प्रज्ञापारमिता

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真言密教とチベット密教

2016年10月20日 | 仏教・思索
チベット密教は「後期密教であり、インド仏教のストレートな後継者」で、日本密教は「中期密教で、後期密教を知らない中途の密教」であると以前、言われたことがある。
真言宗の僧侶ですら、そう思っている人がいてびっくりした。
確かに前期・中期・後期、あるいはチベット密教によるプトンの四タントラの分類で考えると、日本密教は一見すると「中途」に見えるかも知れない。しかしそれはあくまで、「チベット密教の立場」での分類だ。

僕の考えはちょっと違う。

チベット密教は確かに「後期密教」を受け継いで、チベットで発展していったものです。しかし「インド後期密教そのままではない」。発展しているんです。そしてその「インド後期密教」は、中期密教を基盤として発展した。
日本密教も同じくインド中期密教を基盤として、西域・中国においてそれを発展させて、日本で完成されたわけです。「日本の真言密教からチベット密教が出てきたわけではない」ということをみんな、忘れている。

つまり、

インド中期密教 → インド後期密教 → チベット密教
インド中期密教 → 大唐密教 → 真言密教

という過程で発展して来たわけですから、同じ根っ子から出て来た「違う果実」であり、決して「中途の密教」ではありません。
ここは声を大にして言いたい。
日本の真言密教がチベットに学ぶのはいいけれど、「チベット密教によって真言密教が完成される」わけではない。ここはとっても、重要なポイントだと思います。

「中期」とか「後期」という「インドにおける」単なる時期の区分が、価値区分に無意識に転嫁されてしまっている。

事実、日本密教にあってチベット密教にない重要な思想もあります。

たとえば、よく言われる「両部思想」もそうです。チベットにないから「イレギュラーな思想」というわけではなくて、これも重大な思想的発展であり、ひとつのサミットなんです。
またたとえば、「理具・加持・顕得」の三種成仏思想も僕が思うに、実践過程の具体的裏付けとして非常にシンプルで素晴らしい日本密教の考え方だと思っています。

チベット密教と真言密教は兄弟です。しかも双子です。上下はなく、根っ子を同じくする、違う幹です。
お互いに示唆し合える素晴らしい関係を築けると思いますが、どうも日本真言密教のほうに、自信がなさ過ぎるのが気になります。この1200年の真言密教の蓄積は、その文献の難解さによってまだまだ解明されていない部分が大きいのですが、それだけに、安易に接ぎ木をするのではなく、まずは自らの幹と根をしっかりと見直して育てていくことをこそ、考えていくべきだと思っています。

チベット密教の勉強をするな、ということではありません。
僕も今しています。とても有益で、日本仏教と違う素晴らしさを感じています。正直、レベルは高い。
だからこそ、真言密教をしっかりと確立して向かっていかなければ、接ぎ木すら「正しく」できないと思います。

まぁ、腑抜けのチンケな真言坊主の僕が言うのも何ですがね。
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