प्रज्ञापारमिता

𝔇𝔥𝔞𝔯𝔪𝔞 𝔗𝔞𝔩𝔨, 𝔅𝔲𝔡𝔡𝔥𝔦𝔰𝔪, 𝔗𝔥𝔦𝔫𝔨𝔦𝔫𝔤, 𝔞𝔫𝔡 𝔱𝔥𝔢 𝔚𝔬𝔯𝔡

休止

2010年09月21日 | 閑話休題
暫く、お寺からのお知らせ以外の記事投稿を休止します。
コメント機能も停止しています。
今年中には再開したいと思っています。

ミクシィの「つぶやき」と、コミュでの書き込みはしていますので、ミクシィIDのある方は、そちらで絡んでください(笑
ID「20442337」、mixiキーワード「大乗仏教」です。
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VIVA、仏教

2010年09月18日 | 仏教・思索
ここ数カ月、色々と試行錯誤して悩んだけれど、やっぱりここしかないよな、という所に戻って来ました。全体のバランス、自分自身の課題、実践の方法、そういうことを考えて考えて…。
 
あぁ、それにしても、やっぱり仏教は素晴らしいです。
学問は学問で楽しくていいけれど、しかし仏教は切羽詰まった人間の苦に向き合う「帰命すべき教え」です。難しくて、優しくて、辛くて、暖かくて、意地が悪くて、涙もろい…そんな人間生活の、ホントの姿を指し示す。
その悲しさと喜びとを、ストレートにつかみたい。アタマではなくて、心身全体で。
そこを基準にすれば、自ずと具体的な体裁は定まります。

ここ数カ月の停滞は停滞として、いい学びになりました。
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世襲

2010年09月17日 | 仏教・思索
誤解があるといけないので、改めてこの主題。
世襲、です。
私は寺院世襲は好ましくない、日本仏教堕落の原因の一つだという考えなのですが、もちろん大乗僧侶の結婚については肯定派です。このあたりのことを。

私が世襲の僧侶を否定しているかのように思っている方が一部にいらっしゃるようですが、決してそうではありません。世襲か世襲でないかということと、資質の良し悪しは関係がありません。世襲であれ何であれ、立派な方は立派です。
また、寺院に生まれたわけですし、自身が志を持って「僧侶になりたい」と思うのはある意味で自然な事ですから、何も親子で僧侶、ということを否定する必要もないと思います。

問題は、システムです。

現在、世襲が前提のシステムになっていますので、例えば子供が後を継がない場合、住職が引退・死去した場合、基本的に寺族は寺を退去しなくてはなりませんが、国民年金だけではとてもじゃないが出られない、というケースも多々あります。
それが故に、嫌がる息子を後継者にして生活を維持する、というケースがあるようです。これが常態化してしまうと、とてもじゃないけれど自覚のある僧侶が育つわけがありません。

ですからシステムとして、寺族の生活保障の問題をどうするのかを宗門レベルで検討しなくてはならないでしょう(プロテスタント教会や韓国の太古宗は妻帯ですが、老後保障についてはケアするシステムがあるそうで、そういうのも参考にすべきです)。同時に、住職就任にあたってのシステムを改革し、すべて本山からの派遣とし、基本的に出身地域以外の寺に赴任させることも考えていいのではないでしょうか(何なら任期制でも)。
確かに代々住職でないと地域の事情が…という意見もよくわかるんですが、そういう声に従った結果の現状があるわけですし、思い切った改革が必要なんじゃないかな、と思っています。実際、キリスト教会ではそういうシステムの筈です。できないことではないと思います。

生活保障と「寺院世襲」の排除さえ出来れば、仏教界はそれなりに変革していくと思います。そうすれば寺院出身の僧侶であれ在家出身僧侶であれ、その出自ではなくて資質・やる気だけの問題となり、双方にとって良い事と思うんですが。
嫌々継がなくてもいいですから、寺の息子にも選択の自由ができるでしょう。
三方万々歳。
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うぅむ

2010年09月15日 | 仏教・思索
伝統宗教は京都の呉服屋、新興宗教は富山の薬売り、などとよく言われます。
一見さんお断りで、店に陣取ってるだけじゃあ、そりゃ悩み事を抱えている人は行きにくいですし、行ったところで無愛想…富山の薬売りはあっちから来てくれて、しかもニコニコ親切。
もっと伝統仏教寺院も積極的に外に出てほしい!!…と。

非常によくわかります。
私もそう思います。

でも、出たくても出られない場合もあります。
本当は私も色々な活動をやりたいのですが…住職になって、色々とわかることもあります。まぁ、諸般の事情は寺によって違いますので、一概にどうこうは言えないんですけれども。
手遅れにならないうちに、各方面の既成の枠や固定観念・惰性・因習を突き崩して行かなくちゃならないんですけれどね。
もはや手遅れなのかな…?

