある」けれど「変化して、崩れていく」ことが道理のこの世を生きる中で刻苦勉励して積み上げてきた肩書や財産などは、生きているうちには大いに意味があれども、真如自覚に背を向けた行為は善悪いずれにせよ、結局それだけのこと。実体のないものにとらわれた煩悩を今日克服して仏法の空を知るべきである。


浅はかな夢など見まい、酔いもすまい。
この人生も、この世界も、すべて実体がない。波は失われる。そのようなものに夢を抱くのは愚かな煩悩である。それがいつまでも続くというような夢など見ないように。酔ったりもせぬように。波は海に至り、仏の生命とひとつである。波に惑わされず、真実一味の仏海のいのちへ摂入すべきと心得るべし。そこが寂滅・平安の、絶対の浄土の境地である。
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日中関係と漢文

2012年04月04日 | 時事関連
中国(あるいは中国共産党)を理解したいなら、もちろん中国語をやるのも大切でしょうけれど、それとともに(否、それ以上に)古典中国語(文言)もやるべきだと思います。いわゆる漢文。
最近、中国の政治的な動きや発言を色々と見てるうちに、どうもやはり、古典的なセオリー・思考回路に則った動きがあるなぁ…と感じられます。まぁ以前からそうだったんでしょうが。

明治・大正期までの日本人は漢学の素養があったので(もちろん指導者層の話ですが)、そういう中国の様々な言動について、彼らの文脈で有る程度の憶測をしたり予測をしたり出来たんでしょうが、いまや立派に「日本的西洋思考回路」に馴らされた国籍不明の根なし草たる日本人は、中国(中国共産党)の言動がまったく読めず、そのせいで彼らの術中に無邪気に嵌まったり、実態以上のモンスターを妄想して対中恐怖症に陥ったり、あるいは逆に中国を蔑視・軽視したり…要は、右往左往しているわけです。

中国と日本は好むと好まざるとに関わらず、隣国です。これまでも、これからも。であれば、やはり相手を知らなくてはなりません。友好にせよ敵対するにせよ、いずれにしても「知ること」が第一歩です。単なる「お友達」なら中国語だけやってりゃいいのかも知れませんが、もっと深く、特に国家同士のつきあいという事であれば、政治家や官僚・企業経営者・国際ビジネスマンはやはり古典中国語の知識、特に兵家・儒家・法家くらいは知っておくべきでしょう。法学部・経済学部では、学生にきちんと叩きこむべきです。現代中国語は、その先です。
同時に、知日・親日の中国知識人を養成するため中国にも日本を正しく知らせる必要がありますが、こういう事をするにも、相手をしっかり知った上でやらないと、失敗は目に見えています。

いずれ中国共産党・中華人民共和国は滅びます。私が生きているうちなら慶賀なことですが…そうでなくても、100年はもたないと思います。崩壊すれば、きっと「色々な事」が明るみに出ます。また、「あることないこと」が「前王朝」たる中共に押し付けられて徹底的に糾弾されるでしょう(今の清朝や日本に対するように)。
その時(滅共興漢の時)、必ず伝統中国が復活します。現代的な装いをもって…でしょうけれど。その時、その内実を余すことなく把握できる可能性があるのは、ひとり日本だけです。それが伝統日本の蓄積です。当事者たる中国よりも、正確な「読み」ができる可能性を持っています。
今後しばらく日本は試練の時代、我慢の時代が続くでしょうけれど、来るべき中国動乱・変革の時には、きっと東亜での指導力を発揮する機が来ます。その時に誤らず・正しい方向性を打ち出していくには、やはり対中認識の深さが絶対条件になるでしょう。中国を無視した東亜などあり得ないのが現実ですから。
この雌伏の時、私たちは訓読という天才的な発明を通して伝統的に培ってきた「漢学」「中国古典学」をいま一度見直し、これを廃れさせずに維持発展させていく必要があるのではないでしょうか。古典は古びた骨董ではなく、正しく、国力の礎ですから。
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大風

2012年04月03日 | 閑話休題
今日は日本中、凄い風です。台風みたいですね…。
土壁の外壁は吹っ飛んで落ちるし、本堂・位牌堂の中の壁も剥落してます。
ミシミシバリバリ、本堂が崩れそうな音立ててます。

風が吹く度にこれじゃあ、いずれ壁もスカスカになってしまいますね。
いやもう既になってますが(-_-;)
耐震性も落ちるというもんですが、ま、これは今更…な状態ですね。

壁の補修補強に手を入れるにしても、そもそも壁の土自体が年月経って痩せてますから、
漆喰だけ塗るというわけにもいかないし。困ったもんだ。

本堂などの耐震工事はいつかしなくちゃいけないのだけれど、いつになるのかなぁ。
まだ無理だろうなぁ…というか、実際にどこか崩れるまで無理だろうなぁ。
台所の床も剥がれかけててブヨブヨだし、書斎の壁も圧迫されて潰れてるし、
端から端まで、どうにもこうにも。

建て替えは無理だろうから、せめて早くに耐震&補修工事くらいはしたい。
今のままでは震度4くらいでも不安。もし崩れたら余計に高くつく。
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