प्रज्ञापारमिता

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厄除け

2020年02月08日 | 法話関係
心暗きときは遇う所ことごとく禍いなり
眼明らかなれば途に触れてみな宝なり


「性霊集八」

心が暗いときは、見聞すべてが災いになってしまう。しかし、心が明るければ、見聞すべて宝となって見えてくる。

…………………………

2/8は、福楽寺の「厄除け薬師・大数珠繰り」ですが、そもそも「厄」とは災難や苦しみ、主に病苦について言われることが多いです。そこで「厄年」には体調の変化に気を付けよう…などと言いますが、実際には厄年ではなくとも厄はやって来ます。生老病死は仏教では「四苦」と言いますけれど、これは「厄年だけ」の問題ではないのです。
ですから福楽寺では特に厄年だから…と区別はせずに、毎年こうやって厄除けを祈っているわけです。

しかし厄除けをしたからといって、絶対に病気や死別の苦に会わないのか…と言えば、もちろんそんなことはありません。ご本尊の薬師如来は「厄除け・病気平癒」にご利益がある仏様とされていますが、厄除けをするだけでどうこうならない問題もたくさんあります。

では、厄除けなど無意味かと言われれば、もちろんそんなことはありません。

皆さんは「加持」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。「加持祈祷」などと言われますけれど、本来は加持と祈祷は別の意味があります。「病気が治りますように」というのは祈祷です。もちろん真言宗ではそういうご祈祷もします。しかしもっと大切なのは「加持」です。
加持は仏様の力と自分の信心がひとつになって、明るい心になっていくことです。言い換えれば、「病気になっても病人にならないこと」です。

仮に祈祷で病気が治ったとしても、結局は人は永遠には生きられません。突発的な病は仏様によって治していただける時はありますし、不思議な話は私も聞いたことがあります。しかし、人にはそれぞれの寿命というもの、天寿があります。これは動かせません。
ですから最終的には、「病気を治すこと」よりも、「病気になっても病人にならないこと」の方が重要になります。

私の祖母の例ですが(略)

そのような状態になるには、加持によって心を明るくしていく、表面の心ではなく、無意識の奥の心を明るくしていく必要があり、仏様の大きな慈悲の働きと、それを受け止めて手を合わせる私たちの信心が必要になってきます。

大切なことは、厄や苦を消そうとすることではなく、厄や苦が起こったときに、そこから何を学び、受け止めて、自分の心や魂を明るく平安にしていけるか、です。
厄除けというのは、つまりは「仏様の加持をいただいて、病気にはなっても決して病人にならない明るい心」をいただく、ということです。そうして、人は死んでもそれで終わるわけではなく、目に見えないもの、魂というものは持続していくのだ、ということを自覚していくことが重要なのです。

本日の厄除けでは、そういった明るい心になれるように、もちろんご本尊の薬師如来は「病気平癒」のご祈祷の功徳ももちろんございますので、併せてそれも祈りながら、今年一年、穏やかな生活になるようにお互いにつとめて参りましょう。

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