さて、今後どういう風に自分自身、やっていこうか…。
ホント、難しいです。
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実践の悩み

2010年09月14日 | 仏教・思索
ここ最近の悩みについて。

本来の大乗仏教の理想というのは、色々な見方があるとは思うのですが、私はまず第一に僧俗の絶対的区分の否定、これだと思っています。誰でもが菩薩として、在俗者であっても仏道を成就できる、成仏できるのだ、と。
もしそれが不可能ならば、誰しもが比丘として各個に出家修行を経なければならなくなり、これでは大乗の主張とは言い難いと思いますし、少なくとも如来蔵である仏性の開顕を云々する場合、僧俗の別はさほどの意味がないと私は考えています。

ただ、何もせずに生活していてそれらが達成されるわけでもなく、如来蔵だから修行は不要で「誰でも仏だ」という屁理屈・詭弁は意味をなしませんが。
ちょうど、仮に口座に預金が莫大にあったとしても、通帳もカードも印鑑もないとすれば出金不能であるようなもので、これでは実際に金持ちであるとは言い難いようなものです。
問題は、僧俗どちらであるかということではなくて、ちゃんと通帳等を手にしているかどうか、つまり如来蔵を開顕するための道・修道があるかどうか、です。そしてその方法は誰でも持つことができる・実践可能なものだと言うのが、大乗仏教でしょう。

ではその通帳、実践法とは何か、というのが問題です。
無論、基本原理は止観に尽きるわけですけれど、果たして真言密教において、誰でも出来る、という方法論があり得るのか否か、なかなか難しいところですよね。私はこの観点に関しては三密行法は失格と思っています(昔どこかで書きましたけれど、意味はあるけど意義がない、ということです)。
真言念誦もあるじゃないか、という意見もありますが、もしこの方法で真如を覚することが可能であれば、じゃあわざわざ三密行をする意味はどこにあるのか…。では三密行を一般にも開放すればいいのかと言えば、それも無理です。フツーの一般人にその実践は不可能でしょう(観想の理解、法具の必要性等等…負担が大きすぎます)。

真言密教の世界観は素晴らしいし、福音でもあるのですけれど、修道論に関しては私はまだ自身の中で決着が着き難いところがあります。三密行に意味はあるので実修しますけれど、果たして大乗という観点から、どのくらいの意義があるのだろうか…と。
仮に自分だけが成就したとして、それは小乗ではないのか?
大乗における菩薩行の究極が万人成仏であるならば、果たして…?
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砂漠

2010年09月12日 | 仏教・思索
今ちょうど、NHK-BS1でモロッコの砂漠についての番組やってます。

砂漠はいいですねー。

今日はとりとめのない話です。

私、昔の憧れの職業は考古学者だったのです。もちろん考古学と言っても、いわゆるコツコツした考古学研究ではなく、あくまでもインディ・ジョーンズ的考古学だったわけですが(笑
小学生の頃にアンコール・ワットのムオーとか、ツタンカーメンのカーナヴォン卿とか…って、どちらも「呪い」関係ですが…そういう本を読んで、「自分もやってみたい!」的な、まぁ、軽薄な感じでしたけれども。
もちろん「呪い」だけじゃなくて、ヘディンやスタイン、シュリーマン関係の本を読んでみたり、河口慧海や大谷探検隊の存在を知ったり。
まぁ、こういうのは直接に砂漠に関係しているわけじゃないんですが、やっぱりサハラとかゴビとか、どうしても砂漠がチラチラするわけです。私にとって砂漠とは、そういうキラキラした世界の舞台だったので、どうしても今でも憧れの気持ちがあります。

そして決定的に砂漠に「やられた」のが、高校時代に観た『アラビアのロレンス』。
これ。
あまりにも砂漠が美しくて。

ところが私、現実にはまだ砂漠に行ったことがないんですよね。
鳥取砂丘はあるのですが…。
死ぬまでには絶対に、サハラに立ちたいです(特にメロエ方面!)。あと、風紋が美しいと言われるナミブ砂漠にも。
行けますかねぇ。
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クルアーン焼却・2

2010年09月08日 | 時事関連
米国:11日に教会がコーラン焼却計画 政府が中止要請 ~毎日jp~

上記に教会の名前が出ていました。
フロリダ州ゲインズビルのダブ・ワールド・アウトリーチ・センター。福音派でしたね、やっぱり。ま、ほぼ100%そうだと思っていましたが…確証がなかったので前の記事では書きませんでしたけれど…。

この団体のwebサイト内のIslam is of the Devil…まぁ国によっては、In Muslim countries, if you preach the gospel or convert to Christianity - you will be killed. That is the type of religion it is…というのも実際にあるわけですが、しかしキリスト教だって負けず劣らず独善的・排他的な部分があり、布教者を殺すかどうかはともかく、私から見ればメンタルは似たようなもんなんですけれどね。
非白人(非キリスト教・非西洋文明)を無意識のうちに下に見、彼らから特別扱いされないと不満を覚える欧米キリスト教徒と、西洋人になったつもりの日本人キリスト教徒などの方も結構、面倒臭かったりします。

米政府も火消しに躍起ですが、これもイスラームを尊重しているが故ではなく、あくまでも安全保障上の問題から述べているだけで、そういう自己中心的なことでは、いつまでも根本的な解決には至らないでしょうね。
難儀なことです。


以下、参考までにIslam is of the Devilの引用。
ホント、典型的な福音派です。

■Tell us about the church, Dove World Outreach Center and about what the belief of the church is?

We are a New Testament, Charismatic, Non-Denominational Church that believes in the whole Bible and that we are to act in response to the word of God in order to change the times we are living in. Those times have gotten further and futher away from God; full of deception like abortion and same sex marriages.

■Why would the Church put up such a sign?

To expose Islam for what it is. It is a violent and oppressive religion that is trying to mascarade itself as a religion of peace, seeking to deceive our society.

■What is the reason or message the Church wants to get out with a sign such as that?

The message of the truth that there is only one way to God, only one way to salvation, and that is through the blood of Jesus. Through the repenting of your sins and being born again. It is time that all Christians unite, stop being passive and selfish and stand up and fight for the truth.

■What is your response to those offended by the sign or the message of the sign?

The truth should never offend us. We should embrace the truth. That is the foundation of our country and that is the only way to true freedom. Islam is a lie based upon lies and deceptions and fear. In Muslim countries, if you preach the gospel or convert to Christianity - you will be killed. That is the type of religion it is.
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クルアーン焼却

2010年09月08日 | 時事関連
アメリカのプロテスタント牧師(具体的な教派は不明)が、9.11に合わせてクルアーンを燃やすという暴挙に出ると予告しています。
イスラームは暴力的な宗教であり、共存は出来ないという見解のようで、直接にはグラウンド・ゼロにおけるマスジッド建設問題が引き金になっているようですが、ハッキリ言って愚かな行動です。
これは「宗教間対話」だの「宗教共存」だのの問題でもありますし、本来ならば歴史的・教理的に突き詰めた丁寧な議論が要求されるところですけれど、まぁ、今更こういう類の狂信的宗教家(これはキリスト教者だけじゃなくて、どこにでもいます)の頭の悪さに対して言うべき適切な言葉が見付かりません。

思い起こせば十数年前、キリスト教徒だった私が教会に疑念を持ったきっかけも、牧師や教会中枢の「イスラーム=サタン」的言動と、それに対して「アーメン」の信徒達の独善性と思考停止具合でした。
もちろん聖書あるいはキリスト教の諸伝統自体がそれでダメだとは思わなかったし、それは今もそうなんですが、まぁ、相変わらずアホな地点でグルグル回ってる人も多いんだな、と暗澹たる気持ちになります(因みに仏教への改宗に関しては純然たる信心・信仰に関する問題ですので、この件とは直接の関係はありません)。

しかしこの行為は、同時にアメリカのアフガン・中東政策にとっても大マイナスの行為で、結局は誰一人得をしない愚挙だと思います。そういう現世打算的センスも持たない狂信者は本当に厄介です。
損得勘定抜きの信仰は美しいけれど、その結論がおかしければ人命が失われる可能性もあるわけで、やはり政治的に微妙な問題に対してこういう運動をするのであれば、「神の意志」「信仰」だけではない別のセンスも絶対に必要でしょう。

以下、関係ない話題。

尖閣諸島でゴタゴタがありましたけれど、あそこを日本領と認めない中国に先手を打たれて「抗議(恫喝?)」されましたね。さて、日本政府はどう切り返すでしょうか。…党首選挙でそれどころじゃないかな?
尖閣問題だけではなく、竹島問題・日本海問題・海底油田問題・沖ノ鳥島問題、もちろん北方領土問題、最近では対馬・壱岐問題や沖縄問題も浮上しつつあり、国土を守るべき日本政府にもかなりの覚悟と力量が必要な状況になりつつあります。
そう言えば米軍基地問題もグダグダですね。
色々な世界情勢、あらゆる場面で主導的立場に立つくらいの気概がないと、輪の中にすら入れなくなりますが、政治家たちはわかってるんでしょうかね。選挙区民の顔色ばかり窺うような小物揃いで、果たして世界に伍して戦えるのでしょうか。
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カビとの戦い

2010年09月07日 | 閑話休題
久しぶりに雨が降って気温も下がり、今日は比較的過ごし易いです。台風の影響で若干風がありますが、今のところは気になる程でもなく。
ホント言うとちょっと蒸すんですが、ここまでの猛暑を考えると問題にもなりません。

さて。
思えば今年は雨が少なくて猛暑だったにも関わらず、夏中、庫裏にカビが発生して大変でした。特に書斎は本棚で壁が全面ふさがっているために換気がしにくく、本棚の後ろは襖・障子であるにも関わらず(しかも5㎝以上は隙間を空けているのに)、本棚の裏・棚板がカビまくり。たまに障子・襖を開けて換気してるのに。しかも書斎のみならず、廊下の書棚もカビた…ここは空気の通り、いい筈なんだけどなぁ(と言うか、うちの庫裏は隙間風だらけ)。
いずれにせよ本の保管状態も悪化する懸念もあるので、なんとかしなくちゃなぁと思いつつ、カビとの鼬ごっこに終始した夏でした。お陰でここ最近は発生を抑えていますが…。
昨年までもカビは来ていましたが、今年ほどじゃなかったんですけれどねー。

本と人間の健康の為にも、来年に向けて根本的なカビ対策を立てねばなりませんね。
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大慾

2010年09月06日 | 仏教・思索
「心が落ち着く…」“写経”が働く女子の心の支えに

東京の「高野山カフェ」の企画らしいですが、大盛況で慶賀の至りです。
が…ところで、ちょっと気になった記述が…。

<前略>

私は、百字偈の「大欲得清浄」(大欲は清浄な悟りに通じて)のフレーズがひっかかり解説を求めた。「食欲、性欲、物欲と人間には逃れられない欲がありますが、大欲とは必要以上のものを求め悪循環をもたらす欲です。仏教には『良薬と思って食べなさい。そして必要限度以上取ってはいけません』という教えがあります。お酒も1杯なら薬でも、取りすぎれば毒になりますよね」
大きくうなずく。肥満、色恋沙汰(ざた)、借金苦…。多くの人の悩みは度を超した欲や執着から発生している。「偉くなって人々の役に立ちたいという向上心などいい欲もあります。欲を否定するのではなく自覚することが大切です」

<後略>


「大欲とは必要以上のものを求め悪循環をもたらす欲です」…っておいおい、東京別院ではどういう教学を説いてるんだ…? せめて辞書くらい引けばいいのに。

『密教大辞典』には、

【大慾】 小慾に対す、一切衆生を悉く救済せんとの慾心を云ふ。理趣経には「大慾得清浄、大安楽富饒」と云へり。慾金剛の三昧これなり。

と書いてます。
「必要以上のものを求め悪循環をもたらす欲」とは、それがいかに貪欲なものであっても、明らかに「小欲」でしょう。あくまでも菩薩行の推進因となる欲をこそ大慾と言うのではないでしょうか。
多分、わかりやすく説明しようとしたのだと信じたいのですが、これじゃ誤解を与えるだけで、なんだか聞いた方も「よくよく考えたらよくわからない」状態に陥るのではないかと思われます。
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